アスワンという町にある病院に花京院とアヴドゥルを運んだ名前達は、入院することになった二人が病院で使う必要最低限の物を買いに行くため、街中を歩いていた。

「二人の容態は?」

煙草に火を点けて一度大きく煙を吐いたポルナレフは、医師から話を聞いていたジョセフに視線を向ける。

「アヴドゥルの首の傷は幸運にも急所を外れていたので、明日にでも退院できるらしい」

ポルナレフから二人の容態を聞かれたはずなのに、アヴドゥルの怪我の具合だけを話して言葉を切ってしまったジョセフ。その様子に嫌な予感を感じつつも名前は「…典明は?」と尋ねた。

「…花京院は、重傷だ。失明するかもしれん」
「……失明…、」
「…心配だぜ」
「残念だが…この旅、花京院はリタイアせざるを得ないかもな…」

確かに承太郎の言う通り、目の不自由な花京院をこのまま旅に同行させるのはリスクが高すぎる。『ゲブ神』のように聴覚が発達していれば話は別だが、視覚で情報を得られないのは戦いにおいて不利な状況を招いてしまう。
花京院と自分達の身を守るためには彼を置いていくのが一番なのだが、日本からエジプトまで共に困難を乗り越えてきた花京院と、こうもあっさりと分かれてしまうのは素直に納得できる話ではなかった。

「……」
「…名前ちゃん」
「!」

俯きがちでとぼとぼと歩く名前の耳にジョセフの優しい声が響く。次いで右手を包んだ硬い感触に、ハッと目を見開いた名前は隣を歩くジョセフを見上げた。

「ジョセフ、おじいちゃん?」
「買い物する前にお茶でも飲んで少し休憩でもしようか」
「お茶?」
「エジプトに着いてからゆっくりする時間もあまり取れなかったしの〜。久しぶりにカフェで美味しそうにケーキを食べる名前ちゃんを見たいわい!」

にこにこと笑うジョセフに一番に反応したのは名前ではなくポルナレフで、彼は「それ俺も賛成!」と勢いよく片手を上げていた。

「…まあ、偶には悪くねえな」
「ほら! 承太郎もこう言ってることだし早く行こうぜ!」
「…みんな…、」

どんどん心を塞いでいく名前を慰めようとしているのか、明るく話すジョセフ達に名前はぐっと番傘の柄を握った。
花京院が離脱せざるを得ない状況になって悔しさを感じているのは自分だけではない。彼らだって仲間を失うのは辛いのだ。それなのに明るく振る舞い、慰めるように接してくれる。

「(…自分だけいつまでもくよくよしてる場合じゃない)」

前を向こうと意を決した名前はジョセフの左手を握り返すと「ケーキいっぱい奢ってね!」と満面の笑みを浮かべた。


* * *


「いらっしゃい」

数軒の飲食店が並ぶ通りで、ポルナレフによって選ばれたカフェに足を踏み入れた名前達は、店主にしては随分とカジュアルな服を着た男に一つのテーブル席へと案内された。

「なにを……注文なさいますか?」
「そうだな、紅茶がいいな」
「同じだ」
「私も紅茶と、ケーキワンホールで!」
「ワ、ワンホール!?」

思わぬ名前の注文に目を見張る店主だが、彼女にとってケーキはピースで食べる物ではなくホールで食べる物なのだ。そのことを知っている承太郎達は平然としてるが、知らない人間からしたら驚くのも無理はないだろう。

「は、はい…ケーキをホールで一つと、紅茶を四つですね」

ボソボソと注文を繰り返した店主が厨房に戻ろうと踵を返した瞬間、何やら険しい顔をしたジョセフが「いや…紅茶やコーヒーはやめた方がいいな…」と声を上げた。

「え? なんでだよジョースターさん」
「いいか…ここは敵地エジプトだ…今まで以上にどこに敵が隠れていて、いつ襲ってくるか分からんぞ」

DIOからの寵愛を受ける名前はともかく、命を狙われているジョセフ達は敵地に乗り込んだ以上、より周りに気をつけなければならない。
主に承太郎とポルナレフに忠告をしたジョセフは、これからは瓶入りや缶入りの飲み物を飲むようにと話すと、背を向けたまま固まっていた店主に「おい」と声を掛けた。

「紅茶三つを取り消してコーラにするよ」
「コーラァァ!?」
「そうだ、どうかしたか?」

瓶入りのコーラが入っている冷蔵庫を指差して注文の品を変えてくれと言うジョセフに、店主は過剰に反応を見せた。
ただのカフェの店主にしてはどこか様子の可笑しい男に、承太郎が訝し気な目を向けると、店主は「い、いえ…」と首を横に振る。

「…コーラ三本ですね」
「そうだ。栓はテーブルで抜くからいいぞ」

冷蔵庫からコーラを取り出そうとする店主に更にジョセフは三番目と四番目、五番目にあるコーラを指定すると事細かく店主に指示を出す。
しかし店にいた他の客がコーラが全く冷えていないと苦情を入れているのを聞いて、ジョセフは「おい待て!」と手を上げた。

「冷えていないのか?」
「れ、冷蔵庫が壊れちまってましたァ…」
「……」

コーラと言えば冷えている物と相場が決まっているが、どうやらこの店の冷蔵庫は現在故障してしまっているようで、生温い物しか提供できないらしい。
栓がしてある飲み物は他には無いようで、ジョセフが生温いコーラを飲むべきか悩んでいると、新しい煙草を咥えたポルナレフが「少し神経質すぎるぜ」と身を乗り出した。

「仮にあの主人が敵だとして、俺達に毒を盛ろうと…してるとしよう!」

親指をくいっと動かして店主を指差したポルナレフは「俺達がどうしてこの店に入ると分かる?」と片眉を上げた。

「この町にはこんなにたくさんの店があるのに…選んだのはこの俺だ。一軒しかないならともかく何軒もあるぜ」
「…用心に越したことはないと言ってるだけだ」
「そんなに拘るなら店を変えようぜ!」

ガタッと席を立って向かい側の店に移ろうとするポルナレフ。承太郎と名前とジョセフも彼に続くように腰を上げるが、席を立った瞬間、向かい側の店先が燃えている光景が名前達の目に映った。
店が燃えてしまうと悲鳴を上げる店主の声を聞くと、誰かがポイ捨てした煙草の火がゴミに燃え移ってしまったらしい。

「おい主人。やっぱり初めの通りケーキワンホールと紅茶四つでいいや」

あれでは店を変えるどころの話ではないと、ジョセフは店主に四本立てた指を向けた。
そして数分後、テーブルに運ばれて来た一台のショートケーキに名前はキラキラと目を輝かせる。

「美味しそう…っ!」
「…すげえよな。こんな甘ったるいモン全部食っちまうんだからよぉ」

鼻腔を擽る洋菓子の甘い匂いに苦笑するポルナレフは、ケーキと一緒に運ばれて来た紅茶を手に取ると、ちらりと視線を必死に消火活動をしている向かい側の店に向けた。

「しかし、煙草をゴミの所に捨てるなんて悪いヤツもいたもんだぜ」
「……ん?」

しみじみと言うポルナレフに、名前は「そう言えば…」と思考を巡らす。
最初に店を選ぶ場面でポルナレフは吸っていた煙草を投げて決めていたはずだ。その時地面に落ちた煙草をどうしたんだろうかと名前は思い出そうとするが、もう既にケーキのことで頭がいっぱいの彼女は「まあいいか」とフォークを手に取った。

「いただきます!」

行儀よく手を合わせて至福の時である最初の一口を掬おうとした瞬間、隣の席から女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。

「この犬があたしのケーキをッ!」
「誰だ犬を店の中に連れ込んだのはッ!」
「「「!」」」
「イギー!?」

店内に響く怒声に紅茶を口に含んでいた承太郎とジョセフ、ポルナレフの三人は思わず吹き出し、名前は女性から投げつけられる皿を華麗に躱しながらケーキを食べるイギーに大きく目を開いた。

「「「イギ〜〜!」」」
「誰の犬よッ! あたしのケーキ食べられちゃったじゃない!」
「この犬追い出してくれーッ!」
「こらイギーッ!」
「待てェ! このクソ犬ーッ!」
「おい名前行くぜ!」
「えっ! ま、待ってよ承太郎!」

女性のケーキを横取りして逃げるように店を出ていったイギーを、追い掛けるように急いで店を後にする名前達。
店主と小さな子供が彼女達がいた席を見ると、エジプト紙幣と一口も食べられなかったケーキ、そしてテーブルクロスに染みをつける紅茶が残されていた。


* * *


必死になってイギーを追いかけていたが犬の足の早さには勝てず、名前達はイギーを見失ってしまった。
また他人に迷惑を掛ける前に探し出さなければいけないのだが、元々町中を歩いていた理由は花京院とアヴドゥルの入院するにあたって必要な物を買うためなのだ。
さすがにいつまでもイギーばかりに構っている訳にもいかず、名前達はイギー捜索を一旦諦めて当初の目的である買い物をすることに。
そして現在――。

「ねえねえ承太郎! オルゴールなんてどうかな?」

入院生活を送る上での必要最低限の物を買い揃えた名前達は、アヴドゥルのお見舞い品を買うジョセフとポルナレフ、花京院のお見舞い品を買う名前と承太郎と二手に別れて行動していた。

「オルゴールか…」

一軒の雑貨屋に入り何かめぼしい物はないかと物色していた名前と承太郎の目に、棚にちょこんと置かれた小さなオルゴールが映る。
詳しい容態は病院に行ってみないと分からないが、花京院は現状目を使うことが出来ない。
しかしそんな彼でも癒しの音楽を流すオルゴールなら楽しめるのではと、承太郎は頷いた。

「悪くねえな」
「じゃあこれにしよう!」

アンティーク調で宝箱の形をしたオルゴールを買おうと手に取った名前は、先程から居心地悪そうにしている承太郎へ「外で待っててもいいよ?」と声を掛ける。

「承太郎こういう雰囲気のお店苦手でしょ?」

可愛らしい小物がたくさん並び、女性客が大半を占める雑貨屋は、承太郎にとっては落ち着かない場所の一つである。
目立つ容姿と体格をしている承太郎は入店してからチラチラと視線を向けられていて、それに気付かないはずがない彼は鬱陶しそうに眉間に深い皺を刻んでいた。それでも何の文句も言わずにお見舞い品を名前と共に選んでいた承太郎だが、本当は今すぐにでも店を出たかったに違いない。だからこそ名前は少しでも早くこの場から出られるように気を遣ったのだが、承太郎からは「…いや、ここで待ってるぜ」と意外すぎる答えが返ってきた。

「うそ!?」
「…嘘ついてどうすんだ」
「い…いや、だって…!」

依然として眉間には深い皺が刻まれているが、店から出ずに中で待つと言う承太郎に、名前は信じられないと言いたげな表情を浮かべる。

「ど、どうしちゃったの?」
「……別にどうもしねえよ」
「…でも、なんか承太郎いつもと違う、」
「いいから早く会計してきな。病院に着くのが遅くなるぜ」
「! それはまずい!」

承太郎に何か違和感を感じている様子の名前は、病院と聞くと慌てて「お会計してくる!」と奥にあるレジカウンターへ向かって行く。
その後ろ姿を見送った承太郎は帽子の鍔をぐいっと下げた。

「…いつもと違う、か…」

咄嗟に話をすり替えて気を逸らしたが、やはり名前からしても今の承太郎は普段通りではなかったらしい。
確かに普段の彼は女性向けの可愛らしい店に長居する男ではないし、ましてや不躾な視線を向けられるのを極端に嫌う男だった。そんな承太郎が煩わしそうにしながらも店内で待っているなんて言えば、名前が驚くのも頷けるだろう。
しかし承太郎がそこまでして普段と違う行動を取るには、ある理由があった。

 −−いずれ名前様はお前の元を去り、DIO様のモノになる。

「……チッ、」

耳朶に残るンドゥールの声と言葉に承太郎は苛立ちを露わにする。
敵の戯言などいつものように聞き流せばいいのだが、なぜかンドゥールから言われたその言葉だけは承太郎の耳にこびり付いて離れなかったのだ。

「…んなわけねえだろ、」

名前が自分の元を離れてDIOのモノになる訳がない。
頭ではそう分かっていても妙な胸騒ぎがしてならない承太郎は、店主の女性と楽しそうに話す名前の姿をじっと見つめた。

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