「アヴドゥル、傷はもういいのかい?」

日当たりのいい病室のベッドの上に座っている花京院は、自分と同じく『ゲブ神』に攻撃され入院していたアヴドゥルに声を掛けた。

「ああ…それより花京院、君こそ大事なくて何よりだ」
「まあね」

目に包帯を巻いた花京院は名前達が思っている以上に元気そうに笑った。
幸いにも瞳の部分を傷つけられずに済んだ彼の目は、視力を失うまでの怪我ではなかったのだ。網膜に出来た傷もそれほど深くはなく、すぐに治ると明るく話す花京院に名前は「よかったぁ…」と脱力し、ぐでんとベットの端に突っ伏した。

「僕が中学の頃…同級生が野球のボールで眼球をクシャクシャになるぐらい潰されたが、翌日には治っていたよ」

眼球の中の水分が出ただけらしいと、聞いている者の方が痛くなりそうな話をふふっと笑いながらする花京院に、ポルナレフとジョセフは顔を引き攣らせる。

「数日したら包帯が取れる…すぐに君たちの後を追うよ」

花京院はすうっと笑みを消すと「DIOがいるカイロまであと800kmたらず…」と呟き、包帯に隠された薄紫色の目で名前達の顔を見渡した。

「みんな、用心して旅を続けてくれ…」

彼の意思を宿した目を確かに見た名前達は、一度顔を見合わせると力強く頷いた。

「…では、我々は行くとしよう」
「ああ」

ハットを被り直したジョセフは「待ってるぞ」と花京院に一言告げると、病室の外へと向かって行く。その背に続くように承太郎とポルナレフ、アヴドゥルも病室内を出ようと移動し、そんな彼らに伴うように名前も「またね」と花京院に声を掛けると病室を出ようと彼に背を向けた。

「名前さん」

しかし背後から自分の名を呼ぶ花京院の声が聞こえ、名前は「なに?」と足を止めて振り返った。

「ありがとうございます」
「…え?」

そう言って花京院が名前に見えるように差し出したのは、お見舞い品として雑貨屋で買ったオルゴールで、彼は口元に笑みを浮かべると「綺麗な音色でしたよ」と手の中にある箱を指で優しくなぞった。

「ふふっ、癒された?」
「…ええ、とても」

何も見えない暗闇にずっといると不安は募る一方だった。すぐに傷は治ると医師に言われているが、もしこのまま目が見えなくなってしまったらどうしようと、後ろ向きな考えが頭の隅を過ることもある。
そんな時、少しでも気分が晴れればと名前が持って来てくれたのが、この小さなオルゴールであった。目が見えない分よく耳に入ってくるオルゴール特有の綺麗で心地のいい音色は、どんどん暗くなりつつあった花京院の心を優しく包み込み、すくい上げてくれたのだ。

「二人がくれたこのオルゴール、大切にしますね」

町の雑貨屋にあった小さなオルゴール。
高級品でもない、何の変哲もないありふれた普通の物ではあるが、今まで貰った物の中で花京院は一番嬉しかった。
自分のために名前と承太郎が選んでくれたのだと思うと、胸の中がじんわりと暖かくなる。

「僕の、宝物です」

大事そうにオルゴールを胸に抱く花京院を見た名前と、廊下の壁に背を預けて話を聞いていた承太郎は、嬉しそうに笑みを浮かべた。


* * *


本日中にエドフという町に向かいたいと言うジョセフは、ナイル川を渡るために船で荷物を運ぶ商人に便乗させてもらえないかと交渉をしていた。
そして一人の商人と交渉成立した名前達は船でナイル川を渡っていたのだが、商人の仕事の都合で現在は農業が盛んな町、コム・オンボに立ち寄っていた。

「ちょいとそこのお嬢さん!」
「!」

数ある露店が並ぶ町中でトイレを探すジョセフの後を着いて回っていた名前は、不意に一人の男に声を掛けられ足を止めた。

「私?」
「そうそうお嬢さんだよ!」

くいくいっと手招きする男に疑問符を浮かべながらも素直に従い男の元へ名前が近付いていくと、彼女の目に夕陽を浴びてキラキラと輝くジュエリーが映った。

「わあ…! きれい!」
「へへっ、だろ? 俺の自慢の商品なんだ」

得意そうに鼻の下を指で擦る男を一瞥した名前は、再び等間隔で並べられたジュエリーに視線を落とす。
ネックレスや指輪、ブレスレットやピアスと色んな種類のジュエリーには小ぶりではあるが色鮮やかな宝石があしらわれていて、見る者の目をよく引いていた。
都会にあるジュエリーショップに引けを取らない品々ばかりに、男が自慢の商品だと鼻を高くするのも大きく頷ける。

「これなんてお嬢さんにピッタリだと思うぜ!」
「…可愛い、」

数ある品々の中から男が名前に手渡したのは、一つの指輪だった。
細身のそれはシンプルではあるが小さな宝石がしっかりとあしらわれていて、その宝石の色は彼女の目と同じ海のような蒼い色をしていた。

「名前」
「! あ、承太郎…」

背後から聞こえてきた声に名前が振り返ると、そこにはポケットに手を入れて堂々と立つ承太郎がいた。
承太郎は名前の隣にしゃがみ込むと、彼女が手に持っている指輪を見て「買うのか?」と声を掛ける。

「…ううん。旅の途中で無くしちゃいそうだし、今はそれどころじゃないもんね」
「……」

一瞬考える素振りを見せた名前だったが、首を横に振ると「冷やかしになっちゃってごめんなさい!」と男に謝罪しながら持っていた指輪を返した。

「承太郎行こう!」
「…ああ」

名前に腕を組まれた承太郎はちらりと彼女が持っていた指輪に視線を向けるが、すぐに視線を逸らすと「おーい!」と手を振るジョセフの元へと二人で向かって行った。


* * *


何事もなく再度エドフへ出発…という訳にはいかず、コム・オンボで名前達と一人はぐれてしまったポルナレフは、観光スポットとしても有名なコム・オンボ神殿で『アヌビス神』の暗示を持つスタンド使いに襲われ、刀傷を付けられてしまった。
幸い病院に行くほど深い傷ではなかったポルナレフはアヴドゥルに手当をしてもらい、現在は「周りに気をつけろ」とアヴドゥルに船の上で説教を受けている。
真面目に聞くのかと思えば、アヴドゥルからの説教を面倒くさそうに「はいはい」と聞き流すポルナレフに名前が苦笑いを浮かべていると、彼女の隣に先程まで船首で煙草を吸っていた承太郎が腰を下ろした。

「おかえり」
「ああ……あいつらまだやってんのか」
「ふふ、そうなの。ポルナレフは全然聞いてないけどね」
「…やれやれだぜ」

もはや聞く耳持たずで『アヌビス神』のスタンド使いが持っていたという刀を眺めているポルナレフに、承太郎は呆れた視線を向けた。

「ポルナレフ! 聞いてるのかッ!?」
「へ?」
「っ、貴様…!」
「あ、アヴドゥルさんが爆発した!」

話を聞いていないポルナレフに気付いたアヴドゥルが、自分のスタンドが如く炎を纏って怒り出したことに名前は驚きながらも、正座をさせられているポルナレフの間抜けな姿に面白そうに笑っていた。

「………」

楽しそうに細められる名前の蒼い目は夕陽が反射していて、海というより宝石のような輝きを放っていた。
その宝石のような蒼い目をじっと見つめた承太郎は徐に自身のポケットを漁ると、名前の透き通るような白い手を掴んだ。

「! じょ…承太郎…っ?」
「じっとしてな」

いきなり手を掴まれた名前は反射的に手を引っ込めようとするが、承太郎にピシャリと言い放たれてしまい、疑問符を浮かべながらも言われた通りじっと大人しくする。

「…ん、いいぜ」
「一体なにを……えぇ!?」

するすると右手の薬指に走ったこそばゆさに首を傾げていた名前は、漸く承太郎に解放された自分の右手を見て驚愕の表情を浮かべて声を上げた。

「じょ、承太郎これ…っ!!」

名前の右手の薬指で存在を主張していたのは、コム・オンボの露店で手に取った、あの蒼い宝石が散りばめられた細身の指輪だった。

「ど、どうして…なんで承太郎がこれ…」
「船に戻る前に買った」
「…わたしに…?」
「…他に誰がいんだよ」
「承太郎が、私に…」

呆然と自分の右手を見つめる名前。
あの時承太郎に買うのかと聞かれ、本当は素直に頷きたかった。別に宝石やジュエリーが特別好きという訳ではないが、この指輪を見た時ただ純粋に欲しいと名前は思ったのだ。
しかし今はDIOを倒すためにカイロへと向かっている途中だ。観光に来た訳ではない。それに、せっかく買ったものを戦いの最中に無くしても嫌だった名前は、買うことを諦めたのだ。
またいつか何かの縁で出会えた時にでもと少しの名残り惜しさを残して露店を後にしたのだが、まさかこんな形で自分の指に嵌るなんて。
余程この指輪を欲しているように見えたのか定かではないが、承太郎が自分のために買ってくれるとは夢にも思っていなかった名前は、とても感極まっていた。

「っ、ありがとう承太郎…っ!」
「!」

指輪の嵌った右手をぎゅっと握りしめて自分の胸元に添える名前は、薄らと目に涙を浮かべながら笑っていた。
夕陽のせいか神秘的に、そして儚げに見える名前の姿に、承太郎は思わず息を飲んだ。

「っ…名前…!」

今にも目の前から消えてしまいそうな錯覚に襲われた承太郎は、繋ぎ止めるように名前の体を咄嗟に自分の腕の中に閉じ込めた。
カタリと番傘が音を立てて甲板に落ちる。

「…じょう、たろう…?」

思い切り引き寄せられ承太郎の膝の上に乗るような形になった名前は、不思議そうに自分の肩口に顔を埋める彼の名を呼ぶ。
耳元で名前の声が聞こえた承太郎は更に腕の力を強めると、くぐもった声で「…名前、」と呼び返した。

「なに?」
「…俺から、離れるなよ…」

自分でも女々しくて、情けない姿を名前に晒しているということは重々承知している。
しかしンドゥールにあの言葉を言われてからというもの、名前が目の前から消えてしまう気がしてならない。二度とこうして触れられない所に行ってしまう気がしてならないのだ。
時間を重ねる毎に、日を追う毎にどんどんと大きくなる不安に、柄にもなく押し潰されそうになる。しかし――。

「大丈夫だよ、承太郎」

普段より小さく見える彼の背中を、包み込むようにして名前の二本の腕が回された。

「っ、…名前…」
「なにがあったのか分からないけど、私は承太郎から離れたりしないよ」

ふふっと笑った名前は「むしろ、離してって言っても離してあげないからネ?」とぎゅっと承太郎より強い力で抱きしめ始めた。
その強さに思わず息を詰まらせた承太郎だったが、彼女の肩口に埋めている顔は嬉しそうに歪んでいた。

「っ、上等だぜ。俺もぜってえ離してやらねえから覚悟しろよ」

離れていくどころか隙間なくピッタリとくっ付き合う名前と承太郎。

「(初めからこうすりゃ良かったんだ)」

彼の心を巣食う不安という魔物は、案外簡単に排除することが出来るものだった。
思っていることを素直に言葉にするだけ、ただそれだけで良かったのだ。
ここ数日不安に思っていた自分が馬鹿らしくなるくらいあっさりと軽くなった心に、承太郎は自嘲気味に笑いながら「…なんか、プロポーズみたいだね」と照れている名前の体温を感じていた。

「…それは、全て終わってからだな…」

カイロにいる宿敵を倒し全てが終息した後、今度は左手の薬指に嵌める指輪を用意して伝えてやると密かに決意した承太郎は、「なにか言った?」と尋ねる名前に「なんでもねえよ」と彼女の長い髪を撫でた。

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