エドフの町に辿り着いた名前達は、船の泊まり場近くにあった一軒のホテルに宿泊した。
小さいホテルながらもベッドはふかふかと柔らかく質のいい物で、慣れない船の移動で疲れた体を癒してくれたのだが、名前だけは充分な睡眠を取れなかったようで、ジョセフの部屋で承太郎にもたれ掛かりながら恨めしそうに元気にガムを噛んでいるイギーを睨みつけた。

「…イギーの寝相悪過ぎ、」
「番犬になると思って名前ちゃんの部屋で寝かせたんじゃがのう…」

ポルナレフがコム・オンボ神殿で一人でいる時に襲われたということがあって、念のために名前の部屋に番犬としてイギーを泊めたのだが、彼は番犬を務めるどころか一つしかないベッドを占領して爆睡を決め込んだのだ。
名前が掛けていたシーツを引っ張り、枕を横取りし、大きな鼾をかく。まるで人間のようなイギーの行動にほとんど寝られず、壁際のベッドの端に寄りながら早く朝が来るのを待っていたと話す名前に、アヴドゥルは頭を抱えた。

「…なんでお前が気持ちよく寝ているんだ」
「やれやれ。これじゃあ逆効果だぜ」

アヴドゥルと承太郎から呆れの視線を向けられるイギーは我関せずと言ったようで、一心不乱にガムを噛み続けている。
もう何を言っても彼には届かないだろうと名前達が諦めの溜息を吐いたと同時に、ガチャリとジョセフの部屋のドアが開かれた。

「Bonjour!」

部屋に入ってきたのは実に爽やかな笑みを浮かべたポルナレフだった。
彼も昨夜はぐっすりと眠れたのだろう、集合時間に遅れているにも関わらず「清々しい朝じゃあねーか!」と大きく腕を広げている。

「なにが清々しい朝じゃっ! お前だけだぞ時間に遅れて来ているのは!」
「時間にルーズなやつだと思っていたが、少しは周りのことも考えて行動しろ」
「そんなに怒るなよジョースターさん! アヴドゥル!」

せっかくの気持ちのいい朝が台無しになると呑気に笑うポルナレフに、風船が萎んだように怒る気力を失くしたジョセフとアヴドゥル。
そんな彼らを横目にポルナレフが持っている刀が気になった承太郎は、「その刀どうするつもりだ」と問い掛けた。

「ん? ああ…警察に届けるぜ。どう見ても凶器だからな」
「うむ、それが良い…あの遺跡に捨てて置いたら誰が拾うか分からん」
「高価そうにも見えますしね」

それが名案だとジョセフ達が頷く中、先程までガムを噛んでいたイギーが突然唸り出した。

「イギー?」

うううっと低く唸るイギーを不思議に思い名前が声を掛けると、彼はポルナレフの方を睨み付けながら大きく吠え始めた。
何かを警戒しているような、威嚇しているようなイギーの激しい鳴き声が部屋中に木霊す。

「こらイギー! 静かにしろッ!」
「宿を追い出されたらどうするッ!」

鳴き止まさせようとアヴドゥルとジョセフが声を上げるも、イギーはポルナレフの方を向いたまま尚吠え続ける。

「っ、なんなんだよさっきからよぉ!」

自分に向かって吠え続けるイギーに苛立ちを見せたポルナレフは一度舌を打つと、ここにいてはイギーが煩いため早速刀を警察に届けに行ってくると腰掛けていた棚から立ち上がった。

「ポルナレフ! だから一人になるんじゃあないっ!」
「あっ」
「昨日散々アヴドゥルに言われただろうに……承太郎、お前も付き合ってやれ」
「ああ…名前はどうする」
「行く!」

ついでに眠気を覚ましたいと言う名前は「気をつけるんじゃぞ」と頭を撫でるジョセフにハグをすると、ポルナレフと承太郎に着いてエドフの町へと繰り出して行った。


* * *


すうすうと静かな寝息を立てる名前の頭を膝に乗せた承太郎は読んでいた雑誌から顔を上げると、陽気に鼻歌を口ずさみ散髪をしてもらっているポルナレフに「おい」と声を掛けた。

「とっとと警察に行かなくていいのか」

ホテルを出て真っ直ぐ警察署へ向かうのかと思いきや、刀を持ったまま床屋に立ち寄ったポルナレフ。
他に客がいなかったのをいいことにポルナレフはそのまま散髪を始めてしまい、承太郎と名前は待ち合い椅子に座って彼の散髪が終わるのを待たなければならなくなってしまった。
眠気覚ましにと着いてきた名前は結局待っている間睡魔に負けてしまい、承太郎の膝を枕に眠ってしまったのである。

「へへっ、まあいいじゃあねーか!」

承太郎に鋭い眼差しを向けられるポルナレフは特に気にした素振りを見せず、あろうことか椅子に立てかけてあった刀を「そっちに置いといてくれよ」と店主に預けてしまった。

「……」

不用心にも他人に預けられた刀をじっと見つめる承太郎を余所に、ポルナレフは髭剃り用のカミソリの切れ味が悪くて痛いと店主に文句を垂れていた。

「ちゃんと研げよォ! 散髪の中で一番気持ちいいとこなのにィ〜!」
「…やれやれ、うるせえ男だ」

ぎゃあぎゃあと騒ぐポルナレフに呆れた承太郎は雑誌を閉じると、気持ちよさそうに眠る名前に伴ってうたた寝を始めた。
シャッ、シャッとカミソリを研ぐ音や、シャカシャカとクリームを泡立てる音が妙に心地よくて、承太郎の意識がどんどんと深い所へと誘われていく。
こくこくと舟を漕ぎ始めた承太郎の頭が、一際大きく揺れたその時――。

「ポルナレフーッ!」
「何度やってもてめーは俺より弱いぜ!」
「!」
「……んん…?」

ガタンと何かが倒れるけたたましい音に目を覚ました承太郎と名前は、椅子や道具が散乱している店内と、刀を持ってポルナレフに襲いかかる床屋の店主の姿を見て驚愕に目を開いた。

「ポルナレフ!?」
「こいつはッ! この床屋は一体!?」

ポルナレフは『銀の戦車』を出して押し切ろうとする刀身を受け止めながら、承太郎と名前に「近づくな!」と声を張り上げる。

「こ…この刀がスタンドだ…」

どうやら誰でも触れられる刀自体がスタンドであり、その刀を鞘から抜いてしまった者はスタンドに操られてしまうらしい。
コム・オンボ神殿で倒したはずの男も操られていただけだったと話すポルナレフは、昨日よりも強さを増しているスタンドにギリッと歯を食いしばった。
柱をも切断してしまう程切れ味のいい刀だ。素手で戦う承太郎の『星の白金』で相手するのは危険すぎると判断したポルナレフは、同じ剣の使い手である自分が倒さなければと意気込む。
しかし――。

「絶っ〜〜対に負けなあああいィィ!!」
「だ…だめだ…もう剣がねえ! やばい承太郎助けてくれ…!」

一度戦った相手の攻撃パターンは持ち主が変わろうと全て記憶しているという刀のスタンドに、ポルナレフの奥の手である攻撃まで防がれてしまった。
奥の手まで使い切り、剣身が無くなってしまったレイピアを呆然と見ながら助けを求めるポルナレフの背後で、承太郎が静かに「『星の白金』…」と呟く。
途端に承太郎の背後に現れた『星の白金』に気付いた店主が、標的をポルナレフから承太郎へと変える。

「くゃあッーーッ!」
『オラアッ!』
「あっ!」

刀を振り下ろす店主の頬に『星の白金』が拳を叩きつける。
店のガラスを突き破り凄まじい勢いで外へと吹き飛ばれていく店主に、ポルナレフは「やったかッ!?」と体を起こした。

「いや、全然浅い…取り敢えず当てるのが精一杯だった」

策や術を使わずに真っ向から戦う『正統派スタンド』に、こいつは強いと確信した承太郎はぐっと眉を顰める。
これは覚悟して挑まなければと気を引き締めた承太郎は「ここで待ってろ」と名前を店内に残すと、ポルナレフと共に店の外へと足を踏み出した。

「さすが『星の白金』…噂通り相当素早い動きだ…」

承太郎とポルナレフの足音に気付いた店主は『星の白金』の能力を褒めながらムクリと起き上がる。

「…しかしその動き、今ので憶えた…」
「!」

不敵に笑いながら刀を構えてジリジリと滲み寄って来る店主に、承太郎の動きまで憶えられてしまったとポルナレフは冷や汗を流す。
しかし彼の心配は杞憂に終わり、承太郎は自分に振り下ろされた刀を『星の白金』で白刃取りして見せたのだ。そしてそのまま両手で挟んだ刀身を折ると、操られていた店主は「確かに…憶えた…ぞ」と呟いて地面に倒れてしまった。

「その刀に触るなよ! ブチ折ったとは言えスタンドの魔力は生きてるかもしれんッ!」
「ポルナレフ! 鞘持って来たからその刀収めるよ!」
「…名前、柄に触るんじゃあねえぞ」

承太郎の言葉に頷いた名前は、落ちている刀に触れないよう器用に刀身を鞘に収めていく。
そしてカチリと鍔と鞘が合わさる音を聞いた名前は、無意識に止めていた息を大きく吐いた。

「…取り敢えず鞘に収めたけど、この刀どうする?」
「また誰かが抜いたらやばいぜ…こいつは俺と承太郎の能力を取り入れているから、俺たちには勝てんかもしれん…」
「ナイルの川底に永久に沈めるというのはどうだ?」
「川底かぁ…」

スタンドと言えど物には変わりないため、人の手がなければその能力は使えない。
ナイル川ならそこそこの深さもあるし、潜ってまで川底を漁るような変わり者はそう簡単には現れないだろう。

「そうだな…! それはグッドアイデアだぜ!」
「じゃあ早速……っ!?」

川辺りに行こうと一歩足を踏み出した名前は、突然ぐんっと持っていた刀を引っ張られる感覚に襲われた。

「あっ!」
「「!」」

その引っ張られる感覚に名前が慌てて背後を振り返ると、警官の制服を着た男が刀の鞘を掴んでいるのが見えた。
床屋で喧嘩しているという通報を受けて来たと言う警察官は「なんだその刀は!?」と、名前の手から刀を奪おうと更に強い力で引っ張り始める。

「本官に渡しなさいッ!」
「ちょっ、引っ張っちゃだめですってッ!」

ぐいぐいとまるで綱引きをするように鞘を引っ張る警察官に、刀を取られまいと必死に抵抗する名前。
さすがに力の強い名前でも体重を掛けて引っ張る警察官を片手で制することが出来ず、持っていた番傘を放り投げると空いたその右手で刀の柄を持った。しかしその瞬間ーー。

「!」

鞘を掴んでいた左手から力が抜けてしまい、そのまま鞘だけが警察官によって引っ張られてしまった。
そうなると勿論刀身を露わにした刀は名前の右手に残るわけで。

「……あ…、」
「バ…バカなッ!」
「名前ッ!」

妖しく光り出す刀身を目の当たりにした名前。
魅入られるように刀身を見つめていた彼女の目は、次第に殺気を孕んだ鋭いものへと変化していく。

「あああッ貴様! 刀を抜いたな!?」
「……」
「…名前の、あの目付き…」
「妖刀の術にはまってしまったのか!?」

指を差す警察官を見たこともない目付きで睨み付ける名前に、承太郎とポルナレフは嫌な汗を流す。
そんな彼らなど眼中にない様子の名前は「ふふふ…」と笑いながら、ゆっくりと警察官に近付いていく。

「私が抜いただと? ふふ…違うこと言うなよ。それでもお前法の番人か?」
「お…おい、なにをする!?」
「抜いたのはお前だろうがッ!!」
「ひぃっ!!」

カッと目を見開いた名前は、警察官を切りつけようと折れた刀を振りかざす。
しかし彼女が力いっぱい振り下ろした刀は、警察官を切り裂くことはなかった。

「…承太郎か…」
「…名前、」

ぶんっと勢いよく目の前から消えた警察官は、どうやら承太郎によって蹴り飛ばされたらしく、一軒の店に降りていたシャッターへとめり込んでいた。

「まさか助けるために蹴り飛ばすとは…」
「…本体がどこにいるか知らんが……どうやら名前は術にはまったらしいな」

名前と対峙するように佇む承太郎。
しかしその表情は敵を前にしたいつもの凛々しいものではなく、不安や焦りを前面に押し出したものだった。

「(名前と闘うなど考えたことがないが……俺はあいつを殴れるのか…?)」

名前の飛んだ理性を戻すために平手打ちをしたのとは今回訳が違う。
先程まで操られていた店主より、名前のほうが格段に力も身体能力も上だ。ましてや承太郎もポルナレフも、攻撃パターンや素早さなどを憶えられてしまっているのだ。
これは手加減していればこっちがやられてしまうと承太郎が冷や汗を流す中、名前は涼しそうに「ふふふ」と笑いながら自分の髪の毛を弄っていた。

「この『アヌビス神』…お前たちのスタンドの動きは憶えている…一度闘った相手には絶っ〜〜〜対に負けんのだッ!!」

息を飲む承太郎とポルナレフを見て不敵に笑った名前の目は、もう彼らの知っているものではなかった。

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