「…しかし、いくらお前たちの動きを憶えたと言っても二人同時に相手するのは少々分が悪いな…」

くるくると指先で自分の髪を弄ぶ名前は「…どうしたものか」と困ったように呟いた。

「…気をつけろ、ポルナレフ…」
「…ああ、」

口では困ったと言っているが依然笑みを浮かべたままの名前に、承太郎とポルナレフは警戒の色を濃くさせる。

「ねえポルナレフ…私どうしたらいいと思う?」
「っ…!」

こてりと首を傾げ可愛らしく尋ねてくる名前。
殺伐とした場には似つかわしくない行動に、思わずポルナレフが一歩後ずさったその時、彼の眼前にはにっこりと笑う名前の姿があった。

「なっ!?」

一瞬で距離を詰めた名前は驚愕に目をかっ開き、『銀の戦車』を出すことも忘れているポルナレフに強烈な回し蹴りを喰らわす。
蹴りつけられたポルナレフの体は勢いよく宙を飛び、通りにある店の壁へと激しく打ち付けられた。

「ポルナレフッ!」
「…貴様は承太郎が終わったら始末してやる」

ひび割れた壁を背にぐったりしているポルナレフを見た名前は「暫くそこで寝てろ」と鼻で笑い、近くにいる承太郎へと視線を向けた。

「っ、名前…!」
「ふふ、呼んでも無駄だぞ承太郎」
「…チッ!」
「名前の手で殺されること有難く思えッ!」

名前の体を乗っ取った『アヌビス神』は大きく叫ぶと、承太郎の首を狩ろうと刀を横に振る。

『オラア!』
「っ!」

自分の首目掛けて振られた刀身を『星の白金』の手甲で弾いた承太郎は、弾かれた反動でよろめいた名前に拳を繰り出す。

「おっと!」
「! か、躱した…っ!?」

よろめき隙が生まれた名前に向かって繰り出された承太郎自身の拳は、するりといとも簡単に彼女に避けられてしまった。
目を見張る承太郎にニヤリと笑った名前は、すぐさま体勢を整えると剣士のように刀を振りかざす。

「甘い! 甘いぞ承太郎ッ!」
「くっ!」

名前の細腕から振り下ろされる刀は闘いの中で成長しているらしく、一刀一刀振る度にスピードと威力が増していた。
このままでは直に耐えきれなくなると感じた承太郎は、刀の動きを止めるためにもう一度白刃取りすることを決意する。しかしーー。

「なに!? スピードが増したっ…!」

一度『星の白金』に白刃取りをされた『アヌビス神』はしっかりとそのことを記憶しており、刀身を挟まれる瞬間にすっと振り下ろすスピードを上げたのだ。

「その首もらったッ!!」

白刃取りを失敗した『星の白金』の首に鈍く光る刀身が迫りくる。
だがこういう危機が迫る場面で発揮されるのが、承太郎の冷静な判断力というものだった。


『オラアッ!』
「なっ、頭突き!?」

迫りくる刀身に自ら頭突きを喰らわせることで軌道を変えた『星の白金』に、名前は大きく目を開いた。
再び彼女に生まれた隙を見逃さなかった承太郎は、眉間に深い皺を刻みながら名前の首元へと『星の白金』で手刀を喰らわせる。

「かはっ!」
「ぐっ…!」

首元に強烈な打撃を受けた名前と、肩口に重い一太刀を受けた承太郎は、互いの攻撃の反動で体を吹き飛ばされてしまう。

「…っ、」

通りに設置された消火栓に体を打ち付けた承太郎は、痛みに顔を歪めながら向かい側の通りに折れた木と共に倒れている名前に目を向ける。
今の反動で手から刀が離れていないかと一縷の望みをかけて名前を見るが、承太郎の望みは叶うことはなく、彼女の手にはしっかりと刀が握られていた。

「(なんてスピードとパワーだ…)」

ただでさえ常人離れした名前の身体能力に、『星の白金』の動きを記憶している『アヌビス神』が合わさってしまっているのだ。
今まで出会ったどのスタンドよりも素早い敵スタンドに、承太郎は生唾を飲み込む。

「(この闘い負ける…名前を、マジに倒さなければ…俺が殺される…)」
「ふふふふふ」
「!」
「失敗した白刃取りを頭突きで躱すとは……もうちょっとで仕留められたのに惜しいな」

楽しそうに笑いながら緩慢な動きで起き上がった名前は、手刀を受けた首を解すようにゴキッと音を立てて回すと、手に持っていた刀に視線を落とした。

「しかしそれも…もう憶えた」
「………」
「ふふふ、承太郎…『名前を殺さなければ自分が負ける』と、考えているな?」
「!」

立ち上がりチャイナドレスについた砂埃を払う名前は、苦虫を噛み潰したような顔をする承太郎を見てふわりと綺麗に笑った。

「っ、名前…」
「…だが、貴様に名前を殺せるかな? 自慢の『星の白金』で容赦なく殴れるのか?」
「…くっ…!」
「出来ないよなあ!? 承太郎ッ!」

ポルナレフに回し蹴りをした時と同様、一瞬で眼前まで現れた名前に目を見張る。
しかし彼女が構える刀を視界に捉えた承太郎は覚悟を決めると、『星の白金』を出現させて拳を振り上げた。

「やめて承太郎っ」
「!」
「…お願い、殴らないで…」
「…名前…」

拳が振り下ろされる寸前、先程まで不敵な笑みを浮かべていた名前が泣きそうに顔を歪める。
震える声で懇願してくる名前に、承太郎は中身が『アヌビス神』だと分かっていても、思わず振り下ろそうとしていた『星の白金』の拳を止めてしまった。

「ふはっ!」

その瞬間馬鹿にしたように笑った名前は「だから甘いんだよ承太郎ッ!」と、がら空きになった承太郎の腹部を狙って刀を突き出す。

「! しま…っ!」
「もらったッ!」

今度こそ仕留められると確信したのか名前は勝ち誇ったように大きく叫ぶ。
まんまと『アヌビス神』の策にはまってしまった承太郎は、己の腹部に向かって真っ直ぐ迫りくる刀身に目を大きく開いた。

「…ぐ…ぅ…」

ポタリ、ポタリと地面に滴り落ちる紅い雫。

「…お、まえ…」

しかしそれは承太郎の腹部から流れ出たものではなく、刀身を止めるようにして掴んでいる名前の左手から流れ出るものだった。

「名前ッ!」

ギリギリと切れ味のいい刃を掴む名前は額に大粒の汗を浮かべて、必死に承太郎を刺そうとする己の右手を抑えていた。

『な!? 貴様なにをしているッ!』

完全に乗っ取っていたはずの名前が思いもしない行動に出たことに余程驚いたのか、彼女の背後に『アヌビス神』の本体が現れた。
エジプトの壁画でよく見る頭部だけ犬の姿をした『アヌビス神』は、自身の操る術に抗おうとする名前に「承太郎を刺し殺せっ!」と吠えるように命じる。

『お前の手でバラバラにするのだ!』
「っ…いや、だ…!」
「名前」

血濡れになっている名前の左手を大きな手が包み込むようにしてふわりと重なる。
心地よいその温もりに揺らぐ意識の中で名前が顔を上げると、そこには優しく笑う承太郎の姿があった。

「…じょう、たろ…」

怪我を負うことを厭わず、操られている意識の中で必死に抵抗する名前。
地面に出来上がっていく血溜まりから察するに、彼女は相当力を込めて刀身を握っているのだろう。もちろんそれなりの痛みも伴っているはずだ。
文字通り体を張って『アヌビス神』を止めてくれている名前を愛おしげに見下ろした承太郎は、残っていた刀身を『星の白金』の拳で根元から叩き折った。

『なっ、なにィーーッ!?』
「…ところで、名前に俺をバラバラにしろって命令してやがったよな?」
『ひっ!』

名前を見る目とは打って変わって、ギラリと鋭く光る翠色の目を狼狽する『アヌビス神』本体に向けた承太郎は、名前の手から離れた柄を『星の白金』で攻撃する。

「バラバラになるのはてめーの方だぜ」

ビシッと承太郎に指を差された『アヌビス神』本体は、『星の白金』に攻撃された柄と同様全身に罅が入っていき、やがて弾けるようにして姿を消して行った。

「…ぅ…っ、」
「っ、名前!」

その瞬間、術から解放されたからか、承太郎の目の前で名前の体がぐらりと大きく傾く。
咄嗟に腕を伸ばして地面にぶつかる前に名前の体を抱きとめた承太郎は、その場に静かに膝を着くと彼女の顔を覗き込んだ。

「…名前」
「…じょう、たろう…、」

つうっ…と頬から顎にかけて一筋の汗を流した名前は、心配そうに揺らいでいる承太郎の目を見つめて「ごめんね」と謝った。

「…私が、あの時刀を離さなければ…承太郎も、ポルナレフも怪我…しなかったのにっ、」
「あれは名前のせいじゃねえだろ……それに、お前もこんなになるまで闘ってくれたじゃあねえか」

今にも泣き出しそうな名前にふっと笑った承太郎は、痛々しい刀傷が出来た彼女の左手に優しく触れた。

「名前のおかげで俺はこの程度の怪我で済んだし、あの野郎を倒すことができた」
「っ、…承太郎…」
「二度目はねえからよく聞いとけよ」

ぐっと引き寄せられ吐息を感じるくらい名前の耳元に近付いた承太郎の形のいい唇。
その唇から囁くようにして発せられた言葉に、ようやく名前の顔には見慣れた明るい笑顔が浮かんだ。


* * *


とっぷりと日の暮れた空に浮かぶ丸い月の淡い光だけが差し込むホテルの一室。
今日はゆっくり寝なさいというジョセフの気遣いにより、一人でゆったりとベッドに体を預けた名前は、包帯が丁寧に巻かれた自分の左手をじっと見つめていた。

「……」

清潔感のある真っ白い包帯の下には、昼間に出来た刀傷が隠されている。
思っていたよりも深い傷だったが、きっと明日目が覚めた時には治っていることだろう。
しかし名前にとってこの刀傷は、一生忘れることのない、心に痕をつけるものになっていた。

 ――ありがとな。

耳朶に残るのは敵スタンド襲撃後に承太郎に囁かれた感謝の言葉。
あまり普段の彼からは言われないその言葉と、滅多に見ることのない照れた姿を思い出した名前は「ふふっ」と嬉しそうに頬を緩めた。

「…ポルナレフには悪いけど、いい思い出になったなぁ…」

敵のスタンドだと気付かなかったとは言え、不用心に床屋の店主に刀を預けてしまったポルナレフは、ホテルへ帰ってからというものジョセフとアヴドゥルに酷く叱られていた。
イギーには馬鹿にされ泣くまで二人に説教を続けられたポルナレフには申し訳ないが、名前は承太郎の普段見られない一面を目にすることが出来て喜んでいたのだ。

 ――コン、コン。

「!」

正座をしながら涙を流すポルナレフの姿を思い出して内心謝罪をしていた名前の耳に、部屋のドアをノックする高い音が届いてきた。
突然の来訪者に名前がちらりと壁に掛かっている時計に目を向けると、時計の針はもうすぐ日付が変わる12を差そうとしている。
こんな時間に誰かが部屋を訪ねてくるのは今までで一度もなかった。

「…なにかあったのかな、」

この時間に訪ねて来るほど急用なのだろうと思い込んでしまった名前は、ジョセフと承太郎に「ドアを開ける時は必ず確認してから開けろ」と言われていることをすっかり頭の隅に追いやってしまい、ドアスコープを見ずにドアを開けてしまった。
それが彼女の運命を変えるとも知らずに。

「……あれ…?」

部屋のドアを開けた名前は、不思議そうに目をぱちくりと瞬かせる。

「…誰も、いない…」

確かにドアを「コンコン」とノックされる音を聞いた。だから遅い時間に来訪者なんて珍しいとは思いながらもドアを開けたのに、部屋の前には誰の姿もなかったのだ。
念のためにと部屋の入口から身を乗り出して左右も確かめてみるが、しんと静まり返った薄暗い廊下にも人の姿はどこにも見当たらない。

「…?…気のせいかな…」

きっと考えごとをしていたから聞き間違えたのだろうと結論づけた名前は、特に深く考えずに静かにドアを閉めた。

「…鍵よし、」

しっかりとドアに鍵が掛かったことを確認した名前は、小さな欠伸を漏らしながらそろそろ寝ようとくるりと室内の方へと振り返る。

「っ、…あ…!」

その瞬間――眠そうにとろんとしていた名前の目が、これでもかと大きく見開かれた。

「…う、うそ……なんで…っ!」

先程まで自分だけしか寝ていなかったベッド。
そこにいつの間にか優雅に腰掛けている者の姿を目にした名前は、カタカタと体を震わせた。
月明かりに照らされてキラキラと煌めく金色の髪に、男性にしては白く透き通った肌。顔の中心を通る鼻はすっと高く、口端が上がっている唇は薄くて形が良い。そして名前に向けられる蜂蜜のように蕩ける甘さを含んだ瞳は、綺麗な琥珀色をしていた。
その目とかち合った瞬間、催眠でも解けたようにベナレスでの記憶が脳内に流れ込んできた名前は、ここにいるはずのない男の名を震える声で呼んだ。

「っ、…DIO…」
「ふふ、久しいな…名前」

突如として名前の前に現れたDIOは「逢いたかったぞ」と、溜息が出るほど美しい笑みを浮かべた。

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