驚くホル・ホースと微笑むDIOの前に姿を現した名前は、聞いてはいけない話を盗み聞きするような形になってしまったことに「…ご、ごめんなさい…」と眉を下げて謝罪をする。
名前の立場からしたら敵の弱点という有益な情報を手に入れることが出来たと喜んでもいいものなのに、喜ぶどころか申し訳なさそうに顔色を窺ってくる姿にDIOはふっと笑った。

「お前が気にする必要はないさ」

伸ばした手でするりと名前の頬を撫でたDIOは、その筋肉のついた逞しい腕で彼女の体を軽々と抱き上げる。

「…わっ…!」

突然自身を襲った浮遊感に驚く名前を見てくすっと小さな笑みを口元に浮かべたDIOは、彼の変わりように信じられないとでも言いたげな表情で固まるホル・ホースを置き去りにし、書庫室にぽつんと設置されている一人掛けのソファーへと腰を下ろした。

「っ、D…DIO…」
「ん…どうした?」
「…ち、近い…」

横抱きにされたままDIOの膝の上に乗せられた名前は、距離の近さに少し離れてほしいと彼の厚い胸板に手をそっと置く。
しかしその手は「小さくて可愛らしいな」と笑うDIOによって指を絡めるように握られてしまった。

「〜〜っ、」
「あ…あの、DIO…様?」

離れるどころか触れ合う部分が多くなってしまったことに名前が羞恥に襲われていると、今まで一人だけ置いてけぼりを食らっていたホル・ホースがDIOに声を掛ける。
だが、それが間違いだったということに気づいたのは「……ホル・ホースよ」とDIOに名を呼ばれてからであった。

「っ…ぅ、…あっ…!」

再び襲い来る冷たい殺気と威圧感にホル・ホースが小さな声を漏らすと、名前との時間を邪魔されて先程よりもずっと鋭くなった琥珀色がギラリとDIOの背中越しに光った。

「今度こそジョースターどもを殺してきてくれよ、私のために…」
「…っ!」

DIOの口から出たジョセフ達を殺して来いという指示に、名前は無意識にぎゅっと大きな手を握り返していた。きっと…いや、十中八九承太郎やジョセフを始め、共に旅を続けてきた仲間のことを案じているのだろう。
悲しそうに顔を歪める名前を見下ろしたDIOの眉間には深い皺が寄せられていて、そんな彼の怒りの矛先は可哀想なことにホル・ホースへと向けられてしまった。

「さもなくば私がお前を殺すぞ」

本気の殺意を向けられ固まるホル・ホースを一瞥したDIOは、恐る恐る自身を見上げてくる名前に気づくと、風船が割れるようにパッと殺気を消した。

「怖がらせてすまない」
「…!」

まさかDIOのようなプライドの高い男から謝られると思ってもみなかった名前は、蒼い目をまん丸にしながら近くにあるDIOの顔をじっと見つめる。
その大きく開かれたガラス玉のような丸い目に自身が映る姿を見出だしたDIOは嬉しそうに口端を上げると、ゆっくりと名前の方へ顔を寄せていく。

「っ、D…DIO…まって…!」

徐々に迫ってくる端正な顔に身を引こうとするも、がっちりと太い腕が回された体はびくともしない。それならばと名前が顔を逸らそうとすれば、その行動はDIOには筒抜けだったようで、彼は繋いでいた手を離したかと思えばその手で名前の顔をガシッと固定してしまった。

「…っ…、」

自分よりも力の強いDIOの腕や体を退けることが出来ない名前は、もう鼻先が触れ合うほど近くにある彼の顔と熱い視線に耐え切れなくなり、視界を遮るように固く目を閉じた。
目を合わせないと言う彼女のささやかな最後の抵抗にふっと息を吐いたDIOは少しだけ顔を傾けると、目の前にある名前の桃色の唇へ自身の唇を寄せる。
あとほんの数センチDIOが動くだけでお互いの唇が触れ合ってしまう、そんな時――。

「本当に私を撃とうとしているのか?」
「!?」

ピタリと動きを止めたDIOが自分の真後ろに立ち、拳銃型のスタンド『皇帝』の銃口を向けているホル・ホースへと声を掛ける。
一人の女に現を抜かしているDIOの頭部を己の暗殺向きのスタンドで撃とうとしていたホル・ホースは、対象者に気づかれていたことに大きく目を見開く。

「えっ!?」

その瞬間、ホル・ホースの前から今までソファーに座っていたはずのDIOと名前の姿が忽然と消えてしまった。

「っ、いな……」
「気に入った…」
「!」

瞬く間なんて言う次元ではなく、最初からそこにいなかったかのように消えたDIOにホル・ホースが動揺していると、彼の直ぐ後ろから愉快そうな声が聞こえて来た。

「殺そうとする一瞬…汗もかいていないし呼吸も乱れていないな。冷静だ……さすがホル・ホース」
「……?」

いつの間にかホル・ホースの背後を取るように移動していたDIOは、己に銃を向けて暗殺しようとした男の度胸に目を細めると、何があったのか分からない様子でぱちぱちと瞬きをする名前を抱えて書庫室を後にした。


* * *


足下を照らす明かりなどDIOには必要ないようで、彼は羨ましいほど長い脚を堂々と動かして三階にある主寝室へと向かった。
そこは先程名前が目覚めた場所であり、DIOと彼に仕える執事以外の者は絶対に中には入れない場所であった。

「…全く、あの男は俺の邪魔しかせんな…」

大きく上質なベッドの上へと身を置いたDIOは悩ましげな溜息を吐き出すと、腕の中にすっぽりと収まっている名前の肩口に顔を埋める。

「…えっと、あの…」

甘えるようなDIOのその仕草にどうしたらいいのか分からず、名前が戸惑いながらもされるがままになっていると、不意に彼女の肩口に顔を埋めたままのDIOが「俺に聞きたいことがあるんじゃあないか?」と名前に問い掛けた。

「!」
「だからあの男を尾けて来たんだろう?」
「…っ、」

顔を上げたDIOの何でも見透かしているような琥珀色とかち合った名前は、こくりと喉を動かして固唾を飲み込む。
吸血鬼は他人の心までも読めてしまうのかと名前が思わず体を強ばらせていると、ふふっと笑みを零したDIOが「お前は分かりやすいな」と彼女の頭を撫でた。

「さすがの俺でも他人の心までは読めんぞ」
「うっ、嘘だよ…だって今も…っ、」
「それは名前だからだ」
「っ、え…?」
「ずっと昔から名前だけを見ていたんだ。お前の考えていることくらい読めて当然だろう」
「! …ずっと、昔から…」

得意気に口角を上げて笑うDIOが発した「ずっと昔から」という言葉に、彼は私のことを私以上に知っているに違いないと、名前はここでようやく確信というものを得ることが出来た。
そして、確信を得た名前が次にとる行動は一つだけである。

「DIO」
「なんだ?」
「私は…自分自身のことを何も知らないの」
「……」
「日光に弱いとか、力が強いとか、怪我がすぐ治るとか…何でそうなったのか分からないまま生きてきたの」

日光を気にしなければならないため普通の子のように外で思いっきり遊べない不満。力の加減が分からずに物を壊したり、友人を怪我させてしまったりする恐怖。怪我をしても次の日には跡形もなく治ってしまうため化け物のようだと言われる悲しみ。
ぽつりぽつりとDIOの目を見ながら今までずっと自身の特異な体質に悩まされてきたことを話す名前に、DIOは時々不快そうに眉を顰めながらも静かに彼女の話に耳を傾けていた。

「…この前なんて承太郎が止めてくれなかったら私はっ…ジョセフおじいちゃんを殺してしまうところだったのっ!」
「……」
「自分の中に別の、猟奇的な自分がいる気がして怖くて堪らなかった…! いつか本当に人を殺しちゃうんじゃないかって!」
「名前、」

不安と恐怖でゆらゆらと揺れる蒼い瞳を見たDIOが名前の頬に大きな手を添えると、名前はその手を受け入れるように目を瞑った。

「…だからその時、人を殺めないためにも尚更自分のことを知らなきゃいけないって…私の全てを知っているって言っていたDIOに話を聞きたいって思ったの」
「!」
「お願いDIO…私に、あなたの知っている私のことを教えてほしい」

頬に添えられたDIOの手に名前は自分の手を重ねると、少しだけ見開かれたDIOの目を強い意志を宿した目でじっと見つめた。
誰も近づくことのない、誰にも邪魔されることのない真っ暗な主寝室で、二つの琥珀色と二つの蒼色が視線を絡め合う。

「………」
「……くくっ、」
「…!」

一体どれくらいの間見つめ合っていただろう。
まるで時が止まったように微動だにせずお互いの目を見つめていた二人だが、不意にDIOが喉を鳴らすように笑い始めた。

「…くっ、」
「なっ、なんで笑って…」

目の前で可笑しそうに笑うDIOに、名前の表情がどんどんと曇っていく。
やっぱりこの男は何も知らないのではと名前が笑い続けているDIOから離れようとすると、そうはさせまいと言うように腰にするりともう一本の腕が回されてしまった。

「っ、やだ…っ!」
「ふふっ…勘違いするなよ名前」

暴れようとする名前をぐっと引き寄せたDIOは、彼女の体を抱き込んだままぽすっと柔らかな枕へと背を預けた。

「俺がお前の頼みを断ることなどないのに、あまりにも真剣だったものでな…」
「ひ、酷い…人が真剣に話してるのに…っ!」
「凛々しくて美しい顔だったぞ?」
「〜〜っ、DIO!」

ニヤリと意地悪く口角を上げるDIOに、恥ずかしさで頬を朱に染めた名前が声を張る。
さすがにこれ以上は彼女の機嫌を本当に損ねてしまい兼ねないため、DIOは短く謝罪の言葉を伝えると「それより…」と目を細めた。

「俺の知っている名前のことか、」
「……」

何から話すべきかとDIOが100年以上も前のことに思いを馳せていると、先程のこともあって不信感を漂わせている名前と目がかち合う。
彼女の「本当に知っているの?」と言いたげな視線に苦笑を浮かべたDIOは、ぎゅっと名前を抱え込む腕に力を入れると「…そうだな」と話し始めた。

「いつからだとか正確な時期は覚えていないが…俺がまだ陽の下に自分自身の肉体を曝していた時から、よく夢を見ていたのだ」
「…夢…?」
「ああ。不思議なことに毎回俺の夢にはいつも同じ『兎』が出て来ていてな…」
「ま、待ってDIO! 一体なんの話を…っ」

話し出したはいいが全く関係のなさそうな夢の話をするDIOに、名前は慌てて制止の声を掛けるが「他人の話は最後まで聞くのが礼儀だぞ?」と人差し指を唇に当てられてしまった。
そう言われてしまえば口を挟むことが出来ず、名前は小さく「ごめんなさい」と呟くと、静かにDIOの話を聞く体勢を整える。

「ふふっ、従順なのはいいことだ」

素直に従う名前の髪をDIOは愛おしそうに梳きながら、己の夢にずっと現れていた『兎』について語り始めた。

「…その『兎』は俺が見てきた他の誰よりも美しく、誰よりも強く、誰よりも思いやりのある…とても綺麗なやつだった」

懐かしむように目を閉じるDIOの瞼の裏に浮かんだのは、最後まで家族のために闘った一人の『夜に好かれた兎』であった。

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