昔むかし――太陽が昇り、青い空が広がる地球とは正反対に、一年中雨が降っていて、どんよりとした曇り空が広がる一つの星が存在した。
そんな陰鬱な空気が漂う星に住まう一組の夫婦の間に、とても可愛らしい女の子が誕生した。
母親譲りのサーモンピンクの綺麗な髪に、母親譲りの蒼いぱっちりとした大きな目。母親譲りの整った可愛らしい顔立ち。母親譲りの透き通るような真っ白な肌。どこをとっても母親そっくりな女の子は父親から溺愛され、母親からも暖かな愛情を注がれすくすくと育っていった。

女の子が二歳になった頃、夫婦の間に今度は男の子が誕生した。母親と女の子によく似た、可愛らしい男の子であった。
女の子は初めて自分に出来た弟という存在に、二歳児ながらもしっかりと姉としての振る舞いを見せ、両親が自分にそうしてくれたように弟に愛情をたくさん注いでいた。
弟も姉の愛情に答えるように誰よりも女の子に懐いていて、「お姉ちゃんお姉ちゃん」と小さな手足でトテトテとよく女の子の後を着いて歩き回っていた。そんな弟を見る女の子の表情は優しく、綺麗なものであった。

女の子が六歳、弟が四歳へと成長した頃、夫婦の間に第三子にして二人目となる女の子が誕生した。またもや母親と女の子、そして弟によく似た可愛らしい子であった。
女の子は弟と同じように新たな家族となった妹に愛情を注ぎ、弟は姉に構われる妹に嫉妬をしながらも、初めて出来た自分より小さな妹の面倒をよく見ていた。
ピョコピョコと揺れる兄のアホ毛を掴もうと必死に短い腕を伸ばす妹。掴まれたら抜かれ兼ねないため頭を揺らして上手いこと躱す弟。そんな二人を柔らかな笑みを浮かべて見つめる女の子。可愛い娘息子達が仲睦まじく戯れている光景は、夫婦にとっては何よりも幸せな光景であり、何よりも大切な宝物であった。

しかし――そんな穏やかな幸せも長くは続かなかった。
一番下の妹を出産してからというもの、母親の体調が目に見えて悪くなって来たのだ。
初めのうちは咳をしているだけだったのだが、母親は次第によく吐血をするようになり、とうとう床に臥せている時間の方が長くなってしまった。
女の子はそんな母親の代わりに全ての家事をこなし、弟とまだ幼い妹の世話をし、吐血をする母親を嫌な顔せず甲斐甲斐しく看病していた。
年頃の女の子だと言うのに好きなように遊ばせてあげることも出来ない不甲斐なさに、母親が何度も「ごめんね」と女の子に謝罪をするが、女の子は「私がやりたくてやってることだから、お母さんが気にすることないよ!」と、ただ首を振ってふわりと笑うだけだった。
そんな聖母のような女の子がいたからこそ、家族はささやかながら小さな幸せをまだ感じることが出来ていた。
しかしその小さな幸せが続いたのも、弟が母親の体調が悪くなった原因を知ってしまうまでの短い期間だけであった。

母親が日に日に弱っていく原因は父親と自分達家族にあったのだと知ってしまった弟は、母親を助けようと彼女が以前住んでいた母星へと連れ出そうとした。「家族と共にいたい」といくら母親に拒まれようと、弟は無理やり母親を連れ出そうとした。しかし、それは買い物から帰ってきた父親に見つかり止められてしまった。
それだけで終われば良かったのだが、全ての元凶とも言える父親の姿を捉えた弟は、母親を助けるには目の前にいる父親を倒すしかないと、最悪な方へ覚悟を決めてしまったようで、あろうことか父親を殺そうとその場で襲いかかったのだった。だが、父親もまだ体が成熟していない自身の息子になど負けるはずもなく、二人の親子喧嘩は壮絶な物へと発展してしまった。
このままでは家が壊れるどころか母親と妹にも被害が出てしまうと、家族の身を案じた女の子が激しく拳や蹴りが飛び交う喧嘩を止めようと間に入ったが、頭に血が昇りすぎて分別がついていない弟により壁に打ち付けられ、気を失ってしまった。そして、意識を取り戻した女の子が見たのは、喧嘩によって片腕を失った父親の姿と、家族の元を去ろうとする弟の小さな背中であった。

弟が家を出て行ってから間もなく、母親は病に勝てることが出来ずに女の子と父親、そして妹に見守られながら静かに息を引き取った。
愛した妻を亡くした父親は仕事に行ったきり家に帰ってくることはなくなり、大好きな母親を亡くした妹は家にいることが辛いのか外にいることが増えてしまった。
どんどんバラバラになっていく家族に、女の子は母親が最後に残した「みんなのこと、よろしくね」という約束事を思い出して、何とか出て行ってしまった父親と弟を探そうと、また以前のような家族仲を取り戻そうと奮闘した。

しかし、女の子が立派な女性と成長するくらい月日が流れても父親と弟の行方は一向に掴めず、それどころかとうとう妹までもが母親と暮らしていた家を去ってしまった。
一人きりになってしまった女の子は、それでも家族の思い出が詰まった実家から出て行くことはなかった。ここにいればきっと皆が帰って来てくれる。そんな淡い想いを胸に抱いて、女の子は寂しそうにしながらも家族の帰りをひたすら待ち続けていた。

そしてある日、女の子の元に今まで一度も届いたことのない一通の手紙が届いた。その手紙はどうやら地球から送られてきたもので、更に言うと差出人はなんと妹からであった。
手紙には今までずっと面倒を見てくれていた姉に少しでも楽な生活をしてもらいたくて地球に出稼ぎに行ったことや、歌舞伎町という場所で「万事屋銀ちゃん」を営んでいる坂田銀時という男に世話になっていること。友人も出来たことや、父親と兄にも会ったという出来事が丸っこい字でたくさん綴られていた。
女の子は家を出て行ってしまった三人が無事なことに心底安堵し、妹の家を出た理由を知って目に涙を浮かべた。そして、安堵と感動と同時に自分も歌舞伎町に行けば家族に会えるかもしれないという希望を抱いた女の子は、妹からの手紙を大事そうに鞄に仕舞うと、生まれて初めて母親と――家族と暮らしていた星から飛び出したのだった。


* * *


「それから――」

今でも鮮明に覚えている自分が見てきた夢を、小さな子供を寝かし付ける時に読む絵本のように話していたDIOだったが、腕の中で震える存在に気がつき、夢の続きを紡ごうとしていた口をそっと閉じる。
少しだけ目線をずらして腕の中にいる名前を見れば、彼女は小刻みに体を震わせながらDIOの胸に顔を埋めていて、時折小さな嗚咽を漏らしていた。

「…ひっ、…くっ…」
「…名前…」

名前がいつから泣いていたのか。それは彼女に話を聞かせていたDIOには分からないことだが、なぜ泣いているのかという理由には察しがついていた。

「…全て、思い出したのだな」
「っ、…う、ん…!」

DIOの胸に顔を埋めたまま何度も小さく頷いた名前は、彼のフィクションのような夢物語を聞いているうちに、自分が『夜兎』という宇宙三大傭兵部族に数えられる戦闘種族に生まれたことや、母親である江華が徨安という夜兎の母星でしか生きられない体であったこと。それを知った弟の神威が廃れた夜兎の習わしである『親殺し』を実行したことや、神威の家出や江華の死をきっかけに家族が離れ離れになっていったこと。しかし侍の星、地球で暖かな人情というものに触れながら再び家族と出会えたことを思い出していた。そして――。

「わっ、わたしは…結局お母さんとの約束を守れなかった…っ!」

父親の神晃、弟の神威、妹の神楽のことを母親から託されたのに、自分は彼らを残して先に死んでしまった。それどころか「死んじゃいやアル!」と泣きじゃくる神楽に、神晃と神威の面倒を見てあげてと一方的に押し付けてしまったと名前は悲痛な叫び声を上げた。

「っ、家族のために何もできなかった私が…神楽に頼める立場じゃないのに…っ」
「……」
「みんなを残して死んじゃいけないのに…みんなのこと、自分ができなかったことを忘れちゃいけないのにっ…!」
「…名前」
「お母さんとの約束も守れなくてっ、足手まといのまま勝手に死んだ私なんかっ…! 新しく生きる資格なんてないのに――っ!」
「名前ッ!」
「っ、きゃ…!」

大粒の涙を流しながら自分自身のことだけでなく、この世に生きていることすら否定するように叫ぶ名前に、彼女にとことん甘いDIOがここへ来て初めて大きな声を上げた。
鋭い声で名前のことを呼んだDIOは彼女の体を押し倒すとその細い体に馬乗りになり、両手首を掴んで力強くベッドへと押し付ける。
突然勢いよく反転した視界に小さな悲鳴を漏らした名前は、涙で濡れた目で自分に覆い被さるDIOを睨み付けるように見上げたが、DIOの表情を見てひゅっと喉を引き攣らせた。

「――名前」
「っあ、…D…DIO…っ、」

名前を見下ろすDIOの表情はとても冷え切ったものであった。それこそ先程のホル・ホースや、彼に興味を持たれていない人物達に向けられるような酷く冷たい琥珀色に、恐怖を感じながらも名前は目が離せなかった。

「俺がずっと見てきた名前を……唯一尊敬し、愛した名前を否定するのは、例えお前自身だろうと許さん」
「…っ!」

初めて耳にする確かな怒りを宿した低く唸るようなDIOの声に、名前は泣いて少し充血した目を大きく見開いた。

「…な、なんで……?」

自分のことではないのになぜそこまで感情を露わにするのかと名前がDIOの行動に驚いていると、DIOは徐に顔を寄せてコツンと名前の額と自身の額を合わせたのだった。

「…何度も言っただろう、ずっと見てきたと。その言葉通り…俺は名前が生まれてから死を遂げるまで全てを見ていた」
「……」
「家族のために何もできなかっただと? 笑わせてくれるなよ」
「…っ、…」
「仕事に行く父親の身を案じていたのは誰だ? 病に臥せる母親を看病していたのは誰だ? 不良達に喧嘩を売られる弟を守り、手当をしていたのは誰だ? 幼い妹が寂しい思いをしないよう毎日抱いていたのは誰だ?」
「そ、れは…」
「…お前は自分のためではなく、家族のために最後まで生き…最後まで闘ったじゃあないか」

家族の身を守るため、母親との約束を守るために自分のことは顧みず、自身の人生を全て血を分けた家族に賭けた名前。
そんな彼女が命を落とした理由は勿論足手まといになり勝手に死んだのではなく、妹の神楽に向かって真っ直ぐ伸びる魔の手から身を呈して守ったためであった。

「これのどこが何もできなかったと言うのだ? 母親との約束を守れなかったと言うのだ?」
「…っ、…」
「お前は誰よりも家族を大切にしていた」
「…DIO…、」
「よく頑張ったな」
「! …っ、あ…」

いつの間にか冷たい怒りを消した暖かな瞳と、優しい声で何も出来なかったと思っていた自分を褒めてくれたDIOに、名前はその大きく開かれた蒼色から再び大粒の涙を流した。

「俺は貧しいながらも家族のために笑顔を絶やさず、最後まで意志を貫き通したお前だから尊敬し…惚れたんだ」

最初は何の変哲もないただの夢だと思っていた。他人の家庭に微塵も興味など湧かないし、むしろ幸せそうに暮らす家族の夢などDIO…いや、ディオ・ブランドーにとっては煩わしいものでしかなかった。
しかしそう何度も同じ人物が出てくる夢を見続ければ、気になってしまうのが人間の心理というもので。ディオはいつしか夢の中の家族がどうなって行くのか気になり始めていたのだ。
そしてディオは徐々に自分と同じような貧しい家庭でも明るい笑顔を浮かべ、家族に無償の愛を向ける名前という少女に恋心を抱くようになったのだ。

「夢の中が、お前の笑顔を見ている時が…心の安らぐ唯一の時間だった」

酒と暴力に溺れたろくでもない父親と貧民街で暮らしていた頃から、由緒ある英国貴族のジョースター家の養子になり広く豪勢な屋敷で暮らした長い年月の中で、ディオが穏やかな時を過ごせたのは名前に逢える夜だけだった。
日に日に成長し綺麗になっていく名前の姿を見ることが、ディオの楽しみであり至福の時間であった。
しかしそれは、唐突に訪れた名前の死によって終わりを迎えることになる。

「名前が死に、全く夢を見なくなってから自分の一部が無くなったような喪失感に襲われたのだ……そして、そこで俺は名前のことを愛していたのだと気づいた」
「…DIO…っ、」

自分の中に芽生えていた名前への淡い恋心が深い愛に変わっていたのだと気づいたディオは、もう二度と逢えない名前を想って人知れず愛を囁き、人知れず涙を流したのだ。
そしてディオは己の野望を成し遂げるため自ら人間を辞めて不老不死の吸血鬼となり、ジョナサンとの死闘を繰り広げた末、次に目覚める時には名前に逢えるかもしれないと微かな希望を抱いて100年の眠りについたのだった。

「…だから眠りから覚め、名前がこの世界で生きていると知った時…未だ夢の中にいるのかと勘違いするほど嬉しかったのだ」

海底に沈んでいた棺をトレジャーハンターによって引き上げられ無事に長い眠りから覚めたDIOは、エンヤという老婆に出会いスタンド能力を身に付けた。自身のスタンドだけでなくジョナサンのスタンドまでも手に入れたDIOは、彼のスタンドが念写が出来るという能力だと知り、用意されたポラロイドカメラに向かって試し打ちをしてみたのだ。
するとどうだろう、念写によって印刷された一枚の写真には、DIOが愛した名前の姿が映し出されているではないか。それも彼女の世界にはなかった大学に通っている名前の姿である。
もしかしたらと配下にある日本人の虹村という男にすぐさま名前という者が日本にいるか調べさせてみればDIOの考えは正しく、彼がずっと逢いたいと願っていた名前はこの世界に存在していたのだった。

「…本当に嬉しかったんだ……だから、生きる資格などないと言ってくれるな」
「っ、ごめんなさい…!」

DIOの口から語られる彼の過去を静かに聞いていた名前は、枯れることを知らない涙をボロボロと流して何度も「ごめんなさい」と、自身が先程口走ってしまった言葉を後悔していた。
そんな名前の姿を見たDIOは掴んでいた両手首を離すと彼女の体を抱き起こし、幼い子を慰めるように自分の膝の上に乗せて抱きしめた。

「ごめんなさいっDIO…! わ、わたし…自分のことしか考えてなくて…っ」
「…もういい。お前がここにいる、それだけで充分だ」

震える背中を撫でながら「だからもう泣くな」と慰めるDIOに、名前は首を横に振る。

「わたしっ、思い出したの…! 意識を失う…死んでしまう直前にあなたの声を聞いたことっ」
「!」
「その時は聞き覚えもなくて、誰か分からなかったけど今なら分かるっ……あの声は紛れもなくDIO…あなただった、」
「…俺の、声が…」

 ――名前、俺はお前を愛している。

暗い闇の中に意識を飲み込まれる直前、確かに聞こえてきたDIOの声に、名前は戸惑いに揺れる琥珀色を見つめ返しながら力強く頷いた。

「……そうか、」

生きていた世界も、生きていた時代も全く違う二人であったが、DIOの名前を愛するひたむきな想いは時空を超越えし、名前の元へとしっかりと届いたのだ。

「…今まで忘れていた私が言っても信憑性に欠けちゃうけど…」
「……」
「私がこの世界に生まれることができたのは……DIOのおかげなんだと思うの、」
「!」
「…DIOがずっと私のこと想っていてくれたから…だからここに生きていられるんだとっ」
「っ、名前…」
「…ありがとうっ、DIO」

DIOと出逢い、このカイロにある館に連れて来られてから初めて笑顔を見せた名前。
泣いたせいで目元は赤くなり頬は涙で濡れてしまっているが、DIOへと向けられた名前の笑顔は、彼の心の安らぎとなっていた、ずっと自身に向けてほしいと思っていた、太陽のように明るい綺麗な笑顔であった。

「…幸せとは、こういうことを言うのだな…」

至極幸せそうに笑うDIOの目から、100年以上ぶりにきらりと光る雫が零れ落ちた。

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