今日も今日とて清々しい青空が広がるカイロ市内を、承太郎達は昨日から全く姿を見ていないイギーを探すために歩き回っていた。

「…チッ、イギーのやつどこに行ったんだァ?」

カイロ出身で土地勘のあるアヴドゥルを先頭にイギーが寄りそうな場所を探してみたが結果はどこも空振り。これだけ探し回っても見つからないイギーにポルナレフは「人に迷惑掛けんじゃねーよ」と悪態を吐くが、その表情には心配の色が浮かんでいた。

「………」

不意に最後尾を歩いていた承太郎が足を止めて後ろを振り返る。そんな彼に気づいたジョセフが「どうした?」と声を掛けるが、承太郎は何の返事もせず誰も歩いていない通りを睨み付けるようにじっと見つめていた。

「誰か尾けて来るのか?」
「…いや、何者かが俺達を…呼んだような声がした」
「声?」
「……」

声がしたと未だに住宅や店が並ぶ小さな通りを見つめる承太郎に、何も聞こえなかったジョセフやポルナレフ、そしてアヴドゥルも同じように何の変哲もない通りに視線を向ける。

「「「「!」」」」

すると、一軒の店の角から彼らがずっと探していたイギーが現れたのだ。

「イギーッ!」

荒い呼吸を繰り返し、フラフラと覚束ない足取りで必死にこちらへ歩いて来ようとするイギーに、ポルナレフが一目散に駆け寄って行く。
その後に続いて承太郎達もイギーの側に近づいて行くが、最後に見た時にはなかった幾つもの傷跡に目を見張った。

「どうしたんだこれはッ!?」
「イギーのやつ至るところに怪我をしているぞッ!」
「おい…! こいつ、前足がないぞ……」

プルプルと小刻みに震えながら立っているイギーの前足が揃っていないことに気づいたポルナレフは、冷や汗を流しながらイギーを指差す。

「…車にでも轢かれたか、」
「この犬は交通事故に遭うようなタマじゃあない……」

イギーの変わりようにジョセフが痛々しそうに呟く中、NYで野良犬のボスとして君臨していたイギーの姿を誰よりも知っていたアヴドゥルは、「敵に襲われたな…イギー」と真剣な眼差しで小さな体を見下ろした。

「しかし、誰かに手当してもらったようだ…」

しゃがみ込みイギーの体を抱き上げたジョセフは、出血もしていないうえに、綺麗に包帯の巻かれた前足を見て「それも外科のテクニックだ…」と、その技術に感心する。
一体どこの誰がイギーの手当てをしたのかとジョセフが疑問符を浮かべていると、辺りを見渡していた承太郎が「イギーの声じゃなかった」と眉を顰めた。

「確かに人間の言葉で俺達を呼んだんだぜ」

イギーの鳴き声ではなく人の言葉が聞こえて来たと頑なに話す承太郎に、ジョセフとポルナレフが不思議そうな視線を向けると、突如この場に「イギーは敵と遭遇したようです……」と第三者の声が響いた。

「「「「!」」」」
「死にかけて女性に連れられているのを発見し、手当てしたのはSPW財団の医師です……僕の目と同じように」
「ああ!! お…おめーはッ!」

ジョセフの疑問に答えるようにゆっくりと建物の陰から姿を現したのは、目の傷を治すためにアスワンの病院に残った花京院であった。
目を守るためなのか掛けていたサングラスを外して、ふっと柔和な笑みを浮かべる花京院に、承太郎達は口を揃えて久しぶりに会う男の名を呼んだ。

「花京院じゃあねーかッ! おいッ!!」
「おい花京院ッ! もう目はいいのかッ!」
「みんな、ご無事で…」

バシバシと嬉しそうに背中を叩いてくるポルナレフとアヴドゥルに、少し痛そうにしながらも花京院は嬉しそうに二人と、その後ろから近付いてくるジョセフと承太郎の元気そうな姿に視線を向ける。

「会いたかったぞ! 傷は治ったのか?」
「ええ、もう大丈夫です…少し傷は残ってるんですが、しっかり視力は戻りました」
「そいつは良かったッ!」

自分のことのように怪我の回復を喜んでくれるジョセフに、身体の内側から暖かなものが込み上げて来た花京院は、一度ゆっくりと目を閉じる。そして――。

「…承太郎……」
「………」

友人でもありライバルでもある承太郎と、花京院は固い握手を交わしたのだった。
ジョセフ達のように何か声を掛けてくる訳でもないが、その少し上がった口角と、強く握られた手から伝わってくる承太郎の思いに花京院も同じように口角を上げる。

「……」

しかし、花京院はすぐにきゅっと唇を引き結び「……名前さんのことですが」と、この場にいない名前の話題を承太郎達に切り出した。

「…っ、」
「……名前ちゃんは…」

花京院から発されたその名に過剰に反応を見せたのは承太郎で、ギリッと唇を噛みしめる孫の姿を見たジョセフは悲しそうに目を逸らし、年長者として居なくなってしまった名前の話をしようと口を開く。
だが、そんなジョセフよりも先に「知っていますよ」と声を出したのは、今合流したばかりの花京院だった。

「…え、」
「名前さんがDIOの館にいることは……知っています」
「ど、どういうことだ…?」
「なっ、なんで今来たばかりの花京院がそんなこと知ってるんだよ!?」
「…それは……僕が昨日名前さんから直接聞いたからです」
「なんじゃとッ!?」

想像の斜め上を行く花京院の回答にジョセフは喉が枯れそうな程声を張り上げ、アヴドゥルとポルナレフはこれでもかと目を大きく開けた。
嘘を言っている様子のない真っ直ぐな花京院の薄紫色の瞳を三人が信じられないという目で見つめていると、「どこだっ!?」と叫んだ承太郎が花京院の肩を強く掴んだ。

「どこで名前と会った!?」
「…僕が名前さんと会ったのは、イギーが溺れていたという川の近くだ」
「川の近く、だと…?」
「さっきイギーが女性に連れられていたと言ったが……その女性が名前さんだったんだよ、承太郎」
「…っ!」
「名前さんは一人でDIOの館を抜け出して、川に沈みかけていたイギーを見つけたらしい」
「…名前が…?」

DIOに囚われているはずの名前が一人で館を抜け出したと言うにわかには信じ難い話に、承太郎が視線をジョセフの腕に抱かれているイギーに向けると、イギーは肯定するように頷いて見せた。
その様子を見守っていたジョセフ達は名前がDIOの元から逃げ出せたのかと表情を明るくさせるが、承太郎だけは彼らとは正反対にどんどんと険しくなっていく。

「…名前と昨日会ったと言うなら花京院……なぜお前は今日、名前と一緒にいねえんだ?」
「「「!」」」
「……ごめん、承太郎…」

鋭い眼光で見下ろしてくる承太郎と、固唾を飲み込むジョセフ達を見て申し訳なさそうに目を伏せた花京院は、「…名前さんは今、DIOの館にいるんだ」と、苦々しく話した。

「ど、どうしてだよ花京院ッ! 名前のやつ館を抜け出せたんじゃあねーのか!?」
「まさか…追手がいたのかッ!?」
「いや……名前さんは、自分から戻って行ったんだ」
「なっ!?」
「…何してんだよあいつ…!」
「…承太郎……名前さんは泣きそうになりながら君に謝っていたよ…『約束を破ってごめんね』と、」
「…っ、なんだそれ…」

自らDIOの元に戻ると言う馬鹿な真似をしておきながら、交わした約束を破ってしまったことに泣きそうになりながら謝る。
そんな名前の不可解な行動に、困惑と苛立ちの板挟みに合う承太郎は「クソッ!!」と、やり場のない複雑な気持ちを自身の拳に乗せて建物の外壁にぶつけた。
皮が捲れ血が滲んでいるにもかかわらず何度も何度も拳を打ち付ける承太郎に、ジョセフ達は掛ける言葉が見つからず、ただ悲しい背中を見ていることしか出来なかった。
しかし、そんな彼らがいる中で一人、花京院だけは「承太郎」と落ち着いた声で友人の名を呼んだのだ。

「…僕は君の家で名前さんと初めて会った時、彼女に既視感を覚えたんだ」
「……」
「その時はどこかで名前さんを見掛けただけだろうと、特に気に掛けていなかったけど……今思えばDIOが大事そうに持っていた写真に、名前さんの姿が写っていたんだよ」
「! …写真…?」
「……あっ!」

だから初めて会った時に既視感を覚えたのだと話す花京院に、彼と同じようにDIOに肉の芽を植えられたことのあるポルナレフも「俺もその写真見たことあるぜッ!」と、思い出したのか花京院の背後で声を上げる。

「大切に所持していた写真と、名前さんには絶対に手を出すなと指示していたことを踏まえると…DIOと名前さんの間には僕達には計り知れない『深いなにか』が必ずある」
「………」
「だから君との約束を破ってまでDIOの所に戻ったんじゃあないかな」
「……何が言いてえ」
「このまま名前さんをDIOに取られたままでいいのかい? 名前さんを救うのは自分だって言ってたけど……承太郎、少し見ない間に随分と女々しくなったんじゃあないか?」
「…っ!」

花京院の煽るような物言いに、承太郎は殴りかかる勢いで彼の胸倉を掴み上げる。

「お、おい承太郎…ッ!」
「花京院も止めないかッ!」

感動的な再会を果たしたばかりだと言うのに、殴り合いどころかスタンドを出して死闘を繰り広げそうな学生二人。
一触即発の最悪な雰囲気にアヴドゥルとポルナレフが慌てて間に入ろうとするが、それよりも先に「二人とも手を出すんじゃあない」と、ジョセフの声が彼らを制した。

「なんでだよジョースターさんッ!」
「我々が止めないで一体誰が止めると言うんです!?」
「これは承太郎と花京院の問題だ」

真剣みを帯びた目で「わしらが口を出すべきではない」とジョセフに言われたポルナレフとアヴドゥルは、固唾を飲み込みながら睨み合っている承太郎と花京院をジョセフに言われた通り静かに見守ることにした。

「…おい花京院」

ジョセフ達に見守られている中、胸倉を掴まれても全く表情を崩さない花京院に承太郎は射殺さんばかりの鋭い視線を向けると、「てめえの方も見ねえ間に随分と性格悪くなったんじゃあねーか?」と鼻で笑う。

「元々僕はこういう性格だと思うけど?」
「俺はコケにされると結構根に持つタイプでな…」
「へえ……それで?」
「俺を煽ったこと、後悔しな」

花京院を見下ろしてにやりと口角を上げた承太郎には、もう彼を蝕んでいた困惑と苛立ちという感情は綺麗になくなっていた。

「DIOにも花京院にも名前はやらねえよ」
「…やっぱり君はこうでなくちゃね」

笑いながら「その宣戦布告、受けて立つよ」と自身の胸倉を掴む承太郎の腕を花京院が叩くと、承太郎は掴んでいた深緑色の布をぱっと離した。

「……花京院、」
「なんだい?」

少し乱れてしまった衣服を直す花京院に承太郎は背を向けたまま声を掛けると、ぐっと帽子の鍔を下げて「…ありがとな」と小さく呟いた。

「! …ふふっ、君にお礼を言われるのは二回目だね」

言うだけ言ってさっさと成り行きを見守っていたジョセフ達の元に行ってしまった承太郎。そんな承太郎の後ろ姿を見て可笑しそうに笑った花京院は、持っていたサングラスをまだ傷跡が残る目元を隠すように掛ける。そして――。

「我々をどこかへ案内したいようですね…」

ジョセフの腕から飛び降り、着いて来いと言うようにしっかりとした足取りで先を行くイギーの後を、彼らは気を引き締め歩き始めた。


* * *


「……ん……、」

ひんやりと冷たくて心地のいい熱が頬から伝わって来るのをしっかりと感じた名前は、ゆるりと閉じていた瞼を開けた。

「…DIO…」

ぼんやりと霞む視界の中に映る黄金色と琥珀色に、頬に当てられたのがDIOの掌だと気づいた名前がぽつりと名を呼べば、DIOは「…すまない」と眉を少しだけ下げる。

「起こしてしまったようだな」
「…ううん、」

自身が触れたことによって名前を起こしてしまったと申し訳なさそうにするDIOだったが、ゆるゆると首を横に振った名前が「…DIOの手、冷たくて気持ちいい…」とすり寄ってくる姿に胸をうたれ、ぎゅっと抱き潰しそうな勢いで名前を腕の中へと閉じ込めた。

「ま、待って…さすがにそれは苦しっ」

火照った体にDIOの冷たい体がくっ付くのは心地よくて有難いのだが、ぎゅうぎゅうと遠慮なく回される太い腕に名前は「ううっ、」と小さな呻き声を漏らす。

「っ、D…DIO…」

お願いだから腕の力を緩めてほしいと名前がDIOの胸をとんっと叩いた瞬間、主寝室のドアがガチャリと開かれ、ゆらりと一人分の影が蝋燭に照らされた部屋に現れた。

「お言葉ですがDIO様。名前様は病人ですのであまりご無理をさせぬようお願いします」
「!」
「……テレンスか」

首を少し動かして自身の背後にDIOが視線を向けると、持っているトレーに水差しとグラスを乗せ、背筋をぴんと伸ばして歩くテレンスの姿が目に映る。
じとっとした視線を主から向けられたテレンスは「仲睦まじいのはいいことですが程々に」と、笑みを浮かべながらサイドテーブルにトレーを置き、緩んだ腕にほっとしている名前に「体調はいかがですか?」と心配そうに声を掛けた。

「さっきまでは苦しかったんですけど、テレンスさんのおかげで大分楽になりました」

ちらりとDIOを見てからテレンスに向かって悪戯っ子のように笑う名前は一見元気そうに見えるが、白い頬は紅く色付いており、笑ったせいで細められた目は泣いたように潤んでいた。

「(…熱は下がっていないようですね)」

今朝名前の体が熱いとDIOから聞いて体温を計った時、彼女には38℃の熱があったのだ。
恐らく昨日ずぶ濡れになっていたことが名前の健康に響いてしまったのだろうと、テレンスは風邪薬を用意し名前に渡したのだが、まだまだ効果は出ていないようだ。
それでも辛そうな表情は一切見せず気丈に振る舞う名前の姿に、テレンスは心配しながらも煩く口出しするのは野暮だと「それは良かったです」と、名前の可愛らしいジョークに乗った。

「その調子ですと大人しく寝ていれば治りそうですね」
「ふふ、そうですね」
「…と言うことですのでDIO様。寂しいからって名前様にちょっかいを出してはいけませんよ?」
「……ふん、」

少しはやり過ぎたと自身でも思っているのか、DIOは何も言わずに先程より優しく包むように名前を抱き込んだ。
そんな主の初めて見る子供のような姿に嬉しそうに口角を上げたテレンスは、「では失礼いたします」と一礼してライト代わりの蝋燭だけを持って部屋を後にした。

「……さて。お二人が穏やかな時間を過ごせるよう、私はこの館の執事として『お客様』をお相手しなければいけませんね」

こつり、こつりと靴音を響かせて階段を下りて行くテレンスは、館の外にいる五人と一匹の客人をもてなすため、玄関ホールに向かって足を動かしたのだった。

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