「つまり……ここでDIOをブッ倒せば、全て丸く収まるって訳だ」

旅の終着点と言えるDIOの館に辿り着いた承太郎達は、長きに渡る因縁を断つため。そして名前が背負う呪縛を解き放ち助け出すために覚悟を決めて、訪れた者を誘うように扉が開かれた館の敷地内へと足を踏み入れた。
しかし――。

「なんだッ!? なにか来るぞッ!」

館の中は終わりの見えない廊下が続いており、その異様な光景にスタンド能力による幻覚かもしれないと警戒し、無闇に館の中に入らないでいた承太郎達だったが、そんな彼らの前に一人の男が姿を現したのだ。

「なんだこいつはッ!スタンド使いか!?」

男はあり得ないことに地面から数センチも浮いており、そのまま宙を滑るようにして移動して来ると、承太郎達の目の前でぴたりと動きを止めて見せた。

「なんだか分からねーが、ただ者じゃあねーなッ!」
「ポルナレフ!」
「とにかくブッ殺すッ!」

顔を合わせた瞬間に『銀の戦車』を出して攻撃しようとするポルナレフに、男は一枚のカードのような物を飛ばすように投げつける。

「っ!」

そのカードは『銀の戦車』のレイピアによって綺麗に半分に切断され、片方はひらひらと庭へ風に乗って飛ばされていき、もう片方はポルナレフの横にいた承太郎の手の中に納まった。

「……トランプ、」

自分に向かって飛んできたカードを掴み、それに印刷されている模様と絵柄を見た承太郎は、男が投げつけてきたのは一枚のトランプだったことを知る。
小さく呟いた承太郎を一瞥してふっと笑った男は「ようこそジョースター様」と、舞台上に立つ演者のようにはっきりとした口調で話し始めた。

「お待ちしておりました。私はこの館の執事で……ダービーと申します」
「! …ダービーッ!」
「はい、テレンス・T・ダービー。あなた方に再起不能にされたダニエル・J・ダービーの…弟です」

胸に手を当て丁寧にお辞儀をする目の前の男が、カイロに着いたばかりの頃に魂を賭けて勝負をしたダニエルの弟だという思いもよらぬ事実に、承太郎達は驚愕に目を見開いた。

「ギャンブラー……ダービーの弟だとッ!?」
「兄貴への弔いの戦をしようというのか…」
「…ふっ、」

鼻で笑ったテレンスはゆらゆらと廊下の端に寄って「とんでもございません」と、承太郎達へ再び丁寧に頭を下げる。

「私の兄はあなた方に言いませんでしたか…『勝負とは騙されて負けた方が悪いのだ』と……」
「………」
「その通りだと思います。敗北した兄が『悪』なのです…恨みなんかこれっぽちもありません。兄は兄、私は私なのです」

芝居がかったように腕を大きく広げたテレンスは、兄のダニエルとは年齢が10歳も離れており、それなりに尊敬はしていたが兄とは世代が違うのだと蔑んだ目を承太郎達に向ける。

「兄はイカサマとかペテンで勝つという古いタイプの物の考え方をしておりました。彼が勝てるのは古いタイプの人間…もしくは素人だけでございます」

そのことにDIOも気づいていたから兄ではなく、自分を執事として側に置いてくれたのだと嬉しそうに語るテレンスに、誰一人口を挟むことが出来ないでいた。

「いかがなされました?」

黙り込んでしまった承太郎達にテレンスは今まで浮かべていた笑みを消し「私との勝負をお望みですなら……さ、館の中へ…」と、鋭くさせた目で館の入り口に固まる五人と一匹を見据えた。

「みんなうっかり入るなよ!」
「…ヒマじゃねえんだ。とっととDIOに会わせな……そんで名前を返してもらうぜ」
「………」
「承太郎! 気をつけろッ、何か出てくるぞッ!」

ゆらりと揺れ動く影に気づいたジョセフが声を上げたのと同時に、テレンスの横に『T』と『D』のイニシャルが顔に刻まれた人型のスタンドが姿を現した。

「お、おい…こいつスタンドを出したぞ!」
「最近珍しいな、」
「まともにスタンドを出すタイプは久しぶりだな…」

カイロで闘ってきた他のスタンド使い達は奇襲であったり、本体またはスタンドのどちらかは身を潜めていたりとずる賢い手を使って襲って来ていたが、真っ向から闘う意思を見せるテレンスに、ジョセフやアヴドゥルは敵ではあるが少なからず感心していた。
そんな彼らを余所に「最初は誰です? 誰が私の相手です?」と、テレンスのスタンド『アトゥム神』は感情の全く読めない丸く紅い目で承太郎達を見つめる。

「面倒くせえ! 承太郎、ブチのめしちまいな!」
「……」

ポルナレフの煽りのような声を聞き、射程範囲にテレンスが入るよう少しだけ館の中へと近づいた承太郎は『星の白金』を出現させる。
ゆっくりと自分に向かって来る『星の白金』を目に映したテレンスは焦る素振りを一切見せることなく、ただ静かに「賭けよう…」と口にした。

「『星の白金』の私への第一攻撃は、まず左腕をくり出す」
「!」

唐突に古いタイプの人間だと蔑視していた兄と同じように『星の白金』で賭けを始めたテレンスに、自身のスタンドを賭けの対象にされた承太郎と、承太郎の後ろに立っているジョセフ達も驚きに目を見張る。

「左腕のパンチ……賭けよう」

驚いている承太郎達の姿を見てテレンスだけが一人、楽しそうに顔を歪めた。


* * *


「…っ、はぁ…」

熱のせいでベッドに横になっているのにふわりと宙に浮いているような、落ち着かない感覚に襲われていた名前は、少しでも不快な状態から楽になりたいと溜息に近い大きな息を何度も吐き出していた。

「まだ薬は効かないのか?」

自身の腕の中で薬を飲んだにもかかわらず、むしろ先程よりも辛そうな呼吸を繰り返す名前に、DIOは眉を顰めながら汗で首筋に張り付いてしまった名前の髪を払う。

「……テレンスのやつ、本当に効果のある薬を寄越したのだろうな」

一向に体調が良くならない名前を見てサイドテーブルに置かれた風邪薬と、それを持って来た執事に対して疑心を抱き始めたDIOに、名前は小さな笑い声を漏らす。

「…ふふっ」
「む、」
「大丈夫だよDIO……時間が経てば良くなるから…」
「……それならいいのだが」

いつもよりふにゃっとした力のない笑みを浮かべる名前に、DIOは不満そうにしながらも名前本人がそう言うならと口を噤み、自身の冷えた体へ高い熱を持った小さな体を押し付けた。
熱を奪うように大きな体を使って冷やそうとしてくれるDIOに、名前は嬉しそうに目を閉じながらひんやりとした胸に頬を当てる。

「(……ごめんね、)」

しかし、いくらDIOが冷やしてくれようが、テレンスが持って来てくれた薬を飲もうが、名前は自身の熱が引かないことを最初から知っていたのだ。
起きているのが辛くなる程の熱に、体を襲う倦怠感。この症状を聞けば誰だって『拗らせた風邪』だと思うかもしれないが、名前の体を蝕んでいたのは風邪ではない。

「(っ、どんどん力入らなくなってる…)」

体力だけでなく、自身の生命力を吸い取られているような感覚に今朝からずっと襲われていた名前は、これが背中にある茨のスタンドのせいだということに気づいたのだ。

「(…なんで…このタイミングなの、)」

ホリィからスタンドを取り込んだ直後は高熱と酷い倦怠感に襲われたが、日本を発ってからは今まで一度もスタンドの影響を受けることはなかったのだ。
だから体を張ったりする無茶なことだって出来たし、イギーを助けるために川にだって飛び込んだ。そしてこの後待っている因縁を断つための闘いでも、テレンスに言ってもらえた通り、自分の好きなように行動するつもりでいた。それは勿論『みんな』を守るためにだ。
そう覚悟を決めていた矢先、突然思い出したかのように背負った呪縛が脅威を振るい始めてしまったのだ。

「(どうしようっ…)」

ホリィがスタンドを発現してしまった時、この呪いを解くにはDIOを殺すしかないとジョセフは言っていた。だから名前が自分の体を蝕む茨から解放されるには、目の前で心配してくれているDIOを倒すしか方法はないのだ。

「(っ、ちがう…! 絶対に他に方法があるはず…!)」

きっと優しく気遣ってくれるDIOを倒す以外の最善策があるはずだと、名前は頬を当てていた厚い胸板から顔を上げる。

「! ……傷、」

顔を上げた名前の目に映ったのは、DIOの首を一周するように出来た生々しい傷であった。
自身の首元に視線を向けて小さく呟いた名前に気づいたDIOが「どうした?」と声を掛けるが、名前はそれに答えることはなく、そろりと指先で首にある傷をなぞる。

「…首から下は、ジョナサンの…」

100年前に繰り広げられた闘いの末に首だけになってしまったDIOは、ジョナサン・ジョースターの肉体を自分の首に繋げて客船の爆発から生き残っていた。
だからDIOが自分自身とジョナサンのスタンドを手に入れた後に、ジョナサンの孫であるジョセフにもスタンドが発現したし、子孫である承太郎やホリィにも発現したのだ。

「(…DIOがジョナサンのスタンドも持ってるから…?)」

絶対的な悪であるDIOの元にジョナサンのスタンドがある。そのせいでジョースターの血を引くホリィが持っていたスタンドに悪影響を及ぼしているのなら――。

「(私が、ジョナサンのスタンドをDIOから取り込めば…)」

何の血の繋がりもない自分にジョナサンのスタンドを取り込んでしまえば、呪縛などなかったことに出来るのではと、名前の脳裏に一つの希望が生まれる。
確証があるわけではないが、やってみる価値はあるのではと、DIOにジョナサンのスタンドを取り込む許可を得ようと名前が口を開いたその時「お休み中失礼いたします」と、DIOのものではない低い声が届いてきた。

「……アイスさん…?」
「ご存知だと思いますが……十分ほど前、ジョースター達がこの館へ侵入いたしました。さらに…ダービーが敗北したことをご報告いたします」
「っ、うそ…」

ジョースター家の者の波長が分かる体を持っていない名前は、DIOと違って館に辿り着いた承太郎達のことを知る由もない。
そして彼らとテレンスが闘っていたことも勿論知らない名前は、ヴァニラ・アイスの二つの報告に驚愕に目を見張り、身を固くさせる。
そんな驚きに呑まれている名前の横で、DIOは感情が読み取れない淡々とした声で「テレンスは……天才だった…」と、敗れてしまった有能な執事に思いを馳せた。

「勝てる実力を持っていながらテレンスはなぜ負けたと思うね?」

ドアの方へ視線を向けて問い掛けたDIOは、サイドテーブルに置かれた血のような真っ赤なワインが入ったグラスを手に取ると、ドアの前に跪いているであろうヴァニラ・アイスを部屋の中へ入るよう促す。
そして名前と寄り添い合うベッドから少し離れた場所に再び跪いたヴァニラ・アイスを一瞥すると、DIOは乾いた喉をワインで潤した。

「ジョースター達は……自分の娘…母親の命を救うために自分らの命を捨ててもいいと心の奥底から思っている」
「………」

実はその娘であり母親であるホリィを名前が既に身を犠牲にして救っていることを知らないDIOは、隣で複雑そうな表情を浮かべている名前に気づくことなく、花京院やアヴドゥル、そしてポルナレフも自分を倒すために命を引き換えにしてもいいと思っていると、ヴァニラ・アイスに言い聞かせる。

「このDIOから逃げることは自分の人生から逃げることだと思い込んでいるのだな……馬鹿げたことだが…」
「………」
「しかし、その馬鹿げたことが結構重要なのだな。テレンスのやつは忠誠を誓うと言っておきながら、このDIOのために死んでもいいという覚悟ができていなかったと言うことだ…」

覚悟がなかったから目の前にある勝利をテレンスは掴めなかったのだと目を細めたDIOは、徐に「私の首の傷を見ろ」と自分の髪をかき上げる。

「多分『あと一人』の生き血を吸えば、この馴染まなかったジョナサン・ジョースターの肉体もすっかり我が物となり、傷も完全に治癒する」
「……」
「…DIO…それって…、」

己の言わんとすることに感付き、心配そうに見上げてくる名前に微笑んだDIOは「アイス」と、背後に控える側近へと琥珀色を向けた。

「お前の生き血を私にくれるか?」
「はい……喜んで……」
「!」

DIOに誰よりも強く忠誠を誓うヴァニラ・アイスは、名前が息を飲むほど潔く生き血を捧げることに肯定すると、自身の背後にスタンドを出現させる。
そして部屋の隅に飾ってあった骨董品の大きな壺を抱え込むと――。

「お受け取りください!」

ヴァニラ・アイスはそう高らかに叫び、自身のスタンドで首を刎ねてしまったのだ。

「っ、ひ…っ!」
「………」

ごとりと床に転がった生首に恐怖し、引き攣った悲鳴を漏らす名前を落ち着かせるように頭を撫でたDIOは、ワイングラスを傾けながら夥しい血を流すヴァニラ・アイスを静かに見つめる。
首の無くなった体は持ち主の忠誠心を示すように、DIOへと捧げる血を一滴も零すものかと跪いたまましっかりと壺の取っ手を握りしめていた。

「自ら首を刎ねるとは……嬉しいぞ…」

部下の己に対する忠誠心と覚悟に喜ばしそうに呟いたDIOは、ワイングラスをサイドテーブルに置くと、床に倒れてしまったヴァニラ・アイスの体へと近付いて行く。

「しかし、名前が恐がってしまっていてな…」
「…っ、」
「それにヴァニラ・アイス……お前ほどの者の生き血は受け取れんな…誰か他のやつので私の傷は完治させるとするよ」

ヴァニラ・アイスの命を捨ててもいいという覚悟を気に入ったDIOは「死ぬ必要はない」と鋭い爪で自身の腕に深く傷を付け、そこから流れ出る血を頭部と胴体が離れた死体へと浴びせかける。

「私の血で、蘇るがいい……お前なら間違いなく勝てるだろう」
「……DIO…?」

先程よりもうんと濃くなった血の臭いとDIOの不可解な行動に、名前が恐る恐る体を起こすと、あり得ない光景が彼女の目に飛び込んできた。

「……DIO……様、」
「――っ!?」

名前の目に飛び込んできたものとは、DIOのために自ら命を絶ったヴァニラ・アイスが起き上がる姿であった。
普通では絶対にあり得ることのない事態に名前が呆然とする中、何の問題もなく生き返ったヴァニラ・アイスを確認したDIOはくるりと踵を返した。

「やはり肉体は自分のが一番だな……あっという間に馴染む…」
「……」
「やつらは任せたぞ、ヴァニラ・アイスよ」
「DIO様…あなたの期待は満たされるでしょう……必ずや仕留めてご覧にいれます」

そう固くDIOに誓ったヴァニラ・アイスは、自身のスタンドの大きく開かれた口の中に飲み込まれるようにして姿を消していく。
そして本体の体を全て飲み込んだスタンドは、奇声を上げながら己の両脚と両腕を口の中に飲み込み始め、やがて一つの球体に変化すると、閉められたドアに丸い穴を開けながら勢いよく外へと飛び出して行った。

「ドアぐらい開けて出ていけ……この世界の空間から姿を全く消すスタンドよ」

すっかりと風通しの良くなってしまったドアに一瞥をくれてやったDIOは、ふんっと鼻で息を吐き出すと、呆然としたままの名前をぐっと引き寄せた。

「………」

首を自ら刎ねたヴァニラ・アイスといい、それを生き返らせたDIOといい、何もかも飲み込んでしまうスタンドといい、立て続けに起きた常識を超越えした出来事に、名前の思考はキャパシティーを越えてしまったようだ。

「どうやらお前には随分と刺激が強すぎたらしいな」

限界まで開かれた大きな目に苦笑を浮かべたDIOは、名前を労わるように恐怖で少し赤みの引いた頬へとキスを落とした。

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