「…すでに10分経った、」

テレンスによって『とっておきの世界』に連れて行かれた承太郎とジョセフ、花京院の三人。
大きな穴に飲み込まれて行く中、ジョセフは残されたアヴドゥル達に10分経っても自分達が戻らなかったら館に火を放てと、苦肉の策ではあるが彼らに指示を出していたのだ。
そしてタイムリミットである10分が経過したが、未だに承太郎達が戻ってくる気配はない。
ジョセフの言いつけではこの瞬間館に火を放たなければならないのだが、アヴドゥルが下した判断は――。

「館の中へ突入するぞ、ポルナレフ」

アヴドゥルは自分と同じように残されたポルナレフとイギーを引き連れ、承太郎達が消えていった館の中へ入ることを選んだのだった。
アヴドゥルの意見に異論のないポルナレフは力強く頷くと、ゆっくりと館の中に繋がる石段を登っていく。

「…ポルナレフ、突入する前にひとつだけ言っておきたい」

背後から聞こえてきた真剣味を帯びた声にぴたりと足を止めたポルナレフは、同じく真剣な表情を浮かべながら後ろに立っているアヴドゥルを振り返る。

「私は、もしこの館の中でお前が行方不明になったり負傷しても助けないつもりでいる…」
「………」
「イギー、お前もだ。冷酷な発想だが、我々はDIOを倒すためにこの旅をしてきた……」

ひとりを助けようとしてDIOを倒すまでに全滅なんていう最悪な事態は避けなくてはならない。だから自分の安全を第一に考えること。そしてはぐれたり襲われたりしてもお互いに助けないことを約束しようと、アヴドゥルは真剣な表情でポルナレフとイギーを見据えた。

「ああ、分かったぜ……アヴドゥル」

仲間意識なんてあったものではない約束事ではあるが、アヴドゥルの強い意思を感じ取ったポルナレフは自分の右手を差し出す。
その手を褐色の手がガシッと掴んだのを確認すると、ポルナレフはにやりと口角を上げた。

「生きて出てこられたら豪勢な夕飯を奢れよ」
「イギーにもな」

にっと笑うアヴドゥルとイギーを見たポルナレフは「よし! 入るぜッ!」と気合を入れ、幻覚によって終わりの見えない館の中へと足を踏み入れる。

「『銀の戦車』!!」

承太郎達を飲み込んだ穴がまた出現するとも限らないため、ポルナレフは石橋を叩いて渡るように『銀の戦車』のレイピアで廊下をとんとんと叩きながら慎重に先を進む。
その後に続いてアヴドゥルとイギーも館の中へと足を踏み入れたが、眼前に広がる迷宮のような館の構造に冷や汗を流した。

「おいアヴドゥルどうする? 延々続いて見えるぜ」
「うむ…ジョースターさんは館に火を放てと言ったが……こんなに遠大な迷宮では火を放つのはこっちが危険だ……」

この迷路のような館の中に火を放つよりもと、アヴドゥルは『魔術師の赤』で六つの小さな炎の塊を作り出した。
ふよふよと宙に浮く小さな炎にポルナレフとイギーが疑問符を浮かべていると、それに気づいたアヴドゥルが「この炎は生物探知機だ…」と説明する。

「人間、動物の呼吸や皮膚呼吸…物体の動く気配を感じ取る……スタンドのエネルギーの動きも分かる…これを見てこの迷路を進もう」
「なぜ炎が六つ固まっている?」
「それぞれが前後・左右・上下の方向を示す」

この六つの炎があるおかげで半径15m以内であれば、どの方向にどんな物が隠れていても分かるのだと説明したアヴドゥルは、承太郎達が連れて行かれたであろう地下を目指して下に続く階段を下り始めた。

「!」

すると先導するようにアヴドゥル達の向かう先でゆらゆらと宙を漂っていた探知機が、前方と左側を示す炎を激しく燃やし始める。

「早くも炎に反応だ…左前方になにかいる!」
「なに!?」

アヴドゥルの声にポルナレフが素早く左前方に目を向けるも、やはりと言うべきかそこには迷宮が広がっているだけで何の姿もない。
それでもアヴドゥルが作り出した探知機の炎は激しく燃えていて、どこかに何者かが隠れているのは明白であった。

「……」

隠れている者を見つけられないポルナレフが焦りを見せる中、イギーは冷静に自慢の鼻でくんくんと辺りの匂いを嗅いでいた。

「!」

そして探知機が示す左前方から見知らぬ匂いを感じ取ったイギーは『愚者』を出すと、その鋭い爪で一本の柱を切りつけた。すると――。

「うっぎゃあーッ!」
「あっ!」
「!」

イギーの『愚者』が切りつけた柱から悲鳴が聞こえてきたかと思えば、何とその柱の中から一人の男が血を流しながら飛び出して来たのだ。

「おいおい! な、なんだこの男は!?」
「……周りを見てみろポルナレフ」
「ああっ! この館の迷宮が消えているッ!」
「どうやらこの幻覚を作っていたスタンド使いらしいな……あっという間だったが、イギーがやっつけたぞ」

イギーの嗅覚と鋭い一撃のおかげで迷宮を作り出していたスタンド使いを倒すことが出来たと安堵したアヴドゥルは、通常通りの間取りになった館の中を探索するべく、生物反応を示さなくなった炎の後を着いて行こうと歩を進めた。

「!」

しかし何気なく手を付いた柱に自然に出来た傷ではない、人工的に彫られた文字のような痕があることに気づいたアヴドゥルは、足を止めてそれをよく見ようと顔を近付ける。

「………」

"このラクガキを見て うしろをふり向いた時 おまえらは"

柱にはしっかりと意味を成す文字が彫られており、その先を示す言葉はアヴドゥル自身の指で隠されていた。
明らかに不吉なメッセージのような落書きに、アヴドゥルは息を飲みながらゆっくりと指を横へずらしていく。

「………」

"死ぬ"

「(炎には異常なし……イギーの鼻にも匂ってないようだ…)」

柱の落書きを鵜呑みにするのであれば、今この瞬間に振り向けば何かに襲われて死ぬかもしれない。
しかし生物を探知する炎にも、人間より遥かに優れた嗅覚をもつイギーにも何の反応がないことから、この場に生物やスタンドが潜んでいるはずがないのだ。ないのだが――。

「(い…一体なんだこいつはッ!)」

振り返ったアヴドゥルの目に映ったのは、球体の中で自分の口から両腕を出す悍ましいスタンドであった。
生物探知機にもイギーの鼻にも反応を見せず、突如としてこの空間に現れたスタンドにアヴドゥルは唖然とする。
しかしすぐに気を持ち直すと、先を歩く一人と一匹に向かって声を張り上げた。

「ポルナレフッ! イギーッ! 危ないッ!!」

アヴドゥルは声を張り上げると同時に、勢いよくポルナレフとイギーを自分から遠ざけるように殴り飛ばす。

「「!!」」

強い力で殴られたポルナレフとイギーは痛みに顔を歪めるが、アヴドゥルの声と行動に慌てて飛ばされた壁際から先程までいた部屋の中央へと視線を向ける。

「! お…おいアヴドゥル!」

煙が立ち上る部屋の中央にポルナレフは視線を向けるが、なぜかそこには今までいたアヴドゥルの姿はなく、代わりにとでも言うように二つの褐色で腕輪が嵌めてある腕が転がっていた。

「な…なんだこの腕は……お、おいアヴドゥル! どこへ行った!?」

目の前に二つの腕だけがあるという状況が全く理解出来ないポルナレフは、忽然と姿を消してしまったアヴドゥルを探すように大声を上げて辺りを見回す。
しかしいくら声を掛けてもアヴドゥルからの返事はなく、辺りを見回しても彼の姿はどこにもなかった。

「アヴドゥル――ッ!!」

滝のように冷や汗を流しながら叫び続けるポルナレフと、あまりにも唐突に起こった出来事に息を荒らげるイギー。そんな彼らの前に突如として何もなかった空間から球体が現れる。
そしてその中には大きな口を開き、飢えた獣のように涎を垂らすスタンドが存在していた。

「な…なんだこいつは? どこから現れたんだ? なぜアヴドゥルの炎の探知機に引っ掛からなかったんだ!?」

何の反応を示さなかった炎に、それならばとポルナレフは「お前の鼻にこいつは匂わなかったのか!?」とイギーに問い詰めるが、イギーはただ荒い呼吸を繰り返し、ガタガタと震えているだけだった。
その様子にイギーにも分からなかったのだと察しのついたポルナレフは、唯一このスタンドのことに気づいていたアヴドゥルを見つけ出そうと、再び彼の名を叫ぶように呼ぶ。

「どこだアヴドゥルッ! どこへ行ったんだァーッ!」
「アヴドゥルは………」
「!」

声が枯れそうな程張り上げ、何度もアヴドゥルの名を呼ぶポルナレフに答えたのは彼が求めていた者ではなく、宙に浮いている不気味なスタンドだった。
そのスタンドは球体の中から腕をぬぅっと出すと、床に落ちている二つの腕を掴み上げ、ポルナレフとイギーに見せつけながら「粉微塵になって死んだ」と、何の抑揚もない声で言い放つ。

「…っ!」
「私の口の中はどこに通じているのか自分でも知らぬが、暗黒の空間になっている……吹っ飛ばしてやったのだ」

DIOを倒そうと思い上がった考えは正さなければならないと話すスタンドは、あろうことか手に持っていたアヴドゥルの腕を食べるように口の中へと押し込んでしまった。
口内に押し込まれたアヴドゥルの腕は忽ち塵になってしまい、その光景にポルナレフはこれでもかと目をかっ開く。

「ひとりひとり…順番に順番に……このヴァニラ・アイスの暗黒空間にバラまいてやる」

呆然としているポルナレフと体を震わせているイギーを余所に、大きく開かれたスタンドの口から顔を覗かせたヴァニラ・アイスは、鋭い眼光で己が崇拝するDIOを倒そうとする敵を睨み付ける。

「うそだ……アヴドゥルを……殺したなどと……」
「……」
「ウソをつくなあああああ――ッ!!」
「……!?」

呆然としているポルナレフを飲み込もうとヴァニラ・アイスは再びスタンドの中に戻り、ゆっくりと標的に向かって近付いていく。
しかし呆然としていて動けないはずのポルナレフは雄叫びを上げると、目にも留まらぬ早さでヴァニラ・アイスの背後へと『銀の戦車』を移動させた。

「(ポルナレフのスタンドがこんなに素早く、しかも遠くまで攻撃できるなどと…聞いていなかったぞ…)」
「このドグサレがァァ――ッ!!」

聞いていた情報よりも性能が高い『銀の戦車』に驚いているヴァニラ・アイスへと、ポルナレフの怒りを乗せたレイピアが雨のように振り下ろされた。


* * *


「移動しろイギーッ! この部屋にいるのはやばいッ!」

アヴドゥルを殺されたという怒りで破茶滅茶に攻撃を繰り返していたポルナレフだったが、ヴァニラ・アイスの何でも飲み込んでしまうスタンドの威力をその目で見てから少し冷静さを取り戻したようで、イギーを引き連れて他の広い部屋へと移動することにしたようだ。
そうなると勿論ポルナレフ達を始末しようとしているヴァニラ・アイスもその後を追い掛ける訳で、彼らがいなくなったビリヤードルームは大量の瓦礫の山だけが残った。

「…はぁ…っ、」

誰もいないはずのビリヤードルームに、突如として人が大きく息を吐くような音が木霊する。
そしてその直後、ビリヤードルームに設置された小さなバーカウンターの裏側からDIOの部屋にいるはずの名前と、ヴァニラ・アイスによって殺されてしまったはずのアヴドゥルが姿を現した。

「……まさか、あのようなスタンドが存在していたなんて…」
「…DIO曰く、この世界から姿を完全に消すことができるみたいですよ…」

だから炎の探知機にもイギーの鼻にも反応されることなく背後に現れたのかと、厄介で凶悪なスタンドにアヴドゥルは苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。
そんなアヴドゥルをちらりと見上げた名前は「…でもよかった」と、アヴドゥルとは真逆のほっとした笑みを浮かべた。

「アヴドゥルさんが暗黒空間に飲み込まれる前に間に合って……ほんとによかったっ、」
「……名前さん」

心底安堵した様子でアヴドゥルの手を震えながら握る名前に、アヴドゥルはその震える白い手をぎゅっと握り返した。

「柱の落書きを見て振り返った私は、本来であればあのヴァニラ・アイスという男が言っていた通り暗黒空間に飛ばされて粉微塵になっていた…」
「……」
「それなのにまだこの世に存在していられるのは、名前さん……あなたのおかげです」
「! …アヴドゥルさん、」

ポルナレフやイギー、そしてヴァニラ・アイスが見ていたのは、名前のスタンドである黒いうさぎが作り出した幻覚であった。
主寝室でヴァニラ・アイスのスタンド能力を知った名前は、DIOに適当な理由をつけて部屋を抜け出し、運良くアヴドゥル達がいたビリヤードルームへと辿り着くことが出来た。
そしてヴァニラ・アイスのスタンドに飲み込まれそうになっているアヴドゥルを発見し、幻覚をかけながら夜兎特有の身体能力を活かしてアヴドゥルを驚異から救い出したのだ。

「私を二度も救ってくれてありがとう」

インドのカルカッタでは無意識であったが怪我を治してくれ、この館では一歩間違えれば自分が飲み込まれてしまうかもしれないのに、身を呈して敵のスタンドから守ってくれた。
そんな命の恩人である名前に、アヴドゥルは自身が伝えられる最大限の感謝を言葉に乗せたのだった。

「…えへへっ」

まるでアヴドゥル自身のスタンドのような彼の暖かい言葉に名前は照れくさそうに、それでいて嬉しそうにはにかんだ。
殺伐としていた部屋に少しだけ穏やかな空気が流れ出したその時――。

 ――ガオンッ!

「「!」」

名前とアヴドゥルの耳にヴァニラ・アイスのスタンドが物体を飲み込む音が聞こえてきた。
ちょうど真上の階から響いているその音にアヴドゥルは一度天井を見上げると、心配そうな表情を浮かべる名前に「私は行きます」と声を掛けた。

「…え?」
「館に入る前に私はポルナレフとイギーに『敵に襲われようがはぐれようがお前達を助けるつもりはない』……そう言ったのだ」
「!」
「『お前達も私を助けるな』と…自分から約束を取り付けておきながら私はそれを破った…」

だから約束を破ってしまった『責任』を取りに行くと、強い意志の宿った瞳で話すアヴドゥルに、名前は大きく頷いた。

「ポルナレフとイギーのことはアヴドゥルさんにお願いして……私は承太郎達を探しに行ってきます」
「分かりました。では――」

"ご武運を"

己の進むべき道を決めた名前とアヴドゥルは、互いの身を案じるように今一度固く互いの手を握ると、別々の道に向かって最初の一歩を踏み出した。

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