「どっからでもこい! チクショオオオーーッ!!」

外へ逃げることはせずイギーと共に館の二階へ移動したポルナレフは、自分達を暗黒空間に飲み込もうと先回りをして、どこかへ身を潜めているヴァニラ・アイスへと声を張り上げる。

「今の俺の『戦車』は素早いぜッ! アヴドゥルを失った怒りでグツグツ煮え滾っているからよォーーッ!」

イギーを肩に乗せてお互いの死角である背後を警戒しながら自分の闘志を叫ぶポルナレフ。
しかし先程まで執拗に追いかけて来ていたヴァニラ・アイスは、なぜだか一向に姿を現さないでいた。

「……っ、」

怒りによって開いた瞳孔で睨み付けるように辺りを見回すが、やはりと言うべきか空間に身を潜められるヴァニラ・アイスの姿を見つけることは出来ない。
それでも宣戦布告した通り、どこから襲われてもいいようにポルナレフが身構えていると、自身の左足が足裏から押し上げられる感触に襲われた。

「…!」

一体なんだとポルナレフが足元に視線を落とすと、自身の左足の下から顔を覗かせているヴァニラ・アイスのスタンドが映った。

「なにィーーッ!? あっ、足の下のミゾ……にッ!」

まさか数ミリの隙間しかない床の溝から現れるなんて予想していなかったポルナレフは、慌てて足の下にいるスタンドを『銀の戦車』で攻撃しようとする。しかし――。

 ――ガオンッ!

「!!」

『銀の戦車』の剣先が当たるよりも早く、ポルナレフの足先はヴァニラ・アイスのスタンドによって、暗黒空間へと飲み込まれてしまった。

「うわああああああっ!!」

足先が無くなったと理解した途端に足から伝わる激痛に、ポルナレフは叫び声を上げながら床を転げまわる。

「足が! あああーーッ!!」
「まず足を奪った! ちょこまかと動いたり逃げたりできなくするためにな!」
「っ!」

痛みにのたうち回るポルナレフの姿を見たイギーは、現れたヴァニラ・アイスに『愚者』で攻撃を仕掛ける。
飛び掛るようにヴァニラ・アイスへと向かっていく『愚者』だったが、まるで闘牛士のように当たる直前ですっと躱されてしまった。

「野郎ォーッ!」

イギーの攻撃を躱した直後、動けないでいる自身の元に向かってくるヴァニラ・アイスを見たポルナレフは、足を飛ばされた怒りをぶつけようと『銀の戦車』で迎え撃とうとする。

「おっと」
「うおおおおおーーッ!!」

弾幕のように繰り出される剣先を空間に消えることでいとも簡単に避けたヴァニラ・アイス。
これで再びどこに隠れたのか分からなくなってしまったが、ポルナレフは攻撃する手を止めることなく、手当たり次第に壁や床、そして飾ってある美術品などをもの凄い勢いで切りつけていく。

「………」

そしてポルナレフによって生み出された館を揺らす程の凄まじい衝撃は、もちろん三階の主寝室にいるDIOの元にまで届いていた。
しかしDIOは聞こえてくる破壊音や体を揺する衝撃、天井からパラパラと降ってくる小さな瓦礫などには一切目もくれず、羽毛の入った柔らかな枕に背を預けながら優雅に活字を目で追っていた。

「………」

何も起きていないかのように読書に耽っていたDIOだったが、不意に本から顔を上げると、すっかりと温もりの消えてしまった自身の隣へと視線を向ける。
そこには今朝からずっと体調の優れない名前が寝ていたのだが、彼女はヴァニラ・アイスが部屋から出ていった直後、突然お腹が空いたと言ってこの部屋を出て行ってしまったのだ。

「……首輪でも買っておくか」

いくら名前が食欲旺盛な夜兎でも、このような緊急時に呑気に昼食を食べられる精神の持ち主でないことは、DIOにはお見通しである。
ちょこちょこと自身の見えない所で動き回られるのが我慢ならない様子のDIOは、冗談とは捉えづらい声色で呟くと、興味を失くしたのかパタンと今まで読んでいた本を閉じた。


* * *


ビリヤードルームでアヴドゥルと別れた名前は、テレンスによって『とっておきの世界』に連れて行かれたという承太郎とジョセフ、花京院の三人に会うためひたすら地下の通路を走っていた。

「…きっと『あの部屋』に連れて行かれたはず、」

かなりのゲーマーであり、それに加え変わった趣味を持っているテレンスが、地下に自分の『趣味部屋』を作っていると世間話の一環でテレンス本人から聞いていた名前は、承太郎達はそこに連れて行かれたのだろうと大方の予想をつけることができた。
そしてその部屋に続く通路は現在名前がいる一本の通路しかないため、承太郎達が階段を使って上階に行かない以上このまま進んでいれば合流できるはずだと、名前は二分の一の可能性に賭けてただ真っ直ぐ前へと進んでいた。

「…っ、…はぁ…!」

しかし、元々背中にある茨のスタンドによって体力を奪われていた名前の体は、先程久しぶりに自身のスタンド能力を使ったことで更に悲鳴を上げ始めていた。

「…ぅ…っ、」

くらくらと揺れる頭にぼやける視界。鉛を付けられたように重い体と、自分の物ではないと錯覚するほど言うことを聞かない手足。
もはや走るどころか立つこと、起き上がっていることすら辛い体になり始めているが、名前はそれでも足を止める様子はなかった。

「…じょ、承太郎に…会わなきゃ…っ!」

一刻も早く承太郎に会ってまず約束を破ってしまったことを謝り、アヴドゥル達が闘っていること、自分が夜兎という種族として生まれたこと、そして一番重要であるDIOとの関係性を話さなければならない。
自分にはまだやるべきことがあるため、ここで弱音を吐く訳にはいかないと、名前は歯を食いしばりながら重い足を必死に動かしていた。

 ――ズズズズッ!

「!?」

しかし、そんな名前を突如として大きい地震のような激しい揺れが襲う。

「っ、…ぐっ…!」

ただでさえ立っていること自体が厳しい名前にとって、その揺れはとてもじゃないが耐えられるものではなかったようで、踏ん張りの効かない足は見事に縺れ、名前の体は通路の硬い壁に勢いよく叩きつけられてしまった。

「…はっ、…や、ば…」

ずるずると壁伝いにその場にしゃがみ込んでしまった名前は、どうやらもう足に力が入らないらしく、前へ進みたい気持ちとは裏腹に荒い呼吸を繰り返すことしか出来なくなっていた。

「…い、行かないと……っ、」
「――名前」

意識すらはっきりしなくなってきているが、それでも蚊の鳴くような声で自分を奮い立たせようとしていた名前の前に、一つの大きな影が掛かる。

「…あ、…」

ぼやける視界の中で自分を見下ろす男の姿を見た名前は、張り詰めていた糸が切れたように、意識を深い闇の中へと沈めてしまった。


* * *


「なかなかいいカーテン生地じゃあねーか」

二階から三階へと繋がる階段の踊り場に座り込んだポルナレフは、持っていない包帯の替わりに館のカーテンを引き千切ると、ヴァニラ・アイスとの闘いで負傷してしまった足にきつく巻き付けていた。

「これでさっきよりは飛んだり跳ねたり動けるぜ……痛みはあるが気にしたりヘコたれてるヒマはねー」

とんとんとその場で何回か負傷した左脚を軸にして飛び跳ねたポルナレフは、動けることに満足そうに息を吐くと、自分に思いを託してくれた一人と一匹の顔を思い出して力強く拳を握った。そして――。

「………」

いつからそこにいたのか、どす黒いオーラを放ちながら見下すように佇んでいる男へと、ポルナレフは鋭い眼差しを向けた。

「フン、ポルナレフか……久しぶりだな」
「DIO……お出ましかい…」

やっと目の前に姿を現したこの館の主であり、旅の目的であるDIOに、ポルナレフは「ついに会えたな」と、どことなく嬉しそうに口端を上げる。
そんなポルナレフを見下ろしたDIOは徐にパチ、パチと手を二回叩いて「おめでとう」と、ポルナレフを祝福した。

「妹の仇は討てたし、極東からの旅もまた無事ここまで辿り着けたというわけだ……」
「ケッ! 祝いになんかくれるっつーなら、てめーの命を貰ってやるぜ」

恐れることなく憎まれ口を叩いたポルナレフは、口内に溜まっていた血をDIOに見せつけるように、側にあったカーテンへと吐き出す。
白いカーテンが紅く汚れていく光景にDIOは一瞬不快そうに目を細めるも、すぐに楽し気な笑い声を漏らして「一つチャンスをやろう」と、人差し指を立てた。

「その階段を二段下りろ。再び私の仲間にしてやろう……逆に死にたければ……足を上げて階段を上れ」
「……俺は前にお前に会った時、心の奥底までお前の恐怖の呪縛と巨大な悪に屈伏した。あの時俺は『負け犬』としての人生を歩み始めたわけだ」

DIOに利用されるだけの人生を歩むことは、死よりも恐ろしいことだと言い放ったポルナレフは「だが今……恐怖はこれっぽちも感じない」と、上階に立つDIOを睨み付ける。

「俺にあるのは闘志だけだ。ジョースターさん達に会い…この45日あまりの旅と仲間の思いが、俺の中からお前への恐れを吹き飛ばした」
「…本当にそうかな?」

恐怖を克服したとして階段を下りる気配のなさそうなポルナレフに、DIOは獲物を見つけた獅子のように舌なめずりをする。

「ならば……階段を上るがいい」
「………」

余裕そうに待ち構えている嘗ての恐怖に立ち向かうため、ポルナレフは迷うことなく足を上げた。しかし――。

「そうかそうかポルナレフ…フフフ、階段を下りたな」

ポルナレフが階段を一段上がったのにもかかわらず、DIOは愉快そうに「このDIOの仲間になりたいのだな」と、肩を震わせていた。

「……!」

何を言っているのだとポルナレフが足元に視線を落とすと、階段を上ったはずの自分が二段下がった場所に立っていることに気がついた。

「…っ…、」

そんなはずはないともう一度しっかりと足を上げて階段を上ったポルナレフだったが、はっと気づいた時にはまたもや階段を二段下りた所に立っていたのだ。

「な…なんだ…!? 俺は…階段を、一歩…確かに!」
「どうした? 動揺しているぞポルナレフ」

何が起こっているのか分からず、階段と自分の足へと交互に視線を向けるポルナレフ。
その姿を見たDIOは、先程恐怖など微塵も感じていないと言っていたポルナレフに対して、動揺することは恐怖していることではないのかと指摘する。

「それとも『上らなくてはならない』と心では思ってはいるが、あまりに恐ろしいので無意識のうちに逆に体は下りていたと言ったところかな……」
「バカなッ! 俺は今確かに階段を上ったッ!」

冷静に行動を分析しているDIOに抗うよう声を張ったポルナレフは、今度は勢いよく階段を駆け上がる。
しかし、やはりと言うべきかポルナレフの体は二段下がった場所にあったのだ。

「(な…なにをしたんだ!? スタンド!? ま、まさかDIOのスタンド……『世界』!?)」

階段を上ろうとして足を動かせば必ず下りてしまう不可解な現状に、知らず知らずのうちに自分はスタンド攻撃を受けているのだろうかと、ポルナレフは嫌な汗を流す。

「(い…一体これはッ!?)」
「ポルナレフ……人間は何のために生きるのか、考えたことがあるかね?」

先程よりも明らかな動揺を見せるポルナレフを一瞥したDIOは、哲学的な質問をポルナレフに投げ掛けると、靴音を響かせながらいつの間にか背後に置かれた椅子へ向かい、そのままその椅子に腰を下ろした。

「『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』……名声を手に入れたり人を支配したり、金儲けするのも安心するためだ」

結婚したり友人を作ったり、人のために役立つことも、愛と平和のために行動することも全ては自分を安心させるためだと。人間が生きる目的は安全を求めることだと独自の理論を語るDIOは「そこでだ……」と、鋭く細めた琥珀色をポルナレフに向ける。

「私に仕えることに何の不安感があるのだ? 私に仕えるだけで他の全ての安心が簡単に手に入るぞ」
「…っ…、」
「今のお前のように死を覚悟してまで私に挑戦することのほうが、不安ではないかね? お前は優れたスタンド使いだ…殺すのは惜しい」

ジョースター達の仲間をやめて永遠に私に仕えないかと、甘い声と言葉でDIOはポルナレフを誘惑する。

「名前のように愛でてやることは出来んが……永遠の安心感を与えてやろう」
「(ま…まさか無意識のうちに俺が屈伏しているだと!? このままではまずい…はね返さなくては…)」

DIOの理論と甘い誘惑を聞いてぐらりと揺らぎそうになる自分の心を、何とかして持ち堪えさせなくてはとポルナレフが大きく息を吐いたその時、彼の目に信じられない光景が映し出された。

「なっ、なんだァ!?」

ポルナレフの目に映った信じられない光景とは、DIOの膝の上に乗って寄り添い合うようにぴたりと体を預ける名前の姿であった。
階段を上ってきた様子も、DIOの背後から来た様子もない。それこそ先程まで闘っていたヴァニラ・アイスのように突然現れた名前に、ポルナレフは驚愕に目を見開く。

「何をそんなに驚いている?」
「これが驚かないでいられるかよッ! どうして突然てめーの所に名前がいやがる!?」
「どうしてだと? そんなもの名前がこのDIOのモノだからだ……愛する者と共にいるのは当然のことだろう」

馬鹿らしいとでも言いたげに鼻で笑ったDIOは、当たり前のように名前の白く柔らかな太腿に手を這わせると、ポルナレフに見せつけるように気を失っている名前と唇を合わせる。
意識がないのをいいことにDIOに好き勝手される名前の姿を見たポルナレフは、プツンと己の中の何かが切れるような音を聞いた。

「っ、野郎…DIOッ!」

腹の底から湧き上がってくる怒りという感情で恐怖というものを再び吹き飛ばしたポルナレフは、階段を飛ぶように駆け上り「俺は元々死んだ身!」と、ビシッと指を差した。

「てめーのスタンドの正体を見極め、名前を取り戻してから死んでやるぜ!」
「フン! 仲間になることを拒否し、それだけではなく私から名前を奪うと言うのか……ならばしょうがない…」

真っ直ぐと向かってくる『銀の戦車』を冷めた目で見下ろしたDIOは名前を抱えたまま立ち上がると、ふっと口角を上げて「死ぬしかないなポルナレフッ!」と、自身の背後に黄金色に輝くスタンドを出現させた。

「それが『世界』かッ! こい――っ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」

覚悟を決めたポルナレフの『銀の戦車』と、迎え撃とうとするDIOの『世界』がぶつかり合おうとした瞬間――。

 ――ボゴォン!

「「!」」

突如としてポルナレフの背後にある館の壁に大きな穴が開き、そこから眩しいくらいの西陽を背負った三人の男が姿を現したのだった。

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