「あら名前ちゃん! ちょうどいいところに来たわ〜!」

空になった二つの湯呑を片付けようと台所へ向かう名前の前に、ジョセフの娘であり承太郎の母親であるホリィが現れた。
彼女の手には名前と同じように湯呑と茶菓子が乗ったお盆が持たれていた。

「今花京院くんの所にお茶を持って行こうとしてたのよ〜!」
「そうなんだぁ」
「そこで名前ちゃんにお願い! 私の代わりに持って行ってくれる?」
「…え、でも私もこれを片付けないと…」
「片付けは私がやるから!」

ホリィはそう言うと自分の持つお盆と名前の持つお盆を入れ替える。
あまりの早業に名前が驚いていると、ホリィはしてやったりという風な笑みを浮かべた。

「私みたいなおばさんより、名前ちゃんみたいな若くて可愛い子が持って行った方が花京院くんも喜ぶわよ!」
「おばさんって、」

パチリとウインクをして「あとはよろしくね〜!」と陽気に去っていくホリィの後ろ姿を見送った名前は、頼まれたものは仕方がないと花京院がいる部屋へと向かった。

「…あ、どこの部屋にいるか聞いてない」


* * *


「…花京院くん、入っていい?」

偶然出会ったジョセフに花京院のいる部屋を聞いた名前は遠慮がちに中にいるであろう少年に声を掛けた。
すると中から「どうぞ」と落ち着いた声が聞こえて来たため、名前は静かに障子を開ける。
広い客間に敷かれた一組の布団。その布団の中に花京院は座っていた。

「! あなたは…」
「いきなりごめんね。これ聖子ママ…承太郎のお母さんがどうぞって」

名前は布団の横に座ると持って来たお盆からお茶を差し出した。
花京院はまさかもてなされるとは思ってもいなかったため驚きで目を見張る。

「温かいうちにどうぞ?」
「あ、ありがとうございます」

戸惑いながらも花京院は名前から湯呑を受け取る。
これは飲んだ方がいいのだろうかと暫く思案していたが、にこにこと自分を見つめてくる名前に花京院が耐え切れなくなりそっと口を湯呑の縁に付ける。

「っ、美味しい…」

口に入れた途端ふわりと広がる茶葉の香り。甘味の後にやってくる仄かな苦味は全く嫌な感じはせず、本来のお茶の味をより引き立たせていた。元々いい茶葉なのだろうが、それだけではない気がする。花京院は直感で感じ取った。

「でしょ? 聖子ママの淹れるお茶は特別美味しいんだよ」
「そう、みたいですね」
「特別な隠し味を使っているんだって」
「隠し味?」

首を傾げる花京院に名前は悪戯っ子のように笑うと「何だと思う?」と聞き返した。

「……全然分かりません」
「正解はね……愛情だよ」
「愛情、」

名前の言葉を鸚鵡返しする花京院に名前は大きく頷いた。

「美味しくなれ〜って毎回込めてるんだって」

ホリィの真似をしているのか念じるように両手を湯呑に向ける名前に、花京院は堪らず吹き出した。
突然笑い出した花京院にきょとんとする名前。そんな彼女に「っ、すみません」と謝った花京院は手の中にある湯呑に視線を落とした。

「…なるほど、愛情でしたか」
「? うん。花京院くんにも伝わったみたいで良かったよ」
「ええ、とても伝わってきましたよ。…今もね」
「んん?」

訳が分からないというように再び首を傾げる名前に、花京院は優しく微笑んだ。


* * *


ホリィの機転のおかげですっかり打ち解ける事が出来た二人は話に花を咲かせていた。

「へえ、名前さんって承太郎の幼馴染みなんですね」
「うん。承太郎がこんなに小さい時から知ってるよ」

目を細めて「昔は素直で可愛かったんだけどなぁ」と残念そうに話す名前に花京院は素直で可愛い承太郎を頭に浮かべた。

「……全く想像つきませんね」
「まあ確かに今の承太郎見ちゃうとね。…あ、うちに昔のアルバムあるから今度見せようか?」

承太郎には内緒でと人差し指を立てる名前に「ぜひ。承太郎に内緒で」と花京院も同じように人差し指を立てた。
真面目でお固そうな雰囲気を放つ花京院のお茶目な一面を発見した名前は、一瞬何か考える素振りを見せると意を決したように口を開いた。

「あの、花京院くん」
「なんですか?」
「…一つ聞いてもいいかな」

急に真剣な顔付きで見つめてくる名前にぱちっと一つ瞬きをした花京院は「いいですよ」と頷いた。

「僕に答えられる事なら何でも聞いてください」
「あの、昼間承太郎達が話していた『DIO』の事なんだけど」
「ッ!」

花京院はDIOの名に大袈裟に体を跳ねさせた。しかしそれも無理はないだろう。なんだって彼はDIOに肉の芽を埋め込まれて洗脳されていたのだから。
あからさまに怖い顔をする花京院に名前は慌てて謝罪をした。

「ごめんね花京院くんッ! 花京院くんだって思い出したくないのに、こんな不躾なこと…!」
「…いえ。大丈夫です」

泣きそうになりながら謝罪をする名前に苦笑いを零すと花京院は「…でも」とぽつりと呟いた。

「僕なんかより承太郎達に聞いた方が、」
「多分、私が聞いても関係ないからって絶対教えてくれないと思うから」
「…ああ、なるほど」

妙に納得した花京院は自分が知っているDIOの事を名前に話した。
エジプトへ家族旅行に行った時DIOと出会った事。DIOが100年を生きる吸血鬼である事。ジョースター家と深い因縁がある事。スタンドを駆使してジョースター家の血筋を断ち切ろうとしている事など、花京院は自分がDIOに教えてもらったことを包み隠さず話した。

「……だから花京院くんに承太郎を襲わせたんだね」
「っ、すまない。肉の芽を埋め込まれていたとはいえ承太郎には酷い事を…ッ!」

ぐっと痛いくらいに花京院は自分の拳を握る。

「(もっと承太郎みたいに僕の意志が強ければ…!)」

今更後悔しても遅いのだが、花京院はあの時の自分が許せなかった。
甘い言葉で巧みに心を揺さぶってくるDIOに恐怖という感情しか生まれてこなかった。この男には何をしても敵わないと、花京院はDIOの圧倒的な存在感に屈してしまったのだ。
今思い出しても震えてしまう自分の体を治めるように花京院は爪がくい込むくらいに拳を握った。

「…花京院くんのせいじゃないよ」
「!」

花京院の握られた拳を労わるように名前の手が重ねられた。
バッと勢いよく顔を上げた花京院の目に映ったのは優しく笑う名前の姿だった。

「花京院くんは悪くない」
「っ、でも…ッ!」
「花京院くんの気持ち分かるよ。あの時DIOに抵抗出来たらな…とか思ってるでしょ?」
「ッ!」
「…でも仕方なかったんだよ。誰だって昔から自分にしか見えてなかったものを肯定されたら動揺しちゃうって」

私もそうだったもんと困ったように笑う名前に花京院は大きく目を見開く。

「名前さん、も…?」
「うん。私も小さい頃からスタンドってやつ見えたんだ。友達に言っても誰も見えないから変な目で見られちゃったりして」
「…僕と同じだ、」
「誰に言っても無駄なんだって分かってからこの話はしてなかったんだけど、今日初めて見える人に会ったんだ」
「…今日?」
「そうなの。ジョセフおじいちゃんとアヴドゥルさん。その二人に見えるって言われて、更には自分達もスタンドを持ってるって言われた時は驚いたけど嬉しかったんだ」

花京院くんもそうだったんでしょ?
そう名前に言われた花京院はどくりと心臓が跳ねた。図星だったのだ。

「私はジョセフおじいちゃん達だったけど花京院くんはDIOだった。ただそれだけ。花京院くんは悪くない。悪いのは花京院くんの気持ちを利用したDIOだよ」
「…っ、僕……ッ!」
「でももう大丈夫、ここには花京院くんと同じ見える人しかいない。しかも皆君の心を利用したりしない、正義の心をもったヒーローだ」

もちろん私もね、とおどけたように笑う名前に花京院の目から涙が零れ落ちた。
見られないようにと手で顔を覆う花京院の背を名前は優しく撫でた。

「DIOの事話してくれてありがとう」
「……っ、僕こそ、ありがとう…」

涙交じりの声色だったがしっかりと聞こえてきた「ありがとう」に名前の目が見開かれる。しかしすぐに嬉しそうに歪ませると、名前はすっかり空になった湯呑みと皿が乗ったお盆を持って立ち上がった。

「…花京院くん。落ち着いたらまた一緒にお喋りしよ?」
「!」

少しの時間しか一緒にいなかったが名前はよく笑顔を見せてくれた。
少女のような可愛らしい笑顔、悪戯っ子のような悪い笑顔、母のような優しい笑顔。どれも素敵な表情だったが最後に見せた彼女の笑みは、例えようのないくらい綺麗で美しかった。
花京院は名前に見惚れると同時に妙な既視感を感じていた。

「(僕は彼女を見たことがある…?)」

花京院の疑問に答えられる者はここにはいなかった。

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