深緑色の制服を着た一人の少年が腹部に大きな穴を開け、そこからどくどくと夥しいほどの真っ赤な血を流している。

「い…いったい……何が、」

少年は薄れていく意識の中で近くにある大きな時計塔と、宙に張り巡らされた緑色の糸が千切れ落ちていく様をじっと見つめていた。
しかし全ての糸が寸分の狂いもない同じタイミングで千切れ落ちていく不思議な光景に、少年は何かが閃いたのか目をかっと開くと、自身に残された最後の力を振り絞って『5時15分』と時間を示している時計塔を攻撃したのだ。
そして――。

「…これが…せい…いっぱい、です…」

少年は自身の唐突な攻撃に驚いたように目を見張る老人と、訝しげにする青年の姿を視界に映したのを最後に、命の灯火を消してしまった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

ナイル川に掛かる大きな橋の上に、両脚の膝裏から血を噴き出させて倒れている青年と、その青年を鋭い目付きで見下ろす少年がいた。

「……っ、」

荒い息を吐きながら怪我を負った脚で何とか立ち上がろうとする青年がいる中、どんっと青年の前に待ち構えた少年は「治ったと同時に『星の白金』をてめーに叩き込む!」と予告する。
そんな少年に悔しそうに歯が軋むほど噛みしめていた青年だったが、不意に「どうでもよいのだァ――ッ!」と声を上げると、わざと脚に力を入れて傷口から勢いよく血を噴出させた。

「ぬううっ!」
「どうだ! この血の目潰しはッ!」

その血を目元に浴びた少年は堪らず呻き声を上げながら目を瞑ってしまい、少年に生まれた隙に勝利を確信した青年は「死ねいッ!」と、分身とも言える『世界』の蹴りを繰り出した。
そんな青年の勝ち誇った声と溢れ出る殺気を全身で感じた少年は、閉ざされた視界の中で自身に向かってくる『世界』の脚を『星の白金』の拳で迎え撃つ。そして――。

 ――ドォォンッ!

凄まじい威力の拳と蹴りがぶつかり合った。

「………」
「………」

一瞬の静寂が訪れた後、少年の『星の白金』の拳にはビキッと大きな罅が一つ入った。
その様子ににやりと不敵に口角を上げた青年だったが、次の瞬間にはビシビシッと青年の『世界』の脚に小さな罅が入り込んでいく。

「なっ…!!」

脚に入り込んだ小さな罅はどんどん上半身へと広がっていき、やがて青年の『世界』は右半身と左半身とで真っ二つに分かれてしまった。

「なああにィィイイッ!」

分身である『世界』が真っ二つになってしまったということは、もちろんそれは青年にも反映されてしまうということ。
断末魔を上げる青年の体は『世界』と同様に足から頭にかけて半分に割れていき、やがて幾つもの肉片となって息絶えてしまったのだった。

「てめーの敗因は…たった一つだぜ…」

青白い炎に包まれる青年だったものを力強い翠色の瞳で見下ろした少年は、帽子の鍔をすっと指でなぞった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

奥行きも、高さも、広さも分からないただただ真っ白な空間に、一人の女性の姿があった。
長いサーモンピンクの髪を一本の三つ編みに束ね、白いロング丈のチャイナドレスに身を包んだその女性は、煙管を吹かしながら真っ直ぐと自身の正面を見据える。

「いつまで眠ってるつもりなの?」

紫煙と共に溜息を吐き出した女性は、すっと蒼い目を細めて「そんなんじゃ間に合わなくなるわよ」と、真っ白な空間の先にいる『誰か』に忠告をした。

「あなたには守りたい人達がいるんでしょ?」

例えば幼馴染みの不器用な男の子とか、旅の仲間である優しい少年とか、愛を伝えてくれる吸血鬼の青年とか……と、指折り数えていた女性は不意に表情を優しいものへと変えた。

「きっとあなたなら彼らを守り抜くことができるわ。なんてたってあなたは私とあいつの娘なんだもの……だから、」

 ――頑張んなさいよ、名前。

ふふっと綺麗に笑った女性は踵を返すと、目映い光の中へと姿を消して行ったのだった。


* * *


しんと静まり返る大きな館の三階にある主寝室に、ゆらゆらと蠢く一つの影があった。

「……よし、」

その影を作りだしていたのは、地下通路の壁に体を打ち付けて気を失っていた名前だった。
意識を取り戻した様子の名前は、今まで着ていたシルクのネグリジェを脱ぐと、DIOが用意してくれていた数着のチャイナドレスの中から白いロング丈のドレスを選んで身に着ける。
そしていつもは結ばない長い髪を一本の三つ編みに纏めた名前は、自身の姿を部屋に置いてある姿見で確認すると、覚悟を決めたように力強く頷いた。

「…お母さん…私、頑張るから」

母親の江華とよく似た姿をする自分自身と手を合わせるようにとんっと鏡面に触れた名前は、ゆっくりとその手を握っていくと互いの拳を合わせるように形を変えた。

「誰も死なせない」

ぐっと握った拳を鏡面に押し付けながらはっきりと誓った名前は、茨のスタンドに体を蝕まれていることが嘘のように勢いよく部屋を飛び出すと、館の壁に出来ている大きな穴から外へと迷うことなく飛び降りた。

「あの夢が実際に起きることだとしたら…」

前日に見たイギーとペット・ショップが闘う夢のように、気を失っている間に見た花京院の最後と、DIOが敗北する夢も正夢や予知夢というものの類だとしたら。

「っ、時間がない…」

夢の中の花京院が時計塔を攻撃した時、時計の針は『5時15分』を差し示していた。
そして名前が江華のメッセージを聞いて飛び起きた時、館にある置時計が『5時』になったことを鐘の音で知らせていたのだ。

「急がなきゃ…!」

名前に与えられた時間はたったの10分程度しかない。タイムリミットの『5時15分』が訪れる前に市街地にある時計塔に辿り着かなければ、花京院は夢の通り腹部に致命傷を負って17歳という若さでこの世を去ってしまう。
そんなことは絶対にさせないと唇を噛みしめた名前は、とんっと軽やかに館を囲む塀の上に着地をすると、市街地を目指して走り出そうとした。その時――。

「もう! 遅いじゃないのよッ!」
「!」

怒気を孕んだ甲高い声が辺りに木霊する。
何事だと名前がつい視線をその声が聞こえてきた方に向けると、そこには一台の車の運転席から顔を覗かす男に怒りをぶつけている女の姿があったのだ。
聞こえてくる内容からするに、男の方がどうやらデートの待ち合わせ時間に大幅に遅れて来たようだが、それでも悪びれる様子もなくへらへらと笑う男に女の怒りが爆発したらしい。

「ちょっと聞いてるの!?」
「チッ…うるせぇな…」
「………」

ちらちらと視線を向けるも面倒事に巻き込まれたくない通行人はさっさとカップルから離れていく中、名前だけは険悪になっていくカップルをじっと見つめていた。

「はぁ!? 何ですってッ!?」
「うるせぇなって言ったんだよッ!!」
「ねえ」
「「!」」

ヒートアップしだした喧嘩真っ最中のカップルに、恐れ知らずにも声を掛ける名前。
突如第三者に声を掛けられたカップルは驚いて言い合っていた口を噤み、二人同時に名前へと視線を向ける。

「デートに行かないで喧嘩してるだけなら……その車私に貸してよ」

驚きに包まれるカップルを見る名前の瞳は、可愛らしい『兎』なんかではなく――幾多の天人達に恐れ戦かれた『夜兎』の目であった。


* * *


「……これは…、」

きらりと光る緑色の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされていることに気づいたDIOは、目の前の鉄塔の上に佇んでいる、この結界を作り出した花京院を睨み付ける。

「触れれば発射される『法皇』の結界はッ! 既にお前の半径20m! お前の動きも『世界』の動きも手に取るように探知できるッ!」

攻撃をいなすために振り上げた脚を『法皇の緑』の結界に触れないように下ろしたDIOは、ビシッと指を差して強気な目を向けてくる花京院をふんっと鼻で笑い飛ばす。
互いを睨み付けたまま動かない花京院とDIOを、別の建物の陰に隠れたジョセフが固唾を飲み込みながら見守っていると、DIOがいなしたことにより『法皇の緑』の攻撃が当たった大きな看板が崩れ落ちる。

「くらえDIOッ! 半径20mエメラルドスプラッシュを――ッ!」

それを合図に花京院は、DIOを囲むように張り巡らせた結界から攻撃を発射させる。

「マヌケが……知るがいい…『世界』の真の能力は…まさに!『世界を支配する』能力だということを!」
「(出してみろDIOッ! スタンドを!)」
「『世界』!!」

ドワヮンという効果音と共に、DIOの前へと黄金色に輝く『世界』が姿を現せた。
ようやく姿を見せたDIOのスタンドがどんな能力を使うのか、それを見極めるため花京院はぐっと目を凝らした。その瞬間――。

「っ!?」
「え!?」

花京院の体が勢いよく後方へと吹き飛ばされていった。

「い…いきなり吹っ飛ばされている!」

花京院同様にDIOのスタンド能力を見極めようとしていたジョセフは、いつの間にか立っていた鉄塔から吹き飛ばされている花京院の姿に「ばかなッ!」と、大きく目を見開いた。

「花京院ッ!」

建物の屋上に設置してある貯水槽に体を打ちつけ、溢れ出る大量の水と共に腹部から夥しい血を流す花京院。
その光景を見たジョセフはこのままではまずいと、花京院を自身の元へ『隠者の紫』で手繰り寄せようとするが、背後に感じた凄まじい殺気に慌てて体を反転させる。

「っ!」
「…ジョセフ……次はお前だ…」

宙を浮くようにジョセフの元へと移動してきたDIOは、自身の着ているタートルネックに指を掛けると、隠れていた首の傷をジョセフに見せ付けた。

「このジョナサンの肉体が完璧に馴染むには……やはりジョースターの血が一番しっくりいくとは思わんか?」
「DIOッ! よくも花京院を…ッ!」

挑発するように笑うDIOを、ジョセフは怒りを滲ませた鋭い目で睨み付ける。

「その体…エリナおばあちゃんのためにも返してもらうぞッ! そして! わしらの大事な名前ちゃんも必ず返してもらうッ!」
「エリナ? ……ああ、あの田舎娘のことか……くだらん」

心底どうでもいいように息を吐き出したDIOは「…それよりも、だ…」と、冷え切った琥珀色でジョセフを見下ろした。

「お前らの大事な名前だと…? 笑えぬ冗談をぬかすのはやめることだな」
「なんじゃとッ!」
「名前はお前らジョースター共と会うためにこの世に生まれてきたのではない。私に愛されるためにこの世に生まれてきたのだ」
「っ、貴様こそいい加減なことを言うのはやめることだな!」
「いい加減なことではないぞ? 現に名前は私の愛を受け入れたのだ」

カイロタワーでの口付けを思い出しているのか「身を委ねる名前は実に愛らしかった」と、恍惚の表情を浮かべるDIOに、とうとうジョセフの堪忍袋の緒が切れた。

「DIOッ!!」
「お前は血を吸って殺すと予告しよう!」

ジョセフが声を張り上げたのを口火に、DIOは「ジョセフ・ジョースター! 死ねいッ!」と、予告した通り吸血しようとしているのか勢いよくジョセフに向かっていこうとする。
しかしDIOが行動を起こすよりも先に、時計塔へきらりと光る何かがぶつかった。

「!」
「………」

突如として破壊された時計にジョセフは驚いたように目を見張り、DIOは訝しげに役目を果たさなくなった時計を見つめる。
この場にいるジョセフとDIO以外に時計塔を攻撃出来るのは一人しかいないと、二人が貯水槽がある建物の方へ視線を向けると、瀕死の花京院の前に透けている『法皇の緑』の姿があった。

「……最後の…エメラルド、スプラッシュ…」
「!」
「なんだ? あらぬ方向を打ちよって……断末魔…最後の雄叫びを上げ、華々しく散ろうということか……フン」
「(バカな…! 花京院はこんな時に意味のないことをする男ではない……なぜあんな方向に? 何か意味があるのか…?)」

くだらないと鼻で笑うDIOを余所に、ジョセフはなぜ花京院が瀕死の状態でDIOではなく時計塔を攻撃したのかと思考を巡らせる。
もしかして何か伝えたいことがあるのかと、ジョセフが壊れた時計から花京院にもう一度視線を向けるも、そこにはがくりと頭を垂れて息絶えた花京院の姿しかなかった。

「花京……院……っ、」

日本から共に旅をしてきた仲間の、そして自分よりもずっと若い未来ある少年の死に、ジョセフは熱くなる目元をハットの鍔の奥に隠す。

「『隠者の紫』!」

しかし闘いにおいての年季が違うジョセフは、すぐにその仲間を失った悲しみと怒りを原動力に変えて、DIOへと『隠者の紫』をきつく巻き付ける。そして――。

「太陽のエネルギー『波紋』ッ!」

100年前に祖父も吸血鬼となったDIOと闘うために使っていた、吸血鬼と屍生人を倒すのに有効な呼吸法を、ジョセフは自身のスタンドを通してDIOの体へ流し込む。

「老いぼれが…! 貴様のスタンドが一番…なまっちょろいぞッ!」

しかし念写や念聴といった能力を持つ、攻撃タイプのスタンドではない『隠者の紫』は、人間の何倍も力のある吸血鬼にはあまり効果がなかったようで、流した『波紋』が届くよりも前にDIOによって引き千切られてしまった。

「…っ、…」
「フン! 逃がすか…」

一度DIOから距離を取ろうと考えたジョセフは、この場を離れるため器用に『隠者の紫』を建物に巻き付けて移動し始める。
そしてDIOも宿敵であり、ジョナサンの体を馴染ませる餌でもあるジョセフを逃すまいと、桁違いの脚力で追いかけて行った。

「…………」

そんなジョセフとDIOの背を、涙に濡れた瞳でじっと見つめる女性が一人。
今までどこに隠れていたのか、突然すっと貯水槽の横に現れた女性の腕の中には、服には血が付着しているのにもかかわらず、どこにも怪我を負っていない少年が抱えられていた。

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