「…っ、ぅ…典明…っ、」

自分が作り出した幻覚だとしても、大切な仲間が死んでしまう光景は精神に相当苦痛をもたらすもので、名前はぼろぼろと涙を流しながら気を失っている花京院を見下ろした。
そしてぎゅっと眉根を寄せた名前は、少し前までぽっかりと穴が開いていた花京院の腹部を、すっと優しく撫でた。

「っ…痛かった、よね…」

貯水槽に吹き飛ばされてきた花京院の体を、ジョセフとDIOにバレないように幻覚で偽の花京院を見せながら屋上に移動させた名前は、白いうさぎを出すと何の躊躇もなく花京院の怪我を治し、痛みを取り込んだのだ。
内臓を握り潰されるような、引き千切られるような、他に例えようがない激痛に名前は先程までこの痛みを感じていた花京院の体を労わるようにそっとその場に寝かせる。

「…ごめんね、…今はここで休んでてね…」

怪我を治したと言えど、花京院は体を思い切り硬い貯水槽に打ち付けられ、更には短時間で結構な量の血を流している。
貧血を起こしているであろう花京院には早く輸血が必要なのだろうが、残念ながら今の名前には花京院を病院に連れていくことも、救急隊の到着を待っている時間もないのだ。

「全部終わったら…必ず迎えに来るから」

聞こえていないだろうが名前は「だから少し待っててね」と、青白い顔で眠る花京院の手を包み込むように握ると、この後最終決戦が行われるであろう橋へと向かうべく、痛む体に鞭を打ちながら建物を飛び移っていった。

「……あり、がとう……」

一人残された花京院の閉じられた瞼の隙間から、つうっ…と一つの雫が零れ落ちたことは、誰も知らない。


* * *


ナイル川に掛かる『カスル・アン=ニール橋』の上に、血濡れになった承太郎が空から叩き付けられるように勢いよく降ってきた。
ズサァッと大きな音を立てて橋の上を滑る承太郎は、少しでも衝撃を緩和しようと『星の白金』を背後に出したが、それでも叩き付けられた時の衝撃は凄まじいものだったようで、承太郎の口からは鈍い声が漏れる。

「間髪入れずに最後の攻撃だッ! 正真正銘最後の時間停止だ!」
「…っ、ぐっ…!」
「これより静止時間9秒以内にッ! カタをつけるッ!」

予告通りジョセフの血を吸ったことでジョナサンの肉体が馴染んだDIOは、パワーアップした『世界』の『時を止める』能力を使って承太郎にとどめを刺そうと高揚しながら、真っ直ぐ橋の上に横たわる承太郎へと向かっていく。
そして声高らかに「『世界』!」とDIOが自身のスタンドの名を叫べば、スタンド能力を使ったDIOと『世界』に少しだけ干渉できる承太郎を残して、この世の時間が止まった。

「…フフフ」

DIOは一度橋の上に降り立ち、上半身を起こした姿で固まる承太郎を一瞥すると、不敵な笑みを残してどこかへと姿を消してしまった。

「!」
「1秒経過! 2秒経過!」

DIOの不気味なカウントアップが辺りに響く中、承太郎はなぜDIOが攻撃をせずに姿を消したのかと思考を巡らす。

「3秒経過! 4秒経過!」
「(…いや…、)」

しかし承太郎はすぐに考えることを止めた。
DIOが何を策していようと、静止した時の中で2秒間だけ動くことの出来る自分をDIOがどんな方法で攻撃してこようとも、自分はただ貰った2秒という時間だけ『星の白金』をブチかますだけだと、承太郎は覚悟を決める。

「5秒経過!」
「(俺が思う確かなことは…DIO! てめーの面を次見た瞬間俺は多分…プッツンするだろうということだぜ!)」
「6秒経過!」
「(きや…がれ…DIO……!)」

いつでも準備は出来ていると言ったように承太郎がDIOを待ち構えていると、静止時間が7秒経過した時点で承太郎に大きな影が掛かった。

「!!」
「ロードローラーだッ!」
「うぐうっ!」

どこから持ってきたのか分からないが、DIOは何トンもあるロードローラーで承太郎を押し潰そうとしているらしい。
承太郎は呻き声を漏らしつつも『星の白金』の腕で大きな車体を受け止めると、DIOの顔を見たせいでプツンと何かが切れる音を聞きながら、潰されぬように上からの圧をラッシュ攻撃で押し返そうとする。

「もう遅い! 脱出不可能よッ!」

しかしDIOも確実に承太郎を仕留めると明言したように、ロードローラーを『世界』と共にガンガンと上から叩きつける。

「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ――ッ!」
『オラオラオラオラオラオラァ――ッ!』
「8秒経過! WRYYYAAA――ッ! ぶっ潰れよォォッ!!」
『オラアア――ッ!!』

承太郎とDIOの重い一撃が、ロードローラーを間に挟んでぶつかり合う。
ただやはり何トンもある車体の下にいる承太郎の方が分が悪かったようで、DIOと『世界』の力も加わったロードローラーは、非情にも承太郎の上にのしかかってしまった。

「……9秒経過!」

コンクリートに亀裂が入り土埃が舞い上がる中、DIOはロードローラーの上に君臨しながら「やった……」と噛みしめるように呟いた。

「終わったのだ!『星の白金』はついに我が『世界』のもとに敗れ去ったッ!」

ぐっと拳を握ったDIOは『不死身』『不老不死』『スタンドパワー』を持った自分自身を超える者は誰もいないことが証明されたと、高らかに笑い声を上げる。
そして取るに足らない人間を支配してやると宣言したDIOは、館に置いてきた名前を思い出してうっとりと目を細めた。

「これで名前に私の血を分ければ永遠の時を生きられる……誰にも邪魔されず名前と永遠の愛を語らうことができる」

至福の溜息を吐き出したDIOは、そうこうしているうちに静止している時間が10秒経過していたことに口角を上げる。

「フフフ……そして時を静止させることも10秒を超えた……どれ、このまま承太郎の死体を確認して血を吸い取っておくか…」

更に体を馴染ませるため、ロードローラーの下敷きになっている承太郎の元へ歩み寄ろうとするDIOだったが、ここでようやく自身の体に起こっている異変に気づく。

「!…な、なんだ?」

どんなに力を入れようがぴくぴくと震えるだけの体に、DIOは体の動きが唐突に鈍くなったと訝しげにする。
しかし次第にぴくりとも動かなくなっていく自身の体に、これは動きが鈍いのではないと気づいてしまった。

「う…動けんッ! ば、ばかな……まったく、か…体が動かん!?」
「DIO! 11秒経過だぜ…動ける時間はそこまでのようだな」
「!!」

背後から聞こえてきた低い声に後ろを振り返らずとも誰が立っているのか分かったDIOは、紅い瞳を揺らめかせながら「なにィ〜〜ッ!」と、心の中で驚きの声を上げる。

「俺が時を止めた……9秒の時点でな…」

だから潰されずに脱出できたと話す承太郎は「やれやれだぜ…」と大きく息を吐くと、ビシッと動けずにいるDIOの背に指を差した。

「これからッ! てめーをやるのに1秒もかからねーぜッ!」
「じょ…! 承太郎ッ!」

忌まわしいことに『世界』が作り出せる、時が止まった世界に入門してきた承太郎。
しかし入門したと言えどたった2秒間という短い時間しか承太郎は動けないため、DIOはさほど気にしていなかったのだが、まさか時を止められるまでに成長していたなど誰が思うだろうか。

「承太郎がッ…時をッ! 俺が9秒動いた限界直後の時点で……!!」
「どんな気分だ? DIO……」
「………」

もう話すことすら出来なくなったDIOに距離を詰めた承太郎は、ぎらぎらと鋭い輝きを放つ翠色の瞳でDIOを睨み付ける。

「動けねえのに背後から近づかれる気分ってのは、例えると…水の中に1分しか潜ってられない男が…限界1分目にやっと水面で呼吸しようとした瞬間!」

そこで一度言葉を切った承太郎は、DIOの肩を指が食い込むくらいの力で掴む。

「グイイッ! ……と、更に足を捕まえられて水中に引きずり込まれる気分に似ているってえのは……どうかな?」
「…………」
「しかし…てめーの場合、全然カワイソーとは思わん」

承太郎はそうはっきり言い切ると、DIOの脚に『星の白金』で強烈な蹴りを入れる。

「うぐう!」
「時は動き始めた」

承太郎が蹴りを入れた瞬間、止まっていた時が再び動き出したことによって、DIOの体は勢いよく橋の上へと叩き付けられてしまった。
びくびくと痙攣を起こし、膝裏から血を噴き出させる脚は折れているようで、DIOは荒い呼吸を繰り返しながらそれでも何とか立ち上がろうと奮闘する。
しかしそんなDIOの前に、どんっと承太郎が待ち構えるようにして聳え立った。

「お前に対する慈悲の気持ちは全くねえ…てめーをカワイソーとは全く思わねえ…しかし…」

脚が折れて立ち上がれないDIOを、このまま嬲って始末をつけるというやり方は、自身の心に後味のよくないものを残すことになる。
だからこそ承太郎はDIOの怪我が治ってから決着をつけようとしているらしく、血が噴き出す脚を指差して「その脚が治癒するのに何秒かかる?」と尋ねた。

「3秒か? 4秒か?」
「……っ、…」
「治ったと同時に『星の白金』をてめーに叩き込む! かかってきな!」
「!!」
「西部劇のガンマン風に言うと…『ぬきな! どっちが素早いか試してみようぜ』と言うやつだぜ……」
「(こ…こけにしやがって…!)」

すっかり形勢が逆転してしまったことに悔しそうにギリギリと歯を食いしばったDIOは、自分を見下ろしてくる承太郎を睨み付ける。
しかしこの土壇場にきて『後味のよくないものを残す』『人生に悔いを残さない』という実に人間味のある考えをする承太郎に、DIOは内心ほくそ笑んだ。

「(便所のネズミのクソにも匹敵する、そのくだらない物の考え方が命取りよ!)」

とうに人間を止めたDIOにはその考え方は存在せず、あるのはシンプルなたった一つの思想だけであった。
それは『勝利して支配する』という、とてもシンプルな満足感だけだった。
DIOにとって過程や方法など――。

「どうでもよいのだァ――ッ!!」

かっと目を開いて声を上げたDIOは、まだ治癒しきっていない脚にわざと力を入れると、傷口から勢いよく血を噴出させる。

「ぬううっ!」
「どうだ! この血の目潰しはッ!」

その血を目元に浴びた承太郎は堪らず呻き声を上げながら目を瞑ってしまい、承太郎に生まれた隙に勝利を確信したDIOは「死ねいッ!」と、分身とも言える『世界』の蹴りを繰り出した。
そんなDIOの勝ち誇った声と溢れ出る殺気を全身で感じた承太郎は、閉ざされた視界の中で自身に向かってくる『世界』の脚を『星の白金』の拳で迎え撃つ。そして――。

 ――ドォォンッ!

凄まじい威力の拳と蹴りがぶつかり合った。

「………」
「………」

一瞬の静寂が訪れた後、承太郎の『星の白金』の拳にはビキッと大きな罅が一つ入った。
その様子ににやりと不敵に口角を上げたDIOだったが、次の瞬間にはビシビシッとDIOの『世界』の脚に小さな罅が入り込んでいく。

「なっ…!!」

脚に入り込んだ小さな罅はどんどん上半身へと広がっていき、やがてDIOの『世界』は右半身と左半身とで真っ二つに分かれてしまった。

「なああにィィイイッ!」

分身である『世界』が真っ二つになってしまったということは、もちろんそれはDIOにも反映されてしまうということ。

「このDIOがァァァァ〜〜ッ!!」

断末魔を上げるDIOの体は『世界』と同様に足から頭にかけて半分に割れていき、やがて見るも無惨な肉片へと姿を変えてしまった。

「てめーの敗因はたった一つだぜ…DIO……たった一つのシンプルな答えだ……」

DIOの体の一部だったものが青白い炎に包まれる光景を見下ろした承太郎は、帽子の鍔をすっと指でなぞり「てめーは俺を怒らせた」と、シンプルな答えを告げた。
そしてDIOに奪われたままの愛おしい存在を取り戻しに行くため、一度深く息を吐き出した承太郎が再び前を向いた瞬間――。

「!…っ、…名前…?」

承太郎の大きく開かれた翠色の目には、今まさに頭に思い浮かべていた名前の姿が映ったのだった。

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