穏やかで爽やかな朝を迎えた杜王町の定禅寺にある東方家に、静寂を切り裂くように着信を知らせる電子音が鳴り響いた。
家の中から聞こえてくる電話の音にガレージにいた朋子は急いで玄関のドアを開けると、すうっと息を吸い込み「仗助ーッ!」と息子の名を大きな声で呼んだ。

「電話出てー!」
「はいはーい」

母親の声を聞いた仗助は洗面所から櫛を片手に持って出てくると、呑気に「今出ますよー」と鳴り続ける電話を取るため廊下を跨ぎ、ダイニングの方へと向かっていく。
その姿を見送った朋子はようやく止んだ電子音にほっと息を吐くと、ガレージに戻って工具箱を漁っている名前の隣にしゃがみ込んだ。

「名前ちゃん、スコップあった?」
「それがまだ見つからなくて…」

首を横に振る名前に朋子は「そっか」と一言呟くと、名前と一緒になってどこへ仕舞ったか忘れてしまったスコップを探し始める。

「それにしてもムカつくなぁ…!」
「マナーの悪い飼い主もいたもんですね」
「全くよ! 人の家の前に犬のフン置いていきやがって!」

そもそも何故こんな朝早くから名前と朋子が、ガレージでスコップを探していたのか。
それは先程犬を散歩させていたマナーの悪い飼い主のせいであった。
その飼い主は自分が飼っている犬のフンの始末を全くせず、東方家の前に置いていく何ともマナーのなっていない中年男で、それを偶然見掛けてしまった朋子は「明日絶対にあいつのポケットの中に犬のフンを入れてやるわッ!」と、怒りに燃えながらスコップを名前と共に探し始めたのである。

「あった!」

朋子の怒りを全身で感じながらもスコップ探しを手伝っていた名前は、工具箱の奥の方に隠れるようにして入っていた赤いスコップに嬉しそうに声を上げた。

「ありましたよ朋子さん!」
「ありがとう名前ちゃん! これであの野郎に目に物見せてやれるわッ!」

手渡されたスコップ片手に意気込んだ朋子は、一緒になって探してくれた名前に再度お礼を言うと、マナーの悪い飼い主に復讐するべくガレージを出て行ってしまった。

「…さて、私は朝ご飯でも作ろうかな!」

朋子の逞しく見える背中を見つめた名前は空腹だと訴えてくる自分のお腹を擦ると、頭に朝食の献立を思い浮かべながら家の中へと戻っていった。

「…………」

そんな名前の姿を舐めるように見つめていた牛乳配達の男は、にやりと厭らしく顔を歪めたのだった。


* * *


「…だからですね、」

朋子に頼まれて代わりに電話を取った仗助は相手が承太郎だと知ると、片手で器用に髪型を整えながら昨日出会ってしまったスタンドの話を承太郎に伝えていた。

「そのスタンドは強盗に取り憑いていたっつーか、ただ体の中に入ってただけで俺に攻撃はしてこなかったスよ」
『近くにアンジェロはいたか? …例の写真の男だ』
「いや…いなかったっス」

いまいち決まらない髪型を気にしながら仗助が承太郎の問いに淡々と答えていると、一拍間を置いた承太郎に『…名前の様子はどうだ?』と尋ねられる。

「名前さん?」
『ああ…昨日アンジェロが犯した犯罪を知って精神的にきていた様子だったからな』
「あー……それも心配いらないと思うっスよ。名前さんならいつも通り元気ですし、今日もグレートに可愛いっスから」

ちらりと洗面所の入り口から顔を覗かせた仗助は、真向かいに見えるダイニングに出来上がった朝食を並べている名前に視線を向ける。
鼻歌交じりで機嫌の良さそうな名前には塞ぎ込んだ様子や落ち込んだ様子は見えず、仗助が見たままの名前の姿を承太郎に伝えると、受話器の向こう側から『…そうか。それを聞いて安心したぜ』と優しい声が聞こえてきた。

「…昨日名前さんから承太郎さんとは幼馴染みって聞きましたけど……こりゃあ承太郎さんにとって名前さんはただの幼馴染みってわけじゃあなさそうっスね」
『…お前も、ただの同居人ってわけじゃあなさそうだな…』
「…………」
『…………』

互いに圧力をかけるように無言になった仗助と承太郎の間に長めの静寂が流れるが、それはこんなことをしている場合ではないと承太郎が吐き出した溜息によって終焉を迎えた。

『いいか…そのスタンドは力は弱いが遠隔操作ができる。何らかの方法で人間の体内に入ってくるタイプだ……これからお前の家に行く』
「えっ! これから!?」
『俺が行くまで一切の物を食ったり飲んだりするなよ。水道の水はもちろん…シャワーにも便所にも行くな、いいな』

これから東方家に向かうと言う方向で話をどんどん進めていく承太郎に、仗助は「ちょっと待ってください!」と慌てて制止の声を掛ける。

「実はまだあんたのことお袋に話してないんですよ、」
『………』
「うちのお袋気が強い女だけど…ジョセフ・ジョースターのことまだ愛してるみたいで思い出すと泣くんですよ……承太郎さんの顔は一発でバレますぜ」

ジョセフの血を色濃く受け継いでいる承太郎が突然家にやって来たら、自分の母親がどうなってしまうかなんて容易に想像がついてしまう。
母親が泣く姿など見たくない仗助が承太郎が家に来ることを渋っていると、先程名前しかいなかったダイニングから「仗助…この写真どうしたの?」と尋ねる朋子の声が聞こえてきた。

「さっき会った牛乳屋さんだわ…知り合い?」
「…え?」

先程家の前で少し会話を交わした牛乳配達員の男と瓜二つだと、ダイニングテーブルの上に置きっ放しだった片桐安十郎の写真を見て話す朋子に、隣に座っていた名前は目を丸くさせる。
しかし洗面所から顔を出した仗助は朋子の発言に驚くよりも、コーヒーを一口飲んだ朋子の口元で蠢く小さな影に目を奪われていた。

「…………」

仗助にとって見覚えのあるその影は朋子の口元で蠢いていたかと思うと、ニタリと笑みを浮かべながら朋子の口内へと滑り込んでしまった。

「…っ!」
『おい仗助! どうした!?』
「やばい…遅かった! 今…コーヒーからお袋の口の中に入っていくのが見えた…!」

仗助は急いで洗面所の棚から朋子が使用している化粧水の入った瓶を取り出すと、ジャバジャバと中身を流し捨てていく。
そして承太郎と繋がっている電話をどんっと洗面台に置くと、空になった瓶を片手にゆっくりとダイニングにいる朋子へと近づいていく。

「仗助、あんたもコーヒー飲む?」
「ん…そうだな。ミルクと砂糖も入れてくんない…」
「ミルクと砂糖ね」
「…あ、あのっ…」

朋子の口内にスタンドが入っていくのを仗助と同じく目撃した名前が、目の前で行われる親子のほのぼのとした会話に戸惑っていると、コーヒーをカップに注ぐ朋子の背後に回った仗助と目が合った。
不安気に揺れる蒼い瞳とかち合った仗助は名前を安心させるようにニッと笑うと、自分の背後にスタンドを出現させる。そして――。

「!?」

仗助のスタンドは躊躇うことなく、朋子の腹部を拳で貫いてしまったのだ。
突如目の前で繰り広げられた仗助の大胆な行動に名前が驚愕に目を大きく見開いていると、次の瞬間には朋子の腹部は何事も無かったかのように塞がれていて、朋子自身も自分の体に穴が開いたなど露ほども知らないようだった。

「…………」
「名前さん、俺のこと見つめ過ぎ」

愕然としながらも熱い視線を送ってくる名前にくすっと笑った仗助は、再び洗面所に戻るとまだ切れていない電話を手に取り承太郎の名を呼んだ。

「もしもし承太郎さんスか? スタンド…捕まえたんですけどォ……」
『なに!?』
「どうしますか? こいつを…」

一時は朋子の体内に入ってしまった片桐安十郎のスタンドだが、仗助の大胆な行動により今は栓をされた瓶の中にきっちりと収まっていた。
悔しそうに顔を歪めているスタンドを仗助がじっと見つめていると、承太郎の『…用心しろ』という冷静な声が鼓膜を震わす。

『アンジェロはお前の家をどこからか見張ってるはずだ…絶対にスタンドから目を離すな、すぐに行く』

そう言って切られてしまった電話に、仗助は登校前だと言うのにとんだ面倒事が起きてしまったと大きな溜息を吐き出した。


* * *


『デッドボール――ッ!』

テレビから聞こえてくる野球実況者の声に、仗助は「…うそ、だろ…」とゲームのコントローラーを持ちながら呆然としていた。

「…名前さんに負けた…?」
「へへっ、私の勝ち〜!」
「っ、いやいやいや! 今のはまぐれみたいなもんっスよね!? 偶然っスよね!?」
「でも勝ちは勝ちでしょ?」
「うっ……まじかよぉ〜〜!」

承太郎が来るまでの間の暇潰しとして名前に付き合ってもらい野球ゲームで対戦していた仗助は、全くのゲーム素人である名前にやり込んだ自分が負けてしまったことに深く項垂れる。

「ふふっ! 仗助に勝っちゃった〜!」

あの時素直にストレートを投げとけば良かった…と後悔していた仗助だが、ゲームで勝てたことに喜ぶ名前を見て「…可愛いからいっか」と表情を緩める。しかしその時――。

「動くな!」
「…っ!」

鋭い声が唐突に部屋に響いたかと思えば、仗助のこめかみに銃口が当てられた。

「仗助、貴様学校はどうした!?」
「じ、じいちゃんっ…拳銃家に持ち帰っていいのかよ――」
「やかましいッ! 答えろッ!」
「い…行くよォ〜! 今人が来んの待ってんだよ!」

険しい表情で銃を突き付けてくる祖父―東方良平に仗助が必死になって説明していると、良平は途端に「バカめ〜!」と子供のように笑って仗助から銃を離した。

「これはモデルガンだもんねーっ! ビビリおって! 今週のビビらせ勝負、まずはわしの一勝じゃな!」
「……分かった分かった、俺の負け」

孫を驚かせられたことに上機嫌で笑う祖父と、そんな祖父を適当にあしらう孫の何とも仲の良い姿に、やり取りを見ていた名前がほのぼのしていると、その横で良平はいつもならもう少し反発してくる仗助に首を傾げていた。

「んー? どうした? 今回はやけに素直じゃないか…」
「別に……もうお袋出掛けたよ」

ゲーム機を片付けながら夜勤明けの良平を気遣うように「早く寝ろって」と声を掛けた仗助は、リモコンを手に取るとテレビのチャンネルを変える。
ゲームを切ったことで真っ暗だった画面から朝のニュース番組に画面が変わった瞬間、ニュースキャスターにより『次のニュースです』と奇妙な事件の原稿が読まれ始めた。

『目や耳の内部が破壊されて死亡するという変死事件が、本日未明で7人にのぼることが分かりました』
「「!」」
『杜王町に限ったこの変死事件について…病死なのか事故死なのか、警察は慎重に捜査を進めています』
「………」
「…これって…、」

普通ではない死因とほんの短時間で同じ死因で死んでしまった者が7人も見つかったことに、仗助と名前はもしやと瓶に入って液体状になっている片桐安十郎のスタンドに視線を向ける。
全ての事件はこのスタンドの仕業なのかと二人の脳裏に同じ考えが浮かび上がる中、ニュースをじっと見ていた良平が「この話は聞いている」と重々しく口を開いた。

「わしには何か犯罪のにおいがするんじゃ…何者か、この町にはやばい奴が潜んでいる気がしてしょうがない…」

先程の悪戯っ子のような無邪気な笑顔から一転して、町を守る警察官としての凛々しい顔付きになった良平に仗助が「…じいちゃん、」と感慨深げにぽつりと呟いた時、外から車のクラクションが二回木霊した。

「承太郎が来たのかな?」
「みたいっスね」

よっと腰を上げた仗助は用のなくなったテレビを消すと、リビングにある大きな窓へと近づいていき、外にいるであろう承太郎とコンタクトを取ろうと窓を開ける。
名前も仗助の後に続こうと座っていたソファーから立ち上がった時、背後から「おっ! 仗助の奴ブランデーを出しといてくれたとは…気が利くじゃあないか!」と、嬉しそうな声が聞こえてきた。

「…ブランデー?」

良平のその声に今までずっと仗助と一緒にいた名前は、仗助はそんな物を用意していたっけと頭に疑問符を浮かべ、思わずくるりと後ろにいる良平の方へ振り返る。
そして振り返った名前の目には、嬉々としてブランデーらしき琥珀色の液体が入った瓶を持つ良平の姿が映り込んだのだった。

「…ふふっ、本当に気が利くなぁ」

良平が夜勤明けの日は眠る前にブランデーを一杯飲む癖があることを勿論知っている仗助のことだ、自分の気づかない内に用意していたのだろうと名前は仗助の優しさに微笑ましそうに笑うと、すっと良平から目を逸らした。

「――ッ!?」

しかし、テーブルの上に置いてあった片桐安十郎のスタンドが入った瓶が見当たらないことに気づき、名前は慌てて良平に視線を戻す。

「 …っ、まさかその瓶…っ!」

明らかに『CAMUS』とブランデーの名前が瓶には印刷されているが、良平がテーブルに置いてあった瓶を手に取っていたのなら、それは間違いなく片桐安十郎のスタンドが入っている瓶としか考えられない。
もし奴のスタンドが液体に紛れるだけでなく、変色したり擬態出来たりする能力があるのだとしたら――。

「だめッ!!」

名前は今にも瓶に口をつけようとしている良平を止めようと、咄嗟に駆け寄りその瓶を持つ良平の手首を掴み上げる。

「名前ちゃん!?」

驚きに目を見張る良平を余所に名前は緩んだ良平の手から瓶を奪い取るが、焦りからか思っているよりも力んでしまっていたようで、元々化粧水が入っていた薄いガラス瓶は夜兎の力に叶わずそのまま割れてしまったのだ。

「…っ、あ…!」

ガラス片が掌に刺さる痛みよりも、中に入っていた液体が零れ落ちる光景に悲痛な声を漏らした名前は、せっかく仗助が捕まえたスタンドを逃がしてしまったことに思わずその場にへたり込んでしまう。

「お、おい名前ちゃん!」
「名前さんッ!! じいちゃんッ!!」

突然座り込んでしまった名前に良平が心配そうに声を掛けていると、声やガラスが割れる音を聞いた仗助が窓際から名前達の元へと駆け寄ってくる。
そして名前の握られた手から真っ赤な血がポタポタと滴り落ちていることに気づいた仗助は、良平に視線を向けて「何があった!?」と血相を変えて尋ねた。

「そこに置いてあったブランデーの瓶が名前ちゃんの手の中で割れてしまったんじゃ!」
「…は、ブランデー?」
「と、とにかく手当てをせんとッ!」

慌てた様子で仗助の問いに答えた良平は名前の怪我を手当てするべく、救急箱を探しに部屋を颯爽と出て行ってしまった。

「ブランデーなんて、どこに…」

その背中を見送った仗助が良平の口から出た名前の手を傷つけた原因らしいブランデーの瓶に疑問符を浮かべていると、突然『東方仗助!』と何者かが名を呼ぶ声が仗助の耳に届いた。

「!!」
『おめーが悪いんだぜェ〜〜! このオレから目を離したおめーのせいでそこの女は怪我をしたんだぜ!』
「てめーは…っ!」
『本当は東方良平をブッ殺すつもりだったんだけどよォ〜〜 そこの女に邪魔されちまってなァ……だから決めたぜ!』

片桐安十郎のスタンドはこれでもかと不気味に口角を上げると、ビシッと仗助の背に庇われている名前と仗助を指差した。

『仗助ェ! いい気になってるおめーと殺しの邪魔をしたその女を同時に絶望させるために! オレはおめーの目の前でそこの女のエロい体を犯し尽くしてから殺してやるぜッ!』
「…っ、…」
『ああ〜〜っ! 今から楽しみだぜェェェ〜〜ッ!』

心底怯えた様子を見せる名前を見た片桐安十郎のスタンドは、それはもう恍惚そうな表情を浮かべてジュルリと気味悪く舌なめずりをする。
その下衆で低俗な姿を見た仗助は片膝をついた体勢からゆらりと立ち上がると、瞬時にスタンドを現して『どらららあ――ッ!!』と片桐安十郎のスタンドにラッシュ攻撃を繰り出した。
しかし液体状に姿を変えられるスタンドにはあまり拳での攻撃は効果が見られず、その全ては空振りで終わってしまう。

『あ…あぶねえ…なんてパワーだ……』
「……てめー、それ以上名前さんに低俗な発言してみろ…次はこんなもんじゃあ済まないぜ」
『まだいい気になってるな…必ず殺ってやるッ! いいな…必ずだ』

そうして片桐安十郎のスタンドは捨て台詞を仗助に向かって吐き出すと、閉まった窓の隙間から外へと逃げ出してしまった。

「名前ッ!」

そして逃げたスタンドと入れ違うように室内へ入ってきた承太郎は、手から血を流してカタカタと震えている名前を視界に捉えると、すぐ様その横へと膝を着いた。

「大丈夫か!?」
「…っ、ぁ…」
「一体何がっ、」

エジプトを旅していた時でも見たことない程に怯えた様子を見せる名前に、承太郎は震えている小さな背中を擦りながら現状を把握しようと咄嗟に仗助に視線を向ける。

「…おい仗助…」
「名前さんの怪我は俺のじいちゃんを助けるために、スタンドが入っていた瓶を割っちまったからだと思います」
「………」
「…で、名前さんがそこまで怯えてんのは――アンジェロの野郎に口にするのも悍ましいくらい下衆で低俗なことを言われたからっス」
「……そうか」

仗助の確かな怒りが滲んだ瞳と目を合わせていた承太郎は、未だに震えが止まらない名前を落ち着かせるようにぐっと引き寄せる。

「……そうか、あいつが…」

片桐安十郎の犯罪歴を知っていて、過去にも名前が敵に性の対象として見られていたことを知っている承太郎からすれば、名前が何を言われたのか想像つきやすいものだった。

「アンジェロが名前に手を出そうとしてんなら――容赦するわけにはいかねえな」
「何当たり前なこと言ってんスか承太郎さん。あんな下衆野郎に名前さんは指一本も触れさせねえっスから」

自分と同じようにはっきりとした怒りを露わにする承太郎を一瞥した仗助は、名前の正面に膝を着くと「この町と家族……そして名前さんは俺が絶対に守ってみせる」と誓うように赤く染まった手を取り、優しく包み込んだのだった。

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