パキッと真新しいペットボトルのキャップを開けた承太郎は人数分用意されたコップに水を注ぐと、それをダイニングテーブルに腰を落ち着けている仗助と名前の前に置いた。

「缶か瓶詰めの飲料水と食物以外はやばいから口にするな」

相手のスタンドは水に紛れて移動することが可能なため、水道は勿論風呂やトイレなどで水を使おうものならすぐに侵入されてしまう。
それを許さないためにも、承太郎は東方家の水回りの蛇口やバルブをキツく締めて、水を使用不可能な状態にしたのである。
そして食事や飲水にも気を遣い、大量の缶や瓶詰めの飲食物を買い込んできた承太郎は、それ以外を飲み食いするなと二人に忠告をする。

「お袋さんとお爺さんは?」
「今は親戚の家に泊まってもらってます」

仗助を絶望させることに固執している様子の片桐安十郎は、一度失敗していることも懲りずに良平や朋子に手を出しかねない。
ましてやスタンドを持っていない良平や朋子には自分自身の身を守る術すらないため、仗助は昨日のうちに適当な理由をつけて親戚の家に二人を泊まらせていたのだ。
仗助の賢明な判断に承太郎が感心し「戻るのはアンジェロをぶっ倒してからだ」と一言添えたところで、水の入ったコップを見つめている名前の頭にそっと手を乗せた。

「! ……承太郎?」
「…本当は名前もここじゃない安全な場所に匿っておきてえんだが、アンジェロはお前も狙っているからな…」

あれだけ片桐安十郎に怯えていた名前をいつ、どんな方法で襲われるかも分からないこの殺伐とした家に居させるよりも、良平や朋子のように身の安全が確保された場所に置いておきたいと言うのが承太郎の本音だ。
しかし新聞記事に書かれていた通り下衆な男は名前にも目を付けたらしく、そんな状態で名前を承太郎や仗助とは別の場所に一人で居させれば狙ってくれと言っているような物であった。
自分の知らない所で名前が奴に襲われる可能性があるのなら、危険な場所であっても側に置いておいた方が断然いいと判断した承太郎は、名前を東方家に残したのだ。

「お前にはこれから怖い思いをさせちまうかもしれねえな、」
「…ううん、元はと言えば私が瓶を割っちゃったからこうなったわけだし……それに、もうあんな奴怖くないよ」
「…名前…」
「確かに昨日は動揺しちゃったけど…あんな最低な男の好きなように言われるのもされるのも嫌だから……だから私も承太郎と仗助と一緒に闘うよ!」

昨日のか弱い小動物のように怯えていた面影を一切消した名前は、仗助のスタンドによって綺麗に傷の治った両手をガッツポーズを作るようにぎゅっと握る。
そんな名前の姿に承太郎は面食らったような表情を浮かべるも、すぐに「…そうか」と優しく笑うと名前の頭をくしゃっと撫でた。

「闘うのはいいが…あまり無茶はするなよ」
「それは承太郎もだよ?」
「俺はいいんだぜ」
「じゃあ私も、」
「お前はだめ」
「もうっ! なんでヨ!」

むすっと頬を膨らませ不満そうに見上げてくる名前に、承太郎が笑みを深め「なんでもだぜ」と更に名前の頭をくしゃくしゃに撫でていると、一つの咳払いが部屋に響いた。

「……俺を置いて二人の世界に入るのやめてもらえないっスかね〜?」

恋人同士のような仲の良いやり取りを目の前で繰り広げられた仗助は、テーブルに頬杖をつきながら「…嫌がらせっスか?」と承太郎にじとりとした目を向ける。

「そんなつもりはないが、少しの牽制になっていれば幸い…ってやつかな」
「…承太郎さんって結構大人気ないんスね」
「厄介なライバルが増えても困るんでな」
「……絶対に負けねえ」

不機嫌そうに下から睨みつけてくる仗助に承太郎が余裕そうに口角を上げたその時、への字に曲げられた仗助の唇にある治りかけの傷が、承太郎の目に入り込んだ。

「…ところでお前の唇のその傷…先日俺が殴った時の傷だな?」
「……そうっスけど、」
「お前のスタンドは自分の怪我は治せないのか?」
「…自分のスタンドで自分の傷は治せない」
「もし奴がお前の体に侵入しちまって、体内から食い破られたらどうする?」

怪我を治すことは名前のスタンドも出来る。
しかし名前のスタンドは仗助のスタンドのように無償で怪我を治すのではなく、相手が感じる痛みを名前が取り込んでしまうという代償があるため、使うにはリスクが高すぎるのだ。
それを踏まえた上で承太郎が『もしも』の事態の時はどうするのかと仗助に尋ねてみれば、仗助は顔色を一つも変えずに「死ぬでしょうね」と答えた。

「侵入されたら俺の負けです」
「…仗助…、」
「………」

何とも賭けた物が大きすぎるこの闘いに、承太郎は仗助の体内に侵入される前に捕まえるしか倒す方法は無さそうだなと、テーブルの上に何個も置かれた空瓶を見据えたのだった。


* * *

――三日後――

どんよりとした厚い雲が太陽と空を覆い尽くしてしまった外に、何やらしゃがみ込んでいる承太郎の姿があった。

「こんな家の側まで来て様子を窺ってやがる」

承太郎の鋭い視線の先には、庭の芝生に残された一人分の足跡があったのだ。
ここまで芝生にはっきりとした足跡が残っているとなると、片桐安十郎は暫くこの場所に立って家の中の様子を覗いていたのだろう。
自分や仗助だけでなく名前までもがじっくりと観察されていたことに承太郎は嫌悪感を覚えるが、それよりも既に三日は経っているのに何もしてこない相手の行動に疑問が深まっていた。

「一体…奴はなにを待っているのだ?」

片桐安十郎が何を考えて、何をしてくるのか。
何にせよ奴の思考はそう簡単に読めるものではないため、これまでよりも用心しなければと承太郎が更に気を引き締めていたその時、とうとう空から音を立てて雨が降り始めてしまった。

「雨か…」

あっという間に帽子やコートを濡らしていく雫に、承太郎は詮索することを止めて家の中へ戻ろうとその場を立ち上がる。しかし――。

「…雨……だと…?」

玄関に向かって数歩進んだ承太郎は、ふとあることに気づいてしまった。
雨も片桐安十郎のスタンドが自由に移動出来る『水』であることを――。

「!!」

そのことに承太郎が気づいた瞬間、ニタリと笑みを浮かべたスタンドが体内に侵入しようと承太郎の頬をシュルリと這う。

『オラアッ!』

しかし承太郎の口元にスタンドの手が伸ばされるよりも早く、瞬時に現れた『星の白金』が承太郎の頬にくっ付いているスタンドを勢いよく殴り飛ばした。

『っ、なんだ〜〜? 妙な奴がこの家にいると思ったら、てめーもスタンド使いか…?』
「!!」
『フン、まあいい……オレはこの時を待っていたんだ! もうこの家は俺のものだッ!』

ベシャッと『星の白金』によって家の外壁に叩きつけられたスタンドは承太郎を見下ろすと、勝ち誇ったように指を差して『おめーらはもう雨の中、出られないッ!』と大きく宣言する。
そして小さな窓の隙間から家の中にスタンドが侵入したと同時に、承太郎の頬から血が噴き出した。

「…っ…!」

それを合図に弾かれるようにその場を駆け出した承太郎は乱雑に玄関のドアを開けると、急いで名前と仗助がいたダイニングルームへと足を踏み入れる。

「名前! 仗助!」
「承太郎っ!」
「いつの間にか湯を沸かした奴がいますよ……水道の蛇口も捻られている…」
「…承太郎っ…血が…、」
「俺は大丈夫だ……それよりも、」

頬から流れる血に心配して駆け寄ってきた名前を背後に隠すように引き寄せた承太郎は、仗助の言う通りぐつぐつと煮立って湯気を立てるやかんや鍋、水を勢いよく流す水道を目にしながら「アンジェロのスタンドが家の中に入った」と、非常に分が悪い状況を二人に伝える。

「「!」」
「奴は仗助が水を飲むのを待っていたのではない…雨を待っていたのだ! 奴のスタンドは雨の中を……いや、液体の中を自由に動ける!」

そして承太郎が改めて片桐安十郎のスタンドの恐ろしさを口にした瞬間、承太郎と名前と向かい合うようにしてキッチンに背を向けている仗助の後ろに、蒸気に混じったスタンドが現れたのだった。

「っ、仗助後ろッ!!」
「そのやかんに近づくな! 蒸気が奴だッ!」

仗助の耳や口から体内に入ろうとするスタンドに気づいた名前と承太郎が声を上げると、仗助は朋子の時のように瓶を一度細かく割って再度修復する方法で蒸気に紛れたスタンドを捕らえようとするが、瓶の中には何も収まってはいなかった。

「グレートですよこいつはァ…瓶に捕まえることができねえ」
「湯気に近づくなよ、吸い込んだらやばい……早く台所から出るんだ 」
「…じょ、承太郎…!」

部屋中に立ち込める湯気を吸わないように承太郎が口元を抑えつつ、この部屋から出るため仗助と名前を誘導しようとした時、背後にいた名前にくいっとコートを引っ張られた。
どこか焦っているような声色に承太郎が「どうした?」と後ろを振り返れば、名前は上を向いて「…あれ…!」と天井を指差したのだ。
その細い指に釣られ承太郎と仗助が視線を天井に向けると、ポタポタと幾つもの水滴が滴り落ちている光景が目に映る。

「! ……雨漏り、」
「アンジェロの奴、既に屋根に何ヶ所も穴を開けてるんでしょうよ……二階は当然、外に行ってもやばいと言うことは…グレートですよ、これは…」

用意周到とはまさにこのことで、片桐安十郎は名前達の逃げ場を無くすため雨を待っている間に細工をしていたのである。
もはや掌の上で踊らされているような状況に承太郎は一段と表情を険しくすると、とにかく雨漏りに加えて湯気が漂う湿度の高いダイニングからは出ようと、廊下へ続くドアを開けた。

「!!」

しかしダイニングを出た名前達を待ち構えていたのは、洗面所や風呂場から立ち昇る湯気に覆われていた廊下であった。
急いで承太郎が風呂場のドアを閉め、仗助が洗面所の蛇口を捻るが、既に廊下いっぱいに広がった湯気と雨漏りのせいで、床に水溜りが出来てしまう程天井からは水が滴り落ちてしまっていた。

「水の中に混じるという能力がこれ程恐ろしく狡猾に迫ってくるとは……」
「っ、わっ…!」
「思わなかったぜ」
「…あ、ありがとう…」

天井から落ちていく雫の真下にいた名前を濡れないように自分の元に引っ張った承太郎は、確実に体内に侵入しようと緻密な計画を立てている相手に「結構頭の切れる奴だぜ…」と、少しの焦りを見せる。
しかし仗助だけは「…フフ、フフフ」と、承太郎と名前の後ろで肩を震わせて笑っていた。

「…仗助…?」
「なにが可笑しい? 追い詰められちまったんだぜ!」
「…だってですよ承太郎さん…名前さんを狙ってる下衆野郎がこんな側まで近づいて来てくれてんでスよ。グレートですよこいつはぁ〜〜っ!」

前にも後ろにも進めない絶体絶命的な状況に陥れられているのにもかかわらず、仗助は焦るどころか「絶対に俺がスタンドを捕まえてやりますよ」とやる気に満ち溢れていたのだ。
この場で一番年下ながらも男気があって頼りになる仗助のその姿に、承太郎は「…そうだな」と固かった表情を柔らかいものへと変えた。

「…では仗助……お前ならこの状況…どう切抜ける?」
「『切抜ける』……?『切抜ける』ってのはちょいと違いますね……」

すると仗助は徐にスタンドを出すと、壁を殴りつけて大きな穴を開けてしまった。

「『ぶち壊し抜ける』……! 早くこっちへ…壁が戻りますぜ」
「……仗助って、すごいね…」
「…やれやれだぜ」

仗助ならではの大胆な発想に顔を見合わせて笑った名前と承太郎は、促してくる仗助の指示に従い壁に開いた大きな穴をくぐり抜けて雨漏りの被害が少ない応接間へと移動する。

「とりあえず蒸気は防……」

スタンド能力によって綺麗に修復された壁を見て、これで廊下に充満していた蒸気からは逃れらることが出来たと仗助が口角を上げ、壁際から振り向いたその時――。

「!!」

仗助の目に自分へ向かって勢いよく蒸気を噴出させている、一台の加湿器が映り込んだのだ。
噴き上げる蒸気に当たらないように名前が仗助の体を引っ張り、承太郎が台ごと加湿器を蹴り飛ばすが一歩遅かったようで、仗助の口元には片桐安十郎のスタンドが気味の悪い笑みを浮かべてしがみついていた。

「っ、仗助…!」
『勝ったッ! 予想通りだぜ仗助ッ! 壁をブチ破ってこの部屋に来ると思ってたぜ!』

仗助の行動を先読みしていたらしい片桐安十郎は勝ち誇ったように厭らしく笑うと、スタンドを仗助の体内に滑り込ませてしまった。

「しまったッ!」
「うっ、うぐう…!」
「やだっ! 仗助!!」
『ウププッ! 競馬でも試験の問題でもよォ〜〜っ、予想したことがその通りハマってくれると今のオレみてえにウププって笑いが腹の底からラッキーって感じて……! 込み上げてくるよなあ〜!』
「うぐっ、うううっ…」
『苦しいか仗助ェ? でもまだおめーのことは殺してやらねえぜ! おめーの体内にオレのスタンド「アクア・ネックレス」を潜ませ、いつでもおめーを殺せる状態にしたまま……目の前でそこの名前って女を犯してやるぜ〜〜っ!』
「…野郎!」

あくまでも仗助の前で名前に手を出すことに拘っている様子の片桐安十郎は、これから確実にこの場に向かってくるだろう。
本来なら本体が現れた瞬間に殴り飛ばしてやりたいところではあるが、下手に手を出して仗助の体内にいるスタンドを暴走させられでもしたら堪ったものではない。
完全に手詰まりなこの現状に承太郎がギリッと血管が浮き出る程強く拳を握りしめていると、泣きそうな名前に支えられていた仗助が「アンジェロの今言ったことは……間違ってますよ…承太郎さん」と、震える声で承太郎の名を呼んだ。

「! ……仗助?」
「予想したことがその通りハマっても、笑いなんて全然込み上げて来ませんよ……このアンジェロの野郎に対してはねえ!」

今まで苦しそうな呻き声を漏らしていた人物と同一だとは思えない程はっきりとした口調で告げた仗助は、唐突に口を大きく開けると自分のスタンドで口の中からゴムのような物体を引っ張り出したのだ。

『ブギャ――ッ!!』
「!?」
「……こいつは、」
「捕まえました……ちとバッちいですけど、すみませんス」

悲鳴を上げながら蠢く薄ピンク色のゴム製品に名前と承太郎が驚いていると、仗助は自分の体内に片桐安十郎のスタンドは必ず入ってくると予想をつけていたようで、予めゴム手袋を細かくして飲んでいたのだと説明する。
そして見事予想通りの行動をしてくれたスタンドをゴム手袋の中に閉じ込めた仗助は、それを手にしながら部屋の窓を開けると、思い切りスタンドの力でゴム手袋を振り回し始めた。

「うぎゃああああ――っ!!」
「あっ! あそこの木から人が…!」
「なるほど、本体はあそこのようだな…」

スタンドと本体は一心同体のため、仗助によって自身のスタンドを振り回された片桐安十郎の体は、東方家から少し離れた場所にある一本の木から派手に飛び上がった。
その光景を目の当たりにした承太郎は早急にその場へ向かおうと踵を返したが、不意に名前に視線を向けると「……名前はどうする?」と静かに尋ねた。

「あの野郎と直接顔を合わせなきゃいけなくなるが…」
「もちろん私も一緒に行くよ!」

もはや分かりきっていた問い掛けではあるが、元気よく返ってきた答えに承太郎は「…だと思ったぜ」と口端を上げる。
そして名前と承太郎はゴム手袋を片手に持ち「最後の仕上げと行きましょうよ」と、不敵に笑う仗助に続いて家を後にしたのだった。

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