ザアザアと雨が降りしきる中、仗助によって身を隠していた場所を暴かれた片桐安十郎は、荒い息を吐きながら地に伏せっていた。

「しっ、しまったあ〜〜!!」

仗助達が来る前に何とかしてこの場から逃げなければと、焦る片桐安十郎は起き上がろうと必死に腕に力を込めるも、背後から感じる気配と明らかな殺気にハッとして動きを止める。
そして起き上がろうとした中途半端な姿勢のまま恐る恐る背後を振り返ると、片桐安十郎の目に今最も会いたくない三人の人物の姿が映ったのだった。

「てめーが」
「アンジェロか……」
「散々好き放題言ってくれたネ?」

とてつもない威圧感を放つ承太郎と仗助に、場違いなのではと言うくらいにっこりと笑う名前の三人に見下ろされた片桐安十郎は、先程までの勝ち誇ったような姿から一転し「ちっ、ちくしょお〜〜!」と、情けない声と姿を曝しながら脱兎の如く駆け出した。

「…………」

しかし片桐安十郎のスタンドは仗助の手中にあるため、仗助は逃げ出す片桐安十郎に動揺することなく、持っていたゴム手袋をぶんっと思い切り振った。

「ゲェ〜〜ッ!!」

するとスタンドと繋がっている本体は面白いくらい盛大にすっ転び、ズサァッと濡れた地面の上を滑る。

「ひいいいいいいッ!!」

己の半身であるスタンドを掌握され逃げることすら出来なくなった片桐安十郎は、背後からゆっくりと近づいてくる仗助達に大きな悲鳴を上げ、縋るように側にあった岩へとしがみつく。

「ま…まさかおめーら、このオレを殺すんじゃあねえだろうな!? そりゃあオレは脱獄した死刑囚だッ! しかし日本の法律がオレを死刑に決めたからと言って、おめーらにオレを裁く権利はねーぜッ!」

怯えた様子を見せながらも早口で捲し立てる片桐安十郎は、目の前にやって来た仗助を指差しながら更につらつらと言葉を並べていく。

「仗助ッ! オレはおめーやおめーのじじいを殺そうとしたり、名前をブチ犯してやろうとしたが全て未遂だぜ! だからおめーにオレを死刑にしていい権利はねえッ!」

何とか逃れようとしているらしく、自分を殺したら仗助自身も呪われた魂になると脅しとも取れる台詞を仗助に向かって吐く片桐安十郎は、気味の悪い笑い声を上げる。
しかしそんな脅しに怯むはずもない仗助は、スタンドの拳で自分に向いている片桐安十郎の人差し指を叩き折ってしまった。

「ブぎゃああああ!!」
「人を気安く指差してがなり立てるんじゃあねーぜ」

見事にあらぬ方向に曲がってしまった指から走る痛みに悲鳴を上げながら蹲る片桐安十郎を、仗助は心底冷めた目で見下ろす。
ただ今の片桐安十郎には、自分を見下ろす仗助を気にする余裕などなかったのだ。
それは叩き折られた指から激痛が走るとか、そんな小さな理由ではなく――。

「おっおっ…オレの右手が、手がァ〜ッ!?」

殴られた時に背後にあった岩とぶつかっていた片桐安十郎の右手は、仗助のスタンド能力によって怪我が治っていく際に、どうやら砕けた岩を巻き込んでしまったようだ。
完全に岩と一体化してしまった自分の右手に愕然としている片桐安十郎に、仗助は構わず「誰ももうおめーを死刑にはしないぜ」と告げる。

「俺も、この承太郎さんも名前さんも…もうおめーを死刑にはしない……刑務所に入ることもない」
「仗助……あとは任せるぜ」
「バシッとやっちゃっていいよ!」
「い…いったい!! なにをする気だてめーらはぁぁぁぁ!?」
「永遠に供養しろアンジェロ! てめえが今まで殺した人間のな!」

承太郎と名前に背中を押された仗助は再びスタンドを出現させると、容赦なく片桐安十郎に両腕のラッシュ攻撃を浴びせる。
そしてこれでもかと殴られた片桐安十郎は、とうとう右手だけでなく全身までもが岩と同化してしまい、一ミリも体を動かすことが出来なくってしまったのだった。

「この町のこの場所で永久に生きるんだな」
「はぐううおああああッ!!」
「…た、確かにやっちゃっていいよって言ったけど……豪快だね…?」
「やれやれ…クレイジーな奴だぜ」

岩と同化させて同じ場所で永久に生かすという罰を与えるなんて、その考えすら浮かばなかった名前と承太郎は仗助の思考と行動力に、改めて彼のぶっ飛び具合を認識することが出来た。
二人が尊敬とも畏怖とも違う何とも言えない感情と視線を仗助に向けていると、片桐安十郎の「ちくしょおおお〜〜っ!」という引き攣った声が辺りに大きく響き渡った。

「いい気になってんじゃあねえぞ〜〜っ!」
「あァ?」
「どうせおめーらなんか『あの人』がブッ殺してくれんだからよぉ〜〜っ!」
「…『あの人』?」
「そうだよ! あの学生服の…オレに力をくれた『あの人』がなあ〜〜っ!」
「! …なに?」

ただの負け犬の遠吠えかと思いきや、スタンドの力を与えてくれた人物がいると言う重要なことを口にした片桐安十郎に、承太郎はこの世に意図的にスタンドを人に与えられる者がいるのかと、驚いたように片桐安十郎に聞き返す。

「ビビったか! ギヒヒ!」
「あ? それのどこにビビるっつーんだよ…」
「いや…アンジェロは生まれついてのスタンド使いではない……それがどうしてスタンド能力を手に入れたのかが謎だった…」
「…でも、スタンドを誰にでも自由に与えられる人が存在していたら……」
「恐ろしいよなァ〜〜? ギヒヒ! 教えてやろうか? 名前ちゃんよぉ〜〜ッ」

仗助に懲らしめられてもなお、舐めるような厭な視線を向けてくる片桐安十郎に名前は不快そうに顔を歪めるも、スタンドを与えられる人物の話は知りたいため、少しだけ仗助の背に隠れながら首を縦に振った。

「ギヒヒ! あれは去年、つまり1998年……死刑執行の半月ほど前の夜だったぜ」

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

その日の夜、中々眠ることが出来なかった片桐安十郎は、独房の天井の隅をぼーっと見つめながら静かな夜を過ごしていた。
しかし片桐安十郎しか居ないはずの独房には、いつの間にか学生服を着た男が闇に紛れるようにして枕元に立っていたのだ。
いつから居てどこから入ってきたのかと驚きと怯えが混じった様子で尋ねる片桐安十郎は、男がとてつもなく古い『弓と矢』を持っていることにそこで初めて気づいた。

「なにしやがる――ッ!!」

男は驚愕に包まれる片桐安十郎にその『弓と矢』を構えると、躊躇うことなく叫び声を上げようと大きく開いた片桐安十郎の口に『矢』を放ったのだった。

「あぐっ…ぐ…ぐあ…」

しかし、急所を射抜かれ普通であれば即死の大怪我を負った片桐安十郎は、不思議なことに『矢』を口に刺したまま息をしていたのだ。

「生きていたな……おめでとう」
「…ぐっ…、」
「お前には『素質』がある…『素質』がなければ死んでいた」

男は痛みと恐怖で涙を流す片桐安十郎の顔をぐっと片手で掴むと、刺さったままの『矢』をあろうことかぐりぐりと掻き回し始める。

「お前は今ある『才能』を身につけたんだ……いや、お前の精神から引き出されたと言った方がいい。凶悪な犯罪者ほど持っている……それはかつて『DIO』と言う男がスタンドと呼んでいた才能だッ!」

そうして男が『矢』を勢いよく抜いた瞬間――片桐安十郎はスタンドを発現したのだった。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「い、今DIOって…!」
「…DIO…だと?」
「名前さん? それに承太郎さんも…どうかしたんスか?」

力を与えてくれたという学生服の男の話を語る片桐安十郎の口から出てきたDIOの名に、聞き覚えのありすぎる名前と承太郎は過剰に反応を見せる。
そんな二人とは違いDIOのことを全く知らない仗助が不思議そうに声を掛けたその時、名前達の背後から「ぎゃああああッ!!」と大きな悲鳴が上がった。
尋常じゃないその叫び声に名前達が慌てて後ろを振り返ると、そこには片桐安十郎のスタンドが入っているゴム手袋に顔を掴まれた小さな男の子の姿があったのだ。

「あっ!」
「なにッ!」
「バカめ――っ! オレの話に聞き惚れてオレの『アクア・ネックレス』を忘れていたようだなッ!」
「アンジェロッ! 貴様…!」
「関係のない小さな子を狙うなんて最低ッ!」

真面目に話をしていると見せかけて、バレないように通り掛かっただけの子供へスタンドを忍ばせていた片桐安十郎に、承太郎と名前は確かな怒りを向ける。
しかし二人の怒りをもろともしない片桐安十郎は「仗助!」と、子供をじっと見つめたまま自分に背を向けている仗助を呼んだ。

「さっさとオレをこの岩から出しやがれッ!」
「…俺の心の中に……いまいちおめーに対する怒りが足りなかったか」

背後でがなり立てる片桐安十郎の声を聞きながら仗助は胸ポケットから櫛を取り出すと、雨に濡れたせいで少しだけ崩れてしまった髪の毛を整え始める。
しかしその瞬間――仗助には絶対に言ってはいけない台詞を、片桐安十郎は大きな声で吐き出してしまったのだ。

「何やってんだァーッ! チンケな髪なんかイジってんじゃあね――っ! ガキをブッ殺すぞッ! 早く出せっつったら出せィイイーッ!」
「!!」
「い、言っちゃった…!」
「……俺の髪が……」
「早まるなッ! 仗助!」
「なんだって――ッ!?」

例に漏れなく髪型を貶されたことでプッツンとキレてしまった仗助は、勢いよく振り返ると同時にスタンドを出現させる。
明らかに態度が変わり今にも殴りだしそうな仗助に、早く岩から出せとがなり立てていた片桐安十郎は慌てて「お、おめーオレをやったら学生服の男が黙ってねえぞッ!」と、仗助を止めようと言葉を早口で並べていく。

「その男もこの町に住んでるって――ッ!」
「なに!?」

この町に学生服の男がいると言う重要な情報を口にした片桐安十郎に、承太郎が咄嗟に仗助を止めようと声を掛けるも、キレてしまって周りの声が聞こえていない仗助は、追い討ちとばかりに岩と同化している片桐安十郎に再びラッシュ攻撃を食らわしてしまったのだ。
忽ち形を変えていく片桐安十郎と岩に承太郎は静かに視線を子供に向けると、子供の顔を掴んでいたゴム手袋が力なく地面に落ちる光景が目に映った。

「やはりさっきは怒りが足りなかったぜ。この下衆野郎はこのぐらいグレートに岩に埋め込まなきゃあいけなかったんだぜ」
「…もう、喋れなくなっちゃったね…」
「……やれやれだぜ。もう少しこいつから話を聞きたかったんだが、」
「えっ! 信じてるんスか? あんなホラ話…」
「ホラじゃない。こいつは…DIOという名前を言った」

またもやDIOという人物の名を聞くことになった仗助は、訝しげに眉をくいっと上げて「なんなんスか? そいつ……」と承太郎に尋ねる。

「…100年以上前からジョースター家の人間が闘ってきた男だ……まあ、今は名前のおかげで休戦状態になっているがな…」
「名前さんのおかげ?」
「ああ……そのDIOのことだが、1988年に奴がなぜ突然スタンド能力を身につけたのかが分からなかった」
「…もしかして、こいつをスタンド使いにした…?」
「学生服の男が持っている『弓と矢』が関係しているとしたら……学生服の男と『弓と矢』が新しい敵になるかもしれんな…」

承太郎と仗助が変わり果てた片桐安十郎を見ながら学生服の男と、男が持っている『弓と矢』について考察をしていると、今まで二人の会話を静かに聞いていた名前から「くしゅんっ!」と、小さなくしゃみをする音が聞こえてきた。
二人がその可愛らしい小さなくしゃみの音に釣られて名前を見れば、学ランやコートを着ている仗助や承太郎に比べて薄着の名前は、雨に打たれる中少しだけ寒そうにしていた。

「あー…とりあえず家に戻りません? 多少の雨漏りはありますけど、外に居るよりはマシですし……何より誰かが風呂を沸かしてくれたんですぐに温まれますよ」
「…そうだな。これ以上ここで話す理由もねえし、名前が風邪でも引いたら困る」
「…なんか、ごめんね…」
「なんで名前さんが謝るんスか〜」

意図的ではないが話を邪魔してしまった挙句、仗助と承太郎に気を遣わせてしまったと、名前は申し訳なさそうに謝る。
そんな名前に仗助は笑いながら「俺も髪が濡れるから早く戻りたかったんスよ」と気遣いではなく本音を告げると、名前の冷えた手を取って自宅の方へと足を動かし始めた。

「…やれやれ」

置いていかれた承太郎は小さな溜息を吐くと、手を繋いで並んで歩く名前と仗助の背を追いかけるようにゆっくりと歩き出す。
しかしすぐに足を止めるとちらりと振り返り、片桐安十郎だった岩へと帽子の鍔先から覗く翠色の瞳を向けた。

「…『弓と矢』…ね、」

何か心当たりがあるのか意味深げにそう呟いた承太郎は、水分を含んで重たくなったコートを翻し、先を行ってしまった名前と仗助を再び追いかけ始めたのだった。

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