杜王町に来てまだ数日ではあるが、もう大分見慣れてしまった東方家の前に立った承太郎は、住民を呼び出すためにインターホンを押した。

『うるさいわね! 新聞なら間に合ってるって言ってるでしょ!』
「…………」

スピーカーから聞こえてくる強めの語気から察するに、承太郎が来る前に新聞の勧誘がしつこく訪ねて来たのだろう。
しかし承太郎は新聞の契約を取りに来た勧誘員でない上に、彼女の息子とこの家に居候している幼馴染みに用事があるため、無言でもう一度インターホンを押した。

「誰よ!? 今うちはこの前の雨で雨漏りしちゃって部屋の片付けとかで忙しいのよ!」

二度目のインターホンで痺れを切らした朋子はガチャッと勢いよくドアを開けると、少しだけ疲れた表情で「またにしてくんないッ!」と、直接来訪者を追い返そうとする。
しかし玄関前に立っている承太郎の姿を視界に捉えた瞬間、ハッと息を飲んだのだった。

「…あ…あなた、は…」
「…?」
「…ジョ……ジョセフゥ〜〜ッ!!」

驚きながらもじっと凝視してくる朋子に承太郎が疑問符を浮かべていると、ジョセフの名を叫んだ朋子が唐突に承太郎の胸へと飛び込んだ。

「っ!」
「ジョセフ――ッ! ついに戻って来てくれたのねッ!」

どうやら承太郎のことをジョセフだと勘違いしている様子の朋子は、ぽろぽろと涙を零しながらひしっとその細腕で承太郎を抱きしめる。

「待ってたのよッ! ず――っとッ!」
「…………」
「ここ最近身近で変な事件が多くって本当は不安だったのッ! こんな時に来てくれるなんてジョセフ! 好き好き好き好き好き好き好き好き好き――っ!」
「…………」

もはや呪文のように「好き」と何度も言いながらウニウニと胸に頬擦りしてくる朋子に若干承太郎が引いていると、妙な空気が流れるこの場に突然「ガッカリさせるようで申し訳ないのですが…」と、第三者の声が響いた。

「目の前にいる彼はジョセフ・ジョースターではありませんよ」
「…えっ!?」

柔和な声に「彼はジョセフ・ジョースターではない」と指摘された朋子は勢いよく承太郎から離れると、そのことを確かめるように頭の天辺から足の爪先まで承太郎の姿を目で追う。

「あっ…そう言えば……随分若いわ」
「……やれやれ」
「彼はジョースターさんの孫で空条承太郎。僕はジョースターさんの知り合いで花京院典明と言います」
「…そっ、そうなの…」
「詳しくは仗助のやつに聞いてくれ…俺はうっとーしい話は苦手なんでな」

丁寧に話す花京院と違って戸惑う朋子に構うことなく彼女の横を通り過ぎた承太郎は、開きっ放しになっている玄関口を覗き込みながら「仗助と名前に会いに来た。いるかい?」と、後ろにいる朋子に尋ねる。
しかし朋子はジョセフだと思った人物がジョセフ本人でなかったことに落胆しているようで、虚空を見つめるだけの朋子には承太郎の声すら聞こえていないようだった。
そんな朋子に承太郎は腰を曲げてずいっと顔を近づけると、至近距離で朋子を見つめながら「仗助と名前はどこかって聞いてんだが…?」と、もう一度尋ねた。

「えっ! あっ…仗助はまだ学校から帰ってなくて、名前ちゃんも今は出掛けてて家にはいま…せん」
「そうか…じゃあ今晩また来る」
「お忙しい時に失礼しました」
「え…もう…帰るの?」

愛している男と別人とは言え、その面影を色濃く残す承太郎が訪ねて来て間もなく帰ろうとする姿に、朋子はどこか寂しそうな声を出す。
その声を背に受けながら乗ってきた車の運転席のドアを開けた承太郎は、乗車する前に一度振り返ると視線を朋子に向けた。

「ジョセフ・ジョースターがもしこの町に来たなら、これから起こる危機から必死にあんたを守るだろう…」
「…え…?」
「しかしじじいは高齢だ…この町に来させるわけにはいかない……俺がじじいの代わりだ」

不思議そうにしている朋子にそれだけを告げると、承太郎はさっさと運転席に乗り込み手早く車を発進させてしまった。

「…『俺がじじいの代わり』か……承太郎も随分と優しくて格好良いことを言うようになったじゃあないか」
「……茶化すんじゃあねえぜ」
「茶化すだなんて…僕は本当に思ったことを言ったまでだよ」

口ではそう言っているものの、口元に浮かぶ笑みからして楽しんでいることが見て取れる花京院に、承太郎は「…本当いい性格してるよな」と10年来の友人に小さな溜息を吐いた。

「まあ僕の性格は置いといて…」

そんな承太郎の溜息を慣れたようにさらりと聞き流した花京院は、助手席のダッシュボードの上に置かれていた資料の中から一枚の写真を取り出した。

「この写真に写る『弓と矢』に脅威的な力があると知った時は驚いたよ」

花京院の薄紫色の瞳が見つめるその写真には、古びた『弓と矢』を持つ、かつてDIOを狂信的に崇拝していた『魔女エンヤ婆』の姿が写っていた。

「…10年前、SPW財団が入手したエンヤ婆の資料だけど…何をどう探してもこの『弓と矢』の意味が分からなくて、現在までずっと調査中だった…」
「ああ……だが、この町に来てようやくその意味が分かった。エンヤ婆の持つその『弓と矢』は…アンジェロが言っていたスタンド能力を引き出させる物で間違いない」
「…そしてこの『弓と矢』がDIOの『世界』を生み出すことになった…と、」
「そうなるな」

10年経って謎のままだった写真の意味を解き明かし、その危険性をようやく知り得た承太郎と花京院は同時に大きな息を吐き出した。

「…DIOが話していたらこんなに遠回りせず写真の意味も分かっただろうし、早めに『弓と矢』を探すことだって出来たんだろうけど…」
「……あの野郎が自分のことを素直に話すと思うか…?」
「全く思わない。というか…DIOの身柄を引き取った時に、自分のことは名前さん以外には話さないって財団に宣言したらしいよ」

現在自身も所属しているSPW財団の監視下にいる傲慢で、名前至上主義な吸血鬼の姿を思い浮かべた花京院は、嫌な顔を隠すことなく手元にある写真を見下ろす。
そして赤信号に従って車を白線の手前に停車させた承太郎も、花京院が持つ『弓と矢』が写る写真に目を向けた。

「とにかく…エンヤ婆の死後何者かがこの『弓と矢』を手に入れ、スタンド使いを増やしていることに違いはない。しかもこの杜王町で…」
「…そうなって来ると、僕達のやるべきことは一つしかない」
「ああ。早いとここの『弓と矢』を破壊しなくてはいけねーぜ……DIO以上の悪党で『世界』以上のスタンド能力を持つ者が、現れねえようにな」

10年前にDIOと闘っていた時のようなギラついた目で前を見据える承太郎に、花京院も同意するように大きく頷いた。
そして信号が青に変わったことを確認した承太郎が、ブレーキから足を離して再びアクセルを踏もうとしたその時――。

 ――ガクンッ!

「なッ!?」
「…っ!!」

車を大きく揺らす程の衝撃が、車体の後方から伝わってきたのだ。
上から叩きつけると言うより車の発進を遮るような、後ろへと引っ張るような衝撃に、承太郎と花京院が何事だと座席から後ろへ咄嗟に顔を向けると、そこには思いもよらぬ光景が広がっていた。

「――ッ!?」

彼らの目に映ったのは、顔を真っ赤にして肩で大きく息をしながら車体を必死に細い両腕で引っ張っている、名前の姿だった。

「名前!?」
「なっ、何で名前さんが…っ!」

どこかに出掛けているはずの名前が、綺麗な髪を振り乱し、汗だくになって形振り構わず車の進行を阻む姿に、承太郎と花京院は驚きと戸惑いを隠せないでいた。しかし――。

「――助けてッ!!」
「「!!」」

鉄の塊と強化ガラス越しに聞こえてきた名前の悲痛な叫びに、承太郎と花京院は顔を見合わせると、急いで車を降りたのだった。


* * *


壁の至る所に大きな穴が開いた古びた家の一室に、血を流して倒れる一人の男の姿があった。

「フー…億泰の兄貴、かなりグレートに危ねーやつだったぜ」

気を失っているらしい男―虹村形兆を見下ろしている仗助もまた、腕や脚から多量の血を垂れ流しており、先程まで行われていた戦闘が如何に激しいものだったかを物語っていた。
仗助はズキズキと痛む腕を押さえながら酷く疲れ切った様子で、無事に助けることが出来た康一に早くこの家から出ようと声を掛ける。

「じょ…仗助くん、僕を射った『弓と矢』は…どっ、どーするの?」
「あー…億泰の兄貴がどっかに隠したようだけどよー……探すのかよ?」
「う、うんっ…!」
「…でもよぉ、確かこいつら『父親』がいるっつってたんだよな……俺結構ダメージ大っきいからよおー…それに、きっともうすぐ名前さんが承太郎さんを連れて来てくれっから今はほっとこーぜ」

満身創痍の仗助はこれ以上の戦闘を避けたいようで、あとは承太郎に任せようと一階に降りられる階段に向かって足を動かした。
しかし仗助の足は「そっ、それは…だめだよっ!」と背後から聞こえてきた康一の声に、ぴたりと止まることになった。

「名前さんと承太郎さんが来る前に『弓と矢』が持ち出されたら大変だよっ!」
「! …それは、まあ…」
「ぼ…僕は仗助くんに傷を治してもらったから生きてるけど…あの『弓と矢』で誰かがまた射られたら、今度は死ぬかもしれないんだよ! この町でっ!」
「………」
「こ…ここにいてよっ! ぼ、僕一人で探してくるからさ!」

康一は怪我をしている仗助をその場に残すと、出口のある一階ではなく、更に上の階へと繋がる階段を慎重に上っていく。
そんな見かけによらず勇気のある康一の背中をじっと見ていた仗助は、小さく息を吐き出すと「おい!」と上階の様子を窺っている康一の肩を掴んだ。

「! なっ、なに…? とっ…止めないでよ…」
「……止めねーよ…早えーとこ『弓と矢』をブチ折って一緒に外に出よーぜ…康一」
「…!」

そう言って笑う仗助に、自ら口にしたものの一人で探すことに不安を感じていた康一は、ぱっと曇り気味だった表情を明るいものへ変えた。
そして頼もしい友人を味方につけた康一は、先程階段から上階を覗いた時に見つけた屋根裏部屋の存在を仗助に伝える。

「屋根裏部屋があるんだ……『弓と矢』はここにあるかも…」

最上階にはこの屋根裏部屋しかないため、康一はこの部屋に『弓と矢』を形兆は隠したのではないかと予想をつけ、そろりそろりと少しだけ開いたドアの隙間から中の様子を窺う。

「! あっ、あった…!」

すると康一の予想通り、ドアの隙間から見える部屋の奥の壁にはスタンド能力を引き出す『弓と矢』が掛けられていたのだ。
以外にも早く『弓と矢』を見つけ出せたこと、そしてまだ持ち出されていなかったことに康一が安堵したその時――。

 ――ガリッ…ガリッ!

「「!」」

部屋の中から何かを爪で引っ掻くような音と、何とも言えない不気味な獣の唸り声のような音が仗助と康一の鼓膜を揺さぶった。

「おい…やっぱりやべーな、」

やはりこの家には虹村兄弟以外の何かがいると冷や汗を流す仗助の横で、康一は部屋の中から大きく響いてきた『ジャラッ!』という音に、小さな悲鳴を漏らした。

「…何か鎖に繋がれてるのか?」
「い…犬かな…ガリガリッて引っ掻く音は人間じゃあないよ……どっ、動物っぽい音だよ…」

犬であってほしいという願望が見て取れる康一が恐る恐るドアに手をかけようとするが、中から更に激しく引っ掻く音や鎖の鳴る音が聞こえてきたため、恐怖から思わずその場にしゃがみ込んでしまう。

「やっぱり怖いよ――っ! どーしよお!?」
「『どうしよう』ってよ〜〜、おめーが行くっつったんだぞ」
「そーだけどぉ…っ!」
「やるしかねーんだよ…いいか康一、1・2の3でドアを思いっきり蹴飛ばして開けるんだ…脅かすんだぜ…そしたら俺が『弓と矢』ん所行ってへし折っからよ。いいなッ!」
「……う、うん!」

先程まで『弓と矢』は放っとこうと言っていた仗助の真剣な様子に、恐怖に苛まれながらも康一は仗助の作戦に肯定するように頷く。
そして覚悟を決めた康一がドアの前に立ち、仗助の合図で思い切り半開きのドアを蹴り開けようとした時――。

 ――ガシィ!!

「げっ!?」
「!」

康一の足はドアに当たる前に、部屋の中から伸びてきた緑色の異様な形をした、とても人間とは思えない手によって掴まれてしまった。

「うわああああああ〜〜っ!!」
「なっ…なんだ…こいつは〜〜っ!」

恐怖の最高潮に達している康一と、驚愕に包まれる仗助を余所に、その異形な手は掴んだ康一の足首を強い力で握ると、そのままぐっと部屋の中へと引きずり込もうとした。
絶叫と共に「助けてェッ!」と懇願する康一の手を仗助は咄嗟に掴み自身の元へ引こうとするが、相手はそれよりも強い力で康一の足をぐいぐいと引っ張る。

「っ、この手はスタンドじゃあねえ! モノホンだ…モノホンの肉体だぜ、こいつは!」
「たっ、助けてェ〜〜!!」

精神エネルギーのビジョンとは違う、はっきりとこの世に存在している異形の肉体を持つ者が康一を襲おうとしていると判断した仗助は、怯ませようと『クレイジー・ダイヤモンド』でその手を殴りつける。
しかし、仗助の狙い通りに力が緩んだ隙に康一を助け出せたところまでは良かったのだが、何と相手の手は皮膚と同色の液体を流しながらぼとりと床に転がり落ちてしまった。

「うえええええェ〜〜っ!!」
「切断するつもりは……!!」

顔に緑色の液体を浴びた康一の悲鳴と、思いもよらぬ事態になってしまったことに動揺する仗助の声が響く中、開いたドアの死角からその手の持ち主だと思われる『何か』が二人の前を勢いよく横切り、部屋の隅へと移動していく。
そしてその姿を反射的に目で追ってしまった仗助と康一は、普通では考えらない光景を目の当たりにする。

「お…おい! 腕が…生えてきたぞッ!」
「ひいいいいっ! うえええええ――っ!!」

二人が見たものは、故意ではないが仗助によって切断された腕の断面から、ずりゅっと新たな腕が生えてくると言う有り得ないものだった。
今日一番の驚きを見せる仗助と康一だったが、窓から差し込む陽の光に『何か』が照らされた瞬間、顔を引き攣らせて息を飲んだ。
全身緑色で数え切れない程の肉片を体に引っ付けた醜悪な容姿の生き物は、仗助と康一の視線など気にすることなく自身の切断された手を掴み取ると、あろうことかそれを二人の前でむしゃむしゃと貪り始めてしまう。

「なっ、なんだこの生き物は…? 俺ん家の近所にこんなのが住んでたなんて…」
「おええええーっ!」
「ついに見やがったなァ――。見てはならねえものをよお〜〜」
「…っ!」

今まで一度も見たことがない不気味な生き物に戸惑いや嫌悪感を覚える仗助と康一の耳に、突然地を這うような低い声が届いてきた。
つい先程まで嫌という程聞いていた声に仗助が慌てて視線をその声の方に向けると、そこには下の階で気を失っていたはずの虹村形兆の姿があったのだった。

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