「てめ――ッ!」

屋根裏部屋にあるもう一つのドアから部屋の中へと入ってきた虹村形兆に、仗助は強い敵対心と鋭い眼光を向ける。
そんな仗助を一瞥した形兆は、負傷した体を引き摺るようにしながら、未だに自分の手を貪っている生き物にゆっくりと近づいていく。

「そこにいんのがよぉ〜〜……俺たちの『親父』だぜ」
「…!」

苦々しそうに目の前の人間だとは思えない生き物を『親父』と呼んだ形兆に、仗助が驚きから目を見開いていると、形兆は壁に掛けていた『弓と矢』を手に取り「…これは親父に必要なものだ…」と、腕の中に抱えた。

「ゆ…『弓と矢』が…」
「親父のためにスタンド使いを見つけてやりたい。だからこの『弓と矢』は断じて他のやつに渡したり…破壊させるわけにはいかん…!」
「…なんかの……病気なのかよ?」
「病気? 違うね! 親父は健康さ! 至ってね…食欲はあるしよぉ〜。ただ…唸り声上げてるだけで俺が息子っつーのは分かんねーがな」
「親父さんを治すスタンド使いを探してたっつーわけか」
「『治す』? おめーが治すってか?」

仗助からの父親を治すスタンド使いを探していのかという問いに「…それも、違うね…」と、形兆は可笑しそうに笑う。しかし――。

 ――ポタ、ポタ

「っ、逆だ…親父を『殺してくれる』スタンド使いを俺は探しているんだよっ!」

笑い声を上げていた形兆の目からは、大粒の涙が堰を切ったように流れ出したのだった。

「親父は絶対に死なねえんだ…頭を潰そうとも体を粉微塵にしようとも、削り取ろうとも絶対な…」

形兆は部屋の隅で箱を長く伸びた爪でガリガリと引っ掻いている父親を一瞥すると、見るに堪えないと言うように固く目を瞑った。

「普通に死なせてやりてえんだ…そのためならどんなことでもするって子供の時誓った…」
「………」
「そのためにこの『弓と矢』は絶対に必要なんだ…さもなきゃ親父はこのまま永遠に生きるだろう……なぜなら…親父は『DIO』っつう男の細胞を頭に埋め込まれてこーなっちまったんだからなあ――っ!」
「! DIOって、あんたさっきも言ってたが…名前さんと承太郎さんが話してたやつのことか…?」
「少し…過去のことを喋ってやろう……東方仗助…満更、お前にも関係のない話ではないからな…」

――全ては11年前、1988年に起こった。
形兆が7歳、億泰が4歳だった当時、彼らは杜王町ではなく東京に住んでいた。
バブル経済とあって世の中は金に溢れ人々は浮かれていた時代だったのだが、形兆達の父親だけは周りとは違い本当についてない男だった。
妻を病気で亡くし、経営していた会社は上手くいかず倒産してしまい、その結果膨大な借金だけしか父親の手元には残らなかったのだ。
そのせいで父親は自身の実の息子である形兆や億泰に、理由のない暴力を振るうようになってしまった。

「親父は完璧に世の中の負け犬だったのさ」

しかしある日を境に禄に仕事もしていない父親の元に、大量の札束や宝石、貴金属等が転がり込むようになったのだ。
当時子供ながらに不審に思っていた形兆が後に調べたところ、その時既に父親は金に目が眩みDIOに心を売ってしまっていたという。

「DIOってやつは当時…世界中からスタンドの才能のあるやつを探していたらしい。どうにかして親父にその才能があるってのを見つけたのさ……どんなスタンドだったのかは今となっちゃあ分からねーがな」

ちらりと父親に視線を向けた形兆は、何かを振り払うようにぎゅっと目を瞑り「…だが、ある日のことだ」と、過去の話を再開させる。

「10年経った今でもはっきり覚えているぜ…」

午後2時過ぎに形兆が学校から自宅に帰って来ると、玄関前の廊下に座り込み大泣きしている億泰の姿があった。
その様子にまた父親に殴られたのかと怒りを露わにした形兆だったが、億泰が泣いていた理由は父親に殴られたことではなかった。
億泰は父親の顔が油粘土にでもなってしまったかのように、ぐちゃぐちゃに崩れ始めたショックで大泣きしていたのだ。
悍ましい姿になっていく父親を億泰同様目の当たりにした形兆は、救急車を呼ぼうと父親に声を掛けるも、苦しんでいる当の本人は「無駄だ! もうだめだ! 病気じゃあない! きっと『DIO』の肉の芽が暴走したんだ!」と叫びながら、自室に閉じこもってしまったのだった。

「その日から一年くらいで俺達が息子だっつーことも分からねー肉の塊になったのさ! DIOってやつはな……信用できないやつの頭に自分の細胞を埋め込んで操りたい時に命令できた。親父はその肉の芽を埋め込まれていたのさ」
「…っ、…」
「…………」
「俺は10年かかって全てを調べたよ…スタンドのこと、承太郎のこと、DIOのこと、名前のこと……そしてエンヤという老婆を知って『弓と矢』を手に入れたんだがな……」

しかし、形兆は色んなことを調べて知識を得ると同時に、DIOの不死身の細胞と一体化した父親が、もう決して元の姿に戻ることはないと信じなくてはいけなくなってしまったのだ。

「一日中こうやってるだけだ。毎日毎日…来る日も来る日も10年間…無駄にガラクタ箱の中を引っ掻き回しているだけさ……箱を取り上げると泣き喚くしよ〜」

ひっくり返った箱からは中身が全て飛び出していて空っぽになっているのだが、それでも箱の中をごそごそと漁る父親に形兆は「こいつを見てるとよ〜…『生きてる』ってことに憎しみが湧いてくるぜ」と、吐き捨てるように告げた。
そして形兆は父親の首に繋がる鎖を思い切り掴み、引き寄せたかと思えば「散らかすなって何度も教えたろうッ!」と、怒鳴り上げてそのまま父親の横っ面を拳で殴り飛ばしてしまう。

「「!」」
「躾りゃあ結構言うことを聞くんだがよっー! この箱をゴソゴソやるんだきゃあやめやがらねえ!」

悲鳴を上げて倒れた父親を冷めた目で見下ろした形兆は、更に足で何度も父親の変わりきった顔を踏みつける。
形兆が踏みつける度に悲鳴を上げる父親の姿を見ていられず、仗助は「おい! やめるのはお前だよッ!」と制止の声を掛けた。

「お前の父親だろーによ――っ!」
「ああ、そうだよ。俺達の父親さ…血の繋がりだけはな…だがこいつは父親であってもう父親じゃあない! DIOに魂を売った男さッ! 自業自得の男さッ!」

踏みつけることを止めた途端に顔に出来た痣や傷がどんどん治っていく様を見た形兆は、キッと鋭い眼光を仗助に向ける。

「そして…また一方で父親だからこそやり切れない気持ちっつーのがお前に分かるかい?」
「!」
「…自業自得と言えど親父をこんな風にしたDIOに復讐してやりたいと思ったことだてあったぜ。だけどよ…不死身な男をどうやって殺すことができる?」
「……それ、は…」
「できねえだろ? だから今度はDIOがこの世で何よりも大切にしている『名前』を殺してやろうと考えた」
「っ、名前さん…を…?」
「ああ。それが一番やつに適している復讐方法だと思った…思ったんだが……世界中いくら探しても名前を見つけることができなかった」
「………」
「DIOに対する全ての復讐方法が絶たれたちまった時、俺は決意したんだよ……復讐するよりも親父を普通に死なせてやった方が親父のためにも俺達のためにもなるってな」
「…お前…、」
「こいつを殺した時にやっと俺の人生が始まるんだッ!」

長年溜め込んできた自身の想いの全てを吐露した形兆は、あれだけ痛めつけられたのにもかかわらず、再び箱の中を漁り始めた父親に「ちくしょーッ!」と声を上げ、先程よりも強く足で踏みつけたのだ。

「やめろっつってんだ! イラつくんだよッ!」
「おい! そこまでにしとけよッ!」

怒りを全身に滲ませている形兆にもう一度制止の声を掛けた仗助は、勢いよくその場を駆け出した。

「この『弓と矢』は渡すわけにはいかねーっ! 絶対になあ――っ!!」
「勘違いするなよ! その『弓と矢』は後だ…気になるのはこの『箱』でよ――っ!」
『ドラアッ!』
「!?」

駆け出した仗助は形兆を素通りすると、彼の父親が一心不乱に漁っていた箱に『クレイジー・ダイヤモンド』の拳を叩きつける。
そして壊れた箱が『クレイジー・ダイヤモンド』の能力で元の形に戻った時、空っぽだったはずの箱の中には少し色褪せた一枚の写真が入っていたのだ。

「!!」
「…千切れた紙切れのようなものを摘んでいるから何かと思ったらよ…なるほどな」

ただの紙切れから幸せそうな家族四人が写る写真に戻ったそれを手に取った形兆の父親は、目から大粒の涙を流しながら大きな声を上げて泣き出した。

「…………」
「か…家族の写真…い、意味があったんだよ! 10年間繰り返していたと思っていたこの動作には意味があったんだよッ!」

変わってしまった父親の今までの行動は、何も考えずに行われていた無駄なものではなく、記憶の中にいる当時の息子や妻を探し出そうとしていたものだったのだ。

「今のことは分からないのかもしれない。でも…彼の心の底には思い出があるんだよ! 昔の思い出が…!」
「……っ、…」

康一の声と家族写真を見ながら号泣する父親の姿に、ギリギリと奥歯を噛みしめていた形兆だったが、やがて静かに俯くと、ずっと握っていた父親を繋いでいる鎖を手放した。
呆然と床を見ながら佇む形兆に、仗助はぶっきらぼうではあるが『殺す』スタンド使いではなく『治す』スタンド使いなら、一緒に探してもいいと告げる。

「……!」
「けど、その『弓と矢』は渡しなよ……ブチ折っからよ」

これ以上無駄な犠牲者を増やす訳にはいかないため、仗助は形兆に向かって手を差し出す。
その差し出された仗助の手を見た形兆は、考えるように手元の『弓と矢』に目を落とすが、仗助に『弓と矢』を渡すことなく少しずつ後退りを始めてしまう。
徐々に離れていく形兆に仗助は「逃げる気なのかよ?」と距離を詰めようとするが、仗助が近づくよりも先に「兄貴…もうやめようぜ…」と形兆を止めるような声が響いた。

「! …億泰…、」
「なあ〜…こんなことはよ〜、もうやめようぜ…なあ?」

仗助と形兆の闘いには一切口も手も出さないと言って家の外に出ていた億泰は、いつの間にか部屋の前で話を聞いていたようで、目元を少し赤くしながらゆっくりと形兆に近づいていく。

「親父は治るかもしれねーなあ〜…肉体は治んなくてもよぉ、心と記憶は昔のお父さんに…戻るかもなあ〜」

一歩一歩、ゆっくりと確実に形兆との距離を縮めていった億泰は、戸惑いに揺れる兄の姿を見つめながらぐっと『弓』を掴んだ。
しかし億泰が『弓』を掴んだ瞬間、戸惑いを見せていた形兆は「……億泰、なに掴んでんだよっ!」と、鋭い眼光で億泰を睨みつける。

「…あ、兄貴…」
「どけェ億泰っ! 俺は何があろうと後戻りすることはできねえんだよ…! この『弓と矢』で町の人間を何人も殺しちまってんだからな〜!」
「…っ、…」
「それに俺は既にてめーを弟とは思っちゃあいない! 弟じゃあねーから躊躇せずてめーを殺せるんだぜーっ!」

形兆の凄まじい咆哮に億泰は何も言えなくなってしまい、ただキツい眼差しを向けてくる兄を悲痛な面持ちで見ることしか出来なかった。
そんな虹村兄弟のやり取りをじっと見つめていた仗助だったが、不意に天窓から差し込む陽射しに不自然な影が掛かったことに気づき、咄嗟に顔を上げる。

「おめーらよ……この親父の他に、まだ身内がいるのかよ?」
「!?」
「身内?」

天窓から部屋の中を窺っている一つの人影に、仗助が形兆や億泰に家族構成を尋ねる。
そして億泰が「俺達は三人家族……」と不思議そうに答えたその時――。

 ――バチバチバチッ!

「!!」

億泰の背後にある壁のコンセント部分から、嘴を持った鳥のような恐竜のような風貌をしたモノが姿を現したのだった。

「(! こ…こいつは…!)」
「(コ…コンセントの中から…!)」

形兆は見覚えのある『スタンド』の姿に、仗助は小さなコンセントから姿を現したことに驚いていると、全身電気で出来ているスタンドは未だ何が起こっているか理解していない億泰に向かって手を伸ばした。

「(お…億泰のやつが…)」

億泰と向き合うように立っている形兆にはその光景がはっきりと確認出来るため、彼は『弟』
に近づく脅威にぐっと表情を険しいものに変えて「億泰ゥーッ!」と、大きな声でその名を叫んだ。そして――。

「ボケッとしてんじゃあねーぞッ!」

形兆は「どけェッ!!」と叫びながら、背後のスタンドに気づいていない億泰を思い切り殴り飛ばしたのだ。
遠慮のない拳で殴られた億泰は仗助と康一がいる方へ飛んでいき、億泰と立場を入れ替えた形兆は――スタンドの伸ばされた手によって腹部を貫かれてしまった。

「ガフッ、」
「あっ! 兄貴ィッ!」
『この「弓と矢」は俺が頂くぜ……虹村形兆ッ! あんたにこの「矢」で貫かれて、スタンドの才能を引き出されたこの俺がなーっ!』
「き…貴様、ごときが…この『弓と矢』を!」
『虹村形兆…スタンドは精神力と言ったな…俺は成長したんだよ! それとも我がスタンド「レッド・ホット・チリ・ペッパー」がこんなに成長すると思わなかったかい?』

ニタニタと人を馬鹿にするような笑みを浮かべて背後から顔を覗き込んでくる『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に、形兆は咄嗟に抵抗しようと自身のスタンド『バッド・カンパニー』を出現させる。
しかし小さな軍隊が攻撃を開始するよりも先に「うるせえぜ!」と叫んだ『レッド・ホット・チリ・ペッパー』により、形兆の体と彼の手にある『弓と矢』が電気へと変わってしまった。

「おあああアアァッ!」
「!!」
「こ…これはっ!」
「お…億泰の兄さんが電気にッ! それに『弓と矢』までッ!」

形兆の痛々しい絶叫が部屋に響き渡る中で、億泰と仗助、康一の三人は生身の人間だった形兆が電気へと変わっていく様に驚愕し、これでもかと目をかっ開く。
そんな彼らの前で電気と化した形兆がコンセントの中に引きずり込まれそうになっているその時、血相を変えた承太郎と花京院、そして二人に助けを求めた名前が部屋の中へと飛び込んできた。

「仗助ッ! 康一くんッ!」
「!!」
「名前さん…ッ!」
「仗助! この状況はッ!?」
「承太郎さん! 詳しい説明は後でじっくり話すっス! それよりも今は億泰の兄貴と『弓と矢』がッ!」
「っ、…『法皇の緑』!!」

まだ何の状況も把握していないが、探し求めていた『弓と矢』と、それを持つ学生服の男がスタンドによって引きずり込まれそうになっている光景に、花京院は咄嗟に『法皇の緑』で引きずり出そうと形兆に向かって伸ばす。
しかし『法皇の緑』の手が形兆に触れるよりも前に、形兆自身がもの凄い剣幕で「俺に触るんじゃあねえッ!」と花京院に声を上げた。

「…っ!」
「てめーも、ひ…引きずり込まれる…ぜッ!」
「っ、あ…兄貴ィ!」
「億泰…おめーはよお…いつだって俺の足手まといだったぜ…!」

花京院の行動を制した形兆はどんどんコンセントの中に引きずり込まれる中で億泰に目を向けると、最後だとでも言うように吐き捨てる。
そして――。

「うおぉぉあぁぁッ!!」
「兄貴ィ――ッ!!」

形兆は何一つ残さず『レッド・ホット・チリ・ペッパー』と共に、コンセントの小さな穴の中へと消えていってしまった。
残された億泰が悲しい叫び声を上げる横で、仗助は怪我をしている脚や腕に構うことなくキャビネットの上に飛び乗ると、その勢いのまま天窓を割りながら屋上へ飛び上がる。
忙しなく首を動かして辺りに人がいないか仗助が確かめていると、彼に続いて承太郎が屋上へ姿を現した。

「仗助!」
「今…確かに本体らしきやつが、この窓から覗いてたんスよ――」
「なに?」
「億泰くん…手、離すよ…」
「お、おう…」

承太郎と共にスタンドの本体を探すように定禅寺の住宅街を見下ろしていた仗助は、名前に連れられ屋上に上がってきた億泰に『レッド・ホット・チリ・ペッパー』のことや、本体のことを何か知らないかと尋ねる。

「い、いや……兄貴は俺の知らねえところで何人かスタンド使いを見つけてたからよぉ…」

あくまで『弓と矢』を使用していたのは形兆だけだったらしく、ほぼスタンド使い探しに関与していない億泰は仗助の質問に首を横に振る。
そして億泰も本体を探そうと仗助達とは反対方向を向いたその時、彼の目にはとんでもないものが映り込んでしまった。

「じょ…仗助〜〜っ、あ…あれを……!」
「!」

億泰と億泰の震えた声に呼ばれた仗助が見たもの、それは――電線にだらんとぶら下がる、黒焦げになってしまった形兆の姿であった。

「…………」

兄の変わり果てたその姿を見て呆然とする億泰に、仗助は「……億泰……」と声を掛け、承太郎と名前は小刻みに揺れる兄を亡くしてしまった少年の背中をじっと見つめた。

「兄貴はよ……ああなって当然の男だ……真っ当に生きれるはずかねえ、宿命だった……でもよ……」
「…………」
「でも兄貴は最後にッ! 俺の兄貴は最後の最後に俺を庇ってくれたよな〜っ!? 仗助ッ! 見てただろォ!?」

既に弟だと思っていないと言いながらも『レッド・ホット・チリ・ペッパー』から殴ってまでして危険な立場を入れ替えた兄に、億泰は必死な形相でその場にいた仗助に同意を求める。

「…ああ、確かに見たよ……おめーの兄貴は、おめーを庇ったよ」

泣き出しそうな、悔しそうな表情で形兆の最後の姿を目に焼きつけるように見つめている億泰に、仗助は大きく頷いたのだった。

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