杜王町で人々を『弓と矢』で射り、スタンド使いを増やしていた虹村形兆が『レッド・ホット・チリ・ペッパー』というスタンドを持った者に殺害されてから、早くも数日が経った。
依然として形兆を殺害した者と奪われた『弓と矢』の行方が分からず、承太郎と花京院は共に帰国を延期してその行方を追うことになった。そんなある日のこと――。

 ――トゥルルルル、トゥルルルル。

宿泊しているホテルの部屋で一人調査を進めていた承太郎の耳に、着信が来たことを知らせる電話の呼出音が聞こえてきた。
承太郎は暫くの間視線を落としていた杜王町の地図をソファーの端に置くと、窓際にある小さなデスクの上で鳴り続ける電話の受話器をガチャッと手に取り、それを静かに耳に当てる。
するとスピーカーを通して『空条……承太郎さんですか?』と、承太郎の身分を確認するような声が彼の鼓膜を震わせた。

「……聞き慣れない声だな。誰だ? そういうあんたは?」
『…誰でもいいさ…空条承太郎、あんた…この杜王町から出てってくださいよ』
「…………」

何の脈絡もなく告げられた杜王町から追い出すような言葉に、承太郎はホテルの大きな窓から見える町の景色を眺めながら、淡々と相手に向かって「何者か分からないヤツからいきなり理由もなく出て行けと言われてもな」と答える。

「あんたが俺だったら素直に出て行くかい?」
『…「弓と矢」を持っている者ですよ』
「!!」
『虹村形兆の「弓と矢」を頂いたのはオレです…あんたを殺してもいいんですが…何でも承太郎さん、あんた時間を1秒か2秒ほど止められるらしいですねェ?』

どこで情報を手に入れたのか『星の白金』の能力や性能を知っている様子の男は、承太郎のことを手強い相手だと判断したらしく、直接手を下すよりも先に、まずは電話で忠告をすることにしたようだ。

「『弓と矢』で何をするつもりだ?」
『別にあんたにゃあメーワクはかけませんよ。東方仗助や花京院典明だって、邪魔さえしなければこっちからは何もしやしません』
「………」
『オレはせっかく「スタンド能力」っつーもんを身につけたんだ…ちょいと面白可笑しく生きたいだけです』

『受験』や『就職』などと言った煩わしい人生は真っ平だと何気なく男は語ったようだが、言葉の節々に年齢を示唆するような単語が出てきたことに気づいた承太郎は、男に「学生か? お前?」と直球な質問を投げ掛ける。
そしてその承太郎の質問と読みは図星だったようで、受話器の向こうで一瞬息を詰まらせた男は『ンなこたあどーでもいいだろうッ!』と、声を張り上げた。

『いいかいッ! あんましオレの町に長居するよーだったらよォ…あんたも仗助達も殺しますぜ! いいですねッ!?』
「他に何人のスタンド使いがこの町に…?」

音割れする程がなり立ててくる男に承太郎は耳から少しだけ受話器を遠ざけると、スタンド使いの情報を得ようと男の脅し文句など無視して冷静に尋ねる。
しかしその瞬間、持っていた受話器からバチバチッと強い電気が流れ出したため、承太郎は咄嗟に受話器を放り投げた。そして――。

『クックックッ、』
「…………」

キャパシティを超える電圧を流されたホテルの電話は爆発を起こしてしまい、飛び散った破片が承太郎の頬に小さな切り傷をつけた。
つーっと傷口から流れる真っ赤な液体を気にすることなく承太郎が焦げて二つに割れた電話を見下ろしていると、喉を鳴らして笑っていた男が『いいですかい? 承太郎さん』と、彼の名を呼んだ。

『もし、忠告を受けないよーでしたら……あんたが大事にしてる名前にも手を出しますぜ』
「…………」

壊れた電話からスタンドを通して一方的に話を続けている男が名前の名を呼んだ瞬間、承太郎の眉間には深い皺が刻まれた。

「名前に何かしたら、てめえもただじゃあ済まなくなるぜ」

誰もが震え上がりそうな程のドスの効いた声で顔も知らぬ男に告げた承太郎は、もう何も聞こえなくなってしまった壊れた電話を、その鋭い眼光で睨みつけたのだった。


* * *


承太郎が『弓と矢』を持っている男からの電話を受けていた頃、杜王町の西側にある国見峠霊園という小さな霊園で、一つの墓石の前で静かに手を合わせる名前の姿があった。
線香特有の匂いが鼻腔を擽る中、名前は閉じていた瞼をゆっくり開けると、現れた蒼い瞳で墓石に彫られている『虹村家』の文字をじっと見つめた。

「……仗助と億泰くんからお父さんのことと、あなたのことを聞いたの…」

先日の悲惨な事件の後、名前は承太郎と花京院と共に仗助から虹村家に起きた全ての出来事、つまり『弓と矢』を使って杜王町でスタンド使いを増やすことに至った理由を聞いていた。

「…何の関係もない、罪のない人を手にかけるのは、確かにやってはいけないことだけど……あなたの気持ちは痛いほど分かるよ」

自分の人生を捨ててまで父親のためにと長い間奮闘し、自分の命を投げ打ってまで弟を助けた形兆の行動を知った名前は、形兆と何か通ずるものを感じていたのだ。

「家族のためなら何だって出来るし、自分の命だって張れちゃうんだよね……不思議と」

形兆が敵スタンドに襲われそうになっている億泰を身を呈して守ったように、自分も敵に襲われそうになっている神楽の前に飛び出したことがあったなと思い返した名前は、形兆と自分は似ているところがあると小さな笑みを零した。
そして形兆と似ているからこそ彼ら虹村家をどうしても放っておけない名前は、差している日傘の持ち手をぎゅっと握ると、この場所に眠っている形兆に意思の強い目を向けた。

「…勝手なことだし、DIOと親しい私が家族に関わることは嫌かもしれないけど……私はあなたが最後まで守った億泰くんと、救いたいと思っていたお父さんの力になりたいと…思ってる」

DIOがしてしまったことの罪滅ぼしの気持ちもない訳ではないが、それよりもただ純粋に形兆が大切にしていた億泰と父親のために自分の出来ることをしたいと、名前は人知れず決意していたようだ。

「私に出来ることは少ないだろうけど…それでもあなたの代わりに彼らを守ることくらいは、私にも出来る」

体を張ることには慣れているのだとニッと口角を上げて見せた名前は、最後に「だから…ゆっくり休んでていいよ」と形兆に告げると、手桶を持って墓石の前を後にした。

「…なんか、落ち着いたら甘いもの食べたくなっちゃったなぁ…」

形兆のお墓参りを済ませ、自分の意思も伝えられたことで一気に肩の力が抜けた名前が、ぽつりと呑気な独り言を呟きながら杜王駅に向かっていると、その独り言に答えるように「でしたら…僕と一緒にお茶でもいかがですか?」と男性から声を掛けられた。

「!!」

典型的なナンパのような台詞ではあるが、耳に届いてきた聞き覚えのある声に名前がパッと顔を声のした方に向けると、そこには穏やかな笑みを浮かべた花京院の姿があった。

「…典明…、」

先日の唐突で慌ただしい再会を果たしたっきり『弓と矢』の行方を追うことに忙しく、全く会う機会のなかった花京院が今現在目の前にいることに、名前の目が大きく見開かれる。
そんな名前の目を真ん丸にした驚き顔にくすっと小さな笑い声を漏らした花京院は、綺麗に磨かれた革靴をこつりと鳴らしながら名前の元に近づいていくと、柔らかな薄紫色の瞳で上目遣い気味の海のような蒼色を覗き込んだ。

「僕とご一緒していただけますか、名前さん」

記憶の中の少年よりも更に知的に、そして余裕のある素敵な大人に成長した花京院の甘い誘惑に、名前は「は、はい…」と小さく首を縦に振ることしか出来なかった。


* * *


「…わあ…っ!」

花京院に誘われて杜王駅東口広場にあるオープンカフェ併設の『カフェ・ドゥ・マゴ』にやって来た名前は、店員によって目の前に置かれた他の店より少し大きめのチョコレートパフェに目をきらきらと輝かせていた。

「の、典明っ…!」

甘い香りを漂わせる魅惑のパフェを嬉しそうに見つめていた名前は、お茶代を全て持つと言ってくれた向かい側に座る花京院に「本当に食べてもいいの?」と、言いた気な目を向ける。
そんな子犬のようなうるうるとした大きな目で訴えてくる名前に思わず破顔した花京院は、その目を優しく見つめ返すと「僕のことは気にせず、どうぞ召し上がってください」と、名前に向かってパフェ用の細長いスプーンを差し出した。

「ありがとう!」

見えない尻尾をぶんぶんと振りながら花京院からスプーンを受け取った名前は、行儀よく「いただきます!」と手を合わせると、至福の一口目であるチョコレートソースがたっぷりとかかった生クリームを口に含んだ。

「美味しい〜〜っ!」

途端に蕩けてしまうのではないかと言うくらいゆるゆるに顔を緩ませた名前は、どうやら一口目で『カフェ・ドゥ・マゴ』のチョコレートパフェの虜になってしまったようだ。

「…しあわせ…」
「ふふっ…それは良かったです」

相変わらずとても美味しそうに、そして見ている者まで満たされる程幸せそうに大きなパフェを夢中で食べ進めていく名前に、花京院は愛おしそうな目を向けながら注文した紅茶のカップに口をつけた。

「…おや、」

そして時間にしてほんの数分、昔ジョセフが言っていた通り何かを食べている時が一番可愛い瞬間である名前を花京院が眺めていると、名前の前にあった大きな甘いタワーは、跡形もなく彼女の薄いお腹の中へと消えてしまっていた。

「ごちそうさまでした!」

再び行儀よく手を合わせて満足そうに顔を綻ばせている名前に、その食べっぷりを見ていた花京院も満足そうに笑う。
しかし花京院は「名前さん」と彼女の名を呼ぶと、男性にしては線が細く綺麗な手を唐突に名前に向かって伸ばし始めたのだ。

「……?」

自分に向かってくる花京院の手に名前が不思議そうに首を傾げていると、花京院は「チョコレート、ついてますよ」と言って、自身の親指で名前の柔らかな下唇をそっと拭った。

「…っ、あ…ありが、とう…」

少しだけ唇に触れてすぐに離れていった花京院の手とその行動に、名前が戸惑いと羞恥心を見せながらも花京院に礼を言うが、彼は微笑んだ後にあろうことか名前の唇を拭った親指をぺろりと舐めてしまったのだ。

「なっ!?」
「…ん、思ったより甘いんですね」
「ま、また…っ!」

10年前にも砂漠のど真ん中で揶揄うようにされた行動を、まさか大人になった花京院にまでされるとは思いもしていなかった名前は、ぼっと火がついたように暑く、そして赤くなった顔を隠すように両手で覆った。

「ま、前も思ったんだけどさっ!」
「名前さん…?」
「…あ、あんまりこういうことするの…よ、良くないと思います…」
「え?」

唐突に敬語で名前から注意のようなものを受けた花京院が今度は首を傾げていると、顔を覆っていた手を外して花京院の様子をちらりと窺った名前が「か、勘違いするから…」とか細い声で呟いた。

「勘違い、ですか?」
「…典明からしたら何気ない行動かもしれないけど…女の子からしたら自分に、こ…好意があるのかなとか、思っちゃうし…」
「………」
「…だからこういうことは、その…好きな相手とかに――」
「僕は誰にでも思わせぶりな態度を取る程軽い男じゃあない」
「…っ!」

殺伐とした場以外ではいつも柔和な花京院の、初めて聞く怒ったような一段と低い声と食い気味な態度に、名前はびくりと肩を跳ねさせる。
そして驚きと動揺を表しながら名前が恐る恐る花京院に目を向けると、いつになく真剣味を帯びた薄紫色の瞳とかち合った。

「名前さんはそんなに僕が思わせぶりな態度を取る、軽薄そうな男に見えますか?」
「っ、…それは…」
「……あの日から10年、ずっとあなたのことを想っていたのは――承太郎やDIOだけじゃあないんですよ」
「!!」
「ずっと名前さんに逢いたいと、名前さんに触れたいと、恋焦がれていたのは……僕だって同じだ」
「…のり、あき…」
「僕は初めて会った時から名前さんのことが、名前さんのことだけが好きなんです」
「…っ、…」

10年越しに打ち明けられた名前だけが知らない花京院の甘く切ない秘められた想いに、名前の大きく開かれた目がゆらりと揺れ動く。

「名前さんと幼馴染みの承太郎や、名前さんの『過去』を見ていたDIOに比べれば僕はまだまだ名前さんのことを知らない……だけど、あなたが好きだと言う気持ちはあの二人にだって負けていない」

長年堰き止めていた名前に対する想いを放流するかのように一気に吐き出した花京院は、突然の告白にいっぱいいっぱいになっている名前の白い手に、自身の手を重ねた。

「…っ、…」
「僕が女性をお茶に誘うのも、こうやって触れるのも…名前さんだけです」
「…の、典明…っ」
「今も昔も唇を拭ったのは名前さんに少しでも意識してほしいからなんです……だけど、それで名前さんにあらぬ方向に勘違いされてしまうのなら、僕はもうこれから回りくどいことはしません」

揺れ動く蒼い瞳を真っ直ぐ射抜きながらそう告げた花京院は、重ねていた名前の手を優しく取ると、少しだけ身を乗り出して愛を誓う王子のようにその手の甲に小さなキスを落とした。

「〜〜っ!!」
「これからは遠慮なんかしませんので、覚悟しておいてくださいね――名前」

柔和な笑みの奥に隠れる雄々しい瞳に見据えられた名前は、とうとうぴたりと思考も動きも止めてしまったのだった。


その日の夜――。

「もう〜〜っ! 今後どういう顔して典明と会ったらいいの…っ!!」
「ちょっと仗助! あんたボサッとしてたら名前ちゃん取られちゃうわよ!?」
「…は…?」

東方家ではソファーにあるクッションに顔を埋めて悶えている名前と、もの凄い剣幕で息子に詰め寄る朋子と、全く状況が掴めずぽかんと間抜けな表情をする仗助の姿が見られたとか。

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