町の中心部から少し離れた海が見渡せる小高い野原に、珍しく一台のバイクと一台の自転車が停められていて、その近くにはそれぞれの持ち主である億泰と康一の姿があった。
彼らはどうやら暫くこの見晴らしのいい野原にいるらしく、億泰は「また虫に刺されたじゃんかよ〜」とぼやきながら、ぷくっと小さく腫れた手の甲をポリポリと掻いていた。
そんな虫を集めやすい億泰のことを何となく眺めていた康一だったが、静かだったこの場に自分達のものではない足音が聞こえてきたことに気づき、パッと後ろを振り返る。
すると康一の目には、こちらに向かって来ているもう一人の友人の姿が映ったのだった。

「あっ! 仗助く〜ん!」
「おう、待たせたな」
「なんの話だよ仗助〜〜? こんな薄ら寂しい所に呼び出してよォ〜」

ゆっくりと歩いてくる仗助の姿を康一同様視界に捉えた億泰は、未だに痒みが治まらない手を掻きながら話をするならいつもの喫茶店か、最近見つけたトラサルディーというイタリアンレストランでは駄目だったのかと不満を垂れる。

「ここに呼び出したのは俺じゃあねーぜ。承太郎さんだ…」
「承太郎さんが……? 何の用かな?」

こんな辺鄙な場所で改まってする話とは何だろうと康一が首を傾げていると、昨夜の出来事を思い出した仗助がぐっと眉を顰めながら「『チリ・ペッパー』のことだろうぜ……」と苛立たしげ告げる。

「え!?」
「!!」

その名に酷く聞き覚えのある康一が仗助の言う『チリ・ペッパー』が、あの『弓と矢』を奪っていった『レッド・ホット・チリ・ペッパー』のことかと驚愕しながら聞き返していると、唐突にバキッと何かが折れるような音が仗助と康一の鼓膜を揺さぶった。

「……っ、……」

音が聞こえてきた方へ仗助と康一が顔を向けると、そこには今しがた折ったばかりの木の枝を握りしめ、怒りに震える億泰の姿があった。
明らかにいつもとは違う殺伐とした空気を纏う億泰に、康一はごくりと固唾を飲み込んだ。

「……現れたのか?」
「ああ、現れた……昨夜俺んとこにな」
「てめーっ! なんですぐに俺に言わねーんだあ――ッ!?」

仗助が肯定した途端大きく叫んだ億泰は、握りしめていた木の枝を仗助の眼前に突きつける。
今にもその枝を仲のいい仗助に突き刺しそうな億泰の迫力に、康一はやはり億泰は兄の形兆を殺した『レッド・ホット・チリ・ペッパー』を相当恨んでいるのだと嫌でも実感してしまい、冷たい汗を垂れ流す。
そんな康一など今や眼中にない億泰が、怒りと興奮から荒くなった息を吐き出しながら鋭い三白眼で仗助を睨みつけていると、嫌な空気が流れるこの場に「俺が仗助に黙ってろと言ったのだ」と低く落ち着いた声が木霊してきた。

「!!」
「電気の通っている町中じゃあ……やつの話をするのは危険だ」
「承太郎さんッ!」
「こんな野原に集めたのも話を聞かれないためだ…」
「…っ、…」

電気が通る場所であれば自由自在に移動出来る『レッド・ホット・チリ・ペッパー』の対策としては万全な手を尽くしている承太郎に、億泰は何も言い返すことは出来ず、歯をギリッと噛みしめながら突きつけていた腕を下ろした。
どこに向けたらいいのか分からない怒りを心身に溜め込む億泰の姿を見た仗助は、億泰の名を呼ぶと「俺だってよぉー…『チリ・ペッパー』にゃあ完全に頭にきてる!」と、自分自身の怒りを露わにした。

「やつは知らねー間に人ン家に入り込んでやがった…名前さんなんか着替え覗かれてたうえに、やつに思いっ切りブン殴られたしよぉ〜」
「!!」
「えっ!? 名前さんがッ!?」
「…………」
「ああ。ずっと名前さんにバレねえように覗いていやがったんだ……だから、話を聞いたり物をカッパラったりはやつの自由さ…」
「そういやあこの間! キチッとやったはずの宿題が朝起きたら机の上から消えていたッ! てっきり僕はうちの母さんがゴミと間違えて――」
「ンなこたー大したことじゃあねえだろッ! 康一ィ――ッ!」

大分お門違いなことに腹を立てている康一の言葉を食い気味に遮った仗助は、自分が言いたいことは『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は承太郎や花京院を始めとした『正体を探る者』がいるから騒ぎを起こさないだけであり、その気になれば頭にきた人間の命をいとも容易く電線の中に引きずり込むことが出来るということだと、力強く語った。

「『弓と矢』でブッ刺すのはもちろん……もう既に誰かがそーなってるかもしれねえッ!」
「…っ、」
「やつは力を付けているのを俺は実感した! それに…名前さんに手ェ出した分の借りをどーしても返してえからよぉ〜……早いとこやつの『本体』を見つけ出さなきゃなあ――ッ!!」
「で…でもっ、どうやって…?」
「その方法を考えるために集まったんだろ? 承太郎さん…」
「……いや、少し違う…」

承太郎はギラついた瞳を向けてくる仗助の同意を求めるような問い掛けに首を横に振ると、疑問を抱いている仗助達を見据え「『見つけ出すことはできる』のだ」とはっきり言い放った。

「「「!!」」」
「『見つけ出すことのできる人物』が、今日の正午に杜王町の港に到着するからだ!」
「え〜〜っ!?」
「見つけ出せる――!?」
「スタンド使いかよっ、そいつ!?」

驚愕の事実にこれでもかと目を見開きながら尋ねてくる仗助達に短く相槌を打った承太郎は、一人冷静に淡々とその『見つけ出すことのできる人物』の特徴を伝えていく。

「スタンド名は『隠者の紫』……ただ、その男は歳をとり過ぎていてな…とても闘える体力はない」
「歳…? そいつ何歳スかぁ? 承太郎さんの知り合いスか?」
「ああ、とてもよく知っている男だ。名前とも仲が良くてな……昔は結構マッチョな肉体をしていたが、今は見る影もない…80…いや、79歳だったかな…」
「79ゥ!? くそじじいじゃあねーかよッ!」
「確かに足腰は弱くなって杖をついているな…2年前に胆石除去の手術をしたし、白内障も患った……歯は総入れ歯で、Tボーンステーキが食えないと嘆いていたよ」

承太郎の口から次々と出てくる不安要素しか感じられない『見つけ出すことのできる人物』の特徴に、億泰と康一と戸惑い気味に顔を見合わせていた仗助は、その人物がボケ始めていると聞いて「勘弁してくれよぉーっ」と額に手を当て空を仰いだ。
そんな仗助の姿を一瞥した承太郎は「そのじじいを守るためにお前らに集まってもらったのだ」と、ここへきて初めて辺鄙な場所に集合を掛けた理由を告げた。

「もし、じじいの存在を『チリ・ペッパー』に知られたら、やつはじじいを殺すだろう!『チリ・ペッパー』にとっちゃあ『本体』を探されるのが一番恐れていることだからな」
「はあ、…でもそんなじじい、本当に役に立つんスかぁ?」
「止めたんだがな…『弓と矢』のことと名前が杜王町にいることを知ったら勝手に日本に向かって来たというわけだ」

どこにそんな力が残っていたのか知らないが、こちらが驚くほどの行動力でSPW財団に自ら連絡を取り、周りの制止の声を無視して瞬く間に出港してしまった『じじい』に承太郎が溜息を吐いていると、何やら『日本』という単語に疑問を抱いた様子の康一に承太郎は自身の名を呼ばれた。

「承太郎さんっ、その人…外国人ですか?」
「ああ」
「っ、…仗助くんッ! た、大変だッ!」
「え? なに? なんだぁ?」
「仗助くん! 79歳で外国人のスタンド使いと言ったらッ!」

康一の勢いに初めは訳が分からず気圧されているだけの仗助だったが、ふと康一の言わんとしていることに気づいてしまったようで、仗助は「まっ、まさかッ!」と顔色を変える。
そして脳裏に過った一人の人物名と、承太郎が今まで話していた人物が同一の者であるのか確かめようと、仗助が承太郎に勢いよく視線を向けたその時――。

 ――ブォンッ!

「「「「!!」」」」

この場にいる誰もが触れていないのにもかかわらず、突然停めてあった億泰のバイクが勝手にエンジンを吹かしたのだった。
その音に反応を示した四人が一斉に億泰のバイクへと視線を向ければ、何もない空間からバチバチッと電気の跳ねる嫌な音を響かせながら『やつ』が姿を現した。

『確かに……聞いたぞ……』
「『レッド・ホット・チリ・ペッパー』!?」
「な…なぜェ〜!? ここには電線なんかないのになぜ!?」

話を聞かれないようにと用心した承太郎によって選ばれた電気の通る物がない野原に、なぜ『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は現れることが出来たのかと康一が頭を抱えていると、ニタリと得意気に笑って何度もエンジンを吹かす『レッド・ホット・チリ・ペッパー』を見た承太郎が、盲点であったあることに気づく。

「バイクのバッテリーだ! しまった…バッテリーの中に潜んで尾行していたのか…!」
「俺のバイクに!?」
「聞かれたぜッ!」
『正午に……「港」だとォ? このオレを探し出せる老いたスタンド使いだとぉ〜〜っ!?』

最初から全ての話を聞いていた『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は苛立たしげに一際大きくエンジンを吹かすと、ビシッと承太郎を指差して『その老いぼれはッ! 港に到着と同時に必ず殺すッ!』と、声高らかに宣言したのだ。

「じじいのことを知られてしまった…つまり、仗助の父親のことを…!」
「「「!!」」」

予期せぬタイミングでの答え合わせに仗助と億泰、康一の三人が驚きに目を見張っていると、バイクの上に跨っていた『レッド・ホット・チリ・ペッパー』はそのまま億泰のバイクを拝借して、この場から猛スピードで走り去ってしまう。

「こいつはまずいな…このまま逃げられたらじじいの所に先に行かれてしまう……それに、港にはこの緊急事態を知らねえ名前と花京院がいる…!」
「なに!?」
「仗助くん! 岩をぶつけてあのバイクを破壊するんだよ――ッ!」

とにかく何でもいいからこのまずい状況を打開しようと、康一が野原に複数転がっている岩を指差してスタンドパワーの強い仗助に咄嗟に浮かんだ策を伝えていると、二人の間に「いや待ちなあ――っ」と億泰が割って入る。

「あの野郎はよォ――ッ! 因縁的によォ――ッ!! この虹村億泰が仕留めるッ!!」

億泰はそう決意したように声を張り上げると、自身のスタンドである『ザ・ハンド』で次々と空間を削り取っていく。そして――。

『ゲッ! 形兆の弟!』
「てめーは……俺の相手だ!」

瞬間移動のごとくあっという間に『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に追いついた億泰は、殺意の籠った目で睨みつけると、躊躇いもなく『ザ・ハンド』の右手を振り下ろした。


* * *


色鮮やかなコンテナと大きなクレーンがよく目立つ杜王港に、そわそわしながら果てしなく広がる水平線を眺めている名前の姿があった。

「…ジョセフおじいちゃんまだかなぁ?」

大好きな祖父と久しぶりに会う小さな子供のように「まだかな、まだかな」と、ジョセフが乗る船が見えるのを待っている名前の姿に、承太郎から『万が一の時の備え』として用意してほしいと頼まれたモーターボートを桟橋にある係船柱へとロープで繋いでいた花京院は、くすっと小さな笑みを浮かべた。

「これだけ名前さんが会うのを楽しみにしていたって知ったら、ジョースターさん飛び跳ねて喜ぶでしょうね」
「だって承太郎と典明と同じでジョセフおじいちゃんと会うのも久しぶりなんだよ? そりゃあもう楽しみだよ〜!」
「ふふっ…でもジョースターさんの浮気のことは怒っていたんでしょう? 承太郎から聞きましたよ」
「それはそれなの!」

茶化すように尋ねた花京院の方を振り返った名前は、心の底からジョセフと再会出来ることを楽しみにしているようで、弾けんばかりの笑顔を浮かべていた。
その笑みからして気を落としていたり、気に病んだりしている様子が見られない名前に、昨夜名前が『レッド・ホット・チリ・ペッパー』から受けた屈辱と暴力を仗助から聞いていた花京院は、良かったと安堵の息を吐き出した。
しかし、名前自身がいつも通り元気そうで安心したからといって、花京院の『レッド・ホット・チリ・ペッパー』とその『本体』に対する怒りが収まった訳ではない。

「(必ず見つけ出して制裁を加えてやる)」

10年前にも赤ん坊のスタンド使いに容赦のない制裁を加えた経験のある、実は一番怒らせてはならない花京院が静かに怒りの炎を燃やしていると、突然名前と花京院の二人しかいない杜王港に「名前さん! 花京院さん!」と、第三者の大きな声が響いてきた。
少し高めのその声に名を呼ばれた名前と花京院が後ろを振り返ってみれば、杜王港の入口から自分達の元へ駆け寄ってくる康一と、その後ろを歩いている承太郎と仗助、そして億泰の姿が目に映る。
彼らの姿に「あっ!」と嬉しそうに声を上げた名前が大きく手を振れば、承太郎達より一足先に名前と花京院の元へ着いた康一が、心底安心したように「お二人に何もなくて良かった!」と気持ちを吐露した。

「…え…?」
「何もって、」

何やら意味深な言葉を吐き出した康一に、名前と一度顔を見合わせた花京院が「何かあったのかい?」と尋ねてみるも、康一は余程急いで走ってきたのか息を整えるのに精一杯の様子で、とてもではないが冷静に話を聞けるような状態ではなかった。
それならばと、花京院が康一からこちらに歩いて近づいてくる承太郎に「何かあったのか?」という視線を投げ掛けてみれば、その意図を理解した承太郎が「少しまずいことになった」と淡々と告げた。

「まずいこと?」
「ああ……じじいのことを『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に知られてしまった」
「なんだって!?」
「っ、うそ…!」

承太郎から語られる別行動をしていた時に起こった一連の出来事に、名前と花京院には徐々に驚きよりも焦りの色が浮かび上がってくる。
中でもジョセフを本当の家族だと思っていて、その身を持って『レッド・ホット・チリ・ペッパー』の容赦のなさを知っている名前は「どっ、どうしよう…!」と、酷く動揺していた。
そんな名前を落ち着かせるように「大丈夫だ」と、傷のなくなった白い頬をするりと撫でた承太郎は、真剣味を帯びた鋭い眼差しを皮肉なくらい光り輝く海に向けたのだった。


* * *


アメリカのニューヨーク港を出港し、今や日本海の波をかき分けて進むSPW財団所有の『トラフィック号』の船内を、洗練された無駄のない所作で歩く男が一人いた。
その男は迷うことなくとある一室の船室に向かうと、軽く三回ノックしてから「失礼致します」と丁寧にゆっくりとドアを開ける。

「…………」

ドアを開ければ大きな窓から見える綺麗な海の景色と煌々とした太陽の光が――なんてことはなく、男の目に入ってきたのは真っ暗な闇にぼんやりと浮かぶ、金糸のような髪であった。

「あと20分程で杜王港に到着するそうです」

男はせっかくの景色を隠すように閉められた大きなカーテンと、それによって作り出された暗闇に驚くことなく、SPW財団の職員に聞いた情報を部屋のソファーに深く腰掛けている青年に告げた。

「……長かったな」

真っ赤なワインが入ったグラスを優雅に傾けていた青年は男が持ってきた情報に溜息混じりにそう呟くと、ワイングラスを音を立てずにテーブルの上にそっと置いた。
そして、その代わりとでも言うように懐から一枚の少し色褪せた写真を取り出した青年は、そこに写る最愛の女性の姿を甘く蕩けるような琥珀色の瞳で見つめた。

「…やっと、名前と逢えるのだな…」

笑顔で写真に写る名前の頬をするりと撫でた青年は、釣られるようにその端正な顔に優しげな笑みを浮かべたのだった。

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