鋭く光る翠色の瞳を海へと向けた承太郎は『星の白金』を出現させると、望遠鏡を使わずとも遥か先を見据えられる目で、先程まで名前が待ち望んでいた船を探す。

「…来てる……じじいの船が時間通りにな」

ジョセフが乗船している『トラフィック号』を『星の白金』を通してしっかりと視界に捉えた承太郎が、腕時計に目を落としながら「あと20分程の距離だな」と守るべき対象が近づいてきていることを口にすれば、冷や汗を流した康一に一つの疑問を投げ掛けられる。

「じょ…乗客はジョセフ・ジョースターさん一人だけなんですか?」
「ああ、乗客はじじいだけだ。後は全てSPW財団の人間と……いらねえおまけが二つってとこだな」
「…おまけ?」

どことなく棘があるような言い回しに康一が不思議そうに承太郎を見上げるも、少し眉間に皺を寄せた承太郎に「別に…気にする程のもんじゃあねえよ」とはぐらかされてしまった。

「それよりも、だ……スタンド『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は電気のある所しか動けねえが、やつは何が何でも海を越えてじじいの船に乗り込もうとするだろう」

再び視線を海に戻した承太郎は、ジョセフが乗る船に自分達よりも早く『レッド・ホット・チリ・ペッパー』に乗り込まれでもしたらこっちの負けだと、はっきりと言い切った。

「じじいは殺される」
「!!」
「っ、…ジョセフおじいちゃんが…、」

直球な承太郎の言葉に康一がひゅっと息を飲む中、落ち着かない様子で承太郎の横で話を聞いていた名前は、非情な現実に今にも泣き出しそうな悲痛な面持ちで自身のチャイナドレスを強く握った。

「……名前、あまり強く握んじゃあねえぜ」
「…っ、…」

ドレスにはきつく皺が寄り、手の甲には青い血管が浮き出て、細い指輪が他の指に食い込むほど力が込められている名前の右手に、そっと承太郎の大きな手が重なる。
そして、怪我を心配した承太郎が入り過ぎた力を抜かせるために名前の手をきゅっと包み込んだその時、桟橋の方から「承太郎」と名を呼ぶ花京院の声が鼓膜を震わせた。

「ボートのチェックは済んだよ。どこも異常なしだ」

ジョセフが乗る船を観察していた承太郎の背後で、杜王港の関係者から『万が一の時の備え』として借りたボートを仗助と億泰と共に調べていた花京院は、バッテリーなどに『レッド・ホット・チリ・ペッパー』が潜んでいないことを承太郎に伝える。
その結果に「そうか」と一言呟いた承太郎は、いつでも出発できると意気込む仗助へと視線を向けた。

「仗助! 船に向かうのは俺と花京院…そして名前と億泰の四人だ。お前は康一くんと一緒にこの港に残れ」
「残る!? 僕と仗助くんがですか!?」
「なんでだよッ!」
「仗助……今『チリ・ペッパー』の本体はこの港のどこかに隠れて、俺達を見ている」
「!!」
「俺達が動くのを待っているんだ。船の位置を確認するためにな…」

まるで本人の脳内を覗いているかのように『レッド・ホット・チリ・ペッパー』基本体の行動を明確に紡いでいく承太郎に、仗助を始め名前や康一、億泰までもが固唾を飲み込んだ。

「…だが、俺の予想ではやつは船を使わん。バッテリーがついていて、スピードがモーターボートより出ればいいんだからな」
「なるほど……バイクを使った時のように『チリ・ペッパー』をバッテリーのついた何かに乗せて飛ばせば…確実に僕達よりは早く船に着けるだろうね」
「飛ばすって……空にってこと?」
「ああ。今頃『チリ・ペッパー』は町の模型屋からラジコンを盗んでる…ってとこかな」

既に確信めいているのか口角を上げて自信たっぷりと笑う承太郎に名前が驚いていると、その話を聞いていた康一が「ラジコンの模型飛行機ッ!!」と大きな声を上げた。

「ありうるよ! スピードが乗れば模型飛行機とはいえ時速100km以上出るって言うよッ! このモーターボートより速いしッ!」

中々に模型飛行機に詳しい様子の康一はビシッと停めてあるモーターボートを指差すと、仗助に向かって操縦は『レッド・ホット・チリ・ペッパー』自身が行うため、燃料とバッテリーが続く限りどんなに遠くだろうと飛び続けることが出来てしまうと力説した。

「コントロールの電波には関係ない!」
「…っ!」
「だから仗助……おめーは何かが飛んだら、この港で本体を探せ。康一くんの『エコーズ』は射程距離50m…探すのを手伝える」

承太郎に見据えられた康一は、ここでようやく自分が港に残れと言われた理由と大役を任されていたことを理解したようで、己の意思を伝えるため承太郎へ力強く頷いて見せた。

「もしやつが俺達より先に進んだらじじいは終わりだ!『自分の父親』は、おめーが陸地で守れッ!」
「…………」
「分かったな……仗助…」
「ああ……一秒を競いそうな事態だっつーことが、よーく分かってきたよ…」

緊迫した状況に置かれていることを嫌でも実感した仗助は表情と気を引き締めると、本体が身を潜めているであろう杜王港全域に獲物を捕らえる狩人のような目を向けた。そして――。

「…仗助…気をつけてね、」
「ありがとな……康一」

港を離れる最後まで身を案じてくれた名前と、康一の励ましによって顔つきが変わった億泰を乗せて『トラフィック号』へ向かったボートを見送った仗助と康一は、太陽が高々と昇り清々しく晴れた空を見上げた。

「やつが…」
「と…飛ぶ、か…」

ボートが港を離れた今この瞬間、自分達の上空を承太郎の読み通りラジコンが飛ぶかもしれないと、仗助と康一が陽の光の眩しさに目を細めながら慎重に見回していると――。

『くそぉ〜っ、承太郎か……このオレの本体を探すためにお前らをこの港に残すとは…』
「「!!」」

突然悔しさと怒りを滲ませたような声が、上空を見ている仗助と康一の耳に届いてきたのだ。
背後から聞こえてきたその声に二人が反射的に振り返ってみると、港に幾つも設けられている排水溝の一つからバリバリッと黄色い閃光が走っているのが目に映った。

『ラジコン飛ばす作戦が完璧に読まれてるじゃあねーかよッ!』
「『レッド・ホット・チリ・ペッパー』!!」

再び仗助と康一の前に姿を現した『レッド・ホット・チリ・ペッパー』は『YEAH!』と陽気な声を上げると、手に持っているラジコン飛行機で一人の男の周りを器用に旋回し始めた。
堂々とその場に立っている奇抜な衣服を着た長髪の男に仗助と康一の目が見開かれる中、男は「空条承太郎…頭の切れる男だ」と感心しながら二人に一歩、また一歩と近づいていく。

「やっぱり、あの男だけには見つかりたくないぜ…」
「「!!」」
「このラジコン飛行機は5分あればジョセフ・ジョースターの船まで行ける。一方モーターボードは船まで8分から10分ってとこかな……つまり! 3分くれーでおめーらを始末すれば、余裕で追い越せるってわけだな――ッ!!」
「て…てめーが『チリ・ペッパー』の本体か…!」
「名前は音石明…19歳。まっ! このギターは気にしないでくれ」

にやりと口角を上げた音石は唐突にギターのピックを指で摘むと、何とそのまま仗助と康一の目の前で激しくギターを弾き始めたのだ。
そして、いきなり始まった演奏会に呆気に取られている二人を余所に、音石は世界中のオーディエンスに称賛される将来の自分を想像してうっとりと恍惚の表情を浮かべる。

「OH! YEAH…」
「………」
「お、思ってもみなかった…まさか本体の方から出てくるなんて……つまりっ、僕と仗助くんを『完全に殺せる』っていう確固たる自信があるッ!」

探す手間が省けたと喜ぶような状況ではないことに、さあっと顔を青褪めさせる康一へ音石が肯定するようにギターをかき鳴らすと、彼のスタンドである『レッド・ホット・チリ・ペッパー』が仗助に向かってすっと小指を立てた。

『お前の「クレイジー・ダイヤモンド」に対してはこの小指だけしか使わん…さっきの億泰のようになぁ〜〜』

挑発を兼ねた『レッド・ホット・チリ・ペッパー』の宣言を聞いた仗助は、康一に後ろへ下がるように指示をする。
そんな仗助の行動を闘う意思を見せたと判断した音石は、楽しげな笑いを零しながら「行くぜッ! 東方仗助ッ!」と、勢いよく闘いの幕を切って落としたのだった。


* * *


スピードをフルに出したボートで波を掻き分けながら進んだ名前達は、無事に『トラフィック号』と合流することが出来ていた。
ボートから船へとその身を移動させた承太郎と花京院は、SPW財団の職員に事の顛末を話しに行き、億泰は護衛の者としてすぐさまジョセフがいる客室に向かったのだが、ジョセフに一番逢いたがっていて一番心配していた名前は、一人港が見える甲板に残っていたのだった。

「…仗助と康一くん、大丈夫かな…」

潮風に流されてしまうのではと言うくらい静かに呟いた名前の瞼には、先程船に向かう途中のボートの上から見た、眩いくらいの電気に包まれた港の光景が焼きついて離れないでいた。
あの凄まじい電気を一点に集められるのは、電気を操れるスタンド『レッド・ホット・チリ・ペッパー』にしか出来ないことであるし、やつが電気を集めたと言うことは仗助や康一と闘っていると言うことでもある。
仗助の強さと康一の機転が利く柔軟な頭脳、そして二人の勇敢さを知っている名前であるが、やはり心配で心配で仕方がなくなってしまうのが名前という人物だった。

「……はぁ、……」
『名前さーんっ!』
「!!」

俯いた名前が大きな溜息を吐きながら縋るようにぎゅっと甲板の手すりを握っていると、今まさに無事でいてほしいと身を案じていた康一の声が名前の鼓膜を震わせた。
聞こえてきた康一の明るい声に勢いよく名前が顔を上げてみると、目の前に康一のスタンド『エコーズ』がふよふよと浮いているのが視界に入ったのだった。

「康一くん!」
『名前さん!「チリ・ペッパー」の本体を倒したよッ!』
「えっ! 本当!?」
『はいッ!』
「〜〜っ! 最っ高だよ康一くんッ!」
『うわぁっ!?』

嬉しそうに『レッド・ホット・チリ・ペッパー』及び、本体の音石明を倒したことを身振り手振りを加えて話す『エコーズ』を、その報告を聞いてようやく晴々とした笑顔を浮かべた名前が思い切り胸に抱き込んだ。
仗助と康一が無事であったこと、ジョセフに迫っていた危機が消えてなくなったことに心底安堵し喜ぶ名前は、自身の腕の中で慌てふためく『エコーズ』など気にも留めないで「本当によかったぁ〜!」と、ぬいぐるみを抱くように更にぎゅっと力を込めていく。
少し離れた港では『エコーズ』を通して顔に触れる名前の豊満で柔らかな双丘に赤面している康一がいるのだが、そんなこと露程も知らない名前がぎゅうぎゅうと『エコーズ』を抱きしめていると、今の名前の大きな声を聞きつけた承太郎と花京院が甲板に姿を現した。

「名前? デケェ声出してどうした?」
「何かありましたか?」
「あっ! 承太郎に典明!」

現れた承太郎と花京院にパッと花の咲くような笑みを向けた名前は、腕の中にいる『エコーズ』を二人に見せながら仗助と康一が本体を倒してくれたことを伝える。

「…そうか」
「それを聞いて安心したよ」

港に残してきた頼もしい二人によって訪れた安寧に、承太郎と花京院はよくやったなと穏やかに笑いながら康一に労りの言葉を告げた。
そして、花京院が康一のためにも離してあげてほしいと名前に頼んだことにより、ようやく『エコーズ』は名前の無自覚な辱めから逃れることが出来たのだった。

「仗助にも『ありがとう』って伝えておいてね〜っ!!」

船に来た時同様にふよふよと空を飛んで康一の元へ戻っていく『エコーズ』に伝言を頼みつつ小さくなっていく姿を見送った名前は、ふうっと一息吐くと「私、ジョセフおじいちゃんの所に行ってくるね!」と両隣にいる承太郎と花京院を見上げた。

「そうだな。じじいも名前にはまだ逢えないのかってしつけえくらい何度も財団の職員に聞いてるらしいからな……早く行ってやるといい」
「ふふっ…どうやら名前さんとジョースターさんは相思相愛みたいですね」
「えへへっ!」

嬉しそうにゆるゆると頬を緩ませながら「羨ましいでしょ?」と尋ねてくる名前を、承太郎は「はいはい」と適当にあしらうとジョセフがいる客室の番号を名前に教えてやる。
そんな承太郎に名前は少し不満そうに口をへの字に曲げるも、すぐに「ありがとうっ!」と口角を上げると駆け足で甲板から客室の方へと向かっていった。

「えっと、ジョセフおじいちゃんの部屋は……この奥かな?」

そして、船内の廊下を客室番号を確認しながらゆっくりと名前が歩いていると――。

 ――ガチャッ!

「!?」

今まさに名前が通り過ぎようとしていた客室のドアが、突然勢いよく開かれたのだった。
ドアが壊れるのではという程の勢いに名前が驚きからびくっと肩を跳ねさせていると、更にそのドアが開いた真っ暗な室内から一本の太い腕がにゅっと現れる。

「きゃっ…!」

その伸びてきた腕は名前の細い手首をがっちりと掴むと、小さな悲鳴を上げる名前を真っ暗な室内へと引きずり込んでしまった。

「やっ、やだ…!」

何にも見えない暗闇の中に引きずり込まれた名前は、体に触れる何者かの腕に恐怖から涙声のような震えた声を出しながらも、何とか身を捩ったりと抵抗の意思を見せる。しかし――。

「名前」
「っ、…!!」

耳元から聞こえてきた自身の名を呼ぶ声に名前は暗闇の中で大きく目を見開き、ぴたりと動きを止めた。

「――逢いたかった」

抵抗を辞めた名前を背後から強く抱きしめた何者かは、真っ白で細い首に顔を埋めると、微かに震えた声で10年間溜めに溜め込んだ気持ちを吐き出したのだった。

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