「俺、仗助のやつは嫌いだけど…何か君とはウマが合いそうだね!」
「そ…そうですか?」

透明な赤ん坊を拾ってしまったと言う仗助は、その赤ん坊の母親探しのためにホームルームが終わるや否や教室を飛び出してしまい、億泰も用事があると言って早々に帰宅してしまった。
そのため康一は珍しく一人で帰路についていたのだが、途中で二日前に退院したばかりだと言う間田と偶然出会わしてしまい、何故だか肩を並べて歩くことに。

「そうさ! ところで…」

数日前の一件で懲りたのかだいぶ丸くなった間田に康一が少々戸惑っていると、にこにこと笑みを浮かべた間田に「康一くんは漫画読むの好き?」と尋ねられる。

「漫画? はあ、人並みには読みますけど…」
「『ピンクダークの少年』を描いてる『岸辺露伴』って知ってる?」
「『ピンクダークの少年』!? 知ってますとも! 大ファンですよ僕!」
「そーかっ、好きかい!?」
「サスペンス・ホラーって言うんですか? 生理的にキモチ悪いシーンもあるんですけど、迫って来るスリルと本当にいるような登場人物がいいですよね!」

楽しそうに『ピンクダークの少年』という漫画を語る康一に「そーか、そーか!」と同じく楽しそうに頷いた間田は、にんまりと笑みを深めると「実はその岸辺露伴がこの杜王町に住んでるって知ってた?」と得意げに康一へと囁く。

「え!!? なんですって!? この杜王町にッ!? まさかっ、嘘でしょうホントに!?」
「俺も信じらんなかったんだよォ〜〜!! でも不動産屋が話してるのを小耳に挟んだんだ! 嘘みたいだけどホントなんだよォ!!」
「うわあああっ!!」

大好きな漫画を描いている憧れの人が同じ町に住んでいると聞いた康一と、そのことを教えた間田は喜びと興奮から道のど真ん中であるにもかかわらず大きな声を上げる。
通り掛かる人々が何事かと遠巻きに訝しげな視線を二人に送っている中、そこへ勇敢にも「何してるの?」と声を掛ける女性が一人。

「あっ!」
「…あなたは…!」

聞こえてきた女性の声に二人が同時に振り返ってみると、そこには花模様があしらわれた年代物の番傘を差した名前が立っていたのだ。
きらきらと目を輝かせている康一に名を呼ばれた名前は康一に軽く手を振ると、今度は気まずそうにしている間田に目を向ける。

「間田クン…退院したんだね」
「は、はい……あの、その節は大変ご迷惑をおかけしました…」
「もうスタンドを悪用しちゃだめだヨ?」
「はいッ!!」

見違える程素直に頷く間田にいつものように笑った名前は、康一と間田に交互に視線を配ると「それで…何してたの?」と、もう一度二人の挙動について尋ねてみる。
すると、興奮を露わにした康一に「名前さんって『ピンクダークの少年』っていう漫画知ってますか!?」と、逆に食い気味で尋ねられてしまった。

「『ピンクダークの少年』?」
「週刊誌で連載している人気の漫画なんですけど!」
「えーっと…読んだことはないけど作品名だけなら知ってるよ。本屋さんに行くとよく特集されてる漫画だよね?」
「「そうですッ、それですッ!!」」

長い付き合いの友人であるかのように息ぴったりな康一と間田に名前がパチパチと瞬きを繰り返していると、間髪入れずに康一が「それでですねッ!」と話の続きを口にし始める。

「その『ピンクダークの少年』を描いている岸辺露伴がこの杜王町に住んでるみたいなんですよォ〜!」
「そうなの?」
「不動産屋が言ってたんで間違いないです!」
「へぇ〜……意外と世間って狭いんだねぇ」

心の底から嬉しそうに話す二人に、だから道端で大きな声を出していたのかと名前が彼らの不思議であった挙動に一人納得していると、不意に間田が康一に満面の笑みを向けて「なあ!」と声を掛けた。

「これからちょいとサイン貰いに行かない?」
「行くッ! 行きますともッ!」

間田の誘いに二つ返事で答えている康一を一瞥した名前は、微笑ましそうに笑ってからくるりと踵を返すと「あんまり迷惑かけちゃだめだよ」と、大人としての一言を残してその場を後にしようとする。しかし――。

「名前さんも一緒に行きましょうよッ!」
「そうですよッ! それにっ、大人が一緒に居てくれた方が俺達も安心ですし!」
「…えっ…、」

二人から小さな子供のような純粋な目を向けられてしまった名前の足は東方家にではなく、有名な漫画家――岸辺露伴の家に向かったのだった。


* * *


「あそこッ! あの部屋が仕事部屋じゃあないですか!? 電気ついてますよッ!」
「ホントだぁ…!」

間田を先頭に杜王駅から少し離れた立地に建てられている岸辺露伴の自宅にやって来た名前は、ブラインド越しに漏れる電気の灯りを見て喜びの声を上げる康一と間田を横目に、洋風でお洒落な外観の立派な一軒家に「…すごい」と目を奪われいた。
人気漫画家のそれ相応の自宅に少しばかり名前が気圧されていると、キョロキョロと忙しなく首を動かしていた康一が「…ねえ」と、隣にいた間田に声を掛ける。

「他に家族いるんですかね?」
「いや、一人暮らしのはずだよ。デビューが16歳で、今は20歳なんだ」
「20歳!? 若いですねェーッ」
「私が高校生活をのんびり過ごしてる時に岸部さんは既にプロかぁ……やっぱりすごいなぁ」

自分自身との差に尊敬の眼差しを名前が岸辺露伴がいるであろう仕事部屋に向けていると、サインをどうしても貰いたい間田が「コソコソ探ってても仕方ないだろう」と、神妙な声色でぼそりと呟いた。

「ピンポン押してみてよ」
「えっ!? ぼ、僕がですか!?」
「やってよ! 上級生としての命令だよ! 俺結構あがるタチだからさ…」

上級生の命令だと言われてしまえば下級生にとって拒否権なんてものはなく、康一は「ズルいなぁ…」と間田に不満を漏らしながらも玄関前の階段を上がり、恐る恐るインターホンへと手を伸ばす。
しかし、意を決してインターホンを押そうとした康一の手は、突然開いたドアの隙間から伸びてきた腕によって阻止されてしまった。

「うわああああああ!!」

むぎゅっと力強く手首を掴んでくる自分の物ではない手と、ドアの隙間から見える少々不健康そうな青白い男の顔に、康一は恐怖から大きな悲鳴を上げる。
何とか男から逃げようと必死にバタバタと手足を動かす康一の姿が見られる中、康一と同様にドアの隙間から男の顔を覗き見た間田は「ああッ! その顔は!」と、興奮気味に週刊誌の特集で一度だけ素顔を拝んだことがある男―岸辺露伴を指差していた。

「むッ!」
「っ、い…いえ…」

だが、間田が本物の岸辺露伴に興奮していたのはほんの一瞬だけで、憧れの人に鋭い眼光で睨みつけられてしまった間田は、解放された康一と共に怯えながら名前の背後へと身を隠すことになってしまった。

「この人が、岸辺露伴先生…?」
「なんだね君たちは……? 何してる、イタズラかね…?」
「あ、いえ…突然のご訪問大変失礼します……あの、私達岸辺先生のファンでして…」
「『ファン』? 僕の? 読者? 住所がバレたのか……?」
「…すみません。誠に勝手ながら噂を又聞きしまして……それで、度重なる失礼とは充分承知の上なのですがサインを頂けたらなと、」
「ふーん、僕の『ファン』か…」

男子学生二人を背中に庇いながら威圧感を放つ相手に全く動じることなく、尚且つ丁寧に話す名前を頭の天辺から爪先まで値踏みするように見下ろした露伴は、目を細め口角を上げると「そりゃあいい」と満足そうに呟いた。

「『波長が合う』ということかもしれない…」
「え?」
「いや、なんでもないよ……失礼した。サインの一枚や二枚ならお安い御用ですよ」

両耳を飾るGペンの形をした珍しいピアスを揺らしながら穏やかに笑う露伴に、名前の後ろから様子を窺っていた康一と間田は「やった!」と、顔を見合わせ互いに頬を紅くしながら嬉しそうにガッツポーズを取る。
全身で喜びを露わにする康一と間田、そしてそんな二人に「よかったね」と微笑む名前をじっと見つめていた露伴は人知れず鼻を鳴らすと、当たり障りのない笑みを張り付けて名前達を自宅兼仕事場に招き入れたのだった。


* * *


「うわあッ!!」
「すっげェ――ッ!!」

意外にも気さくに自宅に招き入れてくれた露伴に続いて愛読している漫画が生み出されている聖域へと足を踏み入れた康一と間田は、机に広げられている漫画を描くための道具や、壁に飾られているこの世に出回っていない生の原稿の数々に、本日一番の興奮を露わにしていた。
感動のあまり「来てよかったぁ〜っ」と泣き出した間田を余所に、名前がキャビネットの上に置かれている『最優秀賞』と刻まれたトロフィーを眺めていると、興奮冷めやらぬ康一が露伴を見上げて「いつからこの杜王町で仕事してらっしゃったんですか!?」と、目を輝かせながら尋ねる。

「三ヶ月前に越してきたんだ……実家はS市内だけど、この辺には子供の頃住んでたことがあるんだ。東京は便利だけどゴチャゴチャしてるよね…とても杜王町のような清々しい環境で仕事ができないよ」
「確かに……杜王町の方が時間の流れがゆったりしてるし、落ち着くかも…」
「その口振りだと、君も東京から?」
「…はい。元々はずっと東京に住んでたんですけど、訳あって一ヶ月前にこの杜王町に」
「そうなんだ。それじゃあこれは君の前で言うことじゃあないかもしれないが……今はFAXやコピーが進歩して便利な世の中になってるから、中央に住む必要はくだらないステータス以外にはないと言えるね」

少し意地悪そうに口角を上げてはっきりと物申す露伴に名前が苦笑を浮かべる横で、涙を止めた間田が漫画家に必要なアシスタントやスタッフの存在を尋ねてみれば、露伴は淡々と「いないよ」という一言だけを返す。

「一人で描いてる」
「えっ!? たった一人でェ――ッ!?」
「あの緻密な絵を一週間で19ページも!?」
「4日で描けるよ。カラーで5日だな……残りの日は旅行とかして遊んでる」

元々人間関係が面倒で漫画家という仕事を選んだため、アシスタントを雇う気などは更々ないと話す露伴の天才っぷりに再び康一と間田が感動に浸っていると、突如として部屋に甲高い悲鳴が上がった。
そのトーンの悲鳴を上げられるのはこの場に一人しか居らず、康一と間田と露伴が何事かと一斉に視線を同じ方へ向ければ、顔を青くさせプルプルと震える名前の姿が目に映る。

「…名前さん…? どうしたんですか?」
「くっ、くくくく…っ!!」
「く?」
「…ちょっと待って」

相当テンパっているのか何度も同じ音を繰り返しながら、泣きそうな目で自分の胸元を見下ろしている名前に康一が疑問符を浮かべていると、何かに気づいた露伴が徐に座っていた机から腰を上げて名前に近づいていく。
そして、そっと名前の胸元に手を伸ばすと、震える彼女の体を我が物顔で這いずり回っていたクモを指で摘んだ。

「ひぇっ!」
「さすが郊外だね…虫やクモが多いね…」

またもや小さな悲鳴を上げる名前を余所に、捕まえたクモを図鑑を見ながら虫眼鏡でじっくりと観察し始めた露伴は、不意にその光景を眺めていた康一や間田に「面白い漫画というものはどうすれば描けるか知っているか?」と質問を投げ掛けた。
戸惑いながらも首を横に振って意思を示す康一と間田を一瞥した露伴は、手に持っているクモを見せつけながら「『リアリティ』だよ!」と声高らからに解答を告げる。

「『リアリティ』こそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり…『リアリティ』こそがエンターテイメントなのさ」

漫画は想像や空想などで描かれているものではない、自身が見たことや体験したこと、感動したことを描くことでより面白くなると熱く語った露伴は、あろうことかクモの腹にカッターナイフを突き刺してしまった。

「腹を裂かれたクモは死ぬ前にどんな風に苦しみ藻掻くのかとか……『リアリティ』のために知っていなくてはならないのだよ」
「うええッ!」
「ざ……残酷だッ!」
「残酷!? ど素人の小僧がこの『岸辺露伴』に意見するのかねッ!」
「っ、い…いえ……意見だなんてそんな!」

素直な感想がつい口に出てしまったのだが露伴のあまりの迫力に康一は萎縮してしまい、蚊の鳴くような声で「…すみません」と謝罪する。
そんな康一をふんっと鼻で笑い飛ばした露伴は次いで、常人と虫嫌いの名前にとっては理解し難い行動を取ったのだった。

「味もみておこう」
「…ひっ、」
「うええッ!」
「――ッ!?」

なんと露伴はクモにカッターナイフを突き刺すだけでは留まらず、傷口から体液を流すクモを飴でも舐めるかのように舐め回し始めたのだ。
その常軌を逸した行動に康一は悲鳴を漏らし、間田は気分を悪くさせ、名前に至っては可哀想なくらい怯え今にも卒倒しそうになっていた。

「(や、やっぱり世間のイメージ通り漫画家って職業の人は…)」
「なるほど。クモってこんな味がするのか……これで今度クモを描くとき一風違ったリアルな雰囲気が描けるぞ…」
「(変わった人間なんだなぁ〜〜っ!)」
「…むり…、」
「オエエェェッ!!」

恍惚そうな表情を浮かべる露伴の群を抜いた変人っぷりに康一と名前がこれ以上ない程引いていると、先程から感じていた吐き気に耐えられなかった間田がその場に嘔吐してしまった。

「むッ!」

間田の行動に一番に反応を見せたのは、やはりと言うべきかここの家主である露伴だったのだが、彼は怒るどころか嬉しそうに「いいぞ!」と声を上げると、今まで手にしていたクモを投げ捨てバサバサと慌ててスケッチブックと鉛筆を手に取り始める。

「その苦しそうな表情…ゲロを吐く顔を描くときの参考になる。スケッチしとこう」
「そ…そうですか?」

まさか自分が吐いている姿をスケッチされるとは思いもしない間田は戸惑ったように露伴を見るが、鉛筆片手に真剣な表情で観察してくる露伴に少しだけ気を良くしたようで、渾身の吐く演技を披露する。しかし結果は――。

「嘘っぽくなったよ…」

間田が渾身の演技を披露した結果、露伴の言う『リアリティ』が無くなってしまったようで、結局スケッチブックに線一本すら書くことなく露伴は鉛筆を置いてしまった。

「もういいやめだ……嘘っぽいことはやめてくれ。いい作品のためにならない」
「す、すみません…」
「これならさっきまでの彼女の怯えた表情をスケッチしておくべきだったよ」

会った時よりも顔色の悪い名前を見ながら失敗したとでも言うように溜息を吐いた露伴は、サインペンと紅茶を用意してくると言い残して「あのっ、お構いなく…!」と、名前の止める声を無視して颯爽と部屋を後にしてしまった。

「……行っちゃったね…、」
「……は、はい…」

変人であり我が道を行く露伴に、名前と康一が彼の消えていったドアの先を呆然と見つめていると、汚れた口元を拭っていた間田だけが一人「スゴイ!」と歓喜の声を上げる。

「知らなかった…あそこまで色んなことを追求しているから『ピンクダークの少年』はあんなスゲー漫画だったんだ!」
「…あの、間田さん…来たばっかでなんなんですけど、その…もうなんか帰りませんか?」
「え? 帰る? 帰りたいの? 何で?」
「何でと言われても理由はないんですけれど、勘って言うんですか…どちらかと言うと勘は鈍い方なんですけれど…」

そう前置いた康一は恐る恐るもう一度ドアの先に目を向けると、今に限って露伴に対し『ヤバいって予感』がすると間田に告げる。

「『ヤバいって予感』? それひょっとしてスタンド使いって意味!?」
「いえ! そんなことは…その、別に…」
「いいかい康一くん!」

徐々に声量を小さくさせる康一の肩に腕を回した間田は、いくら露伴が変わっている人物だからとは言え、スタンド使いだと決めつけるのはどうかと思うと諭した。
しかし、名前からも「スタンド使いかは置いといて早めにここから立ち去った方がいい」と指摘されてしまった間田は「…分かりました」と意外にも素直に頷いてみせる。

「康一くんと名前さんが言うなら今日のところは帰ろう……また来れるしね」
「よしっ、じゃあ岸部先生に断りの――」
「ただし! さっきから気になってる『あれ』を見てからね」
「『あれ』?」
「『あれ』って何ですか?」
「もう名前さんも康一くんも鈍いなあ! 机の上だよ、電話の横!」

鋭く見なよと一点を指差す間田に従って名前と康一が示された箇所を目を凝らして見てみると、そこにはまだ封をしていない大きな茶封筒が置いてあったのだった。

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