間田のぴんっと伸ばされた指先に添うように机の上に視線を向けた名前と康一の目に、封を閉じていない大きな封筒が映る。
あまり漫画家という職業や漫画に関する物に明るくない名前はその封筒がどうかしたのかと首を傾げるだけだったが、どうやら康一はそれが何か気づいたようで「あ――っ!」と、嬉しそうな驚いたような大きい声を上げた。

「も…もしかして! その封筒からチラリと見える物は!!」
「そうだよ!! さっき『仕事が終わったばかり』と言っていたろ…俺さっきから鋭く目をつけといたのよ!」

康一と間田の会話と興奮の度合いに、封筒の中身が完成したばかりの原稿なのだと理解することが出来た名前が「へぇ…それが原稿なんだ」と見つめていると、唐突に間田が封筒を手に取ってしまった。

「これをチラッと見せてもらったら帰るよ」
「え!?」
「ちょ、ちょっと待って間田クン! 無断で見るのは良くないよ! せめて岸部先生の許可を得てから…」
「名前さん、あなたは漫画家を知らなすぎますよ…」

甘いとでも言いたいのか人差し指を左右に数回振った間田は手にした封筒を名前の前に掲げると、編集者にもまだ見せていない印刷前の原稿は漫画家にとってトップシークレットであり、部外者には一切見せてくれるはずがないと断言した。

「チラッと見て返すだけですから…」
「それじゃあ余計にダメだよっ!」
「そっ、そうですよ間田さんッ!」
「イイんだよッ! へるもんじゃあないんだから!」

部屋を出て行ってしまった露伴が如く名前と康一の止める声を無視して、間田は封筒の中から原稿をゆっくりと取り出していく。
そして、隠されていた原稿がその全貌を名前達の前に明らかにした時――今まで感じ得たことのない感情が『ピンクダークの少年』を愛読している康一と間田だけでなく、初めて目にする名前に芽生えたのだ。

「な、なに…これっ、!」

あれだけ間田に勝手に見るのは良くないと窘めていたのに、初めて目にした漫画の原稿に名前は一目で目と心を奪われてしまったようで、早く次のページを捲ってくれと間田にせがんでいる康一の横で、その大きな目で原稿を見つめながらこくりと喉を鳴らしていた。

「っ、すごい…」
「か…感動だ!」
「やめられないよ〜〜ッ!」
「どうやら……やはり僕の『原稿』と君たちは相性が良かったらしいな」
「「「!!」」」

この場にいる三人共が迫力のある原稿から目を離せないでいると、背後からそれを描いた本人である露伴の声が聞こえてきてしまった。
その声に反応した名前達が反射的に後ろへ振り返ると、そこには最初から分かっていた口振りで「読むと思っていたよ」と、口角を上げる露伴の姿があった。

「そして! 我が原稿を一番最初に読んだ相性のいいものだけが……」
「は……間田さん……名前さん…、」
「こ…康一くん……?」
「どうしたの康一くんっ!」

露伴の言葉を遮るように間田の肩を強く掴み、苦しそうに間田と名前の名を呼ぶ康一に二人が驚いていると、あり得ないことに康一の手の甲がペリッと紙のように捲れたのだ。

「うわあああ!! 僕の手がッ!」
「康一くん!!」
「私の能力…『天国への扉』ヘブンズ・ドアーによって、心の扉は開かれる」
「能力…!?」

露伴が自分自身でスタンド使いであることを証明してみせた瞬間、康一の体は手の甲だけでなく顔や胸元までもが紙となりペラリと捲れてしまった。

「あひぃ〜〜!!」
「人間の体には色んなことが記憶されている。今まで生きてきた全てがね……それを読むために君たちを『本』に変える! 君たち自身の人生が描かれた『本』にね」
「うわあああ! 助けてェ――ッ!」
「っ、この! 康一くんを元に戻して!」

悲鳴を上げる康一の変わり果てた姿に間田は逃げ出そうとドアの方へ駆け出し、名前は咄嗟に露伴に掴みかかろうとするが、余裕綽々とした露伴が「君たちも漫画を読んだんだろ?」と片眉を上げた途端、二人は同時にその場へと崩れ落ちる。

「うわあああ俺もだァ〜〜ッ!!」
「っ、脚が…」
「…い……いったい、」

同じように体を紙に変えられ床に倒れてしまった間田と名前の姿を目にし、恐怖が最大限に達した康一が「何をする気だあ〜〜!」と露伴に向かって叫べば、露伴は「生命に別状はないから心配しなくていいよ」と告げながら康一の横へとしゃがみ込んだ。

「漫画には作者自身の『リアリティ』が大切だと、さっき言ったよね。つまり…君の人生や体験を私が読むことで『リアル』なアイデアを提供してくれるということになるんだよ」

人を『本』に変えることでインタビューでは得られない、自分自身が体験したかのような『リアル』を伝えてもらうことが出来るのだと嬉しそうに語った露伴は、起き上がろうとする康一の体をとんっと押し倒すと、顔部分の紙に記されている事柄を読み始める。

「広瀬康一。1984年3月28日午前6時27分、S市内赤十字病院で生まれる……」

康一に記されている彼自身の情報を声にして読み出した露伴は、康一の平凡な人生でありつつも裏表のない正直な性格に好感が持てると満足そうに笑う。しかし――。

「ムッ……お前……」
「ひっ、」

康一のある一点に露伴が目を通した瞬間、今まで笑みを浮かべていた顔が険しいものに変わった。

「なんだ…!? お前この能力は……!!『エコーズ』!?」
「!!」
「この露伴以外にも同じような能力を持った奴がいたのかッ!?」

初めて知る事実に驚愕の声を上げる露伴が「そっちの奴らもか!?」と凄まじい剣幕で名前と間田を見遣れば、名前は身を固くし、間田は悲鳴を上げながら何とか逃げようと床を這う。
その反応が何よりの肯定であると直感した露伴がもう一度康一に視線を戻し、情報を取りこぼさないように隅々まで目を通してみれば――。

「スタンド使い! これはッ!! 1999年4月から先はもの凄いぞッ! いきなりスゴイ体験ばかりだ…!」

この場にいる名前と間田だけでなく承太郎や花京院、仗助や億泰といった今まで康一が出会って来たスタンド使いの名を読み上げた露伴は、少年のように目を輝かせながら「最高だッ!」と声高らかに興奮を露わにした。

「面白いッ! 僕は漫画家として最高のネタを掴んだぞッ!」
「い…いったい! ……いったい僕らをどうする気なんですかァ――ッ!」
「君の『記憶』を貰うッ! 僕の漫画のネタにするためにねッ!」
「『エコーズ』!」
「!!」

漫画のネタのためだけに他人を『本』に変えて『記憶』までもを取ろうとする露伴に、怯えていたことが嘘のように康一は顔付きを凛々しいものに変えると、露伴の真上に『エコーズ』を出現させる。

「僕らをあなたのスタンドで攻撃するのを直ちにやめてください! さもないとッ!」
「…フフ……『エコーズACT2』の音の攻撃をする! ……かな?」
「っ、そうですッ! 早く僕にかけたスタンドを解いてください! 手加減しませんよッ!」

既に『エコーズACT2』の能力を露伴に知られていたため康一は一瞬動揺を見せるも、すぐに未だスタンド攻撃を止める気配がない露伴を睨みつけるたのだが、露伴はいざという時には恐怖を克服することが出来る康一のことを気に入ったと笑うだけで、スタンド能力を解く気配は微塵もなかったのだ。
余裕な態度から露伴に舐められていると感じたのか康一は脅しではない、本当に攻撃するぞとより一層勢いよく噛み付いてみるが、彼の威勢は露伴の「うるせーなあ〜〜やってみろ!」と言う苛立たし気な声に一蹴されてしまう。

「『エコーズACT2』!!」

ここまで来たらもう容赦する必要はないと康一が自身のスタンドの名を呼べば、露伴の頭上に待機していた『エコーズACT2』は、長い尻尾の先から『ドジュウ』と音が書かれた塊を露伴へ向けて真っ直ぐ投げつけた。しかし――。

「え!?」

なんと『エコーズACT2』の音の攻撃は、その場から一歩たりとも動かない露伴の横を通り抜けて本棚へと当たってしまったのだった。
全く見当外れの所から煙が上がる光景に、康一が「外れた……」と呆然としていると、露伴と康一のやり取りを静観していた名前が難しそうな困ったような表情で口を開く。

「…外れたというか……その、康一くん…」
「君が外したんじゃあないの〜〜!? 」

遠慮がちな名前と違ってはっきりと間田にコントロールがおかしいと言われてしまった康一は、そんなはずはないともう一度露伴への攻撃を試みるが、結果は全て同じであった。

「康一くん……君には残念ながら『エコーズ』に安全装置をかけさせてもらったよ」

なぜ狙いを定めた『エコーズACT2』の攻撃がことごとく露伴に当たらないのか。
それは露伴が康一の胸元部分のページの余白に自分が有利になるようにとある言葉を書き込んでいたからであって、見なよと指差された康一が視線を胸元に落としてみれば、そこには明らかに他とは違う字でこう書かれていた。

"わたしは 漫画家岸辺露伴を 攻撃することは できない"

「これが『ヘブンズ・ドアー』の能力だよ…人の体験を絵や文字で読み、そして逆に記憶に書き込むことも出来るんだ……君はこれからどんな方法であろうと僕に危害を加えることは決して出来なくなった」
「な…なんだって〜〜っ!?」

自分の体とスタンドをプルプルと震わせて再び怯える康一を後目に、いつの間にか手にしたスケッチブックに凄まじい勢いで康一と『エコーズACT2』を描いた露伴は、一度満足そうに唸ってから「でもそれだけだよ。僕がイジるのはね…」と康一に視線を戻す。

「それ以外を書き込むことは君のリアルな人生を偽物にすることだから、僕の作品のためによくないことだ」

あくまでも『リアリティ』に拘る露伴は本当に康一をどうこうする気はないようで、スケッチを終えた途端にくるりと背を向けて今度は間田の方へ足を向けた。
そして、命乞いをするようにあなたは天才だ、僕は尊敬していますと必死に言葉を並べる間田に露伴は「ふーん、あっそう」と、気のない返事をしながら顔部分のページを読み始める。

「なになに……『時々子猫や小鳥など自分より弱い者をイジめると胸がスっとして気分がいい』『3年E組の順子をムリヤリ犯してやりたいが、自分は小心者だから出来ない』」

しかし、そのページに記されていた事柄はとてもじゃないが漫画のネタとしては使えないような物ばかりで、それを読んだ露伴は嫌そうに顔を顰めて「最低な男だな…」と苦々しく吐き捨てた。

「こんなヤツを漫画に描いても読者に好かれるはずがない。お前は使えんな」

嫌悪感を丸出しにしながら泣き出してしまった間田の横を通り過ぎた露伴は、次に名前の方に視線と足を向ける。

「さて、君の方は漫画のネタになる面白い物を持っているかな?」
「(や、やばい…っ!)」

ゆっくりと目の前に近づいてくる露伴に、名前は内心酷い焦りに襲われていた。

「(夜兎って知られたら絶対まずい!)」

それもそのはず。名前は康一や間田といった普通の人間とは違って天人、この世界で言うならば宇宙人のような存在に位置する者なのだ。
その他にも名前には夜兎という特殊な種族とスタンド能力だけではなく、前世の記憶や転生輪廻、そして10年分の時を一瞬にして超えてしまったという、漫画家からしたら格好のネタになる事柄を持ち過ぎていた。

「名前。君の記憶も見させてもらうよ」
「…っ、…」

これらを露伴が知ったら今度こそ何をされるか分からないため、名前は冷や汗を流しながらも何とか露伴を止めようと「わ、私は康一くんみたいに面白いことは持っていません!」と声を張り上げる。しかし――。

「君の人生が面白いか面白くないかは読んだ僕が決めることだ」

名前の言い分を聞き入れる程素直ではない露伴はいとも簡単に一蹴すると、紙になった名前の頬へと手を伸ばし、声に出して彼女の個人情報を読み始めてしまった。

「名前。東京生まれ、東京育ち。空条承太郎とは家が隣同士の幼馴染み。両親は10歳の時に事故で他界し、その後15歳まで叔母と共に実家に住むが虐待に合っていた……ふーん、中々に波乱な人生だな」
「こ、これは漫画に描けないですよねっ?」
「いいや? 君の性格は『明るく優しい、自分よりも他人を優先してしまうお人好し』と書かれている……過去に辛い経験をしながらも明るく、人に優しいヒロインなんて読者に好かれるかもしれない」

間田よりは何十倍もマシだと口角を上げる露伴は、名前のそれ以上読まないでほしいという願いとは裏腹に読むことを止めず、更にページを捲っていってしまう。そして――。

「1989年冬…エジプトでDIOと出会い、前世の記憶と自分が夜兎であることを知る……?」
「(…お、終わった…)」

とうとう名前の恐れていたことが起きてしまったのだった。

「前世の記憶? それに夜兎という聞いたことも見たこともないこの単語は……いったい?」

康一や間田には記されてなかった不思議な単語に目の色を変えた露伴は名前に顔を寄せると、彼女の秘密にしたいことだけが記されているページを隈なく読み進めていく。
やがて全てを読み終え、全ての意味を把握した瞬間に露伴は「これはとんでもないぞッ!」と歓喜の叫び声を上げた。

「宇宙最強の戦闘種族! 転生輪廻! 時かけ! すごい、すごいぞ名前ッ! こんなに素晴らしい…存在自体が創作意欲の塊な人材に会ったのは君が初めてだッ!!」
「っ、きゃあ!」
「名前さんッ!!」
「性格は良い! 容姿やスタイルも文句のつけようがない! 戦闘力も高い! しかし過去に悲しい影のようなものがある! 最高だッ! もはや名前を僕の漫画に描かないという選択肢はないッ!」

名前を押し倒して馬乗りになった露伴は、スタンドという情報を得た時とは比にならない程の興奮を露わにしながら捲し立てると、恍惚とした表情で「君が欲しい!」と名前の頬に手をするりと這わす。

「や、やめっ…!」
「名前の記憶と! 名前という存在を僕は一生手放さないぞ!」

捉えようには重い愛の言葉にも聞こえる台詞を吐いた露伴は、力の入らない腕で何とか自分を退かそうとする名前を容易く制しながら、彼女の頬の紙を躊躇いなく何枚かビリッと破いた。

「…ぅ、っ…」
「…フフフ!」
「名前さん――ッ!」

露伴の高揚した不気味な笑みと康一の悲痛な声を最後に、名前の視界と意識は深い暗闇の中へと飲み込まれてしまったのだった。

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