「っ、じょ…仗助と…億泰くんが……!」

一方露伴が仗助と億泰に気を取られている隙に這いつくばりながらも部屋を出た名前は、この緊急事態を彼らに伝えようと必死に重い体を引きずって玄関へと向かっていた。
スタンド攻撃により体を本に変えられ、床を這う姿は何とも情けないが、もはや形振り構っていられない名前は階段を転げ落ちるようにして下りると、すぐそこにいる仗助と億泰に助けを求めて勢いよくドアを開けた。しかし――。

「仗助に億泰くん…こんな所で何してるの?」

助けを求めていたはずの名前から出た言葉は、仗助と億泰がここへ訪ねてきたことに対する純粋な疑問であった。

「こんな所でって…」
「そりゃあこっちの台詞だよなぁ〜?」
「(…あ、れ…私他に何か言いたいことが…)」

顔を見合わせる仗助と億泰の二人を見つめながら名前が自分の行動に違和感を覚えていると、再び名前へと視線を戻した仗助が「俺達は名前さんが心配で後を尾けて来たんスよ」と、この家にやって来た訳を話した。

「…え? 心配?」
「そうっス。朝飯残してフラフラしながら家出ちまうから、俺マジで心配したんスよ?」
「俺も仗助ん家に行く途中でフラフラ歩く名前さんを見掛けたからよぉ〜、思わず尾いてきちまったぜぇ」
「そ、そんなにフラフラしてた?」

普段と変わらないと思っていたのは自分だけだったらしく、息ぴったりに二人から頷かれてしまった名前は困ったように眉を下げる。
しかし体調面や精神面に特別変わったことがないため、名前は「心配してくれてありがとう」と最初にお礼を言うと、自分が早くに東方家を出た理由を彼らに伝えた。

「漫画家の手伝い…っスか?」
「ここ、その漫画家の人の仕事場なの? 岸辺ロハン? 有名なの? その人?」
「うん、そうだよ」
「ほへぇ〜〜。知ってる仗助?」
「いや……俺『パーマン』知らねーって間田の野郎に馬鹿にされてるぐれーだからよぉ」
「ふふっ! 確かに『それでも日本人か?』って言われてたもんね」
「…………」

初めて間田に会った時のことを思い出しているのか、口元を隠してくすくすと笑う名前を盗み見た仗助は、彼女が言う通り変わりのない様子にようやくゆるりと口角を上げた。

「…まっ、名前さんに何もないって分かっただけでも安心したぜ」
「俺も名前さんが男と怪しい密会をしてたんじゃあねーって知れただけで満足よォ」
「…二人ともわざわざありがとう」

見た目に反して純粋で優しい仗助と億泰の心遣いに嬉しそうに微笑んだ名前は、そろそろ学校に行かなくてはと駅の方角へ歩いて行く二人の背を「行ってらっしゃい!」といつものように明るく見送った。

「…何か、大事な話があったような気もするけど……ふふっ、まあいっか!」

もやもやとした違和感がしこりとなって胸に残っていたが、自分の「行ってらっしゃい」の声に答えるように上がった二本の腕を見て更に笑みを深めた名前は、特に深く考えることなく東方家にではなく露伴の自宅へと戻っていく。

「おかえり。随分と遅かったじゃあないか」
「…っ!」

しかし、仗助と億泰を見送ってしまったのが間違いだったと名前が気づいたのは、嫌な笑みを浮かべて目の前に佇む露伴の姿を目に映してからであった。

「…『ヘブンズ・ドアー』…っ、」

ガチャンと閉まった扉の音を合図に再び体が本に変わり、その場に崩れ落ちた名前が悔しそうに露伴のスタンド名を呟けば、ページを破り取られたせいで異常に軽くなった名前を抱えた露伴が上機嫌で仕事場に向かっていく。

「名前が仗助と億泰と話し込んでいるうちに来週分が完成したんだ! こんなに早く描けるなんて思いもしなかったッ!」
「…お願い…離して…」
「離す…? 馬鹿を言うなよ……こんな他の誰からも得られない『体験』を持つ君を僕が離す訳ないだろう」
「…っ、…」

ふんっと鼻を鳴らした露伴は乱雑に名前を床に放り投げると、強かに体を打ち付けたことで痛みに息を詰まらせている名前の横を通り過ぎ、どかりと椅子に腰を下ろした。
そして、悠然と脚を組みながら床に転がる名前を見下ろした露伴は「僕は言ったよね?」と、彼女に悪魔の微笑みを向けた。

「君は僕の傑作としていつまでも生きるって。そのためには今の名前からもっと協力してもらわなくちゃあなあ?」
「(…助けて…っ、)」

体を本にされる分には命に別状はない。しかし今までの記憶を破り取られれば取られた分だけ体重が減っていってしまう。
それが何度も続けばいつか自分は死んでしまうのではと恐怖に蝕まれた名前が、紙に変えられた指に嵌っている、いつも自分を助けてくれるヒーローのような幼馴染みから貰った指輪に触れたその時――。

「誰かがこの屋敷内に入っている……!!」

露伴の初めて聞くような硬い声が、薄らと目に涙を溜めていた名前の鼓膜を震わせた。
問い詰めるように「玄関で何をやってきたッ! 名前ッ!」と声を荒らげる露伴に、何が起きているのか把握出来ていない名前が俯けていた顔を上げると、露伴の背後にある窓から彼女の希望が現れる光景が目に映ったのだった。

「…っ、億泰くん…!!」
「!」

窓とブラインドを抉じ開け、窓枠に足を掛けながらニヒルに笑っている億泰に名前が嬉しそうに声を上げると、露伴も侵入者の姿を確認しようと振り返ろうとする。
しかし露伴の行動はダンッとコピー機の上に片足を乗せ、振り向いたらスタンドを叩き込むぞと宣言した億泰によって制御されることになった。

「妙な動きすんじゃあねえぞォ〜!」
「…どうやら、偶然悟られたという訳らしいな……名前のその傷によって」
「え? …あっ、いつの間に…」
「僕も今気づいたことだが、君の手の傷が異常事態の合図になってしまったんだ」

名前本人は露伴に指摘されるまで気づいていなかったが、形振り構わず這いずり回り、夢中で助けを呼ぼうとしていた彼女の露出している腕には、階段から落ちた時に手すりに引っ掛けて出来た切り傷と段差にぶつけて出来た痣があったのだ。
夜兎特有の透き通る肌だからこそ余計に目立つその切り傷と痣は、誰の目からも一目で何かあったのだと察しがつけやすいものだった。

「それで分かったんだろ? 虹村億泰くん…スタンド名は『ザ・ハンド』……君は死んだ兄の形兆にコンプレックスを抱いており、何かを決断する時いつも…『こんな時兄貴がいればなあ〜』と思っている」
「……っ、何だこいつはぁ〜〜! 何モンだぁ〜〜っ!?」

初めて目にする男に己の姓名とスタンド名、死んだ兄のことやコンプレックスのことなど全て的確に当てられた億泰は動揺を見せる。
だがすぐにキッと鋭い三白眼で露伴の背を睨みつけると、名前に向かって「こいつのスタンドの正体を教えてくれよ!」と声を張り上げた。

「…そ、それは…っ、」

しかし、現在も尚『ヘブンズ・ドアー』の攻撃を受け続けている名前にとって、露伴のスタンドを他人に教えるということは不可能に近いものであった。
原稿を見てはいけない。一コマでも見てしまえば忽ち体を本に変えられてしまう。それだけを伝えることが出来れば億泰は露伴よりも有利に立てるはずなのに、それが一切出来ない。
そのもどかしさに名前がぐっと唇を噛みしめていると、露伴は億泰の言いつけを破ってゆっくりと背後を振り返った。

「おいッ! 動くなっつってんだぞ――ッ!」
「億泰くん…君には興味なかったが、この家に来ちまったものはしょうがない…君も『資料』にしとかなくてはな!」
「野郎ッ!!」

振り向いたうえに自分も『資料』にすると妙なことを話す露伴に、億泰は宣言通りスタンドを叩き込もうと『ザ・ハンド』の右手を露伴に向かって振り下ろす。
だが露伴は迫ってくるスタンドの腕を見て余裕そうに鼻で笑うと、目にも留まらぬ速さで原稿を手に取り、億泰の視界に入るように自分の顔の前に翳した。すると――。

「おあああああああ!?」
「億泰くんっ!!」

露伴の思惑通り目の前に翳された原稿を目にしてしまった億泰と、彼の『ザ・ハンド』の全身はロール状の紙に変えられてしまった。
何だこれはと自分に起きた現象に驚いている億泰と、同じように体を本にされて隣に倒れ込んだ億泰を悲痛な声で呼ぶ名前を後目に、露伴は視線を部屋の入口へと向ける。

「東方仗助……そこにいるな…」

開かれたままになっているドアの後ろから確かな気配を感じた露伴は、名前を助けようとしたもう一人の侵入者の存在に口角を上げる。
そして、先程からその漫画家は何なんだと声を荒らげる億泰の手を「うるさいな…」と足で踏みつけて黙らすと、己の行動に怒りを表わにしながら睨みつけてくる名前に一つの質問を投げかけたのだった。

「なぜ東方仗助はあのドアの陰に隠れていると思うね?」
「…!」
「ン? どう思うね? なぜ出て来ないと思う? …なあ名前?」
「っ、仗助は……あなたのその原稿を見ないために隠れている……」
「そうだな、正解だ」

自分の欲しい回答が出て来たため、露伴は満足気に飼い犬でも褒めるように「中々賢いぞ」と名前を褒めると、仗助に手の内がバレたことで不利な状況に変わってしまったことを嘆いた。

「……ただ、東方仗助がドア陰から出て来ない理由が他にもあるんだ…」

これはまずいことになったと、本気で思っているのか分からない程淡々とした声で嘆く露伴だったが、不意にぽつりと仗助が隠れているドアを見ながら呟くと、お気に入りの名前に再度質問を投げかけた。

「それは何だと思うね…? それをさせないために僕は何としても彼をドア陰から引きずり出さなくてはならないんだが……」
「…それを、させない…?」

親切と言っていいのか分からないがヒントを兼ねた二度目の質問に、名前は律儀にもしっかりとした回答を出そうと思考を巡らせる。
しかし、名前が答えに辿り着くよりも先に「てめーをどうやってブッ殺そーか考え中なんだよッ!」と物騒な回答を出したのは、露伴に手を踏まれたままの億泰であった。

「フフフフ、それも正しいな。だが正確な答えではないよ。正確な答えはね……東方仗助は『このまま自分だけこの屋敷から逃げ出すというのはどうか』…と考えている!」

あくまで第三者の推測でしか過ぎないのに、さもそれが仗助の考えだとでも言うように回答を告げた露伴に、名前が仗助はそんなことしないと咄嗟に反論する。
すると露伴は意外にも「そうだな。名前の言う通りだ」と、今自分で出したばかりの回答を否定するように頷いたのだ。

「…え?」
「君のファイルには東方仗助が君達を見捨てることはしない性格だと、そう書かれている…」
「……じゃあなんで、」
「漫画家と言うものは職業柄、いつもあらゆる状況の可能性を考える癖がついているものなんだ…『漫画の主人公はこの状況で一体どんな行動が可能だろうか?』…とね」

今の場合、一番困るのは『ヘブンズ・ドアー』の正体を知られている仗助に逃げられることだと話す露伴に、話を聞いていた億泰が「そりゃあいいかもしんないっ!」と嬉々とした声を上げた。

「仗助が逃げれば承太郎さんや花京院さんを呼べるしよお! あの二人が名前さんのことを知ったら、この漫画家はただじゃあすまないぜぇ〜!」
「! …そうか、典明なら遠隔から攻撃することが可能だし……仗助さえ逃げられればっ、」
「そうしろ仗助ッ! 早く知らせろッ!」
「それをされないためにお前らに説明しているんだよッ!」

ドアの向こう側にいる仗助へ早く逃げろと声を掛ける億泰に「マヌケかッ!」と罵声を浴びせた露伴は、自分の足元にあった億泰の手を乱暴に掴み上げると、ぼとっと名前の目の前にその手を投げ置いた。

「…え?」
「そこの書き込んだ所を二人に読んで説明することを許可するよ…名前」

億泰の体にも既に何かを書き込んでいたらしい露伴に声に出して読むことを促された名前は、固唾を飲み込みながら恐る恐る目の前に転がった億泰の手を取る。そして――。

「そんな…っ!」

露伴の筆跡で新しく書き込まれた文字を目にした瞬間、名前は浮かんだ絶望的な表情を隠すように顔を手で覆ってしまったのだった。

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