筋肉のついた太く白い腕に絡まるようにして伸びる紫色の茨のような蔦。その蔦が絡まる腕で男がポラロイドカメラを叩くと一枚の写真が現像された。

「やはり…俺の居場所を感付いたな…」

男が手にする写真にはジョセフと承太郎の二人が写っていた。

「来るか、このエジプトに……ジョセフとジョータロー、か」

男は二人の写った写真は用済みだとでも言うように破り捨てた。小さな破片となったそれは男の足元に散らばり、男はそれを踏みつけて天蓋付きのベッドへ腰掛ける。
上質な枕の下から大事そうに先程とは別物の写真を取り出すと、ほう…と色気のある息を零した。

「…名前よ。お前もこのDIOの元へ向かっているようだな」

愛玩動物を撫でるように長い指で写真に写る名前の頬をすりっとなぞると、男―DIOは甘い笑みを浮かべた。

「今すぐ迎えに行ってやりたいところだが、まずは邪魔者を始末しなくてはな」

DIOは熱い視線を写真の中の名前に向けると「だから、もう少し待っていてくれ」と囁いた。


* * *


明かりが落ちて間接照明の仄かな光が灯る飛行機内。
名前は閉じていた目をハッと開けて自分の頬に手を当てた。

「……ん、名前さん…? どうしました?」

名前の隣の席に座り睡眠を取っていた花京院は、名前が身動きをした気配に目を覚まして不思議そうに隣に目を向けた。

「なんか、今頬を何かに触られた気がして…」
「頬?」
「…うん」
「機内の空調の風とかでは?」
「……そうかも。ごめんね、起こしちゃって」

花京院に謝ると名前は座席に深く凭れた。
風が触れたと言うより確かな人の手か指で触れられた時の感覚がしたのだが、隣に座る花京院がそんな悪戯をするわけがない。ましてや他の乗客が見ず知らずの人の頬に触れてくるとは思えない。
やっぱり気のせいかと再び眠ろうと目を閉じた名前は知らない。通路を挟んだ隣に座る承太郎とジョセフが『DIOに見られていた』と冷や汗を流していた事に。

「……ん?」

目を瞑っていた名前の耳に奇妙な音が響く。
何の音だろうと耳を澄ませてみると先程より鮮明に聞こえてきた。ブーンと羽が高速で羽ばたく音。そう、例えるなら虫が飛んでいる時の不快な音によく似ていた。

「か、かぶと…いや、クワガタ虫だッ!」
「虫ッ!?」

承太郎の声に名前は大袈裟に飛び起きる。
飛行機内に虫がいるわけない。現実を逃避しようとした名前の目に映ったのは羽を広げて羽ばたきながら宙を飛行する一匹の虫だった。
小さな悲鳴をあげる名前に反応するように、クワガタ虫は瞬く間に姿を消した。

「座席の影に隠れたぞ…」
「機内に虫だと? 普通じゃあないな」
「ううっ、花京院くん…!」
「え、ちょっと名前さん…ッ!」

どこに行ったか分からないクワガタ虫に恐怖心を煽られた名前は花京院の腕にしがみついた。突然自分の腕を包む柔らかな感触に動揺した花京院の頬は朱に染まる。

「……そういやお前虫苦手だったな」
「ううう、ごめんね! 虫だけは本当に無理なのッ!」
「い、いえ。僕の腕でよければどうぞ」
「……チッ」

場違いな嫉みの感情を花京院に向ける承太郎のすぐ近くで羽音が聞こえてくる。それにいち早く気付いたのは虫に敏感な名前で、顔を青くさせると承太郎を指差した。

「じ、承太郎…! 頭の横に虫が…ッ!」
「!」

名前の声に承太郎が顔を横に向けると、今まで見えていなかったクワガタ虫の全貌が明らかになった。
虫にはないはずの鋭い牙が生えたクワガタ虫は、ウジュルと涎を垂らしながら口の中から針状の物体を飛び出させていた。

「名前じゃあなくても気持ちわりぃって思うぜ。だがここは俺に任せろ」
「気をつけろ…スタンドだとしたら『人の舌を好んで食いちぎる虫のスタンド』使いがいるという話を聞いたことがある」
「あ、悪趣味!」

アヴドゥルの話を聞いて更に怯える名前とは対照的に落ち着いたままの承太郎は自分のスタンド―『星の白金』を出すと、ものすごい早さで拳を繰り出しクワガタ虫を叩き落とそうとした。
しかし弾丸を掴むことが出来る程素早い『星の白金』の拳をクワガタ虫は躱したのだ。その動きに名前達はこのクワガタ虫がスタンドだと確信づいた。

「どこにいる!? こいつを操る使い手はどこに潜んでいるッ!? こ…攻撃してくるぞ!」

花京院の言葉の通り牙の生えた口から口針を出したスタンドは、承太郎の舌目掛けて真っ直ぐ針を伸ばした。
その口針を止めようと『星の白金』は左手を出すが、鋭い口針は止まることなく掌を貫通した。

「しまったッ!」
「承太郎!」
「JOJOォ―ッ!」

口針が舌に刺さる直前、何とか歯で噛んで止めた『星の白金』の口と左手からは血が流れていた。スタンドが傷ついたら本体も傷つく。それゆえに承太郎も同じ箇所から血を流していた。

「やはりヤツだ…! タロットで『塔のカード』…破壊と災害…そして旅の中止の暗示を持つスタンド…『灰の塔』!」

人の舌を引き抜き幾つもの飛行機を墜落させたり、列車事故や火災事故を起こしてきた害悪のスタンド使い。そんなスタンド使いにDIOは目を付けたらしい。
DIOに目を付けられたとあって『星の白金』の両手のラッシュすら躱す『灰の塔』は、得意気に自分のスピードについて豪語していた。
その話を聞きつつもジョセフ達は『灰の塔』を操る使い手を探そうと機内を見渡す。しかし使い手だと思しき者は中々見つからない。
焦りつつある一行を嘲笑うかのように再び姿を消した『灰の塔』は、今度は機内の後ろ側に移動していた。そのまま眠りにつく乗客の頭部まで飛行の高度を下げる。
何をする気なんだと皆が固唾を飲む中、『灰の塔』は気味悪く笑った。
そうだ、こいつは人の舌を好んで引き千切る悪趣味の――。

「名前! 見るんじゃあねーぜ!」
「…え、ッ!」

承太郎が自分の腕で名前の目を隠そうとするより早くに『灰の塔』が動いた。
座席ごと乗客の後頭部を抉り、前へ進んでいく。そして手前に座った乗客の口から出てきた『灰の塔』の長い口針には何枚もの引き千切られた舌が連なっていた。

「……あ…、」

あまりに凄惨な光景にカタカタと名前の体が震える。それは腕を触れられている花京院にまで伝わっていた。

「舌を引き千切った!! そして俺の目的は…」

言葉を途切れさせた『灰の塔』は自分の口針に連なる舌から滴り落ちる血を利用して機内の壁に文字を書き始めた。
そして書き綴られた血文字は『Massacre』…皆殺しを意味していた。

「や…やりやがった!!」
「おおっと、皆殺しには少し語弊があったな」
「…なに?」
「正確には一人を除いて、だ」
「テメーさっきからなに言ってやがる」
「お前を殺すと俺がDIO様に殺されてしまうからな」
「……え、わ…わたし…?」

羽音と血の滴る音を響かせながら名前の近くを飛び回る『灰の塔』に名前以外の男達の眉間に皺が深く刻まれる。

「…な、なんで私だけ…!」
「さあな。金で雇われた俺は詳しくは聞かされてないんだよ」
「…っ、」
「でも残念だなァ。お前みたいな若い娘の柔らかい舌が味わえないなんてよォ」

ジュルジュルと開いた口から涎を垂らして名前の傍に近寄ろうとする『灰の塔』に、我慢の限界に達した承太郎とアヴドゥルの背後にスタンドが現れた。

「ぶちのめしてやるッ!」
「焼き尽くしてやるッ!」
「待て! 待つんだ承太郎! アヴドゥル!」

今にも同時に攻撃しかねない二人を、自分の背に名前を隠しながら制止した花京院はある一点を差した。
そこには寝ぼけ眼で欠伸をする一人の老人がいた。老人はトイレに行くため席を立ち機内を歩く。その際先程『灰の塔』が壁に書いた血文字の部分を触ってしまい、老人はそれが血だと気付くと入れ歯を口から飛び出させる勢いで驚いていた。

「ひ…血…血か…!」
「当て身」

今にもひきつけを起こしそうな老人の首元をとんっと叩いた花京院は、パニックにならぬよう他の乗客が起きる前に『灰の塔』を倒さなければならないと話す。

「それに…これ以上名前さんにこんな悍ましいスタンドを見せるわけにはいきませんしね」
「か、花京院くん…」

ジョセフに肩を支えられる名前に向けて微笑んだ花京院は、承太郎とアヴドゥルのスタンドだと機体自体に被害がいくかもしれないと冷静に分析した。

「ここは私の静なるスタンド『法皇の緑』こそヤツを始末するのにふさわしい」

それから花京院は宝石のような緑色の石を雨のように『灰の塔』へと浴びせた。
無数に降り注ぐ緑色の石だが、承太郎の『星の白金』のスピードを上回る相手にはいとも簡単に躱されてしまう。それどころか『法皇の緑』の口元に鋭い口針が刺さり、マスクのような物が破壊される。途端に花京院の口から噴き出す鮮血。

「花京院くんッ!」
「花京院ッ!」
「俺に舌を引き千切られると狂い悶えるンだぞッ! 苦しみでなァ!」

体勢を崩した花京院にとどめを刺そうと再び『灰の塔』の口針が舌へと伸ばされる。しかし、花京院は焦るどころか防御の姿勢を取ることもせず余裕そうに佇んでいた。

「私の『法皇の緑』は…」

花京院がそう呟いた瞬間、あらゆる座席の下から緑色の触手のようなものが伸びてあっという間に宙を舞う『灰の塔』に絡みついた。

「な、なにィィィ!」
「引き千切ると狂い悶えるのだ。喜びでな!」

瞬間、触手によって体を引き千切られた『灰の塔』は血を噴き出して床へと沈んで行った。
一瞬静寂に包まれた機内に突如響き渡る絶叫。
声のした方へ全員が視線を向けると、そこには頭と長く伸びた舌を真っ二つに割かれた一人の男がいた。…それは先程花京院が気絶させたあの老人だったのだ。

「さっきのじじいが本体だったのか。悍ましいスタンドには悍ましい本体がついてるものよ」

ふんっと鼻で笑い飛ばした花京院はくるりと名前の方へ振り返ると「終わりましたよ、名前さん」と別人のような爽やかな笑みを浮かべた。
花京院の変わり身の早さに追い付いていけていない名前は「あ、ありがとう…?」と戸惑いながらもお礼を口にした。

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