煌々と眩い光を降り注がせる太陽が西へ西へと傾き、タイムリミットの日没が少しずつ近づいて来ている午後四時過ぎ。

「――あれ?」

ヒルがうじゃうじゃと潜んでいた大きくて深い水溜まりを悲鳴を上げながらも何とか渡り、巣穴があった排水口から足跡を追って用水路の更に奥へ承太郎と仗助と共に進んできた名前は、ふと視界に入ってきたものに足を止めた。

「…あのさ、承太郎…」

目に捉えたその異変に、少し楽しそうに『虫喰い』の足跡を先頭に立って追っていた名前は、後ろを着いて来ているであろう承太郎へと声を掛ける。

「どうした?」

思っていたよりも近い距離から返ってきた承太郎の落ち着いた声に名前は背後を振り返ると、「何かあったのか?」と尋ねてくる承太郎にどことなく困ったような眼差しを向け、ふるふると首を横に振った。

「何かあったって言うより、『何もない』って言った方がいいの、かな…」
「『何もない』?」
「……どういうことっスか?」

自分の言葉をそっくりオウム返しする承太郎に頷いた名前は、承太郎の隣で言葉の意味を模索している仗助に「『虫喰い』の足跡がここから無いの」と、今し方自分の目でしっかりと見た異変を彼らに告げた。
すると、名前から追っていた足跡が消えたことを聞いた承太郎は、目をかっと見開き「…なんだと?」と少し焦った様子で足元を指差す名前の隣へと歩を進める。

「ほら、ここ…」
「…っ、馬鹿な……」

そして、名前が告げた通りに『虫喰い』の足跡が途中からはっきりと消えていることを確認した承太郎は、一筋の冷や汗を頬に流しながら辺りを見渡し始める。

「……承太郎…、」

ここへ来て初めて見る頼りになる男の大きな動揺に、名前が不安気な表情で「気をつけろ」と警戒心を剥き出しにする承太郎を見つめていると、承太郎と同じく消えた足跡を目にした仗助が「分かった!」と声を上げた。

「土の中だ…!」
「…え?」
「穴を掘って、潜ってから蓋をしたんスよ!」

だから不自然に途中で足跡が切れているのだと話す仗助に、名前がその手があったかと納得しかけた時、「違う!」と食い気味に承太郎から否定の言葉が上がった。

「これは『バックトラック』だ…!」
「…なに、それ…?」
「進んで来た足跡をそのまま踏んで戻り、どこか別の草むらなどに飛んで移る……野生動物の敵から身を隠す特殊技能だ」
「その『バックトラック』を野郎が…?」
「…ああ。ただ恐ろしいのはそこじゃねえ……恐ろしいのは、この『バックトラック』…鼠が行ったという記録が一切ないってことだぜ」
「「!!」」

告げられた驚愕の事実に、名前と仗助はようやく自分達の置かれている状況を理解することが出来たようで、二人は弾かれるように承太郎を含め背中合わせに立つと、辺りに警戒の意識を向けた。

「…つまり、こーゆーことっスか?『俺達は鼠にいっぱい食わされた』……!」
「どうやらヤバい雰囲気だな。この地形……狩られているのは俺達の方かもしれん」
「っ、…また……見られてるよ、」

狙撃するには絶好の立地である高台に囲まれた平地へと、『虫喰い』によって知らず知らずのうちに誘導されていた名前達は、どこからともなく感じる痛い程の視線に固唾を飲み込む。

「どっか岩陰に身を隠さねーと、」
「落ち着いて動け…」

迂闊に攻撃されないためにもと、近くにある少し大きな岩陰へと向かっていく仗助の背に声を掛けた承太郎は、ちらりと視線を名前に向けると「傘…たためるか?」と、彼女の差している番傘を指差した。

「え、傘…?」
「ああ。西日が強えから名前には少しキツいことを言うかもしれねえが……」
「それは大丈夫だけど…、どうして?」
「日光に弱い名前の番傘は身を守らなきゃならねえ分普通の傘より大きい。だがその代わり、そいつを差していると視野が狭くなるだろ?」
「! …そっか。視野が狭いってことは、死角が多いってこと…」

己の言わんとしていることに気づき番傘をたたんだ名前を一瞥した承太郎は、もう一度視線を周りを取り囲む高台の斜面に戻すと、「『虫喰い』のスタンドの攻撃は俺達に見えないスピードではない…」と冷静に自分達が取るべき行動を名前と仗助に伝える。

「その発射地点を見逃すな。奴の潜んでる所を見つければ逆に狙撃してやる…」

カチャリと微かな音を立ててライフル弾を握る承太郎に、名前が「…分かった」と気を引き締めて、広くなった視界で高台の斜面を捉えたその時――。

「うぐうっ!!」

岩陰に身を潜めながら名前や承太郎と同じく高台の斜面にへと目を凝らしていた仗助から、呻き声と共に「なんだこりゃあ〜っ!」と驚愕しているような声が上がった。

「「!!」」

その異常があったとしか思えない声に、名前と承太郎が意識と視線を仗助に向けてみれば、仗助は岩陰から身を乗り出し、顔を歪めながら必死に自分の右手から何かを外そうとしていた。

「! そいつは……」
「…うそ、」

そして、仗助の右手に引っ付いている物が『虫喰い』用に仕掛けた罠であると、二人が気づいたその瞬間――。

 ――ビスッ!

「なっ!!」

名前と承太郎の間を抜けて、仗助の首元に人を容易に溶かす毒針が撃ち込まれてしまった。
まさか、捕えられる側の鼠が逆に罠を利用して人間を嵌め、罠を外そうと躍起になっている隙に攻撃をしてくるとは夢にも思っていなかった仗助は、「仗助ッ!」と叫ぶように名を呼ぶ名前の声を聞きながら『鼠にそんな知能があるのか』と、どこか毒針が刺さったことが他人事のように思考を巡らす。

「『スタープラチナ・ザ・ワールド』!」

しかし、仗助の思考は『星の白金』を出現させた承太郎によって、すぐに止まることになる。

「やれやれだぜ…」
「…承太郎…、」

再び承太郎と名前だけを残して停止した世界。仰け反るような格好でぴたりと止まっている仗助に大きく息を吐いた承太郎は、心配そうに見つめてくる名前に「大丈夫だ」と返すと、『星の白金』で今度は極力触れぬよう仗助の首元に刺さった毒針を指で弾き取る。
その直後――針が抜かれた仗助の首からは鮮血が噴き出し、彼は唐突な出来事に「おおっ!」と何とも言えない声を漏らしながら、血が噴き出す自分の首元を慌てて押さえた。

「安心しろ…毒が回る前に針は抜いといた。刺さった部分の肉ごとな…」
「…仗助、治すから少し屈んで?」
「す…すみませんス、」

時を止めて毒が回る前に針を抜いてくれた承太郎と、自分に痛みを取り込んでまで傷を治そうとしてくれる名前に、仗助は謝罪ともお礼とも取れる言葉を掛ける。

「……マジですみません。俺のせいで…、」
「なんで仗助が謝るの? 誰だってあの状況になったらびっくりしちゃうし、仗助は何も悪くないよ……ね、承太郎」
「ああ。むしろ仗助のおかげで奴の大体の居場所が分かった」
「…え?」
「あそこの斜面中腹にある三つ並んだ岩の辺り……でしょ?」

先程までの不安そうな表情から一転。ニッと白い歯を見せて得意気に笑いながら『虫喰い』が潜んでいるであろう場所を指差す名前に、全く同じ場所に視線を向けていた承太郎は「さすがだな」と、彼女に釣られて口角を上げる。

「ど…どっちもすげぇッ! 鼠の野郎も……承太郎さんも名前さんも!」

方や罠で動揺を誘い、生まれた隙を逃さず的確に狙撃。方や一度きりの狙撃で弾道を辿り、その大まかな狙撃位置を見つけ出す。
どちらも常人離れした冷静さや洞察力を発揮している現状に、仗助は「今回マヌケなイメージになっているのは俺だけですか?」と、自身の不甲斐なさにガクリと肩を落としたのだった。


* * *


「…次の針を撃ってくる気配がない」

狡猾な鼠からの攻撃を避けるため、岩陰に身を隠してから早数十分。先程よりも濃くなった橙色の夕陽を頬に浴びながら、承太郎は双眼鏡でその距離60メートル先にある三つの岩を、睨み付けるように観察していた。

「やたら撃つと正確な位置を見つけられ、攻撃されると知っているのだ」

一流の狙撃手は標的に確実に当たると確信するまで引き金は絶対に引かない。それは無暗に撃って外したら最後、自分が潜んでいる位置が標的にバレて逆に攻撃されてしまうからである。だから腕が立つ者ほど無駄な弾は使わない。

「本当…強かな野郎だぜ」

そんな忍耐力の塊である一流の狙撃手と同等の行動を取る『虫喰い』に、承太郎から思わず相手を称賛するような言葉が漏れ出すが、この膠着状態に痺れを切らした仗助から「ネズ公を褒めてどうすんスか!」と、鋭い突っ込みが入れられた。

「何か行動を起こしましょうぜ!」
「…そうだな。こいつはお互い気合い入れてかからねーと、」

このまま互いに睨み合っていても、何もない無駄な時間が過ぎて行くだけ。そしてそのまま日が沈んでしまえば、大体ではあるがせっかく潜伏位置を突き止めた鼠に逃げられてしまう。
そうさせないためにも仗助がこちら側から動こうと承太郎に提案し、承太郎が仗助の提案に頷いたその時――番傘の代わりに承太郎のコートを日除けのために羽織っていた名前が、「…よし!」と徐に立ち上がった。

「承太郎、これ…貸してくれてありがとう」
「…名前?」

すっと目の前に差し出されたコートに、承太郎が訝しげな視線を一人だけ立ち上がっている名前に向け、「…もういらねえのか?」と尋ねてみれば、彼女はニコリと可愛らしく笑って首を縦に振った。そして――。

「後は、よろしくね!」

名前は承太郎と仗助にそれだけを言い残すと、番傘を手に取って『虫喰い』がいる岩の方へと歩み出してしまった。

「ちょっ、名前さんッ!?」
「何してやがるッ!!」

何か行動を起こさなくてはと、そうは言ったがあまりにも唐突で無謀な行動に出た名前に、仗助と承太郎は一拍遅れてどんどん歩を進めて行く華奢な背中へと声を張る。

「おいっ、待て名前!」
「危ないっスよ! それ以上近づいたら名前さんが撃たれちまうって…!」

自ら進んで恰好の的になる名前を止めようと、焦り気味な承太郎と仗助が腰を上げて追い掛けようとするが、「来ないでっ!」と名前が拒否するように叫んだことにより、男二人の足がその場から動くことはなかった。

「承太郎と仗助はそこにいて」
「っ、…なんでっスか! 名前さんこそここにいてくださいよッ! それじゃあ『私を撃ってくれ』って言ってるようなモン――」
「そうだよ」
「…え、」

誰よりも傷ついてほしくない名前に何よりも否定してほしい言葉を食い気味に肯定され、仗助の垂れ目がちな目がこれでもかと見開かれる。

「…いま、なんて…?」

信じられないのか微かに震えた声で再度名前から出た言葉を確認する仗助に、彼女はしっかりと前を見据えたまま「『虫喰い』に私を撃ってもらうの」と、自身の目的を明言した。

「私を狙って針を何発か撃ってくれれば、承太郎と仗助が『虫喰い』の正確な位置を見つけやすいでしょ?」
「……囮になろうってーのか」
「簡単に言えばそうなる、のかな…?」
「それなら俺がやるぜ。だからお前は仗助とこの岩陰に――」
「承太郎」

囮なら代わりに務めると名乗り出た承太郎の声は、先程の仗助と同じように名前によって最後まではっきりと形になることはなかった。

「この役目は承太郎がすることじゃない」
「…っ、名前…」
「もちろん仗助だってそうだよ……二人は私には出来ない、二人にしか出来ない役目があるでしょ?」
「…あ、」

ぴんっと細い指を弾く動作を見せた名前に、仗助は小さく声を漏らしながら自分の前にある岩を見下ろした。
その岩の上には承太郎が取り出したものと、仗助が取り出したもの。二人分を合わせて四発分のライフルの実弾が置かれていたのだ。

「私は針を撃ち込ませるために『虫喰い』に近づくから、承太郎と仗助には狙撃…お願いしていい?」
「……ああ。分かった」
「…っス…、」

夕陽を浴びてきらきらと輝く髪を揺らしながら首を傾げる名前に、承太郎と仗助は渋々ではあるがようやく彼女が囮になることを同意した。
そんな心配性で心優しい不器用な二人に、「ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ名前は、再び視線を自身の正面に戻す。そして――。

「気合い入れろ……私っ!」

気を引き締めるようにギリッと番傘の持ち手を握った名前は、今度こそ『虫喰い』に攻撃をさせようと確かな足取りで真っ直ぐ三つ並んだ岩へと近づいて行く。
そうすれば名前の作戦通り『虫喰い』は近づいてくる名前に狙いを定めたようで、ドシュッという発射音を響かせながら毒の針を彼女に向かって複数撃ち放った。

「夜兎、なめないでよ…ネっ!」

 ――『虫喰い』のスタンドの攻撃は俺達に見えないスピードではない…。

勢いよく名前に向かって撃ち込まれた複数個の毒針。しかし先程承太郎が述べたように『虫喰い』が飛ばしたそれは、驚く程速いというものではなかった。
ましてや『星の白金』程ではないが優れた動体視力を持っている名前にとって、不意討ちさえ気をつけていれば『虫喰い』の攻撃を躱すことなど容易いものだった。

「見つかった?」

ぴょんっとうさぎが飛び跳ねるように軽やかに且つ、危な気なく毒針を避けてみせた名前は、目線は前から離さずに後方にいる承太郎と仗助に『虫喰い』の姿の有無を尋ねる。

「い、いや…奴は撃った直後に場所を移動してますぜ!」

背後から返ってきた答えは『無』であった。
承太郎から譲ってもらった双眼鏡を覗き込み、小さな姿を必死に探そうと仗助は忙しなく首を動かすが、既にどこか違う場所に身を潜めてしまった『虫喰い』の姿は見つけられなかった。
そしてそれは承太郎も同じだったようで、彼は『星の白金』の目によって拡大された岩場を睨み付けながら、「斜面横から回り込みながら近づけねえか?」と名前に要望を告げる。

「回り込みながら……分かった、やってみる」
「…頼む。おい仗助……俺達は撃つ瞬間を見つけるぞ」
「う、うっす!」

プレッシャーを感じているのか少々固い仗助の声を耳にしながら、名前は承太郎の要望通りに真っ直ぐに進むのではなく、大きく左から岩の後ろへと回り込むように進んでいく。
すると、上手い具合に追い込められたようで、名前の背後からは承太郎の「いたぞ!」という今度は『有』を示す声が聞こえてきた。

「俺も見つけましたッ!」
「あれなら当てられるかもしれん」

やっとこちら側の攻撃の兆しが見え、承太郎の空気がより鋭い物へと変わっていく。

「距離60メートルだと弾丸はスライダー気味に浮上する……とすれば、ターゲットの1センチ下って所か」

名前の体を張った頑張りを無駄にしないよう、承太郎は全神経をライフル弾を握る己のスタンドに集中させ、確実に当たるよう狙いを定める。それこそ獲物を狩るハンターのように。

「(…やってやるぜ)」

そして、承太郎の強い意思に応えるよう『星の白金』の白いグローブから伸びる指が、薬莢の底に添えられた。しかし――。

「うっ…ぐ、っ…!」
「!!」

唐突に耳に入ってきた名前の呻き声に、承太郎の意識が『虫喰い』から名前へと向いてしまった結果、今まさに狙撃しようとしていた『星の白金』の手がぴたりと止まってしまった。

「…名前…?」

滅多に聞くことのない酷く苦しそうな声に、承太郎が意識だけでなく視線を名前がいる方へ向けてみれば、そこには右腕と右脚を無惨にも溶かされ地面に横たわる名前の姿があったのだった。

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