「ぅ、ぐっ……!」

右腕と右脚が異常に熱い。過去に経験した砂漠地帯の煌々と照る太陽の陽に肌を刺されるよりも……否。それの比にならないくらいの熱さと痛みに、名前は堪らずその場に崩れ落ちる。

「急に、なに…っ?」

何をどう考えても異常が起きているとしか思えない体に、名前は痛みに耐えるように眉根を寄せ、恐る恐る自身の右側に顔を向ける。

「…う、そ…」

熱さと痛みの正体。それを視界に捉えた途端、名前の目が驚きと恐怖の色を乗せて見開かれた。

「溶け、てる……」

何と名前の白い腕や脚からは血よりも薄い赤色がドロリと、流れ出ていたのだ。恐らく普通に生きていたら一生体から流れ出て来ることがないであろう、ピンク掛かった赤色が。

「なんでっ、溶けて…!」

その赤色が一体何なのか。このたった数時間で同じような物を何度も目にして来た名前には、それが自身の"肉"が内側から溶け出したものだとすぐに理解することが出来た。ただそれと同時に、理解出来ないことも一つあった。それは避けたはずの毒針が何故体に刺さったのか……ということだった。それも、針が飛んで来るはずのない後ろ側から。

「ど、どうして…っ、」
「(……『跳弾』ってやつか、)」

名前自身は自分の変化に気付いていないが、彼女は痛みと視覚的ショックから少し冷静さに欠けているのだろう。何故躱したはずの針が背後から刺さったのかと言う疑問は、そのまま後ろを振り向けば簡単に解決出来る物だった。現に名前の背後にある岩を見た承太郎には、彼女が求めている答えがすぐに分かったのだから。

「(……あの野郎、名前が針を躱すことを計算して撃ちやがったな)」

承太郎の視線の先にある一つの岩。その岩は大きく抉られたように削れていて、薄らと白い煙を立ち上らせていた。何の変哲もない、ただの石の塊が自然現象でその様なことになる訳がない。つまり、岩が削られているのは間違いなく『虫喰い』の仕業だ。奴は最初の一撃でまともに撃てば名前に躱されてしまうことを学習し、跳ね返りを利用して彼女を狙ったのだ。

「……どこまでも頭の切れる野郎だぜ」

個体差なのか、それともスタンド能力を手に入れたからなのか。それは誰にも分からないが、鼠という種族にしておくには勿体ない程頭の回転が速い『虫喰い』に舌を打った承太郎は、持っていた実弾を全て仗助の前に置いた。

「……何スか、これ」
「見ての通り俺の分のライフル弾だ。それ、お前に全部やるよ」
「は…? 承太郎さん、マジで言ってんスか」
「大真面目だぜ。今のお前なら必ず当ててくれるんじゃあないかと思ってな」
「……随分とまたプレッシャー掛けるようなこと言うっスね、」

ニヤリと上がる承太郎の口端に、更に仗助へとプレッシャーがのし掛る。だが、彼の表情には微塵も焦りの色が滲んでいなかった。むしろ今の彼は獲物を必ず仕留めてやる、と言うやる気に満ち溢れていた。それはもう罠に引っ掛かったり、名前が買って出た囮作戦に動揺していた人物とは別人であると錯覚してしまう程に。

「任せたぜ……仗助」

この数分で逞しく変化した仗助に全てを託した承太郎は、右腕と右脚を溶かされた状態でも尚囮役を努めようと、必死に残った左脚で立ち上がろうとしている名前の元へと向かった。
そして堂々たる立ち振る舞いで迷わず毒針の動線に入った承太郎は、驚く名前を背に隠しながら『虫喰い』を鋭い眼光で睨み付けた。

「てめえの頭が切れることは確かだし、不本意だが認めてやるよ。だがな、いつまでも有利な立場に自分がいられると思ってんなら……それは大きな間違いだぜ」
「じょ、承太郎…! 何やって、っ…」

今まさに攻撃されそうな囮役の前に態々立ち、尚且つ狙われやすくなりそうな挑発をする。何とも無謀な行動を起こしてくれた承太郎に、名前は「危ないよ!」と彼を移動させようとコートをグイグイと左手で引っ張る。が、承太郎は頑としてその場を退くことはなかった。

『ギィィ……』

"狩られている側"とは到底思えない。全く恐れを抱いていない力強い眼差しと、あからさまな挑発は見事成功したようで、『虫喰い』の中の標的は名前から承太郎へと変わった。砲台のようなスタンドに付属しているスコープを覗き、どんっと仁王立ちした承太郎に照準を定める。同じ人間の雌を庇うように立つあの雄は針を避けることはないだろう。そう承太郎の行動を予想付けた『虫喰い』が遠慮なく毒針を発射しようとした、その時――。

『!!』

突如として『虫喰い』が身を隠していた岩の一部が砕け飛んだのだ。大きな衝撃と音に、毒針を承太郎に撃とうとしていた『虫喰い』の意識が一瞬逸れる。

「外れたか、」
「……仗助」

岩が砕けるまでの一部始終は、残念ながら承太郎の背後に庇われていた名前には見えなかった。だが承太郎の「外れた」という言葉に、きっと今のは『虫喰い』を狙って仗助がライフル弾を撃ったのだと気付く。そして気付くと同時に、名前の背に寒気が走った。

「…っ、だめ……!」

あんな小さな的だ。狙撃自体が初めての者が的確に当てるなんて芸当は早々に出来ない。だがその中でも仗助は懸命に狙いを定め、銃ではなくスタンドと言う異質な形で弾を撃ったのだ。そんな慣れないことだらけの仗助が一発外したからと言って、名前は彼を責め立てるようなことは絶対にしない。しかし彼女は許しても、自然の摂理はそれを許してはくれなかった。

「仗助ッ!!」

ギィィと一際甲高い鳴き声を上げながら、『虫喰い』はライフル弾が飛んで来た方角を睨み付ける。これから奴は既に体が溶けかけている名前でも、身を挺して彼女の盾になる承太郎でもなく、自分を仕留めようとして失敗した仗助を必ず狙うことだろう。だからこそ名前は意地でも仗助を守ろうと、唯一自由に動かせる左半身にありったけの力を込めた。だが――。

「お前は動くんじゃあねーぜ」

名前の決死の覚悟と行動は承太郎の声と、右腕と右脚に障らないように体を抱き竦めてくる『星の白金』によって止められてしまった。

「何で止めるのっ、」
「そんな体になってる名前に無理させる訳いかねえだろ。お前は大人しくしてな」
「でもっ、それじゃあ仗助が……!」
「心配すんな、あいつはそこまで柔じゃねえ。それに――」

 ――この狩りは仗助の勝ちだ。

確信めいた口振りに、確信めいた表情。突然の勝ち宣言に名前が承太郎を大きく開いた目で見つめていると、彼の発言通り事態は急速に変化したのだった。

『ギッ!?』
「やはり見たな。外すと必ず見ると思ったよ、体をこっちへ向けて……」

名前の脳裏に浮かんだように、『虫喰い』はスタンドの照準を承太郎とは反対側にいる仗助に向けた。そして確実に仕留めるべく、岩陰から身を乗り出してスコープを覗いたのだが、それが『虫喰い』の運の尽きだったのだ。
何故なら仗助もまた、必ず仕留めてやろうと標的の姿をしっかり捉えていたのだから。

「今度は的が大きい……確実に狙えるぜ」

スコープと双眼鏡越しに互いの目が合ったその瞬間、仗助の背後にいた『クレイジー・ダイヤモンド』の手が再びライフル弾を勢いよく弾き飛ばした。放たれた弾はスライダー気味に浮上しながらも真っ直ぐとギイギイ鳴く『虫喰い』に向かっていき、一つ瞬きをした頃にはもう小さな体を貫通してしまっていた。

「やれやれ。どうやら終わったようだな」
「……終わり…?」

パタリと横たわる『虫喰い』と、跡形もなく消えて行ったスタンド。唐突に終わりを迎えた鼠狩りに名前が痛みも忘れて承太郎と仗助、息絶えた『虫喰い』を順番に見ていると、今まで格好良く決めていた仗助が血相を変えながら「名前さんッ!!」と、一目散に『星の白金』に抱えられている名前の元へと駆け寄って来る。
そして『クレイジー・ダイヤモンド』と一緒にワタワタと慌てながら、名前の溶けた腕と脚を治し始めた……までは良かったのだが――。

「もうマジで名前さんが倒れてる姿見て仗助くんの心臓縮み上がったんスから! 体の右側はドロドロに溶けてっし、それでも立ち上がろうとするしよォ〜!」
「ご、ごめん……」
「そもそも囮役を自分から買って出るってどういうことっスか!? 宇宙最強の夜兎? っつー前に名前さんは女性なんスから、もっと自分の身体は大切にしなきゃだめっスよ!」
「……はい、」
「まあ名前さんのお蔭で俺もやる気っつーか、闘志が湧き上がったんでネズ公倒せた部分ってーのもあるけどよォ……でも! だからと言って名前さんが怪我するとこなんて見たくないんスよ俺はッ! だいたい――」
「じょ、承太郎っ……」
「止めろっつーなら無理な相談だぜ。俺も仗助と全く同じ意見だからな」
「そんなぁ!」
「名前さんちゃんと聞いてんスか!?」

この後名前は「無理をするな」「もっと周りを頼ってくれ」と、仗助から長い長いお説教をされることになるのだった。


* * *


ジョースターの血統であり、同じ能力が使えるスタンドを持ち、私が愛する名前の幼馴染みという、心底気に食わない立場にいる貴様の話など微塵も興味はない。耳を貸すだけ時間の無駄だ。だがそこに名前が絡んでくるのであれば話は別だ。名前は私の全てだからな。だから態々このDIOが気に食わん貴様の部屋まで足を運んでやったのは、他の誰でもない名前の――。

「やかましいッ!!」

濃い赤色が入ったワイングラスを傾けながらつらつらと何とも腹立たしい御託を並べる男に、承太郎の大きな一喝が入る。その甲斐あって部屋には承太郎の好む静寂が戻って来たのだが、代わりに言葉を遮られてまで一喝を入れられたDIOの眉間には深い皺が寄せられた。

「……何のつもりだ?」
「てめえこそ何なんだよ。部屋に入って来てからグチグチ喋りやがって」
「貴様がこのDIOを呼んだのだろう?」
「ああ。確かに俺は『名前のことで話がある』と言っててめえを呼んだ。だが『名前のことを話せ』とは一言も言ってねえ」
「……フン。相変わらず減らず口の多い奴め」

いくら十年分の時が経とうとも一向に縮まらない二人の距離。そもそも当の本人達に分かり合おうと言う気がないので距離が縮まらないのは当然なのだが、水と油のような関係の二人が合わさった空間に同席した者には、この重い空気感は堪ったものではない。そのため主の付き添い兼お茶汲みとして承太郎の部屋にやって来たテレンスは、キリキリと痛む胃を宥めようとDIOの背後で懸命に摩っていた。
そんな執事の心労を知ってか知らずかDIOは徐に睨み付けていた承太郎から視線を外すと、微かに扉が開いているベッドルームへと琥珀色を向けながら静かに口を開いた。

「承太郎。貴様が言う名前の話と言うのは、名前が止まった時の中を動くことが出来る……と言ったものだろう?」
「! 知ってたのか……」
「名前のことは全て知っていて当然……と言いたいところではあるが、偶然にな」
「……偶然知った経緯がとんでもねえモンな気ィするが、まあ今はいい。話が早く進むに越したことはねえからな」

 ――何で名前が止まった時の『世界』に入門出来たと思う。

実に真剣な目で、真剣な声で、真剣な様子で尋ねてくる承太郎に、DIOは「……フム、」と長い指を顎に添える。

「俺が最初に浮かんだのは名前がてめえのスタンドを取り込んだ……ってことだ。お袋や、先祖であるジョナサン・ジョースターのスタンドを取り込んだ時のようにな」
「……あの白いうさぎか」
「ああ。だとすれば止まった時の中を多少動けても可笑しくねえと思ったんだが……今のてめえの話を聞く限り、名前は『世界』を取り込んだりはしてねえな」
「『星の白金』も……となれば、スタンドの線は希薄のようだな」

スタンドの力ではないとなると、名前自身の体に何か異変があったとしか考えられない。少なくとも十年前はDIOの『世界』にどうすることも出来ず、エドフのホテルから連れ去られているのだから、変わったとすればその後だ。その後名前は江華に連れられ、どことも分からぬ時間の狭間に――。

「……そうか、時間か」

名前に起きた出来事を時系列順に思い出そうとしたところで、不意に承太郎の肩の力が抜けた。何故そんな簡単なことが浮かんで来なかったのだろうか。すぐそこに答えが転がっていたと言うのに、それに気付いた今では見落としていたことが不思議で仕方ない。
何とも呆気ない答え合わせに、無駄に深く考え過ぎたと承太郎が大きな溜息を吐き出せば、向かい側の一人掛けソファーに腰掛けるDIOがニヤリと口端を釣り上げた。

「どうやら頭が固い貴様も分かったようだな」
「ああ。過去にてめえが犯した胸糞悪い行動を思い出したお蔭でな」
「ほう? それは存分に感謝するが良い」
「気が向いたらしてやるよ」

まともに会話をしていたのは数回のみで、再び皮肉を混じえた受け答えをし出した二人に、テレンスは大きな瞬きをパチリと一つ。もう話し合いは終わったのでしょうか。だとしたら早く自分に宛てられた部屋に戻りたい……。
再び重くなった空気にテレンスが少々ゲッソリしながら淡い期待を胸に抱いていると、何とそれに応えるかのようにDIOが唐突に立ち上がった。

「つまり、だ。名前が止まった時の世界に入門出来たのは江華によって時間の狭間に連れていかれ、本人の意思とは関係なく時を超えてしまった分、私達が止めた世界にも干渉することが可能になった……と言うことだ」
「……やはりそうか」
「まあ、今となっては名前がどんな理由で『世界』に干渉出来るようになったかなど私にはどうでも良いことだがな」
「あ?」
「それよりも重要なのは、名前が止まった時の中を私と同じように動けることにある」

先程までの人を馬鹿にした笑みとは違う。特定の人物にしか向けないであろう穏やかな笑みをとある一点に向けるDIOに、承太郎の脳裏には嫌な予感が過ぎる。もしや隠していたものがバレたのかと。

「どうしたんだ承太郎。顔色が悪いぞ?」
「! こいつ……っ、」

残念なことに承太郎の嫌な予感は的中してしまった。確実にこの野郎はベッドルームに隠した存在に気付いている。そう確信を得た承太郎が次に取る行動と言えばDIOをベッドルームに行かせないことなのだが、彼が『星の白金』を呼ぶより先に『世界』によって時を止められてしまった。

「フン。残念だったな、承太郎。貴様がもう少し長く止まった時の中を動くことが出来れば、大事なものも見つからずに済んだのにな?」
「(っ、てめえ……DIO!)」

体はたった二秒間しか動かせないが、意識だけはしっかりと動いている承太郎に向けて挑発するように鼻を鳴らしたDIOは、テレンスが何よりも出たいと願っていた部屋の外に繋がる扉にではなく、いつの間にかきっちりと扉が閉められているベッドルームへとゆっくり歩を進めていく。そして――。

「――やはりな」

ガチャリと静かにドアノブを捻り、間接照明だけが灯る薄暗い室内に身を滑らしたDIOは、ツインベッドの片方のシーツが膨らんでいる様を視界に捉えるや否や、愛おしそうに目を細めて笑った。

「フフッ。それで隠れているつもりか?」

 ――名前。

そっとベッドの縁に腰掛け、清潔感のある白いシーツの端を持ち上げてみれば、ゆらりと揺れる蒼色と目がかち合う。何でここに居るって分かったの、とでも言いたげなその表情にDIOは口角を上げると、ずいっと名前の方へ端正な顔を寄せた。

「匂いだ」
「匂い……?」
「先程名前は私と承太郎の話を盗み聞きしていただろう? あの扉を開けて……」
「う、うん」
「そのお蔭で私の鼻はお前の甘美な匂いを嗅ぎ取れた、という訳だ」
「……私、そんなに甘い匂いする?」

匂いで分かった、と言っても彼らが話し合いをしていた場からベッドルームは結構距離があったはずだ。それに名前は承太郎に連れられてホテルへ帰って来た後、汗や泥で汚れた体を綺麗にするためシャワーも浴びているのだ。だからすんっと鼻を動かして名前が自身の匂いを嗅いでみても、ほんのりとしたボディーソープの香りしかしない。甘い匂いなんてどこにも……と名前が首を傾げたその時、ぐっとベッドが新たな重みで沈んだ。

「っ、DIO……」

今まで横に座っていたDIOが覆い被さるようにして体勢を変えてきたことに、名前の表情と体が強張る。明らかに前回のことで一挙一動に強い警戒を抱かれているが、そんなものまるで気にしないDIOは指をするりと名前の頬に滑らせた。

「お前はこの世の何よりも甘く、芳しい」
「……っ、」
「この柔らかな体を全て食らい尽くしてやりたいと思う程にな」
「あ、っ……!」

ほうっ……と熱のこもった息を吐いたDIOは、名前の頬に滑らせた指を今度は体のラインをなぞるようにどんどん下へ下げていく。
一番強く甘美な香りを放つ首筋。男にはない柔らかでまろい大きな胸。美しい曲線を描いた女性らしいウエスト。名前の魅力の一部であるそれらをしっかりと指先で感触を確かめるようになぞったDIOは、最後の仕上げとでも言うように彼女のTシャツの裾に指を掛けると、くいっとそれを上へと捲り上げた。途端にDIOの前には真っ白なお腹と、小さく可愛らしい臍が現れる。

「やっ、ちょっ……DIO!?」

体を撫でられるだけでも驚きと恥ずかしさで堪らなかったのに、剥き出しのお腹を凝視され、くるりと臍の周りを指でなぞられたりしてはそれ以上に堪ったものではない。無遠慮に薄い肌の上を滑るDIOの手を、名前は顔をこれでもかと真っ赤に染めながら慌てて掴む。が、彼女の手は掴んだはずの大きな手によって逆に捕らえられてしまった。

「なあ名前。今この世界には私と名前しか居らんのだぞ? 何を恥ずかしがる必要がある?」
「っ、え……? え、でも承太郎すぐそこにいるはずだし……テレンスさんだってさっき、」
「ああ。確かに承太郎もテレンスも隣の部屋に存在してはいる。だが、この止まった時の中で動けるのは……私達だけだ」
「……止まっ、た……?」
「今度は誰にも邪魔されず、名前を愛することが出来るな?」
「っ、ねえDIOっ! そ、そのことだけど、私まだ――っ、」

ニヤリといつになく意地悪で、色気のある笑みを浮かべながら顔を寄せて来るDIOに、名前は咄嗟に止めようと声を上げる。だがやはり制止の声など聞き入れてくれないDIOはもう目と鼻の先にいて、甘さを孕んだ琥珀色にこのままではいけないと分かっていながらも名前は思わず固く目を閉じてしまう。しかし――。

「……?」

何故だか一向に何の感触も襲って来なかった。可笑しいな、いつもならすぐに……と、自分で言うには中々に恥ずかしいことを名前が思い浮かべながらそろそろと目を開けてみると、鼻先が触れる距離で止まったままじっと見下ろしてくるDIOと目が合った。

「えっと、DIO?」
「ん? どうかしたか?」
「いや、あの……」
「……もしや、ここに触れられることを期待していたのか?」

困惑気味に口をまごつかせる名前に目を細めたDIOは、掴んでいた名前の手を離すとその手で彼女の下唇にそっと触れた。何なら今からでも、と少し距離を縮めれば「ち、違うっ!」とまたもや顔を赤くした名前に叫ばれる。

「フフッ、冗談だ。いくら名前が食らってやりたい程甘く美しくても、疲れているお前に手を出す程理性がなくなった訳ではない」
「!!」
「今日は承太郎や老いぼれジョセフの息子に付き合わされ色々あったのだろう? 名前は素直だからな、疲れたと顔に出ているぞ」
「えっ、うそ!?」

疲れが顔に出ているとDIOに指摘された名前は、慌てて自身の両頬を手で押さえる。実際のところ顔に出ていると言うより、少しだけ目が充血しているだけなのだが、それを知らない名前はペタペタと頬を触って確かめようとしていた。

「(……触ったところで分かるはずもないだろうにな)」

視覚を使わずに感触だけで顔に出た疲れを確認しようとする名前の少しマヌケで、それでいて最高に愛らしい行動にDIOはくつりと喉を鳴らして笑う。だが、次の瞬間には彼の眉が不機嫌そうに顰められた。

「(まさかこのDIOが己の言葉に後悔する時が来るとはな……)」

鼠狩りに赴き、疲弊した名前の体のためを思い身を引いたが、そんなもの関係なくこのまま抱いてしまおうか。そうDIOの中の飢えた雄が下にいる愛らしい名前の様子に刺激されるが、やはり一度言葉にしたものを覆すのは意に反する。それが名前に対してだと尚更だ。
後から悔やむことなど早々ないDIOは小さな息を吐く。しかし今更どうすることも出来ないため彼は潔く身を引く腹を決めると、最後にこれだけでもと言うように未だ自分の頬をムニムニと触る名前の唇にちゅっ、と小さなキスを落とした。

「――ッ!!」
「次は何があろうと名前の身も心も抱くぞ」

油断し切っていたところでの不意打ちのキスに名前の動きが石のように固まり、目が大きく開かれる。そんな名前を余所に彼女のものと触れ合った唇を赤い舌で舐めたDIOは、「だから覚悟しておけ」とだけ言い残すと、颯爽と部屋を後にしてしまった。

「名前ッ!! 何もされてねえか!?」
「ぅ、え……?」

ちなみに大胆な宣言をDIOから受けた名前の意識が戻ってきたのは、『世界』の能力から解放された承太郎が『星の白金』と共にベッドルームの扉を破壊せんばかりに飛び込んで来てからだった。

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