「ロールケーキにシュークリーム……ああっでもプリンも捨てがたい!」

勾当台にあるコンビニ業界大手"オーソン"のスイーツコーナーに、それはもう運命の分かれ道を決めるかのような真剣みで自分へのご褒美のスイーツを選ぶ名前の姿があった。

「どうしよう迷う、」

ふわふわの生地と濃厚なクリームが魅力のロールケーキにするか。たっぷりとシュー生地の中に入ったカスタードと生クリームが相性抜群のシュークリームにするか。それとも素材である卵の味がしっかりとする口どけなめらかなプリンにするか。どれも一度とならず何度も食べたことがあり、その美味しさをよく知るからこそ中々即決することが出来ない。
ぐぬぬ、と小さく呻きながら睨み付けるようにご褒美候補に挙がっている三つのスイーツを見ている名前に、彼女の隣に立ってただただ見守っている花京院は口元を緩ませる。

「(こう見ていると、とてもじゃあないが夜兎という天人だったり、止まった時の中に干渉出来る人とは思えないな……)」

真剣に悩んでいる名前には申し訳ないが、その横顔はスーパーのお菓子売り場で見掛ける小さな子供によく似ている。そんな子供のような姿を見る限りでは、名前は何処からどう見ても普通の可愛らしい女性だった。誰も彼女が止まった時の中を動ける大食いで怪力な戦闘一族だとは思うまい。

「(ああ、でも……"普通の可愛らしい女性"ではないか)」

スイーツコーナーの近くで品出しをしつつも、チラチラと熱い視線を名前へ送るコンビニ店員をその目に捉えながら、花京院は一つだけ自身の思考に訂正を入れる。名前は普通の可愛らしい女性ではなく、町のコンビニ店員から吸血鬼まで惹き寄せるとても魅力的な女性であると。

「(まあそれはいいとして……彼の方は労働者としてどうなのだろうか)」

名前が気付いていないのをいいことに、とうとう品出しをしながらの盗み見から手を止めての直視に変わった職務怠慢なコンビニ店員に、自分が見られている訳じゃないが花京院は少々気分が悪くなる。さすがにそれはあからさま過ぎないか、と。ここに居たのが一昔前の承太郎であれば、「見てんじゃあねえぜ鬱陶しい」と一喝されてしまうだろう。いや、名前が絡めば今でも変わらぬ迫力で一喝するかもしれない。

「よしっ!決めた!」

花京院の脳内に浮かんだ承太郎が思いっ切り煩わしそうに顔を顰める。が、泣く子も黙る友人のおっかない表情と最早ただ突っ立っている店員の姿は、「これにする!」とようやく一つのスイーツを手に取った名前によって呆気なく脳内と視界から消え去ってしまった。その代わり花京院の目に映ったのは、ふんわりとした黄色と白のコントラストだった。

「ロールケーキにしたんですね」
「うん! Wクリームのシュークリームも、なめらかなカスタードプリンもすっごく魅力的だったけど、今回はふわっふわのロールケーキに決めたよ」
「フフッ、そうですか。それじゃあ僕は……」

ふわっふわのロールケーキとやらを大事そうに持つ名前は、やはり子供の面影を感じさせる。食べ物でも特に大好きな甘い物が絡むとどこか幼くなる名前を、これまた優しげな目で見下ろした花京院は徐に棚へ手を伸ばすと、彼女が泣く泣く諦めたシュークリームとプリンを手に取った。

「この二つにします」
「……いいなぁ、」

甘い物に目がない名前の中にもポリシーがあり、自分のご褒美として買うコンビニスイーツは一個と決めている。そのせいで毎回時間が掛かり、よく承太郎に「早くしろ」と怒られていたのだが、意外と怒られながらもこの何を買おうかと悩む時間が彼女は好きだった。ただそのポリシーは他の人は持っていないし、勿論名前も強要したりしない。だから花京院が名前の欲しかった物を二つ買おうが、三つ買おうが彼女自身が不満に思うことはない。思うことはないのだが、少し羨ましいことは事実である。

「やっぱりシュークリーム……いやプリンの方が……でもロールケーキって決めたし、」
「(ああ、またその表情……)」

人の手にある物の方が棚に並べてあるより断然美味しそうに見えてしまい、名前のせっかく一つに決めた心が揺らいでしまう。先程のようにぐぬぬ、と再び唸り出してしまった名前に可愛らしい人だと破顔した花京院は、「大丈夫ですよ」と彼女の背をそっとレジの方へと押した。

「これは僕の口に入る訳じゃあないので」
「えっ、え? ……どういうこと?」

半ば強制的に女性店員がいるレジの方へ連れてかれた名前が花京院の言葉の意味を理解したのは、シュークリームとプリンが入ったビニール袋を渡されてからだった。

「の、典明っ! こ、これ……!」
「僕から名前さんへのご褒美はいくつあってもいいですよね?」
「っ〜〜! ありがとうっ!!」

人が喜ぶことをさらりとスマートに且つ、嫌味なくやってのけた大人な花京院に、名前は感動で頬を赤らめ、人目を気にせず思わず彼に抱き着いた。それはもう全身で嬉しいと言う感情を表すように。

「どういたしまして」

胸に飛び込んできた柔らかな体に内心ドキリとしながらも、花京院はしっかりと名前を包むように腕を回した。傍から見たら恋人同士に見える二人の、コンビニ店内では場違いな抱擁に、店員を含め偶然この場に居合わせた者は気まずそうに目を逸らす。
ただ、その中で一人だけ花京院に羨望の眼差しを向ける者が居たのだが、その彼に対して花京院がひっそりとほくそ笑んでいたのは誰も知らない。


* * *


「……うわぁ、」

先日の鼠狩りの一件のお礼も兼ねたご褒美を花京院から貰い最高に上機嫌であった名前だが、それはオーソンの扉を潜る前までの話だった。

「おや? 名前じゃあないか」

奇抜なヘアバンドに珍しいGペンのピアス。そして肩から下げられた大きなスケッチブック。町中を歩くには中々に特徴的な出で立ちの見知った男に、名前の表情は途端にムスッとした不機嫌なものに変わった。

「偶然だな」
「……何でここにいるの」
「おいおい。僕だってこの杜王町に住んでいるんだぜ? 町中を自由に歩いていたって可笑しくないだろ」
「そうじゃなくてっ! 怪我してたでしょ!」
「ああそのことか。名前が心配しなくてもこの通り、もうだいぶ良くなったよ」
「別に心配してないヨ!」

むしろもっと長引いたら良かったのにと、人に優しい名前から出た言葉とは到底思えない棘のある言葉に、花京院は目を丸くする。

「名前は……コンビニから出て来たんだから買い物か。何を買ったんだい?」
「何でもいいでしょ」
「ほぉー、ロールケーキにシュークリーム。これはプリンか。見事に乳製品ばかりだな」
「あっ! ちょっと勝手に見ないで!」
「こういうのばかり食べているから、そんなに胸が育つんじゃあないのか?」
「なっ!?」
「これはHカップも夢じゃあないかもな。そうなったらぜひ取材を――」
「〜〜っ、もう! その話やめてヨ!!」

何やら聞き捨てならない単語が耳に付いたが、それよりも普段と全く違う名前の様子の方が気になって仕方がない。冷たくあしらったり、声を荒らげて怒ったり。全体的に好意的なものではないが、一番身近な承太郎を含め他の人物達とは違う対応をする名前と、される男に花京院は少しだけ胸がざわついた。

「……康一くん。少しいいかい」

あの青年は一体誰なのか。それを知ることが今一番の優先事項だと思い立った花京院は、見知らぬ青年と何故か一緒に居た広瀬康一に声を掛ける。動揺していると悟られないように、努めて冷静な声色で「彼とは知り合いなのかい?」と尋ねてみれば、康一は複雑そうに笑いながら首の後ろをポリポリと掻いた。

「知り合い、と言いますか……えっと、あの人とは僕も名前さんも色々ありまして……特に名前さんは結構、」
「色々?」
「多分、花京院さんも仗助くんから聞いてるとは思うんですけど……あの人が漫画家でスタンド使いの岸辺露伴って人です」

その話を聞いて花京院の中で一人の人物像が浮かび上がる。波長の合う者を紙に変え、その者の個人情報や送ってきた人生を読んだり、自分が有利になることを書き込めたりするスタンド能力を持ち、漫画のネタになると偉く名前を気に入っている漫画家がいる。そう仗助から聞いていた花京院は「彼が……」と、プリプリと怒る名前に対し、愉快そうに口角を上げている露伴を見遣る。

「そうか、彼が例の……」
「花京院さん?」
「花京院……?」

そしてもう一度花京院が確かめるように呟き、名前に"色々"としてくれた男を細めた目で見ていると、不意に露伴の目がこちらを向いた。

「花京院……ああ、SPW財団の医療チームに所属している貴重な生まれつきのスタンド使いか。確かスタンドは遠隔操作型の『法皇の緑』……だったかな?」
「初対面だと言うのに岸辺くんは随分僕のことに詳しいんだね」
「名前から教えてもらったもので」
「それは彼女の許可なく、だろう?」

花京院と露伴の互いの第一印象は最悪なものだった。それはもう余所行きの笑みを貼り付けた二人からすっ、と表情が消える程に。
その怖いくらいの変わり様に、不運にも間に挟まれた康一からは「ひぃっ!」と情けない悲鳴が上がる。

「……典明、もう行こう?」

背の低さが幸いして無表情で睨み合う花京院と露伴の目線上に入ることはなかったが、それでも静かに火花を散らす二人に挟まれ顔を青くする康一は、さながらプルプルと震えて怯える小動物のようだった。その姿がどうにも庇護欲を誘い、加えて露伴にあまりいい印象を抱いていない名前は、一刻も早くこの場を去ろうと花京院の腕をそっと掴んだ。

「ああそうだ。せっかくだから名前も僕と康一くんに付き合ってくれよ」

しかし花京院の腕に触れた名前の手を握り返したのは、他の誰でもない。彼女が一刻も早くこの場を立ち去りたい原因である、露伴だった。

「どうせそのスイーツを食べることしかこの後の予定はないんだろう?」
「ひっ、人を暇人みたいに……!」
「違うのか?」
「っ、今日はたまたま何もない……けど、」

嘘をつくのが下手、と言うより嘘をつけない名前は、露伴の確かめるような問いに不貞腐れながらも素直に答えてしまう。その瞬間、無表情だった露伴の顔に再び愉快そうな笑みが戻る。本当に名前はどこまでもお人好しだ。人を騙せないことは勿論、普通であれば嫌いな奴の手など叩き落としてでも振り解くはずなのに、彼女はそれをしなかった。人より力が強いことを気にしてなのか、それともこの露伴が漫画家で筆を持つ職業だから気を遣っているのか。後者であればより気分は良いが、どちらにしても名前の本気で拒絶をしていない姿勢に露伴の気分は上々だった。

「そもそも、付き合うってどこに……」
「どこも何も僕と康一くんが行こうとしているのは名前の後ろにある路地だぜ」
「へ? 後ろ?」

ほら、と後方に目を向けながら指差す露伴に名前も釣られて後ろを振り返ってみると、オーソンとドラッグストアの間に車一台分が通れそうな程の広さの路地が目に映る。
奥に立派な一軒家が建つその広くも狭くもない路地を捉えた途端、名前は「あれ……?」と目を瞬かせた。そして彼女の隣で花京院もまた、路地を見て複雑そうに眉根を寄せる。

「さっきここ通った時こんな道あったっけ?」
「……気付かなかったな」

話に夢中になっていたと言われればそれまでなのだが、名前と花京院はオーソンに寄るため勾当台のバス停から蕎麦屋の有す川。薬屋のドラッグのキサラ。最後にオーソンと、並んだ店舗の前を一度通っているのだ。その際に一軒家が奥にどん、と建つ路地の前を通った覚えはなかった。

「実は僕もオーソンの横に道があるの露伴先生に今日言われて知ったんですよ」

二人して気付かないこともあるんだねと、名前と花京院が顔を見合わせて不思議そうに話している中、この杜王町に十年以上も住み、確実に彼女達より町に詳しい康一から驚きの一言が掛けられる。

「えっ、そうなの?」
「反対側の通りにある町内地図の看板にこの道が描かれていないんだ。更に加えれば、僕の持っている国土地図書院発行の『杜王町三千分の一』にすら載ってないんだぜ」
「地元住民も知らない、正式な地図にも載っていない道……か。益々不思議だな」
「どこに繋がっているのか気になってね。康一くんと調べに行こうって話になったんだ」
「……ほとんど無理やりですけどね」

高圧的な態度で断る余地も与えてくれなかった露伴を思い出して、康一は苦笑を浮かべる。その様子に彼も中々露伴から面倒臭い絡み方をされているのだなと、名前は同じ仲間として同情心を抱く。しかしそれとこれとでは話は別だ。

「せっかくのお誘いだけど、私はやっぱりどこに繋がっているか分からない道より、典明が買ってくれた美味しいスイーツを食べる方を優先したいから……露伴先生ごめんネ?」

確かに少しも気にならない訳ではない。地図に載っていない道を調べるなんて、探検のようなその誘いは好奇心を刺激するには充分だ。が、名前の大好物である甘い甘いスイーツの前では、好奇心など無いに等しいのだ。
わざとこてりと首を傾げ、着いて来ると確信していたであろう露伴に"ノー"と断ってやった名前は今度こそ花京院の手を取り、露伴と康一に背を向けて帰路に着こうとする。しかし――。

「名前さん帰っちゃうんですか……?」
「一緒に調べてくれたらお礼として名前が気に入っていた有名洋菓子店のクッキーを一缶やろうと思っていたんだが……それは残念だな」
「っ、何それずるい――ッ!!」

捨てられた子犬の鳴き声に似た寂しい声と、東京でしか買えない有名で高級なクッキーの甘い誘惑に、とうとう名前は二人の前から立ち去ることは出来なかった。

「……あ、承太郎かい? 悪いけどホテルに戻るのが予定より遅くなりそうでね。SPW財団の職員が来たら代わりに書類渡しといてくれないかな。え? ああ、問題は別にないよ。ただ……可愛い物と甘い物には誰も勝てないんだなって話さ」

携帯のスピーカー越しに聞こえる心底意味が分からないと言った低い声に、花京院はまんまとその手に乗せられ遊ばれる可哀想な兎を見ながら、「何でもないよ」と困ったように笑った。

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