「案内してあげようか」
「(……女!)」
「(彼女は……、)」

突如として気配もなく現れた一人の少女に、露伴と花京院は警戒心を強める。この状況で道案内を買って出て来た目の前の少女は、一体何者なんだ。もしや彼女が元凶のスタンド使いなのかと、露伴と花京院の思考が全く同じことを思い浮かべた時、少女の髪色と同じ桜色の瞳が、花京院の腕の中で泣いている名前に向いた。

「ねえ、その人……」
「何かな」

少女の瞳と関心が名前に向いていることに気付いた花京院が、少女から名前を隠すように体勢を変え、いつでも"対処"出来るようにそっと地面に『法皇の緑』を這わせた。その瞬間――。

「『ヘブンズ・ドアー』!!」

露伴の指先が凄まじい速さで空を切り、あっという間に少年の顔の絵をその場に描いた。

「有無を言わせず先手必勝さ!」

露伴によって描かれ宙に浮かび上がって来た少年、基彼のスタンド『ヘブンズ・ドアー』は、やがて人像を象ると少女の額に触れた。

「これで一先ず安心だな。こいつはもう僕らに危害を加えることは出来なくなった」
「……これが岸辺くんの、」

本と化し、気を失った少女に攻撃出来ない旨を書き記していく露伴に花京院は瞠目する。絵が飛び出す点については仗助から聞いていたものとは若干異なるが、初めて目にする何とも露伴らしいスタンド能力に、花京院の口からは自然と「すごいな」という言葉が漏れる。だがその言葉は被せるように上がった康一の声により、露伴に聞こえることはなかった。

「す、すごい! い、今……空中に絵が飛び出たように見えましたけどっ、」
「ちょっとは成長したってことかな。最も僕の漫画が嫌いな仗助のようなダサい人間には通用しないけどね……」

仗助に『ヘブンズ・ドアー』が通用しなかったのは彼が漫画を嫌っていると言うよりも、露伴の必要以上に髪型を貶す策略に問題があったような気もするが、本人はそうとは思っていないらしい。まだまだ鮮明に覚えている苦い記憶にフン、と不機嫌そうに鼻を鳴らした露伴は、仗助とは違って波長の合った少女の、個人情報が載ったページを読み始めた。

「ム! こいつ……スタンド使いじゃあないぞ。ただの女の子だ……」
「……スタンド使いじゃあない?」
「てっ、敵じゃあないんですかッ!?」
「ああ……『ヘブンズ・ドアー』に隠し事は出来ない」

本人の意思は関係なく全て読ませてくれると、改めて『ヘブンズ・ドアー』の能力の高さを語った露伴は、少女がスタンド使いではないことを花京院達に証明するように、ページに記されている事柄を次々と声に出していく。

「名前は杉本鈴美……16歳。住所は杜王町勾当台3の12、すぐそこだ。彼氏はいない。スリーサイズは82・57・84。左乳首の横にホクロがある。初潮があったのは11歳の9月の時で、初めて男の子とキスをした時舌を入れられ――」
「ちょっと待ってェ岸辺露伴ン――ッ!!」

ただ、本当に必要だった少女の個人情報などは最初のひと握りだけだった。後は全く関係のない、彼女のプライバシーを害するような物ばかりを声に出す露伴に、康一の絶叫が響き渡る。

「その女の子がスタンド使いじゃあないんならそれ以上読むことは僕が許しませんッ!」
「……岸部くん。いくらなんでもそれは人としてどうなんだい?」
「分かった、分かったよ。そう怒るなよ」

顔を真っ赤にして烈火のごとく怒鳴る康一と、人間そこまで出来るのかと感心する程冷めた目で見てくる花京院。そして極めつけに、先程まで花京院の腕の中でぐずっていたはずの名前から、「露伴先生ほんとに最低」と批判の声をハッキリ頂いた露伴は、今起きたことを全て忘れる旨を新たに書き記すと少女を解放した。

「案内してあげようか?」

露伴の能力のお蔭で自身に何があったのか知る由もない少女――杉本鈴美は、この辺りは似たような路地が幾つもあって迷いやすいのだと、真っ直ぐな目でもう一度露伴達に道案内を買って出る。鈴美が襲って来ているスタンド使いでないと知った今、彼女の純粋な眼差しに康一は更に顔を真っ赤にさせ、名前は申し訳なさそうにその目を見つめ返し「……お願いします」と小さく頭を下げた。
しかし、どうやら鈴美に対して警戒心を解いたのは康一と名前だけだったらしい。

「君のその気持ちは有難いんだが……そこまでは必要ないよ」
「行き方だけ教えてくれればいい」

鈴美がスタンド使いではないと分かっても尚、依然として警戒を緩める気配のない花京院と露伴は、「あたしに着いて来て」と名前に向けて笑う彼女の案内役をスッパリと断った。
せっかくの鈴美の善意と、気味の悪い路地から出られる最短の手段を跳ね除けた二人に、名前からどうしてと言いた気な目が向けられる。

「いいか名前」

訴えるような名前の目に、露伴が"杉本鈴美の信用していい部分はスタンド使いではない"ことだけだと。それ以外はまだ完全に気を許す状態ではないことを伝えようとする。だが――。

「ダメダメ!」

露伴の声よりも先に、何とも勢いのある鈴美の声がこの場にいる全員の鼓膜を震わせる。

「説明だけじゃあ分からないのよ! それに……このお姉さんは早く戻りたいみたいだし、あたしが案内してあげるから着いて来て!」

鈴美は可愛らしい見た目に反して、意外と押しが強い方だったらしい。彼女は道案内を断って来た露伴と花京院の言葉を更に断ると、唯一頭を下げてくれた名前の腕を絡めるように取る。そして面食らっている男達には見向きもせず、行きましょうと半ば強引に名前を連れて先を歩き出してしまったのだ。

「ろ、露伴先生! 花京院さん! 名前さんが行っちゃいますよッ!?」
「……念の為聞くが、どうします?」
「どうも何も――」

徐々に離れていく鈴美と名前の華奢な背中と、康一の焦った声に露伴は溜息混じりに花京院へ最早答えが分かり切っている問い掛けをする。そうすれば、案の定花京院から返って来た答えは露伴が思い浮かべていたものと全く同じだった。

「僕達は彼女に着いて行くしかないだろう」

落ちていた名前の番傘を拾い上げる花京院の言葉を口火に、その場に残された男達の足がようやく動き出したのだった。


* * *


ポキッと、プリッツにチョコレートがコーティングされた細長いお菓子が半分に折れる。その途端、鈴美から「あっあ〜!」と何とも楽しそうな声が上がった。

「あなた女の子にフラれるわよっ!」

半分に折れたお菓子の片割れを持つ露伴に向けて断言するように告げる鈴美。そんな彼女に突然お菓子の端を持たされ、突然異性にフラれる旨を告げられた露伴は訝しげに顔を歪める。

「……何だ? この女……」
「『ポッキー占い』よ。折れた感じで占うの」

折れた先が尖ったように斜めに折れたお菓子の断面を露伴へ突き付けた鈴美は、「あなたワガママでしょう? それも結構人を引っかき回す性格ね」と、占いの結果から導き出された露伴の性格をまたもや自信満々に告げた。

「……す、すごい」
「ポッキーにそんな力あったんだネ」
「なかなか占いも侮れないな……」

占いとは必ずしも信憑性があるとは言えないものではあるが、見事にお菓子の折れ方だけで露伴の性格を言い当ててみせた鈴美に、康一と名前と花京院の三人から感嘆の声が上がる。
しかし当の本人からしてみれば、彼女の占いは全然当たっていないとのことらしい。

「おいおい、僕がワガママだって?」

唯一たった一人だけ。鈴美の言うポッキー占いとやらを大きく笑い飛ばした露伴は、仕返しとばかりに「そんなんだったら僕だって知ってるさ」と彼女のお菓子を持つ手元を指さした。

「薄いマニキュアの女の子は『恋に臆病。肝心なところで本当の恋を逃す』」
「えっ……ウソよ……」
「これは占いと言うより心理テストだな。恋でなくても今……何かを恐れているだろう?」
「……っ、」

どうやら露伴の心理テストも見事に的中したようだ。自身のマニキュアから秘めたる心の内を言い当てられてしまった鈴美は、先程の楽しそうな笑みから一転して何処か怯えているような表情を見せる。随分とあからさまな彼女の変化に、名前が思わず大丈夫かと声を掛けようと口を開いた。その時――。

「ここの家ね――十五年ほど昔に殺人事件があったんですって」
「え"っ、」
「さ、殺人事件ッ!?」

鈴美の口からこの勾当台で過去に起きた、とんでもない出来事が語られ始めてしまったのだ。

「これ、隣のおばあちゃんから聞いた話よ」

事件があった日の真夜中。その家に住む女の子が寝室で眠っていると、両親の部屋の方からピチャリ、ピチャリと何かが滴り落ちる音が響いていることに気付いた。

『……何の音だろう?』

不思議に思った女の子は『パパ! ママ!』と大きな声を出して両親を呼んでみる。しかし、両親からは何の反応も返って来なかったのだ。
謎の怪音に無反応な両親と、普段の穏やかなものとは違う不可解な夜。だが、女の子はあまり恐怖心を抱いてはいなかった。何故なら女の子の側には愛犬であり、頼もしい番犬がついてくれているのだから。

『アーノルドが居れば安心だわ』

愛犬"アーノルド"の定位置であるベッドの下に女の子が手を伸ばせば、彼は『ククーン』と可愛らしい鳴き声を上げて差し出された手をペロペロと舐めた。唯一いつもと変わらない愛犬の行動に、女の子の顔には安堵の笑みが浮かぶ。
この子が側に居れば何があっても大丈夫。そんな安心感と自信がどうやら女の子の気持ちを奮い立たせたらしく、女の子はついに未だ鳴り止まぬ音の正体を確かめるべく部屋を出た。だがその勇気ある行動のお蔭で、女の子は本当の恐怖を知ることになる。

『……あ、……う、うそっ……』

先程からずっと鳴り響いていたピチャリ、ピチャリと何かが滴り落ちるような怪音の正体。それは、壁のコート掛けに変わり果てた姿で吊るされた、女の子に安心感を与えてくれたアーノルドから流れ出る真っ赤な血の音だったのだ。目を覆いたくなる愛犬の姿を目の当たりにした女の子は、深い深い悲しみと恐怖に襲われた。そしてそれとは同時に、一つの疑問が浮かぶ。

 ――ベッドの下で『ククーン』と鳴いて、可愛らしくペロペロと手を舐めていたのは一体何だったのか?

音の正体が分かった途端生まれた一つの矛盾。その奇妙な矛盾に、女の子の恐怖が最高潮に達した瞬間――突然ベッドの下から不気味な声が響いて来た。

『お嬢ちゃんの手ってスベスベしててカワイイね、クックックッーン!』
『――ッ!?』
『両親も既に殺したぞ』

明らかに知らない男の声は、女の子に非情な現実と更なる恐怖を突き付けた。そして――。

「その女の子も殺されたのよォ――ッ!!」
「きゃああああああっ!!」
「うわああああああっ!?」

鈴美迫真の怪談とはまた違った、むしろ怪談よりも恐ろしい話に、名前と康一から絶叫と呼ぶに相応しい叫び声が上がる。

「……本当にそんな事件が?」

恐怖に慄く者同士ひしと抱きしめ合う名前と康一を一瞥した花京院は、何とも表現し難い悲惨な事件に鈴美へと真相を尋ねる。すると、彼女は肩を大きく揺らして大変愉快そうに笑った。

「本当の話に聞こえた?」

鈴美曰く今し方語った殺人事件は、露伴からの仕返しの仕返しとして即興で作った創作物だったようだ。またもや表情が一転して可愛らしい笑顔を浮かべ出した鈴美に、抱き合っていた名前と康一は今度は叫び声ではなく、安堵の息を吐き出した。怖かったことに変わりはないが、その話の全てが彼女の冗談でよかった。そう二人が自身の胸を撫で下ろした、その時――。

「なにッ!? これは――ッ!?」

露伴の珍しく焦ったような、何かに酷く驚いているような声が名前達の鼓膜を揺さぶった。
持ち前の性格と奇行で他人を驚かせることの方が圧倒的に多い露伴の聞き慣れない声に、名前は目の前にいる康一から背後にいる露伴へと目線を移す。そして、彼女は自分の行動に死ぬ程後悔した。

「ひ、っ――!?」

何故なら名前の見開かれた目に映ったのは露伴の姿でも何でもなく、切り裂かれた首からピチャリ、ピチャリと赤黒い血を滴らせる一匹の犬だったのだ。

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