杜王駅東口側に向かう道中にある、一度遮断機が降りるとなかなか上がらないことで有名な、通称"開かずの踏切"。その名に恥じぬ通り、暫く遮断機が降りたままの状態である踏切前に、長く艶やかな美しい黒髪を持った女子高校生――山岸由花子が静かに佇んでいた。
電車が踏切を通過する度に、手入れが行き届いている由花子の黒髪がふわりと風圧で軽やかに宙に浮かぶ。だが、顔に掛かった髪をよける彼女の表情は浮いた表情とは言えなかった。

「えー! 好きな子いるのー!?」
「いるよー! 両想いだよ!」

杜王駅に停車していた電車が通り過ぎ、ようやく遮断機が上がり通れるようになった踏切を、ランドセルを背負った小さな女の子二人が世間一般でいう"恋バナ"をしながら、楽しげに駆け足で渡っていく。

「(……両想い、)」

自分よりも幼い女の子の恋の成就を耳にした由花子は、同じ高校に通う想い人の男の子の姿を思い出しては、大きな溜息を吐いた。
そう、山岸由花子は最近恋に悩んでいたのだ。

「(康一くんのことを想っていられればそれで幸せ……一度はそう思ったけど、やっぱり辛いわ)」

自分の行いが蒔いた種のせいで、想い人である広瀬康一との両想いは望めなくなってしまった由花子の恋。だが、彼女はそれでもいいと陰ながらずっと康一を見て、想い続けてきた。
しかし、そんな健気な由花子もやはり年頃の恋する女の子。好きな人には振り向いてほしいと思ってしまうし、隣に並んで歩きたいと日に日に強く願ってしまうのだ。

「(だけど私にはどうしていいのか分からないんですもの……)」

一度由花子が康一に与えてしまった警戒心と恐怖心は、なかなか彼の中から消えることはなかった。そのせいで少しでも由花子と目が合えば康一は顔を引き攣らせ、彼女から一目散に逃げ出してしまう始末だ。そんな康一に再び由花子が積極的にアタックしようものなら、また何かをされるのではと彼に更なる警戒心と恐怖心を与えてしまうかもしれない。
それに、気の強い性格の由花子には恋の悩みを相談できるような、同性の友人と呼べる人物が一人もいなかった。そのため由花子はここ数日間ずっと、一人ぼっちで悩み続けていたのだ。

「(誰かに相談できればいいのだけれど、)」

解決できるかできないかは別として、誰かに心の重りになっているこの悩みを話したい。でもそれが叶わぬ願望でしかないことを突き付けられた由花子は、もう一度大きな溜息をついた。
もういっそのこと、偶に返事をしてくれるという噂がある"アンジェロ岩"にでも相談しようかしらと、由花子の中に気の迷いとしかない一つの案が浮かび上がってきた、その時――。

「わ〜! 承太郎見てみて!」
「!!」

由花子の耳に、最近康一や彼の友人達からよく聞く『承太郎』の名を親しげに呼ぶ、可愛らしい女性の声が届いてきた。

「(……この声、)」

聞こえてきた、どこか聞き覚えのあるその声に由花子は帰路に着こうとしていた足を止めて、目線を『カフェ・ドゥ・マゴ』へと移す。
するとそこには、生クリームがたっぷり乗ったカフェの新商品である"スフレパンケーキ"を、「このパンケーキふわっふわだよ!」と、嬉しそうに承太郎に見せている名前の姿があった。

「すごい! 見た目だけでもう美味しいっ!」
「なんだそれ……って言いてえところだが、確かに美味そうだな、これ」
「でしょ? 承太郎も一緒に食べよっ!」

「……あ、」

木陰になっているテラス席に座って、仲睦まじく会話を交わす名前と承太郎をぼーっと眺める由花子の目に、何とも羨ましい光景が映った。
名前がナイフで食べやすい大きさにパンケーキを切り、フォークに乗せて「はい!」と差し出せば、如何にも「やめろ」と断りそうな承太郎がパクリとそれに食い付いたのだ。

「ど、どう?  美味しい?」
「ん。甘ったるくなくて丁度いい」

由花子が康一相手に何度も夢見てきた同じ物を食べるという行為を、いとも簡単にやってのけた名前と承太郎。その二人に、と言うより「やっぱり食べても美味しいっ!」と、ニコニコ笑う名前に由花子は羨望の眼差しを向けた。
私にもあの人のように女の子らしく、素直な可愛げがあったら違ったのかもしれないと、今更どうにもできない思いが由花子の心に重く伸し掛る。だが――。

「……そうだわ!」

へこたれるどころか、何やら良案が思いついた様子の由花子は、表情を明るいものに変えた。
そして、その場に留めていた足を『カフェ・ドゥ・マゴ』のテラス席に向けて動かすと、幸せそうにパンケーキを頬張る名前の、フォークを持った手を掴んで引き寄せた。
その勢いでフォークに乗っていたパンケーキがポトリと、無情にも地面へと落ちる。

「ああっ! パンケーキが!」
「おい。急になんだ」

悲痛な声を上げ、悲しそうな顔で地面に落ちたパンケーキを見下ろす名前を見た承太郎は、突如現れた由花子を敵意が込められた鋭い眼光で睨みつける。だが、由花子はそんな承太郎を気にも留めることなく、ただただじっと名前だけを見据え、そして――。

「ちょっと私に付き合ってもらえるかしら」

山岸由花子は名前の腕を強い力で引っ張った。


* * *


「――ということで、私はあなたに恋のアドバイスをしてもらいたいの」

新商品であるスフレパンケーキを完食する前にカフェから連れ出された名前は、杜王町内を宛もなく歩きながら、康一に対する由花子の強い想いをたくさん聞かされていた。
特に康一の英語の成績を上げるために『アスパラガスの英語辞書巻き』や、『英単語のコーンフレーク』を手作りした話には心底驚かされ、想像しては引いていた名前だったが、不意に由花子から聞こえてきた『恋のアドバイス』という一言に、目をぱちりと瞬かせた。

「恋の、アドバイス?」
「ええ。さっきも承太郎さんって人と仲良さそうにしてらしたでしょ? その光景を見て思ったんです。名前さんみたいな可愛らしさや素直さがあれば私も康一くんに振り向いてもらえるかもって……!」

まさに恋する乙女。頬を赤らめながら「アドバイスをしてほしい」と、真っ直ぐ見つめてくる由花子に、名前は困ったように眉を下げた。

「……由花子ちゃん、」

もちろん名前にも好きな人に振り向いてほしいという気持ちも、好きな人の隣に並びたいという気持ちも、十分に理解できた。そして、好きな人のことを考えて悩む由花子の気持ちも。
だが、名前自身人にアドバイスをできる程恋愛をたくさんしてきた訳でもなければ、彼女もまた、以前よりも積極的に想いを伝えてきてくれる承太郎、花京院、DIOという三人の異性のことでいっぱいいっぱいなのだ。
ここだけの話。由花子が羨ましそうに見ていたカフェでの名前が承太郎に取った行動。俗に言う"あーん"という行為は、承太郎に断られることを前提に名前が冗談で取った行動だった。しかしどうだろう。承太郎は断るどころか、他の人の目もある外出先で名前からの"あーん"を受け入れたのだ。これには名前も驚き、動揺したようで、彼女はドキドキと逸る心臓を抑えようとパンケーキに夢中になるしかなかったのだ。

「ご、ごめんね由花子ちゃん。できることなら由花子ちゃんの力になりたい、けど――」
「ああああ〜〜ッ! なんて幸せッ!」
「「!!」」

そんな由花子も知らない裏事情もあり、自分のことで精一杯な私が、恋のアドバイスなんて人にできる訳がない。そう自己判断した名前が、申し訳ないと思いつつもしっかりと由花子に断ろうとする。が、名前の声は突如大きく響き渡った第三者の声によって遮られてしまった。
泣き叫んでいるようにも聞こえるその声に、何事だと名前と由花子が声のした方へ顔を向けてみる。すると、"CINDERELLA"と書かれたアーチ型の看板が掛かった店舗の前で「なんて幸せなのッ!」と、涙を流しながら声を上げる一人の女性の姿が二人の目に映った。

「こんな嬉しいことって初めて! あんな素敵な彼が、このあたしにプロポーズしてくれるなんてッ!」

往来でも構わずわんわんと声を上げて大粒の涙を流す、少々印象的な顔立ちの女性。その女性を名前がぽかんと、由花子がじっと見つめていると、女性は「ありがとう彩先生! 本当にありがとう!」と言い残して、名前達の前から足早に去ってしまった。

「…………」
「『愛と出逢うメイクいたします』?」

どんどん遠ざかっていく女性の背中を、何の感情も窺えない真顔で眺めている由花子の横で、名前は立て看板に書かれている謳い文句に目を惹かれていた。

「どういうことだろ?」
「その看板に書いてある通りよ……」

雑誌や町中でよく見る、在り来りなキャッチフレーズとは異なる"CINDERELLA"の、珍しい謳い文句に名前が首を傾げていると、またしても別の女性の声が名前の耳に届いてきた。
先程の幸せだと泣いていた女性と違い、何とも気怠げな声色に名前がパッと顔を看板から上げてみると、店舗の入口に寄りかかるようにして一人の女性が立っているのが見えた。

「『暗い美人より明るいブス』……の方がマシってことね〜。女の青春は……」

フー、と溜息混じりに息を吐いて話す女性は、名前と由花子をちらりと一瞥するや否や「お入りなさい」と、二人を店内へと案内した。

「『愛と出逢うメイクいたします』……その看板は真実。興味をお持ちなら……」

『素敵な彼にプロポーズをしてもらえた』と、嬉し涙を流した女性が飛び出してきた、世にも珍しい謳い文句を掲げた"CINDERELLA"というエステサロン。そのエステサロンのオーナーである女性――辻彩の誘いに、名前と由花子は顔を見合わせると、ゆっくり店内の中へと足を踏み入れた。


* * *


「――どちらからにします?」

"CINDERELLA"にいるエステティシャンは彩一人だけ。そのためカウンセリングとメイクは一人ずつしか行えないということで、名前は自分以上に恋に悩んでいる由花子に先行を譲った。

「『芸能人と結婚するメイク』……?」

そして、彩と共に奥の部屋へ入っていく由花子を見送ってから早数分。名前は暇を持て余すように綺麗でお洒落な待合ロビーの壁に飾られた絵画や、彩が受賞したエステティシャンコンクールの賞状などを鑑賞していたのだが、ふと目に入った料金表に表記されていたメイクの種類に呆気に取られていた。

「……どんなメイクなんだろう、」

看板に書かれた通りの『愛と出逢うメイク』を始め、『玉の輿にのるメイク』や『男を服従させるメイク』などいった初めて見るメイクの系統の数々。どれもこれもが初めて聞く斬新なメイクに、名前が「うーん」と脳内で色々と思い浮かべたその時――バンッと奥の部屋のドアが勢いよく開かれた。

「あれ、由花子ちゃん?」

その部屋から出てきたのは、やはりと言うべきか名前が先にメイクを譲った由花子だった。

「早かったね。もう終わったの?」

思っていたよりも戻りが早かった由花子に、名前が「メイクしてもらった? どんな感じ?」と、気になっていた分楽しげに尋ねる。
しかし、何故か由花子は「時間がないから先に帰らしてもらうわ」と淡々と答えただけで、足を止めることなく名前の横を颯爽と通り過ぎてしまったのだ。

「えっ、ちょっと由花子ちゃ――」

呆気に取られたのも束の間。由花子の唐突な先に帰る宣言の真意を確かめようと、名前は慌てて後ろを振り返った。のだが、もう既に由花子は"CINDERELLA"を後にしていたようで、名前の目にはガチャッと音を立てて閉まる出入口のドアしか入らなかった。

「ほ、ほんとに行っちゃった……」
「30分しか持たないんだもの。それは必死にもなるわよね〜」
「!!」

引き止めるどころか、まともに声を掛けることすらままならず。一瞬の間に意味も分からず一人残されてしまった名前が、今し方由花子が出ていったドアを呆然と見つめていると、背後から彩の溜息混じりの声が聞こえてきた。
吐き出された彩の息が髪を揺らしたために、名前の肩がビクリと跳ねる。しかし、彩が放った『30分しか持たない』という言葉が気に掛かり、名前は「あのっ!」と声を上げながらまたしても後ろを振り返る。だが――。

「あなた、とっても美人ね」
「――ッ!!」

足早に名前の元を去ってしまった由花子とは正反対。どこか恍惚そうな表情を浮かべる彩の顔が、触れ合ってしまいそうな程近くにあったお蔭で、名前は息を呑むことになってしまった。

「由花子さんも綺麗だったけれど……この杜王町にはあなたのような、とっても美しい顔をもった人がいたのねェ……」

目を大きく見開きながら、警戒するように身を固くさせる名前などお構いなしに、彩は熱い眼差しで名前の顔を見つめながら、指先を滑らかな肌にするりと滑らせる。

「それに……あなたの顔の造りは、とっても人に愛される造りをしているわね〜。『愛と出逢うメイク』なんてしなくても、あなたにはもう何年も前から愛してくれている男性が数人……いるんじゃあなくて?」
「っ、うそ……!」

プロのエステティシャンだからなのか。それとも彩の観察眼が特別優れているのか。どちらにしても顔の造りを見ただけで、まるで最初から知っていたかのように今の環境をピタリと彩に当てられた名前は、驚きに顔を歪ませた。

「あら、当たってたみたいね〜」

肯定でしかない反応と表情の変化に満足そうに口角を上げた彩は、名前の白く細い右手の薬指に嵌る指輪に目を向けながら「でも――」と、顔の造形から診断できたもう一つの結果を残念そうに紡いだ。

「あなたの方が、その愛とどう向き合ったらいいのか分からないみたいねェ」
「……っ、」
「このままではいけないと思ってはいるけど、答えを出したら今の関係が壊れてしまう。そう不安になっているんじゃあな〜い?」
「そ、れは……」
「私はあなたに向けられている愛が、そう簡単に壊れるものじゃあないとは思ってるけど……そうね。恋や愛に悩む女性は誰しも不安になるものよねェ〜」

フー……、と溜息とも深呼吸とも取れるような深い息を吐いた彩は、不意に名前の揺れる蒼い瞳の前に、とある"秘蔵"を差し出した。

「……これは?」
「まだまだ試作の段階だけれど、今のあなたにピッタリなものよ」

御伽噺の"シンデレラ"に登場する魔法使いに憧れたエステティシャンは、今日もまた恋に悩める一人の女の子に魔法をかけた。

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