「ああ、もうっ!」

可愛らしい薄ピンク色のカーテンが開かれた窓から冬特有の眩しい日差しが差し込む部屋に、少しだけ苛立ちが含まれたような声が一つ。

「明日どうしよ〜っ!」

焦りにも似たその声を上げたこの部屋の主である名前は、ローテーブルに突っ伏しながらキャビネットの上に置かれたカレンダーをじっと、どこか哀愁漂う瞳で見つめていた。

「もう明日14日だよ……」

なぜ名前はそこまで日付を気にしているのか。

「承太郎にどうやってチョコ渡そうかな、」

そう。彼女には明日、日付で言うと2月14日。一年に一度しか訪れない『バレンタインデー』という、一大イベントが待ち受けていたのだ。

「……喜んでもらえるように渡したいけど、どんな感じがいいんだろう……」

今までの名前にとって日本式のチョコレートを渡す『バレンタインデー』は、正直言ってそこまで特別な日ではなかった。否、甘いチョコがたくさん食べられる点については特別な日であったが、渡し方を悩むほど相手のことを考え、胸をときめかせるのは今回が初めてだった。

「うーっ……まさかチョコを承太郎に渡すだけでこんなに悩むと思ってなかったヨ、」

今年の『バレンタインデー』で名前が本命チョコと言われる物を渡そうとしている相手は、名前の幼馴染みである空条承太郎だ。彼にはその関係性上、チョコレートをあげるのは別にこれが初めてという訳じゃあない。むしろ、毎年名前は甘い物があまり得意ではない承太郎に、甘さ控えめのチョコレートを手作りして渡していた。言うならば、承太郎は名前が誰よりもチョコレートを渡してきた相手なのだ。
だが今年は少々勝手が違っていた。過酷なエジプトの旅が終わり、そこからまた紆余曲折し、承太郎は長い長い初恋を叶えた。つまり二人の関係は、ただの"幼馴染み"から"恋人同士"にグレードアップしたのである。関係が変わってから記念すべき最初の『バレンタインデー』だからこそ、名前は頭を悩ませていたのだ。

「もうっ、ほんとにどうしよう!」

ぐでん、とローテーブルに突っ伏していた名前はまた一つ声を荒らげると今度は仰け反り、そのまま触り心地の良さで選んだラグの上に寝転んだ。白くてふわふわしたそこに、名前のサーモンピンク色の髪が広がり、混じり合う。

「せっかくチョコの型もラッピングも用意したのに、まだ何も作ってない……」

名前は先日買ったチョコレートや、型やラッピングといったものが未だ使われずに冷蔵庫や棚に仕舞われている現実を思い浮かべ、大きな溜息をついた。

「……なんかいい方法ないかなぁ、」

作ったチョコレートを渡すことは至極簡単だ。
承太郎と家が隣同士である名前が手作りチョコを渡す機会なんて、彼に憧れる同級生や後輩の女子高生達に比べればごまんとあった。だけど今回だけはいつもと何ら変わらない、渡すことが当たり前のような渡し方を名前は躊躇った。
それはやはり、先程も述べた通り関係が恋人同士になって、承太郎に対する愛情の深さが変わったからだ。ちゃんと『好き』だという気持ちが伝わる渡し方をしたい。それが名前の揺るがない想いだった。

「君たちは楽しそうでいいなぁ」

なかなか浮かばない良策にまたもや小さな溜息をついた名前は、いつの間にか自身の中から出てきていた白と黒の小さなうさぎ達を眺める。うさぎ達は本体である名前の悩みなどお構いなしに、モフッとした可愛らしいお尻を振りながらクローゼットの中に置かれた収納ボックスの中を、それはそれは必死に覗き見ていた。
その姿は隠された宝物を一生懸命探しているようにも見え、名前は自分のスタンドながら愛らしい二羽の後ろ姿に思わず笑みを浮かべた。

「――そうだ!」

だが、名前が白黒うさぎ達の姿を見て、笑みを浮かべていたのはたった数秒のことだった。
何か閃いたように目をカッと見開いた名前は、己の腹筋力だけで寝転んでいた体勢から上体を起こすと、急な大声に不思議そうに首を傾げる自身のスタンドの元へ行き、小さな体をギュッと抱きしめた。

「ありがとう! 君たちのおかげで承太郎にいいサプライズができそう!」

白黒うさぎ達のおかげでようやく解決の糸口を見つけられた名前は、何も渡せない最悪な『バレンタインデー』にならなくて良かったと、悩みに悩み抜いたこの数日間で一番いい笑顔を浮かべた。

『バレンタインデー』当日まで、あと11時間。


* * *


「――ほらよ」

ずいっと差し出された濃い緑色のリボンが装飾された、薄い緑色の四角い箱に、花京院はぱちりと目を瞬かせた。そして、たっぷりと時間をかけて箱を見つめた彼は、目線をゆっくりとそれを差し出してきた友人へと移動させる。

「えーっと……これは?」

教室に入ってきた途端プレゼントなど人に贈りそうにもない男から、半ば押し付けられるようにして差し出された緑色の箱。花京院はその箱を受け取りながらも、友人――空条承太郎の唐突なプレゼントの真意を訝しげに尋ねる。
すると、心なしか普段よりも鋭さを増したような眼光で睨みつけられてしまった。これにはさすがの花京院も「……急になんだい?」と、少しムッとしてしまう。だが、次に聞こえてきた「名前から花京院にだとよ」という投げやりな一言に花京院は驚き、目を開いた。

「名前さんから、僕に……?」

花京院は驚きからゆらりと揺れる薄紫色の瞳を承太郎から、手元にある緑色の箱に向ける。

「……名前さんから、」

唐突に渡されたリボンがついた四角い箱。最初は渡してきた相手が相手だったため一体何なのだと怪しんでいたが、未だ自分が好意を寄せている女性――名前が贈ってくれたプレゼントなのだと知った花京院は、途端に花が綻ぶように破顔した。

「嬉しいなあ。名前さんからプレゼントを貰ったのはオルゴール以来だよ! 彼女からだったら何を貰っても嬉しいけど、これには何が入っているんだろう。なあ承太郎、ここで開けてみてもいいかい?」
「……聞く前に開けてんじゃあねえか」

まるで誕生日プレゼントを貰った瞬間の幼い子供のように目を輝かせ、くるくると色んな角度から箱を眺める花京院。彼は形だけの了承を、この素敵なプレゼントをくれた名前の幼馴染み兼恋人に取ると、綺麗に結ばれた鮮やかな緑色のリボンをしゅるりと解いた。
そして、魅惑のリボンを解き、逸る気持ちのまま箱を開けた花京院の目に飛び込んできた物。それは――。

「――チョコレートだ」

なんとも可愛らしい丸の形をした、カラフルなチョコレートの数々だった。

「そっか。今日は『バレンタインデー』か」

ふわりと香ってくる甘い匂いのおかげで、花京院は今日の日付と、その日付が女性にとっても男性にとっても"特別な日"であることを、今初めて思い出した。

「休日に補習だなんてゲームやる時間減って最悪だ、なんて思っていたけど……フフッ。名前さんのおかげでいい一日なりそうだよ」

でも食べるの勿体ないなあと、花京院はカラフルな名前の手作りトリュフチョコを眺めながらほわほわと辺りに花を飛ばす。

「……チッ、」

そんな幸せそうな花京院の姿を、彼の隣の席に座る承太郎は不機嫌そうに睨みつける。
なぜ自分の彼女が自分の友人ではあるが他の、更に言えば恋敵の男にチョコレートをあげるための橋渡しをしなければならないのか。そう口ほどに物語っている目を花京院に向ける承太郎は、誰が見ても分かる通り嫉妬をしていた。
もちろん名前にも花京院を始め、他にも交流のある人物がいることを承太郎は理解している。そして、律儀な彼女はその交流ある人物達に義理ではあるがチョコレートを渡すことも、長年一緒にいる承太郎は知っていた。だからその点については文句などない。が、なぜ橋渡し役を嫌に思いながらもしっかりと務めた自分には、チョコレートの一つもないのか。その点については文句しかなかった。

「(あいつが何考えてんのか分かんねえ……)」

関係が変わろうが今年も例年通り『バレンタインデー』が平日であれ休日であれ関係なく、名前は朝一番に空条家に訪れてはチョコレートを渡してくれるものだと、少なくとも承太郎はそう期待していた。しかしどうだろう。確かに名前は学校へ行く準備をしている承太郎の部屋にやって来たが、「これ典明に渡しておいて!」と緑色の箱を一つだけ承太郎に渡すと、颯爽と部屋を後にしてしまったのだ。必ず貰えると期待していた分、何もなかったと知った時の彼の落胆はそれは凄まじいものだっただろう。
そして、この落胆が嬉しそうにする花京院への大きな嫉妬となり、彼女である名前への微かな怒りに変わったのだった。

「美味しいッ!」
「……やれやれだぜ」

耳についた花京院の嬉しそうな声に、承太郎は体の内に溜まった嫉妬や怒りを溜息として大きく吐き出すと、花京院から目を逸らした。これ以上惨めな気持ちになるくらいなら、分厚い数学の参考書でも読んでいる方がマシだと。

「――ん?」

まだ授業が開始されるまで五分もある。現実を逃避するには頭を働かせることが一番だと判断した承太郎は、鞄の中からノートや筆記用具と一緒に半分まで読み解いた分厚い参考書を取り出す。するとその時、白い小さな封筒がひらりと鞄の中から教室の床へと落ちた。

「……なんだ?」

自分の鞄の中から小さな封筒が落ちていく様を目撃した承太郎は、全く身に覚えのないそれに訝しげに眉を顰める。だが――。

「――ッ!!」

見知らぬ封筒を手に取り、拾い上げた承太郎はハッと息を呑んだ。どこかで何かの拍子に偶然紛れ込んだのか。それとも誰かが故意的に入れた怪しい物だと、そう睨んだその白い小さな封筒には、彼の最も身近にいる人物を彷彿とさせる、デフォルメされた"白と黒のうさぎ"が寄り添ったシールが貼られていたのだ。

「……これは、」

するりと、指先で名前のスタンドによく似たうさぎのシールを撫でた承太郎は、破らないように気をつけながら封をするように貼られているそれを丁寧に剥がしていく。そして――。

「やれやれ、名前の奴……」
「ん? どうかしたかい?」
「いや……何でもねえ」

白い封筒の中に入っていた可愛らしいメッセージカードに書かれていた文を読んだ承太郎は、先程までの不機嫌さなど微塵も感じさせないくらい制帽の下で柔らかく微笑んだ。


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