宿泊先のホテルを後にした承太郎と名前、ポルナレフの三人は現在、人や露店で賑わう町の広場にいた。目的は勿論、今もどこかで敵に襲われているかもしれないジョセフとアヴドゥルを探すためで、これだけの人が集まっているのなら一人くらいから彼らの目撃情報が得られると画策してのことだった。

「うーん……知らないなぁ」

しかし結果は全て空振りに終わってしまった。この場に留まっている露店商も、他の観光地を回って来た観光客も、皆口を揃えてジョセフとアヴドゥルの特徴に合った外国人は見ていないと話した。

「……場所を変えるか」

最早耳にタコとなってしまった誰に聞いても全く同じ返答に、承太郎は深い溜息を吐きながら制服の裾を翻す。

「どこ行くの?」
「……そもそも、こんな人が密集する広場に来たこと自体が間違いだったのかもしんねえ」
「あァ? どーいうことだよ承太郎」
「少し考えりゃあ分かったことだぜ。何故……今までじじいが一番手っ取り早い飛行機を使わねえでこのエジプトまで来たと思う?」

ジョセフが『灰の塔』の一件以来飛行機を避け、時間を掛けながらも船をチャーターしたり現地で車を調達したりして国を横断したのか。それは――。

「……人を、巻き込まないため……」

スタンド使い同士のいざこざに関係のない人間を巻き込まないため、である。

「……ってことは承太郎、ジョースターさんとアヴドゥルは……!」
「ああ。敵に襲われているとしたら、じじい達は人気を避けて行動している……ってことだ」
「そっか……それなら目撃情報が上がって来ないのも可笑しくないもんね!」

さすが承太郎、刑事コロンボみたい。そうやって過去に好んで観ていたドラマを引き合いに出して笑う名前に、「何言ってんだ」と口では突っぱねながらも、幼い時のことをしっかりと覚えてくれている彼女に、承太郎も嬉しそうに口元を緩めた。

「おいッ! 何笑い合ってんだよお前ら!」

しかしそんな少し昔を懐かしむような穏やかな時間は、ポルナレフの「イチャついてねーで早く行くぞッ!」と言う急かす声によって強制的に終わりを迎えた。


* * *


 ――チリン、チリーン。

「……ん?」

承太郎の見事な推察力と冷静な判断力によって町の中心部を抜け出し、徐々に人の往来も少なくなってきた通りを承太郎、ポルナレフの二人と共に歩いていた名前。その道中で先程までの雑踏がなくなったせいか、よく耳に届いて来た鈴の鳴るような涼し気な音に、彼女は何だろうと後ろを振り返った。

「――ッ!!」
「……?」

振り返ったその先。つまり名前達の背後にあたる数メートル先には、一人の男の姿があった。その男は中々に奇抜な髪型をしていて、二つ結びにされた髪は重力を無視してピンと横に真っ直ぐ伸びており、更に結ばれた髪には幾つもの鈴がぶら下がっていたのだ。恐らく名前が聞いた音は、男の髪に括り付けられた鈴の音で間違いないだろう。ただ――。

「え、えーと……小銭を、落として……」
「(……何だろうあの人、)」

音の正体が分かったと同時に、今度は男の妙な動きが名前は気になってしまった。男は名前が振り返ってからと言うもの、何故か立ち止まってはどこかわざとらしく視線を逸らしたり、何も落ちてなさそうな地面をキョロキョロと忙しなく探し見ていたりしていたのだ。
何とも言い難い不可解な行動に、名前の蒼い目がじーっと男を見つめ出した。その時――。

「おい……何、ガン飛ばしながら俺達を尾行してんだよ」
「! ……ポルナレフ?」

珍しく厳しい声色が名前の隣から木霊した。普段おちゃらけたポルナレフの滅多に聞かないその声に、名前が名を呼びながら隣を見上げてみれば、彼もまた鋭く細められた蒼い目で男を睨み付けていたのだ。そのことから男が挙動不審にしていたのは、ポルナレフに睨まれていたからだと名前は気付く。

「てめー……殺気があるな」
「わ、私に話し掛けたんでしょうか? な、なんのことだか……両親に貰った目でしてェ、殺気だなんて」

ポルナレフから目に殺気がこもっていると指摘された男は、サングラスでさり気なく指摘された目を隠す。もうその行動だけで男の怪しさは倍増しているのだが、最終的に無くしたコインがポケットの中に入っていたと話をはぐらかす男に、「……ほう」と低く唸ったポルナレフは男の目の前に『銀の戦車』を出現させた。

「それじゃあ、スタンド使いじゃあないかどうか……確かめさせてもらうぜ」

襲いに来ているDIOの刺客なのか。それともただの目付きが悪い通行人なのか。それを知るにはスタンドの有無を確かめることが一番適切なため、ポルナレフは『銀の戦車』の剣先を男の眼前スレスレまで近付けさせる。見えていれば先端恐怖症じゃなくても恐怖心を抱く光景に、名前が微動だにしない男の様子を固唾を飲んで見守っていると――。

 ――ギロン!

「――ッ!?」

男の影にギョロリとした二つ目が現れたのだ。

「っ、ポルナレフ!!」
「はッ!?」

有り得ないことに影に目が現れた瞬間、ぐんっと長く伸び出した男の影に名前が避けてと声を上げれば、その声に反応するようにポルナレフは咄嗟にそれを飛んで躱す。そして、名前もまた自分の元まで伸びて来た影を何とか飛び跳ねて避けると、「あ、危ねえ……ッ!」と冷や汗を流すポルナレフに駆け寄った。

「大丈夫っ!?」
「ああ! 名前のお蔭で躱すことは出来た……が、あの野郎はやはりスタンド使いだッ!」

体に何も異常のなさそうなポルナレフは心配して駆け寄って来てくれた名前に一瞥をやると、すぐ様追っ手であろうスタンド使いの男に鋭さを増した眼光を向ける。が、彼の目が捉えたのはこちらに無防備な背中を見せて走り去る男の姿だった。

「むう!? あの野郎逃げんのか!?」
「ど、どうする……っ?」
「一先ず俺が奴を追うッ!」

先に行ってしまった承太郎に敵が現れたことを伝えろと、男を追いながら告げるポルナレフに名前は大きく返事をする。そして、任されたからには一刻も早く承太郎の元へ行かなくてはと言う使命感に、名前はくるりと踵を返して進行方向を変えた。のだが――。

「う、わぁ……!?」

何かを踏んづける感触と、くんっとチャイナドレスが下へ引っ張られる感覚に、名前は耐えきれずバランスを崩して前のめりに転んでしまった。べしゃっ、と何とも痛そうな音を立てて名前の体が地面へとぶつかる。

「……ううっ、」

うつ伏せに倒れ込んだままの名前から小さな呻き声が漏れる。あれだけ派手に転んだのだ、それなりに痛みも伴っているのだろう。それに、いくら人通りが少ないと言っても全く人が居ない訳ではない。転んだ瞬間を人に見られてしまったかもしれない。そんな恥ずかしさも相俟って名前が起き上がれずにその場でくすんと鼻を鳴らしていると、唐突に彼女の体がふわりと宙に浮かんだ。

「う?」
「……名前、か?」

体を襲う浮遊感に名前がパチクリと大きな目を瞬かせていると、男の人の低い声で名前を呼ばれる。自身の名を呼ばれたことで、ほぼ反射的に名前が声がした方へ顔を上げてみれば、彼女が身近でよく見る色と同じ、綺麗な翠色をした二つの目とかち合った。

「お兄ちゃん、だあれ?」

驚いたような表情で顔を覗き込んでくるどこか見覚えのある、でも誰か分からない男の人に、名前はこてりと首を傾げた。


* * *


「……やれやれだぜ」

珍しいサーモンピンク色の柔らかな髪に、くりくりとした大きな蒼い目。透き通るほどの白い肌に、プルプルと瑞々しい桃色の唇。まるで人形のような、とても可愛らしい女の子は承太郎にとって見覚えがあり過ぎていた。

「まさか小せえお前を抱く日が来るとはな」

腕の中で「お兄ちゃん大っきい!」と、自分では見られない目線の高さにキャッキャッと楽しそうにはしゃぐ女の子――名前に目を向けた承太郎は、複雑そうに眉を顰めた。

「姿だけじゃあなく知能までも幼くするスタンド能力、か……実に厄介だな」

そう、何を隠そう承太郎が少し目を離した隙に名前は物の見事に五、六歳ぐらいまで幼くなってしまっていたのだ。それも容姿だけでなく知能までも、である。普通では考えられない事態ではあるが、承太郎からすれば名前がこうなった理由など深く考えるまでもなかった。更に言ってしまえばポルナレフまでも居なくなっているため、彼女の幼少化は新手のスタンド使いの仕業で大方間違いないだろう。

「なあ名前」
「なぁに?」
「お前を襲った奴のこと覚えているか?」
「おそ……?」
「……いや、何でもねえ」

名前を攻撃したスタンド使いがジョセフやアヴドゥルを襲っている者なのか、将また別の者なのか。どんな容姿をしているのか、スタンドの姿形はどのような物だったのか。それは襲われた当事者が非力な幼女になってしまった今の状況では、一切分かることはないだろう。
勿論名前に非がないのは百も承知だ。だが、ただでさえジョセフとアヴドゥルを探すだけでも一苦労なところに、新たな問題が出て来てしまったのだ。意識しなくてもつい口を衝いてしまう溜息と同時に、承太郎は小さく「やれやれ」と口癖を吐き出す。すると、大きな蒼い目が彼の顔を覗いた。

「お兄ちゃん、だいじょーぶ?」
「……ん?」
「なんか、くるしいお顔してるよ?」

どこか痛いの、と言う心配そうな声と共に小さな手が承太郎の顔へ伸びる。ぴとり、と頬に触れた温かな名前の手。少し遠慮しているのか、たどたどしく触れてくるその小さな手が何だか無性に愛おしくて、承太郎は彼女の温もりに浸るようにそっと目を閉じた。
しかし、彼の目は頬に感じたぷにっとした柔らかな感触と、耳に届いてきたちゅっ、というリップ音にすぐ様開かれることになる。

「っ、名前……」

パッと勢いよく開けた目で側にいる温かな存在を捉えた承太郎は、映り込んできた名前の姿にとくん、と鼓動を跳ねさせた。

「元気になるおまじないっ!」

そう言って少し照れながらも、花が綻ぶような明るい笑みを浮かべる名前。その笑顔は、幼い承太郎が彼女に恋心を抱いた瞬間の笑顔と全く同じものだったのだ。

「これねっ! 泣いてる"じょーたろー"にするとね、いつも元気になってくれるんだよっ!」
「……そうか、」
「お兄ちゃんも元気になった?」

長い初恋の始まりとなる可愛らしい笑顔。そして名前が今し方してくれた、"じょーたろー"を慰めるためのおまじないに、承太郎は「ああ。よく効いたぜ」と優しく微笑んだ。


back
top