さよなら友人
路地を少し入った所にある個人経営のカフェは、2人だけの秘密の憩いの場だった。ドアベルの軽快な音を聞き、私たちはカウンターの決まった席腰を下ろした。
「コーヒーでいいか?」
「うん。萩原くんもいつもと一緒でしょ」
「あぁ」
私と萩原くんはいわゆる世間一般で言う"友人"というやつだ。萩原くんを知る人間は、恐らくほとんどが明るくていつでもニコニコしている良い人と認識されているんじゃないだろうか。老若男女に愛される才能があると思う。特に女性に対して気配りができる萩原くんは店員に「コーヒー2つ。彼女にはミルクを」とそっとメニュー表を閉じながら注文してくれた。
連絡先を交換してから定期的にメッセージを送りあっており、今日は萩原くんからお茶のお誘いがあった。もちろん快く承諾した私は、絶対に定時で上がると決意したのはメッセージを貰った今日のお昼休みのことだ。
ふと萩原くんはこちらに視線を流した。
「どーした、俺の顔になんかついてるのか?」
「基本的な人間のパーツがついてるよ」
「見惚れてたって素直に言ってもいいんだぜ」
イケメンという奴は見ていて飽きないなぁ〜なんてじっと見つめてしまっていたのか、声をかけられるまでぼんやりと萩原くんを観察してしまっていた。言葉遣いの割にふにゃりと目尻を下げる萩原くんの表情が出会った時から好きだった。
「そういえば萩原くん、今日はどうしたの?私に何か用事でもあった?」
「いや、用事ってほどじゃないんだけどな。会いたかったんだよ。...お前に会うと安心するんだ。平穏っていうか、平和っていうか」
「ははっ!なにそれ」
萩原くんは基本的に平穏を求める人間だ。彼との付き合いはここ数年のものだが、そういった節を度々垣間見てきた。警察官になった理由も絶対に倒産しないからだと聞いた。学校では一悶着あったようだが、無事に卒業し、今は爆発処理班というところに所属しているようだ。話を聞いていると一般企業に就職した私とは全く違う世界のようでよく分からないことだらけだ。
「松田くんじゃなくていいの?」
「陣平ちゃんは幼馴染で相棒だけど、喧嘩っ早いところあるし平和って言葉とは程遠いぜ。同じ警察官だしな」
「ふ〜ん、そういうもんか」
「そういうもんだ。それにお前はただそこで幸せそうに笑って、待っていてくれるのがいいんだ」
さっきとは違い、急に困ったように笑う萩原くんはどこか儚げで消えてしまいそうだった。桜に攫われるとか、手のひらからこぼれ落ちる砂だとかそんなイメージで。そう思ってしまったら、前から考えていた言葉がポトリと口から落ちてしまった。
「じゃあさ、私萩原くんの友達として約束するね」
「約束?」
「そう、約束」
私は萩原くんに自身の右手の小指を差し出した。指切りはお約束の定番だろう。一個人のなんの力もない私が言ったところで、萩原くんにしたらお守りにもならないだろうけど、今言ってしまわないといけない気がしたのだ。
「もし萩原くんが危険でどうしようもない場面に遭遇しても、絶対に生きて帰るぞ!っ思って貰えるような人間になる」
こぼれ落ちた言葉は自分でも何を言っているのか理解できなくて。ただ目の前にいる萩原くんがぱっと消えてしまわないようにと、懸命に紡いでいく。
「萩原くんの求める平穏が私にあるなら、私はこれから先もずっと一緒にいたいと思ってもらえる友人であり続けるって約束する」
稚拙な言葉の海を何も言わず静かに聞いていた萩原くんは、どこか熱のこもった瞳に私を映していた。
「それは友達としてじゃなきゃしてくれない約束?」
「えっ」
考えていた返事とは違い、私は戸惑った。ただでさえ隣に座り、近いところにいるというのに、萩原くんはさらに距離を縮めてきた。近づいてくる端正な顔から早く目を逸らしたかったが、そんなことできるはずがない。
「こんな熱いプロポーズ受けたら、ただの友人で止まるなんて勿体ねぇよな」
「そ、そんなつもりじゃ」
萩原くんのスラリと長い指先が唇に当たり、そっと口を閉じる他なかった。指先はそのまま私の横髪をひっかけ、耳にかけた。流れるような動作に呆気をとられる。萩原くんはなんでもないような顔をしてへにゃりと笑い、私の耳元で囁いた。
「俺の人生、お前に預ける」
この男は最初から友人として居続けるつもりなどさらさらなかったのだと思い知らされる。
「だからお前の人生、俺にくれない?」
鼓膜を震わせる萩原くんのプロポーズに、私には断るという選択肢は浮かばなかった。
← ▽