初めて彼を見たのは、6月の雨の日。
憂鬱な天気とは裏腹に、晴れやかな笑顔で友人達と話してる姿が、何故だか目に焼き付いた。
2度目は梅雨の合間の、僅かな晴れ間が見えた日。
じめじめとした不快感に誰もがため息を吐く中、彼はまたあの笑顔で笑っていた。
3度目は殆どの学校が終業式を迎えた、カラッと晴れた日。
友人達に色んなマジックを披露していたその表情は、やっぱりあの笑顔だった。
「いらっしゃいませ!こちらでお召し上がりですか?」
お客様には常に笑顔で元気良く。
人生で初めてのバイトで教えられた、この店の接客の絶対要素。
それを自然に出来るようになってきたと店長に誉められたのは、バイトを始めて2ヶ月程経った昨日の事だった。
バイトすると決めた時は親にも友達にも心配されていたけれど、誉めて貰えた事で少し自信が持てた気がして、今日は自分でも一際明るい接客が出来ていると感じる。
「お待たせしました!ごゆっくりどうぞ。」
トレーに乗せた商品を受け取ったお客様が客席に歩き出すのを見送ると、続いてレジに人影。
「いらっしゃいま、せ……こっ、こちらでお召し上がりですか?」
目の前に立つその姿に、思わず言葉が詰まってしまった。
幸いそれは気にならなかった様で、笑顔で“はい”と頷いてくれたその人。
友達と食べに来ているのを何度か見かけただけで、直接接客する機会も無かったのに、何故か彼の事が頭から離れなくて。
それをバイトの先輩にこぼしたら、やけに嬉しそうな様子で“それは一目惚れよ!”と言われたけれど、それが本当だとしても恋愛初心者の私が何か行動を起こせるはずもない。
慣れた人ならこのチャンスに“今日はお友達と一緒じゃないんですね”とか“私服でいらっしゃるのは初めてですね”なんて、気軽に声を掛けてしまうのかもしれない。
だけど、唯でさえ他人に話しかける勇気なんて持っていない私は、平静を装って接客するだけでも精一杯。
「お待たせしましたっ!チキンは揚がったらお持ちしますので、番号札をテーブルの見える場所にお願いします。」
最初以外、何とか噛まずに接客しきれたとホッとしたものの、目の前のトレーに手を出さずにこちらを見てくる彼に首を傾げる。
「お客さま…?」
「…持ってきてくれるのは、名字さんが良いんですけど。」
「…………え?」
一瞬何を言われたのか分からなくて…どうして名前を知ってるんだろう、あぁ名札を付けてるじゃないか、とつまらない自問自答をしてからやっと気付いた。
私に……持ってきてきて欲しい?
「や、いきなり言われても困りますよね。」
「あ…。」
反応の鈍い様子を困っていると判断したらしい彼は、少し寂しそうな顔でそう言うと、さっさと席 へと向かってしまった。
その後ろ姿を見つめながら、違うと言えなかった自分に激しく後悔する。
何故彼があんな事を言ったのかは分からないけれど、私があの笑顔を崩したのは紛れもない事実。
こんな事ならもっと勇気を出していれば、なんて今更考えたって後の祭りだというのに。
「いらっしゃいませ、こちらでお召し上がりですか?」
あぁ…せっかく店長に褒めてもらえたのに、笑顔が出せていない気がする。
何を頼まれたのか覚えていないけど注文はちゃんと受けられた様で、特に変な顔をされることもなくお会計を済ませる。
そして商品をトレーに乗せる為に後ろを向くと、先輩が既にその作業を行っていた。
「あれ、先輩?」
「もうお客様少なくなったから、レジ代わるよ。」
さっきまで先輩が使っていたレジを見ると、使われていない事を示す札が置かれている。
「こっちは私がやるから、名字さんはこれ。」
「え…。」
先輩に渡されたトレーには、揚げたてのチキンと番号札。
間違いなくさっき彼に渡したのと同じ番号のそれに、思わず先輩の顔を2度見する。
「今日は休憩取らせてあげられなかったし、ちょっと早いけどそのまま上がって大丈夫だから。」
「えっ!?いや、あの…。」
「良いから言われた事はさっとやる!ほら頑張りな、色々とね!」
意味深な言葉にウインクまで付けられて、トンと軽く背中を押される。
そんな言い方をされたら、もう覚悟を決めるしかなく、私はカウンターを出て客席の方へと足を踏み出した。
今日は珍しく喫煙者が多いらしく、禁煙席に座る人はまばら。
すぐに見つけた彼の座っている席の周りも、同様にガラガラだった。
その後ろ姿に一歩一歩近付きながら、そっと深呼吸をする。
「お待たせ致しましたっ!」
自分の中の勢いが消えない内にと、若干早口で放った私の声に、彼はハッとした様な顔で振り返る。
「え…まじで、来てくれたんだ…。」
消え入るような小さな声で呟く彼の声が、人が少ないおかげで私の耳までギリギリ届く。
大丈夫、まだやり直せる。
そう自分に言い聞かせて、意思とは裏腹にキュッと締まる喉を開く為、お腹に力を入れた。
「あのっ!さっきは、すぐに返事…出来なくてごめんなさい。驚いて頭が付いていかなくて……だから…困ってなんてないです!」
勢いを味方に付けて発した言葉を、彼がどんな顔で聞いているのか…怖くてギュッと瞑った目を開く事が出来ない。
「えっと…追加注文、して良いですか?」
「……え?…あっはい!どうぞっ。」
あまりにも予想外の言葉に、固く閉じていたはずの瞼からは簡単に力が抜けて光が差し込む。
「今日バイト終わってからの…名字さんの時間を、下さい。」
真っ直ぐこちらを見つめるその眼に、一瞬息をするのを忘れていた私は、彼の耳が真っ赤に染まっているなんて気付かないまま、必死に口を開く。
「あの、それじゃあ……そのお代として…名前を教えて欲しい、です。」
「っ!!黒羽快斗です!!17歳、高2!」
「名字、名前…同じく17歳、高2です。」
そこまで言った所で、私は再び呼吸が止まるかと思うほどに胸の辺りが強く締め付けられる。
「よろしくなっ名前ちゃん!」
惹かれたのはその笑顔
「バイト、何時まで?」
「もうこのまま上がって良いって」
「マジ?!じゃあ急いで食うから!」
「あ、私もお昼まだだから…一緒に、食べて良い?」
「っ!!待ってる!!」