得体のしれないホグワーツへの編入生アズミ・エノモト。
彼女が編入してから1ヶ月がたったが、リドルの持つ彼女への印象は、あの虹色に揺らめく瞳を視界に捉えた時から変わらない。
「リドル、そこの小鉢を取ってもらってもいい?」
アズミはだいぶ慣れた手つきでニガヨモギを等間隔に刻んでいる。今リドルとアズミは2人で、彼女の魔法薬調合の自主練習のために薬学教室にいた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
小鉢を受け取った彼女は切りそろえたニガヨモギを退かして、黄金虫を小鉢に入れてから躊躇いもなくすり潰した。
「もう慣れたんだ?虫を潰すの」
最初の薬学の授業で顔をしかめながら虫を扱っていた姿を思い出しながら笑う。しかしアズミは、からかうようなリドルの態度に大した反応もみせない。
「まだ嫌だなって感じはあるけどね。魔法薬を作るには避けては通れない道だから、諦めてやるしかないよ」
話しながらも手を止めず大鍋に材料を慎重にいれていく姿は、つい最近までマグルとして育っていたとは思えないほど魔法使いらしい。
リドルは読んでいた本を閉じて、熱心に作業に取り組むアズミを見つめた。
「ねえリドル。そんなに見られたら穴が空きそうだよ」
回数を数えながら鍋の中を混ぜる少女に「ごめんね」と謝り視線を逸らす。リドルにじっと見つめられて照れるわけでもなく困ったようにするところは、やはり他の女とは違う。
(本当に奇妙で意味がわからない奴だ)
どろどろとしていたスライム状のものがさらさらの液体になっていくアズミの大鍋の中身をみて、リドルはため息をつきそうになった。
確実に完璧な魔法薬へと変わっていくそれは、4年生レベルの薬だった。
***
翌日。朝食前に大広間へ向かうリドルの耳に聞こえてきたのは、3人のグリフィンドール生の耳障りな話し声だった。
「あっ!あそこ歩いているのって編入生のアズミ・エノモトじゃね?」
「うおっマジだラッキー!これは朝からテンションあがるなー」
「いいよなーエノモト。愛称の虹のお姫様ってのも頷ける美しさだぜ」
「うんうん。しかも他寮の、特に仲の悪いグリフィンドールの俺らにも分け隔てなく挨拶してくれるんだぜ。まさに姫だろ。昨日俺も挨拶してもらったぜ!」
「うわーずるいぞお前!」
下世話な内容の話に舌打ちしそうになるのを我慢して、熱い視線を送りながら挨拶してくる女子生徒に微笑みつつ廊下を通り抜ける。
(お姫様?よく言うよ。証拠があるわけではないけど、確信して言える。絶対にあれは意識的にやってる処世術だ。大衆は騙せてもこの僕は欺けない)
1ヶ月ずっと隣にいて、それだけは確実だと感じた。同業者の勘、みたいなものである。確証のないものを信じるのは好ましくないが、本能でそう感じている以上そう思うほかなかった。
心の中でつっこみながら素知らぬ顔で歩く。グリフィンドール生の声はまだ聞こえてきた。
「それに聞いたか?あの噂」
「エノモトがマグルってやつ?」
「は?まじかよ!?」
「あーそれちげえよ。なんか事情があってマグルにマグルの子供として育てられてただけで、実際のところエノモト自体は純血なんだと」
「そんなことがありえるのかよ?」
「まじっぽいぜ。 エノモトがホグワーツに来るまで魔法使えなかったって自分で言ってたらしいし、それならマグルとして育ってたのも納得だろ」
「嘘だろ?だってこの前ダンブルドアがイモリ試験レベルの変身術をエノモトが成功させたって言ってたぞ」
「でも魔法薬学でいつもリドルに手伝ってもらいながら、俺らが3,4年生で作った魔法薬を調合してたぜ?」
「なんだよそれ!俺は1年で習った魔法史の範囲を覚えるのにすげえ苦戦してるって聞いたんだぞ!?」
リドルはさらに歩調を速める。廊下で大きな声を響かせる馬鹿な生徒たちが悩む問題と同じことで頭を抱えているという事実をこれ以上突きつけられたくないのだ。
(くそっあんな奴らと同レベルのことしかわかっていないだなんて屈辱的だ!)
アズミの変身術に特化していて魔法薬学の上達度が異常で暗記がてんで駄目な点は、今でもリドルには理解できない。それぞれのできるできないの度が激しすぎる為だ。それに加えて出生に関しては校長とアズミの説明が完全に食い違っている。
そして、思い切って開心術を使ったら、通常とは異なる知りえない方法で抵抗された。ずっとそばで観察し続けてたが、アズミの正体が全くわからないままだった。
「リドル?」
だんだんイラつき始めていたリドルは、自分を呼ぶ声に立ち止まる。目の前にいるのは、ここ1ヶ月の悩みの種である少女だった。気づかないうちに大広間に着いていたようだ。
「どうしたの?なんだか体調がよくないみたいだけど」
(全部君のせいなんだけどね)
と、勿論それは口に出さないけれど。
「ああ、もしかしたら昨日遅くまでレポートをしていたせいかもしれないな。ただの寝不足だよ」
「…ごめんね。私の勉強をみてるせいでリドルが自由に使える時間が減ってるからだよね」
イラついた腹いせに少し嫌味っぽいことを言ってみれば、善良な生徒として100点満点の回答が困り顔と共に返される。ムカつくほどに完璧な外面だね、とこの場で罵れたらどんなに気持ちがいいことだろう。
「気にしないで。それにアズミに教えることで今までに習った内容を復習することにも繋がるから僕も助かってるんだ。今年はOWLだからね」
「ありがとう。そう言ってくれると気が楽になる。でも体には気をつけて」
「うーん、善処するよ」
「ふふっ」
大広間入口で談笑するリドルとアズミを周りの生徒たちが熱い視線で見つめる。よく一緒に過ごしている見目麗しい彼らを、皆が『王子と姫』と言って囃し立てているのだ。
傍からみれば美しい若者2人が楽しげに話しているといった目の保養になるような光景だが、実はその裏で互いに化けの皮剥がしに勤しんでいるとは誰も気づくはずもない。
「……そうだ、今日の放課後はこの前教えた魔法史の範囲で小テストでもしようか?」
「え!答えられる自信が無い…」
「そういってこの前もアズミは満点近い点を取っただろう?」
「あれは1日かけて必死に直前まで詰め込んでやっと取れた点数なの!」
普通の生徒を演じる2人の姿を、全校生徒が微笑ましく眺めていた。
***
「本当にアズミは魔法史、というか暗記が苦手なんだね」
「…うん」
『1から始める魔法史』と睨めっこするアズミに苦笑しながら、3日ほど前に教えた範囲で作った魔法史小テストの結果をみる。直前勉強なしで受けてみろと言ってテストしてみれば、結果は散々なものになってしまった。
「確か魔法薬学でも、以前作ったことのある魔法薬を調合する時だろうと教科書と黒板を何回も見てたよね」
「だって頭に入らなくて…」
「このままだと魔法史と魔法薬学の試験は確実に落ちるよ?魔法薬学のテストの時は工程なんて確認できないんだから。調合自体は上手なんだから落としたら勿体無いだろう」
「うーん……、うん」
羽ペンを掴み、羊皮紙に間違えたところをメモする様子にため息をつきそうになりつつ我慢した。こうしている時もアズミはリドルに対してぼろを出さない。近すぎるから逆に見抜けないのかと2日ほど前から別行動をし始めたが、結局彼女のことは何もわかっていない。
リドルはアズミが走り書きした簡略化された年表の一部を指さす。
「そこは、1634年じゃなくて1643年だよ」
「…本当だ!ありがとう」
何かある事にすぐに感謝の言葉を口にして浮かべる笑顔が本物か偽物はリドルにも区別しきれないが、そのことがよりアズミに対する興味が湧かせる。
腹の探り合いという煩わしいことをほぼ一日中し続ける中で僅かに楽しさを見出し始めていることを、リドルはまだ自覚していなかった。
「そこは危険魔法薬規制法じゃなくて、危険魔法生物規制法」
「うっ、」
「あとここ。魔法省大臣の名前が1個ずつずれてる」
「書き直し…だよね」
「そうだね」
リドルはだんだんと顔色を悪くさせながら魔法省の歴史年表を書くアズミに笑いながら、間違いをみつけては指をさすのだった。
(いつか秘密を暴くその時まで)