▼「お前の心に一生残る傷になりたい」

(運命の番が現れたからって、7年も一緒に過ごした俺を見向きもしないであんな簡単に捨てるなんて。絶対に許さないよ、瞬)

友達や家族思いで心優しい瞬のことだ、志紀のことを最初からいなかった者として扱い、名前も知らない運命を選んだのは瞬とは言え、7年共に過ごした志紀の死に心痛めないで生きていくことは瞬には無理だと言うことを志紀は知っている。

だからそれを利用して志紀は自分の死をもって瞬の心に一生消えない深い傷を残すつもりだ。

目を閉じ、風に身を任せる。

(俺の人生、人に捨てられてばっかりだな)

一瞬の時間に過去の記憶が蘇る。

借金に追われた両親にこれ以上育てられないと施設にいれられて、学生時代、友には恵まれず、友と思っていた人にも裏切られいじめを受け、先生にも助けてもらえず一人孤独で過ごした。

高校生になって瞬と出会い、瞬は志紀の気のいい友人として側にいてくれ、志紀をオメガと知ってなお性差別することなく初めてヒートが訪れた時には志紀を助けてくれた。その頃から志紀と瞬は付き合うようになり高校卒業と同時に番となった。

それから数年、今日という日まで初めて味わう人間らしい幸せの連続の毎日だったというのに。
終わり良ければ全て良しということわざがあるが、その終わりが良くなかったら?不幸な結果だったら?志紀は自問した。

(しぬの、怖い…、しにたく、ない!)

そう強く思ったものの時既に遅かった。
体はもう自分で制御できる体勢でなく、勢い良くホームを通過する急行電車が目前にまで迫っている。

瞬と幸せになりたかった、
俺じゃない、他の運命の相手と幸せになってなんて綺麗事も本当はこれっぽっちも思ってない、
どうして裏切られた俺がこんな思いを、こんな目にーー

志紀はせめてものと抵抗とこれから自分に襲いかかるだろう衝撃に全身強張らせぎゅっと力強く瞳を閉じた。


「危ないっ!!」

ドンっと鈍い音を出してごり、と左肘を強く擦る。
志紀のものではない、他の男の叫ぶ声と同時に受けた衝撃は急行電車にぶつかって受けた衝撃ではなかった。

電車は何事も無く猛烈な風を生み出しながらその輪郭をどんどん小さくさせていった。

現在、志紀は見知らぬ男に後ろから首と腹に腕を回されホームのアスファルトに倒れている。受けた衝撃は地面に勢い良く倒れたからだった。

「っなに考えてんだ!死にたいのか!」

男は志紀ごと自分もその立派な体躯をアスファルトに打ち付けていたが、すぐさま志紀の無事を確認すると背後からそう怒鳴りつけた。


そうだ、俺は死にたかったよ。
生涯たった一人の愛する人に見捨てられたんだ、オメガの俺に生きる希望も未来もあったもんじゃない。だから死のうとした。でも無理だった、怖くてーー、


志紀の心臓はばくばくと激しく鼓動して、志紀自身に生の尊さを知らしめるかの様なその主張は激しく、どくどくと全身を熱い血が駆け巡った。

「い、き…てる」
「あ?!」
「俺、生きてる、んだ。…あ、ありがとう…ありがとうございます…助けてくれて…っ」

一度は自分で捨てようとした命だが、まさに九死に一生を得た志紀の瞳には先程までとは違う理由の涙が溢れた。





「ーーそれで、自殺を?」
「…はい。…俺、ほんと何考えてたんだか」
「全くだ」

あれから暫く、志紀は命の恩人、史(ふびと)と共に駅のホームの四列並びのプラスチック製のベンチの真ん中二つに並んで腰掛けて、自殺に至った動機に始まり過去の不遇な環境、人間関係、洗いざらい志紀は全て史に話した。

たった1時間前の自殺未遂の出来事を馬鹿な真似をしたと思えるくらいには、志紀の心は史に打ち明けたことによってとても軽くなった。史が聞き上手であったのも関係するだろう。

「ほんと、なにが運命だよって。俺たちが何百何千もある高校の中で同じ高校を選んで、たまたま同い年の同じクラスになって、仲良くなって付き合ったのも運命の出会いじゃなかったらなんだったんだよって」

志紀に先ほどまで死の淵に飛び込もうとしていた面影はなく、えぐえぐと泣き腫らした顔を、不満に染めて隣の史にたくさん愚痴っていた。史はそれをうんうんとしっかり聞いてやっている。

話しているうちに少し落ち着いた志紀は、出会って間もないのに関わらず真摯に志紀の話に耳を傾けてくれる史の容姿にも視線をやれるくらいの余裕が生まれた。
社会人に成り立てで目も肥えているわけでもない、ブランド物にも疎い志紀でも気づくほど史が身に纏うスーツ、時計、タイ、靴、全てが一流の物ばかりだった。

普通なら一切お近づきになることは無い種類の人間だが、史も瞬同様にアルファだったらしく、そのカリスマ性は関わる人すべてと打ち解けることの出来る大きな大きな器を持つ人のそれだった。志紀は少し年の離れた兄が出来たような、そんな気分になって思いの丈を全て史に打ち明けたのだ。

「だからってなァ…向こうの心に傷を残したいって…それも馬鹿の考えることだろーが。考えが浅い。俺なら心に傷なんて甘っちょろいこと考えねえ。この手で相手を殺して俺も死ぬ」
「えー、ふびとさん、その考えも別に賢くは無いんじゃ…?」
「こっちだけが不幸で相手は運命と幸せになってメデタシメデタシってか?ぜってえ許さねえよ、そんなこと。番契約結んだなら生きるも死ぬも一緒にいねえと駄目だろ」

多少、口は悪いが史の言葉は全て真っ直ぐで芯があると志紀には思えた。だから、こんなことを口走ってしまったのはその思いにルーツすると考えられる。

「…ふびとさんみたいな人が番だったら、よかったのになあ…。きっと幸せなんだろうね」

短時間話しただけではあるが志紀は痛感する。史はとても情の深い人間だと。正義ばかりの言葉では無い、史の人間らしい人間の愛し方を聞いて、志紀は瞬と出会う前にこの人と会えていたら、なんてたらればを心の内で考えた。

史は元々鋭い目つきのそれをさらに細め、両手を合わせてもぞもぞと視線を自らの指先に向ける志紀の瞳をジッと見据えると、口を開いた。

「…なら、なるか。俺の番にーー」

同時に、何本見送ったかも分からない急行電車がホームを止まることなく駆け抜けていった。ゴオォォ、と物凄い轟音に史の言葉はすぐそばに居るというのに志紀の耳には届かず、それは宙に消える。

「…?ふびとさん、今、なんて…?」
「…ふっ、いや。なんでもねェ。気にするな」
「えぇー。気になるよ、教えてよ」
「うっせ。お前は今日の寝床の心配しろっての。一緒に暮らしてんだろ?帰れんのかよ」
「うっ」

図星かよ、と史は犬歯を見せて男臭く笑うと、5つも年下とはいえ、23歳にもなる歳の男の頭をひとつくしゃりと乱雑に撫でた。

「わっ、なにするんですか」
「とりあえず今日は俺んちこいや。泊めてやる」
「えっ、いくらなんでもそこまでしてもらうわけにはいかないですよ!話を聞いてもらえただけで俺はものすごくありがたいのに」
「いーから。ちょっとうるせえ野郎どもがうじゃうじゃいてむさ苦しいが、それはまあ我慢しろや」

そうして志紀はそのまま史に言われるがまま半ば強引に手を引かれ、ホームにいたにも関わらず電車には乗らないで駅を後にする。

駅前のロータリーには他とは異質な黒塗りフルスモークの大型ワゴン車が3台ほど横付けされていて、史は迷う事なくその足をそちらに向けて進めた。

「えっ、ふびとさんっ?、え?」

ワゴンから厳つい見た目の史よりも幾分か年上の男らが複数人降りてきて、お疲れ様です!頭!だの、お待ちしておりました!だのと史に挨拶をし、2台目の車に史を乗せる。訳もわからず抵抗らしい抵抗もできぬまま、志紀は史に引っ張られ同じく車に乗せられた。

「いいから。おまえは黙って俺についてこればいい」

数分前のあの面倒見のいい、聞き上手な兄貴、といった印象の史はどこへ行ったのだろう。いや、志紀限定ではあるがその史は変わらず志紀の目の前にいる。異質なのは周りの男たちだ。確かに史は人を惹き寄せる、男の中の男といったカリスマがある。纏うオーラも同じ男でも惚れそうになるほど渋い。史を出迎えた男らもその例に漏れず、史に惚れ込んでいるようだった。しかしそれだけではなく史に対するその態度、言葉遣い、志紀にまで伝わる緊張感、それらが史を只者ではないと志紀に伝えた。

「ふっ、ふびとさんっ」
「ーなァ、志紀。俺も番に運命があるとは信じちゃいねえが」

ワゴンに乗り込んだ史の隣に座らされる志紀。その距離はあまりにも近く志紀はドギマギしてしまう。この状況に水をさせる人間はおらず、二人の他には存在を消すように息を潜める運転手しかこの車には乗っていない。どうやら史に挨拶をしてきた男らは違う車に乗り込んだようだ。

「普段滅多に電車に乗らねェ俺がこの駅にいて、たまたま今日という日のこの時間、自殺寸前のところだったお前を命からがら助けるところから始まるってのも、なかなか粋な運命だと思わねェか」

志紀の目にはその言葉を吐く史の瞳にぎらぎらとなにか燃え盛っているような炎が見えて、思わず身慄いしてしまった。

「…い、きなり、なにを…」

突然の史の態度に志紀は頭が混乱して、呂律もうまく回らない。

「番は、どちらかが死ぬまで続く魂を結ぶ契約だよなァ。俺は、お前に生きてずっと側にいて欲しいと思った。お前の言う通り、俺なら一生志紀を悲しませる事なく幸せにだってしてやれるだろう」

じくじくとまた頸の痕が熱を持って志紀に自己主張する。

「…おれ、生きてて、いいの?しあわせになれるの?」

志紀にとって史の言葉は喉が焼けるほど甘く胸が天にも昇る心地で高揚するほど甘美なものだった。
灯りに群がる夜光虫の如く、水に飢えた獣がオアシスを求めるが如く“幸せ”をもたらしてくれるという人間に志紀が食いつかないはずがなかった。

「ああ」

死だけが番の契りを交わした二人を引き裂くのなら、志紀が死ぬ必要はない。番の相手が死ねばいい。

史はまだ見ぬ志紀の番、いや…未来の元番を思い浮かべ、さらにまた近い未来、きっと必ず実現してみせる志紀との未来を思い浮かべ、犬歯を見せてまた男臭く志紀に笑いかけた。

(この死神が、お前の運命を捻じ曲げてやるよ)

志紀は疲労がどっと押し寄せたのか、史の言葉と表情に安堵すると瞳を閉じてその広い胸に頭を預け満足そうに夢の中へと旅立った。

次に目覚めた時にはその腕の中で幸せに埋もれることを夢見て。






……
ヤンデレ?893√END

史が瞬を殺すことで逆に志紀の心に深い傷を負わせて、その傷を愛()で癒すみたいな。史は自分で傷付けて癒して、その狭い掌の上でひたすら愛を注いで転がして。そしてそれに気付かない志紀。共依存。ある意味幸せ


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