いずれ土に還るもの




二〇〇九・初夏


 五条悟から電話がかかってくるのは、案外珍しいことだ。通話するなら会って話したいし、しかし会うためにアポを取るという頭がないし、そもそも百鬼鈴のスケジュールをある程度把握しているため「今なら空いてるな〜」と軽い気持ちでアポなし訪問するためである。
 そんな彼からわざわざ電話がかかってくるタイミングと言ったら一つ、「百鬼鈴に任務のない夜」である。五条悟は、いろいろあって就寝間際の訪問を避けている。それでも「今」決めたことを「今」伝えたいとき、彼女は電話に呼び出されるのである。


「明日の任務、他の奴に変えたから」
「……何かありました?」
「前話したっけ?禪院の秘蔵っ子ゲットしたんだけどさ」ポケモンみたいに言うところには目を瞑ろう。
「ああ、相伝の術式持ちの」
「母親が蒸発したから、高専で金銭援助することにしたんだよね。ウチで世話してもいいけどさ、また柵の中に戻すの可哀想でしょ。だからさ、たまに様子見に行ってやって欲しいんだよね。金銭援助するとはいえ流石に小学生二人だから出来ないこともあるだろうし」
「……ん?なんて?」
「明日二人の住んでる家連れてくから。車高専に回しておいて」
 おやすみーと軽みのある挨拶で通話は切られた。小学生二人……。え、大丈夫なの?でも御三家や呪術師の家に入れたらややこしいことになるだろうし、非術師の家だと逆に狙われやすくなってしまうだろうし……。
 電話がかかってくる前までは、鈴の夜は静かに、穏やかに幕を閉じようとしていた。明日の任務の確認も済んでいる。寝るばっかりだった。のに。いろいろ考えてしまい頭が冴えてしまった鈴は、今後の段取りを組み直しながら自室を後にした。









・・・翌日・・・












「めっちゃ大荷物じゃん」


 ウケる〜とドア越しに車内を覗かれる。後部座席には、百貨店の大きめ紙袋。中にはたくさんのタッパーが入っている。その隣には10キロの米袋。後部座席を覗きながら助手席のドアを開け座り込む五条悟。


「わーごはんじゃん。家庭的ぃ」助手席から身を大きく捻り、ガサガサと紙袋を物色する五条悟。
「小学生二人って聞いてごはん状況気になって……昨日電話の後ずっと作ってました……」
「ほんと愛情深いよねお前は」

 身内でもないのに。飄々とした態度で冷たく言い放つ男であるが、実際のところ、彼自身も懐に入れてしまえばそうであると理解しているため、その真意はなんだろうと考えを巡らせ黙っていたら、隣が妙にソワソワし出して余計に分からなくなってしまった。本当の意味で彼を理解するのは未だできていないのだな、と無理やりベストアンサーを捻り出し目的地へと急いだ。
 ここのパーキング止めて、とナビゲートされ、バックで駐車。「モテ仕草トップ10の駐車券咥えて助手席に手やるのやって」とリクエストされたが、バックモニターという文明の利器があったため流した。












「こんにちは。百鬼鈴です」

 五条さんに誘導され小学生二人の住まうお宅へお邪魔する。「紹介するね、百鬼鈴。たまに君たちの様子見にくるから、仲良くしてね」記憶にある限り一番まともに紹介された。私の腰丈ほどの小さな子供。五条さん越しに見るとその小ささが余計際立って見える。目線を合わせるように屈み、簡単にご挨拶。この子達もきっと、彼に必要な人間なのだろう。人間は必要な時に必要な人に出会う。これは鈴だからこそ感じる人生の七不思議の一つだ。それに気付くか、気付かないかは各々に任されている。渡りに船となるか、灯台下暗しとなるかは表裏一体なのだなと学習する鈴。私もこの小さな子供たちにとってそうだといい。こちらからはどうにも出来ないが、そう思わずにはいられなかった。


「お腹空いてない?ハンバーグ、オムライス、炒飯、おうどん、好きなものある?」
「僕お寿司がいいな」おおきいおともだちからのリクエスト。
「お寿司の用意はないかな」今度五条さんに連れて行ってもらおうね。と躱す。


 そのあと津美紀ちゃんが控えめに「オムライスがいい」と言ってくれたので、大皿にででんと作って小皿によそうスタイルを採用した。持ってきた副菜も並べ、4人でテーブルを囲む。二人ともちゃんと「いただきます」が言える子で、なんだかとても嬉しかった。
 いつも美味しいものを食べるのは、お金さえあれば簡単だ。それができる世の中である。でも、ずっと美味しいものだけだと飽きてしまう。たまには味が薄かったり、濃かったり、彷徨ったものを食べるのも大切だ。生きることは食べること。今後生きていく子供たちから、大人の事情で日々の楽しみが失われてしまうのは嫌だった。
 有難いことにみんな綺麗に平らげてくれた。洗い物もそこそこに、持ち込んだごはんの説明をする。これは次の日曜日までに食べきってね、これはチンして食べてね、などと。あと、これは私の我儘だが「できるだけ二人一緒に食べてね」と。孤独のグルメは大人になってからのお楽しみだよね。はい!といいお返事をくれた津美紀ちゃんのおかげで、ちょっと救われたような気持ちになった。







 鈴さんは月に2〜3回、ひとりでご飯を持って家に来る。次の日がお休みだったりすると、家に泊ってくれて、次の日はどこかへ連れ出してくれる。初めて家に来たときは、五条さんと一緒に来たから、この人もちょっと嫌な人なのかと思っていた。

「小学校、どんなところ?」
「行ったことがないから、教えて欲しいな」

 そういった話にハキハキと答えるのは主に津美紀の領分だ。友達がこんなこと言っただとか、先生に褒められただとか、給食に好きなものが出ただとか。俺はと言えば、学校と言うものにいまいち馴染み切れずにいた。当然だ。呪いなんかが見えるから。これは人には見えない、と理解はしつつあったが、目に入る異形に反応してしまうのは不可抗力だろう。急に立ち止まったり、どこかを見つめる子供がいたら周りの人間は距離を置くもんだ。鈴さんもそうだったのだろうか。だから行かなかったのだろうか。でも、聞いたことはなかった。

「ずっとお家にいたから、お母さんと一緒にご飯作るのが楽しかったの」
「五条さんがたまに遊びに来てくれるの、すごく楽しみだったな」これ、五条さんには内緒ね。と悪戯っぽく笑う鈴さん。自分たちも同じだと言う気持ちは、津美紀が言葉にしてくれた。



「今日はお天気いいからお布団干そうか」
 鈴さんが来てくれると、子供二人だと難しいことを一緒にやる。
「お部屋綺麗だね。いつもお掃除してくれてるの?」
 小さく頷くと「偉いね。ありがとう」と頭を撫でてくれた。そういう小さなそれぞれがとても自然だった。そう感じる一方、恥ずかしさもあり、ふいと顔を背けてしまった。警戒心はとうに消えていた。それなのに何故か素直になれなかった。こんな俺に冷たくすることなく、いつも通り接してくれる鈴さんに甘えるばかりだった。



 そんなある日。鈴さんと五条さんが一緒に訪ねてきた。五条さんは、鈴さんのごはんを食べるついでに呪術に関する基礎的なことを俺に教えにきたようだった。鈴さんが津美紀に「カレー作るの手伝ってくれる?」と言って誘い出し、その間に五条さんによる講座が行われた。基本的な知識を教え込まれ、その後実践となった。

「これが玉犬」五条さんが影絵を作り、「はい、やってみて」と言われ、見よう見まねで犬の影絵を作った。すると、影が質量を持ち、小さな犬が2匹飛び出してきた。
「玉犬は問題ないようだね」
 このわんちゃんたちにはそれぞれ能力があって〜と宣う五条さんの話を聞きながら、構ってくれと言うようにじゃれつく子犬たちを撫で回す。

「カレーできたよ〜」とリビングのドアが開き、それに反応した玉犬がドアに向かって走り出す。びっくりさせてしまう!と思い、急いで鈴さんに声をかけた。








「おかあさん!」








 あ、やってしまった。と思った。さあっと血の気が引いていく感覚。
 俺の気持ちに呼応してか、玉犬も勢いを止め、そそくさと俺の元へ戻ってきた。

 家でお母さんとゲームしただとか、お父さんに怒られただとか。学校でよく出る話題の一つだ。俺にはその話題を提供できるほど思い出がないし、学校の先生をお母さんと呼ぶほど思い入れもない。俺たち二人の身近な大人と言ったら、学校の先生の他に、俺たちを引き取ったという五条さんと、鈴さん。何となく合点がいった。俺は、鈴さんに母の姿を投影していた。学校で耳にしたことを参考にぼんやり輪郭を持ったイマジナリーお母さんを。だけど同時に、この人は母ではないということもちゃんと理解できていて、きっと鈴さんもそんなつもりじゃない、ただの優しさからくる挙動だということは分かりきっていたから、そう考えないようにしていた。ただそれだけだったのだ。

 この誤りをすかさず茶化しにやってきそうな五条さんも、どこかぽかんとこちらを眺めているだけで面食らった。

 そんな中、ドアの前で目を丸くしたままだった鈴さんが止まった時間から復帰し、

「うれしいな〜」

 と、いつもより酷く気の抜けた様子で笑った。俺の目の前まで歩み寄り、しゃがみ込んで目線を合わせてくれる。


「家族になるって、血のつながりとか、家での役割とか、そんなの関係ないのよ」
「津美紀ちゃんと恵くんが、私のことをお母さんだとかお姉ちゃんだとか、友達だとか思ってくれたら、それがきっと本当になるから」


 俺の頭を優しく撫で付け、ね、と笑う鈴さんの顔に、心が温かくなるのを感じた。
 俺たちを呼びに行ったはずの鈴さんがなかなか戻らず「どうしたの?」と顔を出した津美紀の登場に、またいつもと同じ俺たちが戻ってきた気がした。







同日・車内



(危うく養子縁組の提案を持ちかけてしまうところだった……)

 普通に可愛らしかったのと、信頼や愛着を得られたのだという喜びで。もしもの際を考え踏みとどまった。鈴は生い立ち上、高専生以下の子供と接する機会が極端に少なかった。先日実際に対面し、日々過ごして行く中で、鈴は子供たちに未来を感じた。この子たちが大人になるまで、私には何ができるだろうかと、人間らしく考えさせられた。手塚治虫氏の「子供は未来人」という考えが好きだ。五条さんの進める呪術界変革案の中にもその片鱗が見えており、同じ方向を向けているようで嬉しく思う。
 にやけ顔が隠せない私に、横から冷ややかな視線が刺さる。


「随分うれしそーじゃん」
「未来を背負う子供から信頼を得らえるのはうれしいことですよ」
「へえ」
「五条さんに認めて頂いた日もうれしかったですよ」
 それに、と続ける。
「ちょっと似てらっしゃいますよね」五条さんと彼。
「はあ?僕あんな可愛くなくないし」


 いじらしい性格なところが、とは言わず笑顔を携える鈴と、優先順位絶対的1番の座が危ぶまれ機嫌の悪い五条悟。「てか名前呼ばないんじゃなかったの」と重箱の隅をつつくような不平不満。いやだっておんなじ苗字だし……そもそもいざという時以外は「ねえねえ」「お手伝いしてくれる人ー!」などで誤魔化している、が今の五条悟に言ったところで焼け石に水だろう。


「どこか寄られますか?」
「別にぃ」
「では高専直帰しますね」
「……遠回りして」


 ほらね。やっぱりかわいい。












[ 人を呪わば穴二つ ]



 その日鈴は、単身京都へ訪れていた。家業である呪具の納品と、そのついでにもう一件。事の発端は数日前に遡る。

「五条さんのところに来た案件なんですけど、」と申し訳なさそうに書類を寄越す先輩補助監督。更に数日遡る。


・・・


「これ鈴に行かせよーっと」
「確か近々京都に納品するって言ってたし丁度いいよね、しかも1級案件だし」
「京都校の誰かじゃなくてわざわざ僕を指名してきたんだから、僕が誰に流そうと勝手だよね?」
 異を唱えようと口を開けるも、発言する前に矢継ぎ早にペラペラ喋り、なんなら圧をかけてくるような五条悟に言い返せるような人間では、彼はなかったのであった。


・・・


「私補助監督なんですけどねぇ」そもそも一日有給の日だ。

 上層部からの嫌がらせ案件は、多かれ少なかれ違和感がある。その違和感は補助監督間で共有され、学長へ相談。いくら命がけの仕事といえど、思惑により命の危険に晒されるような可能性のあるものは、補助監督としてできる最後のサポートとして徹底的に調べる。それを以てしても違和感のある任務はどうすべきか。頭を悩ませる学長と補助監督陣。ふらっと現れ「鈴に行かせれば?」と宣う五条悟。呪力がそこまでないという自己主張により補助監督という職に甘んじているが、本来五条は(高専を通して)呪術師としてオファーするほど百鬼鈴の呪術師としての能力は高かった。
 補助監督は基本、任務に参加しない。戦えるのなら呪術師になるべきだし、前例が一件でもあると他の補助監督が強要されかねないと言うのもある。なので、これは完全なる秘匿事項だ。ただ、東京校の人間は殆ど知っている。公然の秘密というやつだ。企みのある上層部はいずれ不可解に思う。しかし鈴は術師と口裏を合わせ、「いや〜やばかったけどなんとかなりました!」と押し通す図太さで何とかなってきた。
 鈴の暗躍にはそのような経緯があったが、任務を丸投げされるのは初めてであった。なんだかんだ言いながらも五条悟の命を反故にする頭はないので「ついでだし、上が了承しているなら大丈夫ですよ」と承る。資料を拝見するが、そんな派手な動きにもならなそうだ。お土産買う時間あるかな?と既に考えを切り替えて職務に当たった。
 ちなみにこれは最近彼女が伏黒姉弟に執心している(と五条が勝手に思っている)ことに対する八つ当たりも含まれている。振り回すことにより自分の支配欲を満たす、若く青い時代である。



 そんなこんなで京都。納品もそこそこに1級呪物の回収へ赴いた。1級呪物「魂手箱」。御伽草子「浦島太郎」にて魂を封印し、肉体の老化を時間経過から守ったとされるあの玉手箱だ。今は広く公開されているが、封印が解かれたまま置いているため害がないだけで、力のあるものが使用すれば不老不死の力を得ることになる。深夜。ちゃちゃっと不法侵入し、よく似た偽物と中身を入れ替え交換。力が込められていないだけあって、呪霊に狙われることもなく、任務としてはとても気楽な任務であった。五条悟宛で1級案件の任務というのは、そこまで大した呪物ではないが、日本で知らない人はいないレベルの知名度を誇る歴史的文化財に何かあると、各界から非難轟々なのでくれぐれもよろしく、という意図が見えた。もっと適任はいそうなものだが。ご指名を袖にし、他人に投げる人間より適任が。こちらで気を揉んでも仕方ない。鈴は大人しく車へ戻った。
 車内にて本物か確かめるべく、試しに呪力を流してみる。千年ぶりに起こされてびっくりしたのか、玉手箱の中から白い煙とともに目鼻のない口だけの呪霊が顔を出した。呪霊が息を吸い、精気が吸い取られる。まずいなと思いすぐさま蓋を閉め、バックミラーで自身を確認すると、少し若返った自分がいた。およそ15歳くらいであろうか。吸われた魂との差分で身体が若返ったということだろうか。1秒そこらで5歳くらいの若返りとは、流石三百年の時を守る玉手箱といったところか。再び開き、今度は呪霊が息を吐く。瞬く間に年齢に沿った容姿になり、これは特定の界隈ではとても魅力的なのでは?と結論を出した。アンチエイジングを謳うマルチや、新興宗教などで。後でわかる事だが、一つの箱に一つの魂しか入れることができないため、実用化は難しそうである。
 とりあえず任務完了。夜分遅くであるため、メールにて任務完了の報告をする。あと2〜3時間で日も登るだろう。車で仮眠をとって市内へお土産買いに行こう。ここからなら高速使っても2時間はかかるし、店が開店する時間帯に着けそうだ。高専に着くのはおやつ時かな、と時間を逆算しながら近くのコンビニを目指し、エンジンをかけるのであった。













「やあやあお帰り〜」


 校門の前で待ち受けていたのは、本来この任務を請け負うはずだった男だった。「京都は黴臭いおじいちゃんたちがいるから嫌なんだよね」臭い付いちゃいそうじゃない?と戯けた様子は相変わらずだ。
「これお土産?あ!全部甘いやつだ〜僕好みだね」手提げ袋全てを引ったくられ、中身をチェックされる。そんな中、携帯に着信。
「学校分だけじゃなくて子供たちの分もあるんですから、あっもしもし今着きました」
 鈴は、電話は立ち止まって受けるタイプだ。他のことをすると気が逸れて聞き逃してしまう気がして。今もそうで、前を行く五条とは段々距離が開く。ノーマークだった。好奇心旺盛な子供のように、お土産とは別の袋に入った妙に高級感のある箱を開けるとは思わなかった。気付いた時には五条悟は白い煙に包まれていて、姿をはっきり確認することは出来なかった。


「五条さん蓋閉めて!」


 後でかけ直します、を言ったか言わないか。ええい手のかかる、と軽めの恨み言が口から出たか出ないか。通話を切り、先にいる五条悟へ駆け寄るのだった。


──


 煙が晴れ、「大丈夫ですか」と鈴が詰め寄ると、六尺三寸ほどの大男がいた場所に、背丈が鈴の腰にも満たない小さくて可愛らしい男の子が立っていました。鈴は一瞬思考が停止しましたが、直ぐにこの子は五条悟であるとわかりました。掛けていたサングラスが地面に落ち、宝石のように美しく、内側から光り輝くような瞳が惜しげもなく鈴に向けられています。スラックスは男の子の足元に蛇腹のような山になり、上着が地面に着き、袖もぶかぶかで手が隠れています。
思わず日本昔ばなし調になってしまった。

 早く戻さなければ、と足元にぽつんと置かれた魂手箱を手にする。蓋を開けようと力を入れるが、どうしても開かない。開けた人間、魂を閉じ込められた人間しか開けられないのか。


「五条さん、これ、開けてください」屈んで魂手箱を差し出す。
「?」小首を傾げ、じっと見つめ返される。
 もしや、魂を吸われると体だけではなく精神も若返る?これが正解だとまたややこしいな……と頭を悩ませる鈴だが、これは正解である。鈴には眼が標準装備されているため、いくら若返ろうと精神はそのままだった。ただそれだけの話である。
 とりあえず、あの五条悟が幼くなってしまったなんて知られてはならない!と脳直で理解し、即座に結界を張る。認知阻害を付与し、魂手箱を五条さんに持たせ、開けるよう誘導する。が。


「や」
「お願い!」
「や!」
「嫌か〜」


 ちょっとにやけてしまう私は悪くないはずだ。いくら元はハタチそこらの五条悟だと認識していても、目から入る情報が全てだ。それがおよそ3歳くらいまで小さくなり、精神も同様に幼くなった五条悟を前にして鈴は胸を押さえた。いけない、このままでは。謎に倒置法を使ってしまうぐらい鈴の頭は可愛さに毒されているが、未だ正気だ。この後数回の押し問答が続き、斯くなる上は……と覚悟を決める。


「解除封印・急急にょ」
「め!」


 視界が真っ暗になる。頭がぎゅっと締め付けられ、仄かな温もり。
 浄玻璃の眼は、私の眼から宇宙にアクセスして情報を受け取る。その情報とは、原子配列や物理演算、あらゆる時点の事象など多岐に渡る。眼で見るというよりかは、眼に投影されると表現するのが近い。知りたい情報にチャンネルを合わせて鑑賞するだけ。この発動に瞼の開閉は関係しない。が、鈴の術式は視覚で認知してからでないと発動できない。もしも塞がれたり、潰されたりしたとしても、体内のどこかに移植したり、死んでいない限り反転術式で治せるためほぼ勝ち確である。でも、鈴はそうしなかった。いくら縮んでしまったとしても、五条悟は自分の主人で自分は仕える立場にある。いくら緊急事態と言えど、彼の意に反くのは憚られた。
 あと加えて言えば、可愛さに屈してしまった。それだけだった。


「はーい、大丈夫です、やめます」
 存分に可愛さを噛み締めたあと、ぽんぽんと背中を叩く。締め付ける力が緩み、顔を覗き込まれる。
「嘘は吐きませんよ」
 何とか信用は得られたようで、頭が小さな腕から解放されたが、代わりに腕を掴まれてしまった。「電話していいですか?」と聞いたが、ぽかんとした様子だったので失礼します、と勝手に携帯を手にコールする。


「お仕事中失礼します、百鬼です」
「先程は失礼しました。あ、聞こえてましたか。はい、背後を取られまして」
「いえ、大丈夫です。で、お伺いしたいのですが、五条さんの今後の任務ってどうなってましたっけ?」
「ええ、はい。明日午後発ですね。いえ、大丈夫です」
「あと、頼まれていた1級呪物、五条さんが持ち出してしまったので明日になりそうです……」
「はい、申し訳ありません。ありがとうございます。失礼します」


 よし。と控えめに気合を入れる。明日に間に合わせる。今日一日五条さんとは連絡が取れなくなるが、日頃の行いのおかげで即レスはあまり期待されていないだろう。この人のいい加減なところが役に立った瞬間である。さらっと嘘を吐いたが嘘も方便だ。地面に山になっているズボンと下着を回収し、お土産袋を拾い、「抱っこしていい?」と伺いを立てる。手を広げると、理解してくれたのか、勢いよく飛び込んで来てくれた。幼児を手早く運搬するには抱き抱えるのが一番だ。車に乗り込むまで我慢してくれよと思っていたが、実際は鈴の体から離れず、助手席に座らせるのに苦労するのであった。








「……誰?」
「五条さんの親戚の子なんだって。今日一日一緒にいていいかな?」
「俺は別に」
「ありがとうね」

 呪術界と関わりなく、私が頼れる場所などここしか無かった。衣類を調達し、駆け込んだのは伏黒姉弟のお部屋。おうちの人がお仕事終わったらお迎え来てくれるから、それまでお世話になるね。と妙に言い訳がましく言ってしまったのは、子供に嘘を吐いているという罪悪感からだろうか。「お名前なんて言うの?」と言う津美紀ちゃんの言葉に「……たけるくん」と答え、いつかの一悶着を思い出した。
 時間はおやつ時。バタバタしていて忘れそうだったが、京都のお土産を渡す。「二人は八つ橋好き?生茶の菓もあるよ」お茶を淹れて団欒を過ごした。


 子供たちが学校の宿題を片付けている頃、膝に五条悟を乗せ一緒にテレビを見つつ、一つの謎と向き合っていた。
 五条悟は殆ど言葉を発しない。発するものは殆ど喃語のようなものだが、それでも意思は汲み取れるため乳児のように意味のない発言ではなさそうだ。何か要望がある際は私の手を引っ張り、その場に運ぼうとする。確かクレーン現象と言ったか。生まれながらに無下限術式を持ち脳に負担がかかっているのだろうか。反転術式が出来るようになれば言語野も年相応かそれ以上になるのだろう。反転術式を覚えるのはもう少しレベルが上がってからだろうか?進化と同時に覚えるタイプか。あっもしかして今バブモン?ポケモンではなくデジモンだったのか……と頭を撫でると、こちらを振り返り眼を細めて手に頭を擦り付けられる。頼む。持ってくれよ、私の理性。


 お夕飯を食べ、子供たちをお風呂に入れる。順番に髪を乾かし、おやすみなさいと部屋を消灯する。五条さんはリビングに敷いた布団に寝かしつけた。そのあと洗い物の片付けと、任務の報告書を五条悟として作成。一通り済み、二人と一人が完全に寝静まった頃。隠しておいた魂手箱を取り出す。洗濯した服と伏黒家に置きっぱなしになっていた五条さんのスウェットを枕元に置き、書き置きを添える。『かくかくしかじかになっているので、話を合わせてください』と。

「解除封印・急急如律令」

 眠ったままの五条悟が体が動き出す。寝ながらスウェットに着替え、だぼだぼながら着替え終わると魂手箱に手を伸ばす。ぱかっと開け、煙が五条さんの姿を包むのを確認してから意識を手放す。あらかじめ敷いておいた布団の上に倒れ込む。覚醒していない人間を動かすのは人体の可動域や意識の所在など気にするところが多いため情報が多く、呪力消費もそれに比例しひどく疲れる。対象が起きてさえいれば、目を合わせることでオートマチックに設定し、対象の意識内でやってもらえるので、出来れば起きて発動するのがベストだったが、タイムリミットも迫っていたためこちらのリスクを取った。それを差し引いても今日はなんだか疲れた。そう言えば京都で仮眠しか取っていない。朝起きられるかな。…………。








 あ、下着履かせるの忘れた。








・・・暗転・・・








 五条悟は困惑していた。目が覚めたら鈴が目の前で寝ている。高専で待ち伏せしてからの記憶が曖昧だ。身体を起こし辺りを見渡すと、ここが伏黒ハウスだということが分かった。動くと下半身に違和感。……えっ僕パンツ履いてない。遂にやらかした?他人の家で?妙に冷静になってしまい、寝起きより周りがよく見えるようになった。枕元に鈴の筆跡のメモが置いてあるのを発見。ふむふむ、あ〜あの1級呪物でね。自分の元に依頼が来た際に、とりあえず資料に目を通したから少し覚えている。殆どは字の上を滑って行ったが。さてと、と寝床から出る。時間はもう朝の7時。未だ起きる様子のない鈴に自分にかかっていた布団をかける。こんなにぐっすりなのも珍しい。顔にかかった髪を耳にかけてやり、じっと見つめる。ちょっとの悪戯をしてから、畳まれたパンツを持ってトイレで着替える。てか健のこと引き合いに出し過ぎじゃね?


 トイレから出ると、寝起きの恵とばったり出くわした。


「おはよ」
「うわっ五条さん……おはようございます」
「うわって何」ほら、歯磨いて顔洗うよーと洗面台へ連行する。リビングに戻り、一人で眠る鈴の姿を見て、「たけるくんは?」と聞かれたので「寝てる間にご両親が迎えに来たよ」と答えておく。

「鈴さんが寝てるの珍しいですね」
「ね。昨日は疲れてたみたいだよ、京都から直帰だったし」
「たけるくんのお世話もありましたしね」

・・・

「……たけるくんさあ、いい子にしてた?」
「……?ずっと鈴さんにくっついてましたよ」
「ずっと?そんな甘えん坊さんだったの?」
「?抱っこしたりごはん食べさせてもらったりお風呂一緒に入ったりしてましたけど」
「えっ?」


 えっ。















二〇〇九・師走



「僕の誕生日の夜、空けておいて」


 高専の廊下でばったり遭遇し、そう伝えられる。もうそんな季節か、と思い至る。五条悟が前もってアポを取る、数少ないイベントの一つだ。任務やら付き合いやらで必ずしも誕生日当日ではなく多少前後することはあるが、必ず祝わせてきた。それは縁遠かった高専時代でも行われており、誕生日を1ヶ月ほど過ぎたお年始で五条家を訪問した際、「本年もよろしくお願い致します」「他には?」「お誕生日おめでとうございました」どうぞ、と作ってきたクッキーを渡したりなんてこともあった。鈴が高専で働き出してからはこうして連れ出される。空けておいて、と言われるが任務は既に五条によって手が回っていることだろう。去年は買い物に付き合わされた。今年はどこだろう。考える余地もなく場所が指定される。


「折角僕たちハタチなんだから行くでしょ、飲み屋!」
 なるほどね〜と納得。
「僕たちどうせ成人式出られないんだし、今のうちに騒ぎ倒してニュースデビューしよ!あ、ニュース見た芸能界からスカウトきたら困るな〜」
「ニュースに出るような人スカウトしないと思いますよ」
 そうかな〜?と相変わらず飄々としたご様子。

 じゃ、そういうことだから。と切り上げる五条悟。
「有り難く思ってよね〜僕の初飲酒に同席できるんだからさ」
「いや五条さん前から飲んでましたよね」
 鈴はコンプラ意識が高いので、何をとは言わない。真相は藪の中だ。










 当日。車を出そうとしたら「僕の酒が飲めないっての?」と面倒臭いおじさんみたいに言われたので、二人で電車に乗り込む。五条さんと電車移動、そう言えば初めてだ。


「こうして二人で出掛けるのもたまにはいいよね」
「そうですね、新鮮です」
「もー敬語じゃなくて良いって言ってるのに」


 機嫌が良い。お天気屋である五条悟の攻略方法は、流されないことだ。彼の天気は天気予報が存在しないし、あったとしても当てにはならない。山の天気より変わりやすく、振り幅がえぐい。機嫌が良さそうだったので傘を用意してませんでした、機嫌最悪だったんですけど急に晴れて外に駆け出して行きました、と言われても残念ながらそれは言い訳になってしまう。そう、五条悟だからね。合わせようとするなら完璧に合わせないと不機嫌の雲を作ることになる。こちらが流されないとなると、それを不満に思うこともあるがダメージは少なくて済む。


「もしかして、電車乗ったの初めてなんじゃない?」
「いや、2回目ですね」
「ふうん」

 なんか踏んだ気がしたが、気にしてはいけない。








 港区某所。
 どんな高級レストランに連れて行かれるかと思ったら、案外普通の個室居酒屋だった。駅から少し歩いた場所、テナントビルの間にひっそりと佇む、隠れ家的な店構え。個室に入ると、L字の革張りソファーに揃いのクッション。仄暗い天井照明とテーブルの上でぼんやり灯る間接照明。部屋は手狭だが抜けるような天井で圧迫感はそれほど感じない。「おしゃれだ……」と思ったが心の中だけに止まった。「何頼む?」「ビールは知ってるから……今日はシャンパンにしよ!」そう。これは知識として知っているという意味で、実際は有耶無耶になる有効手段だ。当方百鬼鈴の前だけコンプラ意識のある五条悟である。「……初めてなんですから、カクテルにしません?」と鈴。「潰れちゃつまらないでしょう?」今日の鈴の目下の目的は、五条悟を潰さずに高専へ帰すことだった。あと、折角だから美味しいご飯をたくさん食べたい。少し考えた風に「それもそうだね」と納得し、カシオレを注文するのだった。
 美味しいお酒、美味しいご飯、楽しい会話で良い時間が過ぎていった。











 が、案の定五条悟が酔い潰れてしまった。










 気づいた時にはもう遅かった。「帰ろ!」と陽気に立ち上がる五条の後をついて行く鈴。「またのお越しを」と頭を下げる店員にお会計は、と尋ねると「結構です」とのこと。よく分からないが良いなら良いのだろう。「外涼しー」とコートも羽織らず彷徨う男に「風邪ひきますよ」とコートを差し出す。だが、ニコッとしたまま受け取らず「ヒキマスヨ?」と訂正が入る。「風邪ひくよ」と直したら「僕最強だから風邪なんかひかないけどねー」と仕立ての良いロングコートに腕を通した。「ほら、帰りましょ」と急かすと、眉毛を下げ鈴の袖を掴み一言。


「かえりたくない」

 圧倒的彼女。


 どうするかと逡巡していると、その場に蹲ってしまった。「ねむい」ここで眠られたら困るなぁ。どうしよう。駅まで何とかなったとしても、高専まで運ぶ体力はない。誰かに迎えを頼むか、いやお忙しい皆さんにこんな業務外のことさせられない。辺りを見渡す。あっあんなところに都合のいいビジネスホテルが。一般人生活1年半の鈴にはまだタクシーを呼ぶという選択肢がなかった。


「ほら、手出して」
「?」
「ほら、一緒に行こ」
「ん」


 都合の良いホテルが都合良く空いていた。手早くチェックインを済ませ部屋に押し込む。寝ゲロで窒息されたら困るのでダブルにした。ぐずぐずする五条のコートを脱がせる。クローゼットに掛け、自分のものも同様に掛ける。再び五条と向き合い、鑑定。薄手の黒のタートルネックにぴったりしたスキニーデニム。脱がすのは無理か。


「するの?」上から下まで眺めたせいか、誤解を生んだらしい。
「しないよ」
「しないの」
「しないよ」
 はあ、と溜息。経験が豊富でいらっしゃるようだが、そういう雰囲気かどうかは感じ取ってほしい。いや、彼が迫れば大体の女の子がそういう雰囲気に呑まれてしまうことだろう。
 少ししゅんとした様子。上背の割に小さく見える。


「内緒でキスしてたの怒った?」
「怒ってないよ」知らなかったし。口振りから1回や2回ではなさそうだ。
「怒ってよ」弱々しくも強い語調で言われる。
「怒らないよ」


 そもそも怒る気にもなっていないが、受け取る側は必ずしもそう取らない。こちらが相手にしない態度を冷然だと取られたか、いずれにせよ鈴は五条悟の地雷を踏んでしまった。


「ずるいよ、鈴は」

「いつも僕ばっかり悩んでる」

「僕のことばっかり考えて、悩んだり困ったりしてよ」


 ぽつりぽつりと溢れる言葉は茨の棘であった。口にすればするほど自らを縛り付けて痛めつける。この拗れさえも人生の醍醐味であると言うのなら、人間というものは実に幼気な生き物だ。
 力が抜けたのか、眠気が来たのか、再び蹲る五条悟。それを見下ろす鈴は、気持ちが落ちていくのを感じていた。伝わるはずのものが伝わらない虚しさ、伝わっているはずなのに気付かれない寂しさ。普段ならこんな瑣末なことで感情が揺れたりなんてしない。酩酊。判断が鈍るほど鈴も酔いが回っていた。考えているよりも、身体が先に動く。


「ちょっと残念です」

「こんなに貴方のことしか考えていないのに、いつも伝わらない」

「元来人間は言葉を介さず意思疎通できたはずなのに……」


 蹲んでもなお存在感がある質量に愛おしさを抱きながらも、彼の正面に膝をつき、掬い上げるように顔を両の手で包んだ。夜風に当たって冷えてしまった指先に、柔い彼の頬はじんわり暖かい。気持ちと呼応するように元気をなくした白銀の髪が顔にかかり、目も合うことはない。鈴はそのまま少し指に力を入れ顔を寄せる。触れるにしては悠久で、愛を伝えるには明白で、自由と赦し、目一杯の祝福が与えられる触れ合いがあった。
 すっと鈴が顔を離す。
 柔らかな前髪の隙間から、貫くような澄み切った光彩が放たれる。






「もういっかい」










 俗に言う、「運命の出会い」と言うものは存在する。過去愛を誓い合った仲や、自らが真に愛すべき相手は、直ぐにわかるものだ。なぜならその存在は自分のすぐ近くにいるのだから。見つけるには、まずは自らを愛することだ。「己を愛するが如く、汝の隣人を愛せよ」逆説的だが紀元前から言われている。こればっかりは人から教えてもらえない。自分で気付くしかないのだ。

 五条悟がそれに気付くのは、まだ先の話である。
























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