板上のジプシー
於・新宿駅西口地下広場。親友と名実共に別れた後だった。
「夏油傑さんですよね」
新宿は好きだった。行き交う多くの人々。しかし、殆どの人間が自分のことを知らないし、興味もない。ひとりぼっちだとしても、たくさんの人に囲まれている。手が届くほど近くに。孤独を感じるとき、この街に潜るとひどく落ち着いたのを覚えている。群衆の中のひとりとして属しているかのようで。今となっては、悪しき黒山にしか思えないが。
「お初にお目にかかります。私、百鬼鈴と申します。あの、お願いがあるんです」
私を追ってきた呪術師……?殺すか。と頭を過るが、凪いだ水面のような呪力の流れに殺意を感じ取ることができず、また、夏油傑の良心が"お願い"という言葉によって聞く姿勢を取るに至った。
「スタバ、一緒に行ってくださいませんか?!」
スタバ。想像の向こう側からきた発言のせいでぽかんとしていたら、心配になったのか「今日初めてひとりで外に出て」「フラペチーノ飲んでみたくて」「縛りをつけてもいいので!」と矢継ぎ早に懇願された。縛りという言葉が出てくるあたり、やはり呪術師か。
「君は私に危害を加えない」
「危害を加えようとしたら君は死ぬ」
これでいい?と確認を取る。はい、結構です。と了承する寸前で、こちらからもう一つ。と。
「私が君をスタバに連れて行ったら、君は女の子物の服を2着見繕うこと」
なんでそんなことを言ったのだろう。夏油傑は分からなかった。ただ、人を見る目はそれなりにあるという自負があった。裏切りはしたが裏切られたことはない。それは夏油傑の甘言によって裏切られないよう操縦されていた面もなくはないが。それを承知の上で彼女を信用した。そんなことは露知らず、承りました!と笑顔で答える鈴に、先ほどまで感じていたセンチメンタルは鳴りを潜めてしまった。
・・・
「3分の1が生クリーム……!」
何がいい?と尋ね、キャラメルフラペチーノ、とひそひそと教えてくれる彼女に、多分分からないだろうなと思いながらも、サイズとカスタマイズは?と尋ねると「……お任せしていいですか?」と真剣な眼差しで訴えられるので、少しの罪悪感と共にただのトールサイズを注文した。自分用にドリップのアイスコーヒーを頼む。受け渡し口でキャラメルフラペチーノを受け取った彼女は甚く感動していた。
座りません?との提案を受け、空いていた対面のテーブル席に座る。
「改めまして、百鬼鈴と申します。百鬼家とは、五条家に仕えている一族で、呪具の整備等で生計を立てている裏で呪詛師の処刑を承っています」
「ブッ」ちょっと咽せた。初めて会う人の話し始めに、さっさと飲み始めるタイプの男ではなかったので九死に一生を得た。
「大丈夫ですか?」
「……うん、続けて」
「はい!ええと、私の呪力や術式は大したことありませんが、眼だけ特別で"浄玻璃の眼"と呼ばれております。この眼を発動させれば、この世の全てを情報として理解することができます。普段は封印されているので黒目に見えていますが、世間に知れ渡ってしまうと私の命の危険や呪術界のバランスがひっくり返ってしまうので封印しています」
「これ、私に言っても大丈夫なのかい?」そう尋ねても、ふふと静かに笑うのみだった。
「封印されているんですが、黒目に見せているだけで、実際はずっとここにあるんです」目を指さす。
「覚醒時は封印解除しないと発動できませんが、寝ている時、夢に干渉することが稀にあるんです」
「先の私に頼まれたんです。今日、新宿に行けと」
「そしたら貴方に会えるからって」
やはりコイツ、私を狙って……周りに誰かいるのか、と身構える。
「『ありがとう』。そう伝えにきました」
「貴方と五条悟様との確執に決着がついたタイミングの私か、将又今際の際の私か、いつの私か知るところではありませんが、そう伝えてくれと。今日を逃したらもう二度と会うことはないようです、私たち」
強ばったままの体。息が止まっていたことに気付いた。深く息を吸い込み、程よく力が抜けた。そのおかげか、目の前の彼女の話にきちんと向き合う姿勢が出来た。
「五条悟様は素直な子に育ったには育ったのですが……やはり甘やかすだけではダメですね」
素直、ねぇ……と素直と我儘の違いについて再考する夏油傑。
「貴方という人を通して、他人の気持ちを学んでいったように思います。対人関係はまだへたくそかも知れませんが、きっとこれから賢さを持ったやさしい人になる」貴方のおかげです。黙って聞く姿勢を保つが、なかなかに耳が痛かった。
「教育というものは一般家庭のが優秀ですね。とかく人を愛するという点に於いては」見えなくて良いものが見えないというのはアドバンテージなんでしょうね。それはそうかも知れない。幸せとは、それについて考えなくてよい状態、という先人の弁。呪いなんて負の感情が見えないから呑気にやっていけるのだろう。
呪術界に属する人間は、概して呪いが見える。これは知れたことだ。呪いとは人間の負の思念体であり、質量を持たず、目に見えないもの/見ようとしないものである。呪術師はなぜ呪いだけが見えるのだろう。目に見えないものが見えるのなら、愛や情が見えてもいいだろうに。愛が呪いだなんて誰が言った。純粋に愛し続けることのできなくなった人間の言い訳じゃないのか。愛とはきっと、もっと自由で、暖かくて、心地よいもののはずだ。
「夏油さんも、愛されて育ったのでしょう。ご両親の愛情が相伝されているのがわかります。貴方の愛し方もいずれ、新しいご家族の方々の愛し方になるのでしょうね」よい教育が受け継がれていくのはいいことです、と。
非難されているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「猿から見たら、私はとんだ親不孝者でしょうね」
「どんな結果になろうと、貴方に流れる血が血縁を保証してくれます。貴方に血が通う限り、ご両親は側で見守ってくれますよ」
ハリーポッターみたいな感じです。重量感のある内容にそぐわない軽みを帯びた話し方。覚えがある。夏油傑、思うところあり。
・・・
「こちらからも聞かせてもらおうかな」
「はい、どうぞ」
「私のことは、処刑しなくていいのかい?」
「処刑は、五条家からの命があって初めてなされます。勝手に執行したら殺人者と変わりませんからね。それに当家の管轄は、呪詛師が捕らえられてから初めて命が下るものですし。そもそも私の能力は秘匿されているので、決まった場所でしか行いませんよ」
「呪詛師と会っていたなんて知られたらただじゃ済まないんじゃない?」
「恥ずかしながら、バレなきゃ大丈夫って素養がありまして」
あはは、と笑う鈴は今朝のことを思い返していた。
家を出る際、眼の封印を解き「一人で外に出ます。護衛はなしでお願いします」と言って出てきた。今までそういったことはなかったので驚かれたが、「これは神託です」と自然と口から音が鳴った。ちなみに天啓ではなく私信である。せめて、と頼み込まれ呪術界版防犯ベルを持ち門を潜った。再び眼を封印し、先程脳内に下りてきた情報と向き合う。"新宿で、夏油傑に会う"。これは人の言う、閃きの一種だ。一般人の閃きは日々の鍛錬や修行がリファレンスになっているが、私の場合は先の世の私からの意識がフックになっている。未来、というより大きな流れの中で決まっていることだから、意味を問うのはナンセンス。それより、より楽しめる手段を考えた方が有益だ。二十歳も目前に迫っているというのに、初めて一人で外に出たのだ。初めてと言えど、なんとなく歩く道が駅へと続いていて、我ながら便利だなと思う。貰ったICカードを改札に翳して電車に乗り込む。車内、そういえば行ってみたいところがあったと思い出す。ネットやテレビでよく拝見して、「五条悟様好きそうだな」と思った商品。フリーメイソンに関わりある企業とも聞いた。耳に入る「新宿、新宿」というアナウンスを合図に下車。一番近い改札を出てあてもなく歩き、西口地下広場に出た。知らなかったが、一目でわかった。正面からやってくる男性。彼が夏油傑だと。
「君とは、もっと前に出会いたかったな」また違う未来があったかもと夢想してしまう。
「私は過去にも未来にも干渉できません。聡明な貴方ならお気づきでしょうが、過去や未来なんて存在しませんもんね。偶然も必然もない。あるのは結果のみです。並行世界もバタフライエフェクトも創作の範疇ですから」
ト書き通りに進む時間。だからこそ鈴は先の時間からのメッセージを受け取ることができるのだ。
「過去がないからこそ、過去は変えることができます。当時は辛かったけど、今となってはいい思い出がいい例ですね」
「そうだね。でも、もしもを考えるのは人間の醍醐味じゃないかな」だからこそ思う。
「君と楽しい学生生活を送ってみたかったよ」
「またいつの世か巡り合える日が来ますよ。その日を楽しみに待っててくださいな」
フラペチーノとアイスコーヒーは既に空。アイスコーヒーに至っては氷が溶け、底に水が張っていた。
そろそろ出ようか、と腰を上げる。
「小田急でいいかな」
「はい。買ったことはありませんが、流行は押さえているはずなのでお任せください!」
その後は何事もなく進んだ。子供服売り場で可愛らしい揃いのワンピースを見繕ってくれた。たまに学生時代の悟の話をしたり、彼女の好きな漫画の話をしたり。不思議なほど自然だった。
「今更だけど、良かったの?」君を人質に取ったり、利用したかも知れないよ。
「そんな人じゃないですよね?」あっけらかんと言い放った。
「私には"わかり"ますが、それ以前に、五条悟様と親友になってくださった貴方なら大丈夫だと確信していますよ」
「親友だった、の方が正しいかな」
「そうでしょうか?」
「あの方はきっと今でもそう認識されていると思いますよ。貴方と同じように」
これは、もしもの内のひとつだ。常識はないが、嫌いじゃないイイヤツと同じ方向を見据えて歩む世界。きっと飽きることない、楽しい日常だ。それを考えて苦笑してしまうくらいには名残惜しいらしい。そうだ。上手く割り切れていたのなら、私はきっと此処には来ていなかったのだから。
「絆に傷はつきものです」言葉遊びの一種ですが、馬鹿にもできないですよね。
彼女の言うように、きっと違う世、来世かその先か、また巡り合うことができたのなら。
──身内に教祖みたいな奴がいて、いや、なろうと思えばなれるんだろうけど
──傑に会わせてみたい。多分話合うと思うし。
──他のやつはヤだけど、傑と硝子ならいーよ
「先の世でまた悟と会うことがあったのなら、弄り倒してやろう」
「是非そうしてあげてください」
こうやって二人で笑い合う帰り道だって、悪くないはずだ。
ファンシーな柄の紙袋を手に、彼女を改札前まで送り届ける。
「じゃあ、とは言ってももう会うことはないんだっけ」
「そうですね。今生の別れです」
そうかも知れないが、ストレートに言われるとそれなりに。
「君に教えてあげよう」腰を折り、目線を合わせる。
「こういう時は、またねって言えば角が立たない」
「もしもの話も、頭から否定しない方がいい。正論は時に人を傷つけるようだから」
「ふふ、貴方には頭が上がりませんね」私も、あの方も。
「貴方は貴方の道を行ってください。否定も肯定もない、宇宙のシナリオです」
でも、と続ける。
「自分の意志で進む貴方を、私は肯定しています」
では、"また"。
彼女の姿が見えなくなるまで見送る。
「ほんとに教祖みたいな子だったな。でも、」
年相応の顔も見られた。彼女こそ、違う運命があったのだと思えてならない。しかし、それを口にするほど野暮じゃない。
「私は私の為すべき事を為すまで、か」
再び夏油傑は人混みに紛れる。いくら人や仲間に囲まれようと、彼が真に虚しさから脱することは二度とないのかも知れない。しかしそれは「孤独」であって、「孤立」ではない。
了
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