「あー……なまえさん?」
「はい」

 ――平日の夜、都内某マンションの一室。
 ソファの上で正座をしながら向かい合う男女の姿は、傍から見てとても奇妙なことだろう。
 まして男性の膝の上には一度開封された形跡のある、高級感漂うリングケースがあるのだ。「なに」が行われたのか、大人ならひと目見てわかってしまうかもしれない。
 年上の恋人にプロポーズされた。
 それに数秒の間を置き、『タイム』と手でジェスチャーしたのが私である。
 無言で見つめ合うこと数分。口火を切ったのは彼のほうだった。

「……あのですね、結構そのー、なんというか。僕的に一世一代の求婚だったと思うんですよ」
「でしょうね」彼の言葉に食い気味にうなずく。「ここまでパッションを感じられる求婚をされるなんてこれっきりだろうなと思うくらい、すばらしいものでした」
「待って、なんか審査されてる?」
「いえ。別にそんなことは」

 私の恋人はとても視野の広いひとだ。学生時代はバレーボールで全国区のキャプテンを務めていたほどの実力者で、昨今のバレーボール熱をもっと広げられないかとさまざまなイベントを計画するなど、バレーという競技を愛している。多忙を極め、まさに仕事が恋人だといわんばかりのバレー好き。
 そんな人となぜ付き合っているのかと言われたら、「縁」としか答えようがない。
 仕事中に赴いた場所にたまたま彼がいて、話す機会があって、以降数度遭遇、気づいたら相手のコミュニケーション能力に敗北し、連絡先を交換していた。
 恋愛経験が皆無の私は見事に手玉にとられ、流されるまま交際関係にまで発展してしまった――というのがこれまでのお話。
 ぶっちゃけた話、私は彼に求婚されるなんて思ってもいなかった。今回の件も寝耳に水。思わずタイムを求めるくらいには驚き案件。
 
「……仮に結婚したとして。クロさんと共有できないことのほうが多いですよ。私の業務的に」

 私の所属は機密情報を扱う部署である。内容を訊かれても「ちょっと言えないとこ」としか答えようがないレベルの。そういう仕事をしている関係もあって、バレーボール協会の競技普及事業部に属している彼が頻繁に国内外問わず出張へ赴くことにどうこう思ったことはない。
 彼――黒尾さんは私とそこそこ歳が離れているし、社会人歴も段違い。付き合いだしたとき、いの一番に彼に話したのが自分の仕事内容についてだったあたりお察しいただけるだろう。
 渋面の私に対し、彼はあっけらかんと笑う。

「そりゃあ俺だってそうだよ。でもお互い様じゃない? 社会人で、別の会社に属する者同士さ」
「私、これからも突然出張になったりしますよ。今までだってそうだったでしょう。交際関係だったからそんな状態でも大丈夫だったけど、結婚したらそうもいかないだろうし」
「だからって、それがプロポーズしない理由になる?」
 というか、と身を乗り出した黒尾さんは私の目をまっすぐ射抜く。
「だからこそ結婚したいなって思ったんですけどね、俺は。いざというとき『婚姻関係じゃないから』ってなんっにも知らされないとか考えただけでゾッとするでしょ」
「……また入院したときの話擦られてる?」

 エエモチロン。黒尾さんがにこやかにうなずいた。

「一生擦りますとも。多忙で久しぶりに会えると思ったら実はぶっ倒れて入院してまーすとか、事後報告される身にもなってもらって」
「その件につきましては……まことにもうしわけなく……」

 繁忙期は人権を失うレベルの部署にいるので、世間様にとって入院はまあまあデカい案件だということを忘れていた。まして恋人ならなおのこと。
 のほほんと腕に点滴をぶっ刺し、束の間のバカンスだ〜なんて笑ってたところ、めちゃくちゃ焦った顔で駆けつけた彼の様子はいまだに夢に見る。
 今にも死にそうな青い顔、私の姿を見て安堵した顔、そこから一転、怒りを秘めた『無』の表情。

「俺だってこれからも出張になることは多いだろうし、まあご覧の通り、なまえほどじゃないけど忙しい部署ですし? 夫婦になったとしても一緒にいられる時間がたいして増えるわけじゃないってわかってる」
「なら」
「でも」私の言葉を遮るようにして、黒尾さんは続けた。
「結婚したら有事の際は夫の俺に一番に連絡が来るし、帰る家も同じだから『今日は会えそうかな』とか考えなくていいし、お互いに多忙だろうがなんだろうが、時間が合えばおかえりもただいまも言える。あと同じベッドで寝られるのも高ポイント」

 俺的にはまったくもってデメリットが少ないんですよ、お嬢さん。
 そう言ってニヤリと笑ってみせた彼に、私は「ああ……」と肩を落とす。

「私がその顔に弱いのをよくご存知で……」
「警戒心の強いお嬢さんを口説き落とすために頑張りましたからネ」

 そうだ、そうだった。この笑顔にかつての私も落とされてしまったのだ。
 完敗である。いつだってこの人に勝てた覚えはないけれど。
 ひと息ついた彼が「では改めて」と私の手を取る。

「俺とこれからも末永ァ〜く、一緒に幸せになりませんか、お嬢さん」
「……わたしでよければよろこんで」

 やっと出番が来たといわんばかりに、リングケースに仕舞われていた指輪が私の左薬指に嵌められる。縁がないと思っていたそれの重み。私はこれから一生をかけて彼に答えを示さなければならない。
 ギュッと抱きしめられ、「やっと一緒になれる」と呟く彼の声が耳に残る。
 
「あ。結婚するんだし、いい加減クロさんじゃなくて鉄朗くんって呼んでね」
「…………がんばります」

20240305