ふとした瞬間、思い出す人がいる。
 かつて、一瞬だけおなじクラスだった女の子。夏になると思い出す。あの青白い手や、茫洋とした横顔を。こちらを見つめているときにだけ浮かぶ淡い微笑みを。
 その少女は凪薫にとって亡霊のようなものだった。
 ――亡霊≠ェ今、彼の目の前に立っている。

「――なまえ」
「……? え、はい……?」

 艷やかな黒髪が風に靡いた。
 再会は唐突だった。褪せかけていた夏が、鮮明になっていくのがわかる。

「えっと……あなたは……」
「……凪薫」
「なぎ、かおる……くん?」

 睫毛に縁取られた瞳が一瞬揺れて、ふたたび彼を捉える。凪はズンズンと近寄って、少女を見下ろした。ほとんど背丈の変わらなかった小学生の頃とは違う。記憶の中だけの存在だった彼女は、今や自分よりも頭一つ以上小柄で――女性の平均といえばそれまでなのだが――一気に生々しさが強くなる。ここにいるという存在感が彼の触覚を刺激する。

「学校、どこ通っとるん」
「え……」
「……いきなりおらんくなったやろ、自分。卒業式の写真も撮らんまま」
「……ああ。凪くん、って、あの……」

 ようやく合点がついたらしい、困惑に彩られていた彼女の瞳に安堵の色が見えた。「よくわかったね」と呟いた彼女に、当たり前だ、と心の中で呟く。

「ずっと忘れられんかったし」

 目を瞠る彼女の手を取る――やはり小さい。昔は同じくらいだったのに、今や彼の手は彼女の手を包み込むことができる。彼女の口元に淡く笑みが浮かぶ。あの微笑みだ。

「……覚えてる人なんていないと思ってたから、ちょっと驚いてる」
「おるわ。ずっと頭ンなかに陣取られて苦労した」
「それは、なんというか……」

 眉を下げた彼女に非がないのはわかっている。
 東からやって来たという隣の席の女の子。お互いになんとなく手を取って――むしろ彼女に引いてもらう形で、凪の小学校時代は象られている。
 両方ともそこまで口数が多いわけではなかったけれど、そのぶん、深いところで意思の疎通が取れていた自覚があった。漠然と、このまま一緒に――そう考えていた。
 彼女が姿を消すまでは。

「連絡先、教えて」
「れんらくさき」
「……」
「そ、そんな顔で見ないで……」
「そんな顔ってどんな」
「迷子の子どもみたい」
「迷子なったんはそっちやろ。勝手に姿消しよって」

 暫し見つめ合い、折れたのは彼女だった。
 ほぼほぼ新品のようなスマホを取り出し、「あまり頻繁に連絡はできないけど」と眉を下げる。

「構わん。俺も似たようなもんやし……連絡先もわからんよりはマシやから」
「そういうものかな」
「そういうもんやろ」

 QRコードで読み込んで、連絡先が表示される。「なまえ」と表示されたそれはアイコンもなにもカスタマイズされておらず、本当に不慣れなのだとわかる。

「なんでもええから、定期的に連絡入れて」
「ええ……」
「……」
「わ、わかりました……」
「ん」

 ピコン、と通知がひとつ。「何これ」送られてきたのは写真だ。「うちの犬。……家族は大阪にいるから」なまえは囁くように答えた。

「なら、また来るんやな、大阪」
「機会があれば」
「来るときは連絡入れて。……部活で会えんかもしれんけど、会えるときは迎えいく」

「……なんでそこまで?」あきらかに戸惑う彼女の頬に触れる。青白い、けれどあたたかい。血の通った人間の肌だ。――ちゃんと触れられる。
 凪はにべもなく告げる。

「ずっと会いたかったんやから、これくらいなんもおかしないやろ」

20240719