「こんにちは!」
「こ……コンニチハ……」
デケェ男が目の前に立っている。溌剌とした挨拶を受け、なまえは蚊の泣くような声で挨拶を返した。
春――高校生になり、やっと帝徳の制服にも慣れてきた頃、事件は起きた。
おそるおそる上を向くと、バチンと目が合う。彼は嬉しそうに目を細めた。――目が焼けてしまいそうだ、と現実逃避に考える。相手は彼女より頭一つ大きい、背の高い男子だった。とはいえ、同じ学年でここまで大きければ目立つはず――ということはつまり、先輩にあたるのでは? というところまでは咄嗟に弾き出せた。
なまえは顔面蒼白を通り越し、今にも死にそうな顔で呼び出しに応じた。考えてもみてほしい、教室の出入り口にはやたら大きな(それも、綺麗な顔立ちをした)男――と、それを背後から見守る複数の男子たち。言わずもがな、彼らもまた先輩だろう――そこまで考えて、殺してほしいと思った。陰キャにはこの公開処刑のような呼び出しは荷が重すぎたのである。
「へへ、ごめんね、突然呼び出しちゃって。驚かせちゃったよね。俺、陽ノ本当っていいます。君の名前、訊いてもいい?」
「…………みょうじ、なまえです……」
「なまえちゃんって言うんだ!」
「アッハイ……」
ざわつく教室、突き刺さる視線。心臓が恐ろしいスピードでリズムを刻み、ドクドク血の巡る音が耳の奥で鳴る。あたまがいたい。目の前で平然と笑みを見せる男が、なまえにはまるで死神のように見えた。
すこし息苦しそうに呼吸をして、なまえは声を振り絞る。
「っあ……あの、な、なんッ、の、ごよう、で」
「あっ、うん、そうだね。ごめん、突然驚いたよね」
彼はなまえを見つめ、言った。
「――俺、君のことがもっと知りたくて」
初めて見かけたときから、ずっと気になってたんだ。話してみたいなって思ってて、でも、違う学年ってことしかわからなくて。それで、友達にも頼んで捜してて――
「それで、何回かこの子じゃないかって言われた子を確認して――今日やっと、なまえちゃんだってわかったんだ! 俺、もう居ても立っても居られなくなっちゃってさ」
彼が語るそれは、例えるなら愛の告白に近く。なまえの頭が処理落ちすると同時に、教室内から小さく黄色い悲鳴が湧き上がる。
なまえは耳の奥がキーンと異音を発生させたのを感じた。呼吸がうまくできない――限界だ。
くらり、視界が暗転する。
下を向き、黙り込んだなまえに、陽ノ本の背後から様子を見ていた仲間たちは顔を見合わせた。
「どうかしたのか?」
「やっぱいきなりはマズかったか……」
陽ノ本がかねてより捜していた相手がやっと見つかった――喜びそのままに会いに行った友人を見守るべく同伴した男たちは、予想外の展開に囁やき合う。ふと、益村がハッとした様子で陽ノ本へ駆け寄った。
「ちょ、ちょっと待て陽ノ本、みょうじさんの様子がおかしい」
「えっ?」
「この子、顔真っ青じゃないか?」
「もしかしてだが……彼女、人見知り、なのか?」
それに反応したのは飛高である。
「えっ、まずくない? こんなデケェ男たちが屯して後輩呼び出して教室まで来たって……ハハッ、すみませんこんなゴミ虫が一丁前に野次馬のような真似を」
「やかましいぞ飛高! ちょっと黙ってろ――これは俺達の失態だな。陽ノ本!」
「えっ、どうしたの?」
「出直すぞ、おそらく彼女は――」
「あっ、倒れた」
「みょうじ――!!」
懸念虚しく、先に電池が切れたのはやはりなまえであった。崩れ落ちた少女を様子を見ていたクラスメイトが慌てて受け止める。
「えっヤバ気絶してねえこれ⁉」
「ウワッホントだなまえちゃん意識ない!」
甘酸っぱい空気が一転、黄色い悲鳴は本来の意味の悲鳴へと変貌した。陽ノ本の顔が悲壮に染まる。
「なまえちゃん!」
「こりゃいかんな、陽ノ本はちょっと下がれ!」
「保健室まで連れて行ったほうがいいな」
慌てて様子を見ようとした陽ノ本を千石が制し、益村がクラスメイトたちに支えられたなまえの容態を確認する。
まさかの事態に、男たちは一時撤退を余儀なくされたのだった。
――とはいえ、ここで終わるわけがないのが帝徳の男たち。
極度の緊張とストレスという人見知りっぷりを発揮し、その後三日ほど寝込んだなまえは、後日、友人同伴の下で男たちの謝罪を受けた。
それすらもなまえにとっては苦痛だったが、折り合いをつけるためにと諭され、一人きりでないのなら、と折れるしかなかった。
失神事件は校内でも噂になっており、あわや見世物にとも思われたが、人見知りと緊張で失神は相当なパワーワードだったらしく、今のところ概ね平穏である。
「まあ普通にあんな図体のでかい男たちに初対面で迫られたらこわいから……」とは友人の談。まして帝徳は野球が強く、そこのレギュラーとなると言わずもがな。圧が違う。
「ぁ……あの、せんぱい」
「ん? なあに?」
「お、おひるは……」
「大丈夫、もう食べてきたから! あっ、でもなまえちゃんはまだだったかな?」
「イッ、いえ……わ、わたしも、た、たべっ、た、ので……」
「そっか〜、よかったあ! ならいっぱいお話できるね」
「ヒョエ……」
ぷるぷる震えるなまえに対し、陽ノ本は満面の笑みを浮かべ、片時も見逃すまいと彼女を見つめている。
その視線は熱っぽく、傍から見ればやはり、と言わんばかりで。クラスメイトたちも、今ではこの三年生の襲来にすっかり慣れてしまった。
ただひとり、当事者である彼女を除いて。
「……やっぱ陽ノ本先輩わざとじゃね?」
「みなまで言うな」
ちゃっかり空いた席に座って会話を続ける先輩の背を見ながら、クラスメイトたちの視線は廊下に向く。
あれ、いいんすか――? そういわんばかりの後輩たちの視線に、廊下で待機している野球部たちは無言でなんとか頼む≠ニジェスチャーしたのだった。
押しに弱く流されやすい少女の結末は、もはや確定事項に近いだろう。
20240723