Shrot story
「なんてひと。」
 目を覚ますと、十と書かれた隊長羽織が右手にしっかりと握られていた。
「……。」
 重たい瞼を抉じ開け、半ば機能していない頭をゆっくりながらも回転させる。
 室内には、羽織の持ち主である隊長の姿が無い。
 執務室のソファーの上に寝転んだまま、ここで睡眠するに至った経緯を思い出そうとするが、眠気でぼんやりとした頭ではせいぜい思い出す真似事ぐらいしかできない。
 思考することを諦めもう一度瞼を閉じると、瞼越しに影が落ちた。
 ゆっくりと目を開ければ、二人分の茶を持った隊長が私の顔を覗き込んでいた。
「目覚めたか。」
 それだけ言って、隊長は茶を寄越した。
 上半身だけ起こして無言でそれを受け取ると、隊長は自分の分に口をつけ、そのまま黙りこくった。
 眠りこけていた事に対してなんのお咎めがないのが気に掛かるが、折角淹れてくれたのだからと、私もまだ熱い茶を飲んだ。
 静かな静かな執務室。
 目のやり場に困り窓に視線をやると、葉の落ちた桜の木が目に入った。
 春に薄桃の花を大量に咲かせていたそれは、頼りの無い裸の枝を風に揺らして、いかにも寒そうにしていた。
「無茶をさせたな。」
 隊長の声が、私の視線を窓から隊長へと移させた。
「何がっすか。」
「お前にしては珍しく、徹夜してくれたんだろ。」
 後は判子を押せば良いだけの書類を束にして、隊長は僅かに口元を綻ばせた。
「……別に。」
 なんと言えば良いか分からず、視線を逸らして再び茶を飲む。
「この前の……礼です。」
「この前?」
 2週間前、任務で失敗をして塞ぎ込んでいた私を見かねて、隊長は外に連れ出してくれたのだ。
 紅葉を眺めながら一緒に歩いてくれた隊長は、何を言う訳でもなく、終止私の歩幅に合わせて居てくれた。
「憶えがねぇな。」
 隊長にとっては、忘れてしまう程些細な事だったようだが。
「……いいです。」
「あ?」
 書類を持って自席に向かおうとしていた隊長が、此方を振り返る。
「いいっすよ、それで。」
 隊長は返事も返さずにじっと此方を見つめている。
「……忘れててくれて構いません。でも、確かに礼はしたっすよ。」
 言って隊長の顔を窺うと、視線が交差した。
 それまで大きな目でこちらを見つめていた隊長は、少しだけ目を細めると、くっと喉を鳴らすように笑いだした。
 すると、何故だか腹の奥から何か形容し難い物がせりあがってくる様で、それがとてつもなくむず痒く、私はそれを誤魔化すように慌てて茶を飲んだ。
「礼を言われる様な事をした憶えはねえが、助かった。この礼は必ずする。」
「な……っ。私の話聞いてなかったんすか。これは礼なんだから――。」
 湯飲みから顔を上げると――何となく予想はついていたが――隊長の碧い目が、私の視線を独占するように捉え、私は思わず固まった。
 すると、そんな私をさておいて、隊長はするりと窓へ視線を移した。
「また散歩でもするか。葉は落ちたが、今度は甘味でも奢ってやるぜ。」
「――っ。」
 目を見開き、再び隊長を見つめ直した時には、意地悪く微笑む隊長がそこにいて、意味有りげなその顔に、私は思わず吐き出した。




「なんてひと。」





end
10.11.20

タイトルそのまんま。


若干加筆しました
15.10.2

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