「ねえ。」
下から飛んで来た、いい加減聞き飽きた奴の声に、木の上で寛いでいた俺は、不覚にもずり落ち掛けた。
「煙となんとか程、高い所が好きなんだとさ。君は、どっち?」
「……俺は煙じゃねえぞ。」
「じゃあ、お馬鹿さんかー。」
と、奴の声のボリュームが上がった気がした。
下からがさがさと枝が揺れる音が聞こえる辺り、どうやら俺の側まで来ようとしているらしい。
「そうか、そうか。首席の君がお馬鹿さんね。」
相変わらず、死神を目指している奴とは思えない身体能力。
木を登るのも精一杯――というよりは、ままならない様で、先程から、枝がしなるだけで、奴は一向に姿を現さない。
「手。」
そのくせ、口は止まる事を知らない様で、溌剌とした声が、バシバシと飛んで来る。
「ほら、手! 女の子が困ってんだから、手貸すくらいの甲斐性見せなさい。」
「……。」
盛大な溜め息と共に、渋々手を貸してやると、思っていたよりも軽々と奴は此処へやって来た。
「君は人を木に登らせるのが上手だよねー。君に手伝って貰うと、簡単に身体が持ち上がるよ。」
「お前に散々手伝わされたからだ。木くらい自分で登れ。」
「いいじゃん。人は助け合って生きてくもんだよ。」
「……俺はお前に救われた記憶が一切無いんだか?」
「忘れちゃったんじゃない? まぁ、そゆこともありますよ。」
ちょこんと俺の隣に腰掛けた奴。
俺が貸した手は、一向に帰って来ない。
「手。いつまで繋いでる気だ。」
「もーちょっと。君の手、好きなの。」
あまりにストレートに体を褒められたものだから、照れるべきか、喜ぶべきか。リアクションに困った結果、溜め息のようなものが、小さく漏れた。
「……じゃあ、せめて左手にしてくれ。」
元々、右手は奴の身体を持ち上げる為に伸ばした手だった。
奴は当然、それを右手で掴む訳で。
つまり、俺達は今まで、右手と右手を繋いで居たのだ。
やりにくい上に――……やりにくい。
俺が頼むと、奴は素直に頷き、俺の左手に自分の右手を重ねた。
こういうときに、普段飄々としている奴も、矢張り女なのだとうっすら思い知る。
「――で、お前は此処に何しに来たんだ。」
左手に奴の体温を感じながら、左側に奴の気配を感じながら、そっぽを向いて、呟く。
「だって、君が約束破るから。」
怒っている訳でもなく、喜んでいる訳でもなく。
奴の声色からは、何も読み取れない。
「あたしの誕生日、祝ってくれるって言ったのに。何。君、忘れてたりする?」
「……。」
「図星かー。じゃあ、当然、プレゼントなんかないよね。」
「……すまん。」
そこで、やっと奴の声色が変わった。
ケラケラと笑いながら、やけに明るい声を発して、ばふんと俺の肩に身体を預け。
「そっか、良かった。」
奇妙な一言を安堵の溜め息と共に漏らすと、そのまま停止した。
「君にして欲しい事があったからさー。それを誕生日にしてもらおうと思ってたんだよ。……すっかり忘れてた。」
布越しに、奴の熱い吐息が肩に掛かる。慣れない状況にどぎまぎしているのはどうやら俺だけらしく、奴はいつもの調子で話を続行している。
「……ねぇ。誕生日プレゼント、くれる気ある?」
「あげられる範囲でなら、な。」
「うっわ、そういう発言萎えるからやめよ。」
「安請け合いして結局何も渡せねえ方が萎えんだろ。」
「……そういうもんかね?」
俺の肩に顔を乗せたまま、視線だけを此方に向けた奴を見て、これは上目遣いなのか睨みなのか、いまいち判断しかねると、一人思う。
「でも、あたし、そんな無茶な要求するつもりないよ。」
繋いでいた手に、ギュッと力を籠められる。僅かに湿った掌は、気持ち震えていた。
「……じゃあ、要求はなんだ。」
「……あのね。」
寄り掛かっていた体を起こし、心成しか赤い顔を向けた奴に、なんとなく背筋が伸びる。
「あたしの事、名前で呼んで欲しい訳さ。」
明らかに緊張で強張った顔。
何を言われるのかと此方まで緊張していたせいか、思わず拍子抜けしてしまった。
「……そんなんで、いい……のか?」
「君が良ければ。」
今度こそ恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め、目も合わせずに呟いた奴に、ふと、笑みが零れた。
「わかった。幾らでも、呼んでやる。」
ああ、なんだ。
やっぱり、こいつも女なのだな。
至極当たり前の事を考えた後、意外と可愛いところもあるではないかと思った自分に、思わず苦笑。
「誕生日、おめでとう。円香。」
end
10.02.21