「あんたさぁ……。」
カッカとシャーペンをノートに叩きつけるように音を鳴らして、必死に数式を解いているときだった。
「あいつのどこが好きなわけ。」
降ってきた声に少々驚きつつ顔を上げてみると、前の座席にどかっと腰をかけたたつきが、此方を睨むように見つめていた。
「……なんでそんなことき訊くの。」
「別に、アタシだったらもっとまともなやつ好きになるなと思ったから。」
幼馴染だからこそ吐ける悪態に、私は小さく笑う。
「あの人の好さは、寧ろたつきのほうがわかってるんじゃない。」
そう言ってシャーペンを置いた。もう数学をやるような気分ではなくなっていた。
「どうだろ……。確かにいいとこあんのはわかるけど、だからこそ、アタシだったらあいつは選ばない。」
くいっと肩を上げて、たつきは吐き捨てる。二人の仲の良さに少し嫉妬をしながら、私はもう一度笑った。
「そうねえ……。」
笑いながら、少しわざとらしく腕なんて組んで見せて、ため息のようにもらす。
私は、あの人――黒崎君のことがどうしようもなく好きだった。初めからそうだったわけではない。去年の夏、黒崎君の告白をきっかけに付き合いだしてからだ。
よく知りもしない相手だったが、断る理由がないからと付き合いだして、早半年。今では、私ばかりが彼のことを想っているのではないかと不安になる程だ。
そんな彼のどこが好きなのか。改めて考えてみると、これが中々難しい問いだった。
「わかんないなぁ。」
「わかんないって、アンタ……。」
呆れたように目を開くたつきに、私はますます首をかしげる。
「あいつのこと好きなんじゃないの?」
「好きだよ。」
間髪入れずに答えた私に、たつきはいよいよ訳が分からなくなったようで、口をぽかんと開けたまま、それはすごい表情で此方を見ていた。
そんなとき、話を遮るようにチャイムが鳴り、がららと威勢よく開いた扉から、越智先生が入室してきた。
「ホラ、早く席着けー。」
たつきは慌てて席を立つと、窓際の一番端――自分の席へ戻った。
私はそんなたつきを目で見送り、開きっぱなしにしていた数学の教材を机の中に突っ込んだ。
「……つまり、この段落から読み取れる筆者の主張というのは――。」
はきはきとした越智先生の声が、静かな教室にこだまする。
それを聞きながら、私はノートの端に小さくあの人の名前を書いた。
先ほどから、板書もろくにせずに私が考えているのは、あの人のことばかりだった。
小さく書かれた『黒崎 一護』の文字から、細く細く線を引っ張る。その線の先に、私は同じように小さく優しい、と書いた。
その次には、可愛い。そして、強い。
どんどん空白を埋める形容詞。それはノートばかりでなく、私の脳内も埋め尽くした。
優しい。可愛い。強い。恰好良い。家族想い。友達想い。脆い。弱い。ヘタレ。一本気。せっかち。書かれた言葉の数に比例して膨れ上がる不思議な感情。
終止符を打つように、そして、その感情に名前を付けるように。わたしは最後に『愛しい』と記した。
「――あ……。」
思わず声が漏れた。
なんだ、そういうことだったのか。
息を漏らすと同時に、笑みがこぼれた。
私は、あの人が好きなのだ。愛おしいのだ。何よりも。それは、簡単に形容できるものではなくて、だから私はたつきの質問に答えることができなかったのだ。
あの人は良くも悪くもあの人なのだから。
長所だけが、彼じゃない。弱いところも、ダメなところも、全部ひっくるめて彼なのだ。
私はノートに書かれた彼の名前と、それを取り囲むようにして書かれた彼の長所や短所を、全部大きな一つの円でくくった。
それを眺めて再び笑うと、授業終了を告げるチャイムが鳴った。それにようやく我に返り、授業を全く聞いてなかったことに気が付く。
それに対してため息を漏らすと、先ほどの円が目に入った。すると、口角は勝手に吊り上り、脳内は授業に関する思考を一切やめて、彼のことで埋め尽くされるのだった。
愛しいんです。あなたの何もかもが。
end
11.04.28
初一護夢