Shrot story
並木道
氷点下の銀世界。息を吸うと鼻から乾いた冷たい空気が入ってきて、周りの空気と自分との隔たりをなくしていくようだ。美由紀は朝の公園を散歩している。雪と、低い気温と、そして暖かいコートだけでこんなにも詩的な気分になれる。耳をすますと雪から鉄琴の音が聴こえるような気がする。人々の生活の音が自分から遠ざかっていくように感じる。そういうどこかで刷り込まれたような儚い感覚を逃がさないように、美由紀はなるべく何も考えないようにして立ち止まり、ポケットに手を入れて雪の積もった木を見上げた。

美由紀は次の日も公園を散歩した。ジョギングのおじさんが美由紀を追い越していった。公園の前の通りを見ると、サラリーマンがごみ捨て場にごみを置いてからバス待ちの大行列に入っていった。バスが遅れているのか、行列の人たちは苛ついた面持ちでバスが曲がって来るはずの角を見つめていた。なんとなく違和感のようなものを感じた。美由紀は今日が昨日よりもずっと寒いことに気がついて歩みを早めた。

家について手袋を取りテレビを点けると、天気予報の時間だった。
「昨日は今冬1番の寒さとなりましたが一転、今日は平年よりも暖かくなります」
さっきまでの寒さを思い出して、やっぱり郊外に住んでると天気予報なんてあてにならないな、と思った。気候というのは小さい条件に大きく左右されるから、県ごととか国全体でどうだ、と断言することなど土台無理なのだ。美由紀はコートをしまうと、本を読むために自分の部屋に戻った。

この時間は家族は誰も家にいない。部屋は日当たりがいいから冬でも暖房なしで過ごせる。美由紀はここで本を読むことが何より楽しかった。

読むこと数時間。本の同じ行を何回も読むようになって初めて美由紀は部屋が暑くなっていることに気がついた。部屋の窓を開けながら、天気予報も参考程度にはなるかなと思った。本を読むのが大好きとは言っても集中が途切れてしまっては読めない。美由紀はベッドに寄りかかった。無意識に朝の散歩のことを思い出していた。

昨日の散歩ではまるで寒さを感じなかったのに、あの時見上げていた木のことを思い出すと、今でも冷たい空気を感じて目を細めてしまう。普段の生活とはかけ離れた空間に居たようだった。
今朝の散歩はとにかく寒くて立ち止まるどころではなかったし、いろんな人が近くに居たから景色を楽しむ余裕もなかった。

ふと思いついて、細かい地域ごとの気候を調べられるアプリで自分の家の周りを調べた。すると美由紀が散歩していた時間でも昨日より今日のほうがずっと暖かかったことがわかった。

違和感がはっきりしてきた。今朝みた人たちは皆少し薄着だった。なぜ自分だけ寒く感じたのだろう。べつに昨日より今日のほうが薄着だったというわけではない。周りにいた人たちのせいで幻想的な雰囲気に浸れなかったからだろうか?だけど今日見た人たちは昨日も同じことをしていたのではないのか?

美由紀は今朝の状況で昨日見た木を見上げる自分を思い浮かべた。
「あ…」
違和感の決定的な正体に気がついた。
それは自分の格好の違いだった。昨日美由紀はコートのポケットに手を入れて木を見上げていた。でも今日着ていたコートには手を入れられるポケットがなくて、代わりに美由紀は手袋をしていた。その格好で木を見上げることを想像すると、どうしようもなく違和感を感じるのだ。理由はまったく分からないけれど、美由紀はポケットのないコートを着てあの木を見上げることはないだろうと思った。

つまりポケットがなかったから景色を見る余裕がなくて、周りの人の行動が目について、寒さが身にしみたというのだ。人の気分が体勢によってこんなにも変わるという事実と、それに気づいた自分の何でもない体験をすこし面白く思って美由紀は笑った。
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