ヤンボの記憶



 悠斗じいさんが死んだ。死因は脳梗塞だ。
 もう本人も忘れるような年齢だったがとても元気だったので、まさか今死ぬとは、毎日のように顔を合わせていた健次郎も、夢にも思わなかった。
 健次郎には、故郷で死ねなかった曽祖父の無念など、想像できない。健次郎の看取った曽祖父は地球の悪口ばかり言っていたけれど、その目は旅愁に満ちていた。
 西暦二〇二六年、最初の移民が火星へと降り立った。世界じゅうで火星人第一号の有志を募り、火星の都市化計画を推進しようとした。片道切符しか用意されておらず、火星に行けば二度と地球には帰れないという条件だったが、当時は多くの人が志願し、その中から火星へ送る人数名が選ばれることとなる。
 西暦二〇七五年、火星に行きたいという人はまだ地球に残っていたようだが、地上の人口が増え続け環境の維持がいよいよ困難になったため、急遽くじ引きという形で火星へ行く人を決めた。その第一号として選ばれたのが、悠斗じいさんである。悠斗じいさんは地球を離れたくなかった。火星暮らしを前向きにとらえようとしても、やはり地球のことを忘れることなどできなかったのだ。その不満が、悠斗じいさんの小言の原因だったのだろう。
 健次郎はオートウォークの上で悠斗じいさんのことを思い出しながら、健次郎の後を付いてくる家庭用の小さなヒト型ペットロボットを見た。塗装が剥げて元の色が分からなくなってしまった傷だらけの白いロボット・ヤンボは、健次郎に顔を向け、高い電子音で「元気出せよ」と言った。脳波を読み取ることで相手の精神状態が分かるロボットなのだ。聞けば、悠斗じいさんが火星移民の際地球から持ってきたロボットらしい。今となっては、悠斗じいさんの形見となってしまった。
「よく持っているわね、それ」
 健次郎の隣で骨壺を大切そうに抱えた母が、ボロボロのヤンボを見て感慨深げにつぶやいた。
「そうだね」
「欲しかったら新しいの買ってあげるのに。そんなに高いものでもないんだし」
「やめろよ。俺、もう二十歳だぜ。そりゃ、デザインはすごく古くてダサいし、最新のものと比べても反応がかなり遅いし、動きがぎこちないけどさ、でもじいちゃんの形見だし、もしかしたらこいつ、地球のことを知っているかもしれないだろ」
「そうね。健次郎も地球に興味を持っているのね」
 健次郎は動く景色を眺めた。真空同然の赤い大地から人間を守るドームの窓に、何かをしているゾウ型の作業用ロボットが映る。火星では地球化計画が進んでいるが、火星の地球化が完成するまで約千年かかると言われている。その頃には、このようなドームの中にいなくても人が暮らせるようになるのだそうだ。
 健次郎ら親子は悠斗じいさんの遺骨を納骨堂に納めた。
雑事が落ち着いた頃、健次郎はいつものように大学へ行った。その時も健次郎の脳波を読み取ったのか、観葉植物に満たされたキャンパスの中にまでヤンボが付いてきた。それをガールフレンドのサンドラが面白そうに見ている。
「ご主人様の不調が分かって付いてくるなんて、そのロボット、本当に心を持っていたりしてね」
 そんなことを言いだすものだから、健次郎は「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「ロボットが感情を持っているだなんて、馬鹿馬鹿しい。それに、そう言う君はロボットに心があるなんてこと、これっぽっちも信じていないだろう?」
「夢がないのねぇ。他はどうか知らないけど、地球にはそういう物語がたくさんあったみたいだし、ニホン人ってこういうの割と好きじゃないの? ケンジロウだって日系じゃない」
「ロボットが感情を持ったために暴走して地球を破壊させかけた、なんてストーリーもあるよ」
「つれないわね。でもほら、ニホンの昔話で、ずっと大切にされている物に魂が宿る、なんてのもあるじゃない」
「そんな話、あったかな」
「この間何かのデータで見たわ。ちょっと学校の電子図書調べてみるから待っててよ」
 サンドラは手の平サイズのタブレット端末をカバンから出した。タブレット端末からは垂直に画面が浮き出て、それを手で操作することができる。学内にいれば、大学が管理している書籍を調べることも可能だ。
「あ、ほらあった。ケンジロウ、これよ」
 サンドラが指差したのは、『日本の妖怪辞典』という書籍の〈九十九神〉の項目だった。
「ほら、ここにあるじゃない。モノが魂を持つのよ。そのロボットもものすごいアンティークなんだから、この伝承からいけば心を持っていたっておかしくないでしょう?」
「サンドラ、君はどうしてもヤンボに感情を持たせたいようだね」
「そういうあなたは、どうあってもロボットの心を認めたくないようね。そうだったら夢があると思うんだけど」
 サンドラは上目づかいで健次郎を見つめ、口許に綺麗な弧を描いた。
「うん、それもそうだね」
 健次郎は不服ながらも、サンドラの言葉にうなずいた。
 本当は、サンドラからその話を聞くずっと前から――九十九神のことを知っていたわけではないけれども――全ての物に魂が宿っているのだと信じていた。でもそのことをエレメントスクールの友人などに話すたび、苦い顔をされた。なぜ皆が信じてくれないのか、なぜ分かってくれないのか、健次郎には分からなかった。その時のことをふと思い出して、決まりが悪そうにサンドラから視線を外すと、クロッカスの薄紫の花弁が目に入った。
 そんなある日、ヤンボが動かなくなった。いつものようにうるさく喋らないし、周囲を歩き回らない。静かだが、少しだけ寂しかった。ただの電池切れだろうから、充電すればいいだけの話なのだが、健次郎はそれをしなかった。
 健次郎は物言わぬ傷だらけの、年代物のロボットを、家の仏壇の前でじっと見つめ、つぶやいた。
「地球ってどんなところなんだろう」
 しかし、ヤンボは答えなかった。それどころか、うんともすんともいわなかった。
 健次郎は生まれてこのかた、地球に行ったことがない。それは決して珍しいことではなかった。肉眼で地球の大地を見たことのない火星人はたくさんいる。地球は悠斗じいさんが切望した惑星だったから、健次郎は悠斗じいさんの影響で地球に興味を持っていた。だから、健次郎はもう一度ヤンボに話しかけた。
「なあ、サンドラが言ったみたいに、お前が本当に九十九神だっていうのなら、俺の質問に答えてくれよ」
 しかし、ヤンボは答えなかった。電池が切れたのだから、当然といえば当然だ。
 小さな頃は信じていた。ヤンボも心を持っているのだと思っていた。姿や内部構造は全く違っても、自分たちと同じように思考するのだと。だが年を重ねるにつれ、そんなことは有り得ないと分かってしまった。もし有り得るのだとすれば、ヤンボが九十九神になるよりほかはない。人工知能が感情を持っているように見えるのはプログラムのせいなのだ。だから、自分では説明できないような何かが作用しなければ、ヤンボが心を持つなどということは有り得ないのだ。それに、所詮は一般家庭用の古いペットロボットなのだから、プログラムの精度も知れている。
 サンドラにはああ言ったものの、それでも、ヤンボが心を持っているのではないかという淡い期待は抱いていた。ヤンボを充電すれば、もしかしたらヤンボは健次郎の問いに答えてくれるかもしれない。だがそれを確かめるのが怖くて、健次郎はヤンボを電池が切れたまま、長い間放置した。
 それから火星歴で五年が経った。健次郎は結婚し、一児の父になった。今日は子どもが三歳になる誕生日だ。健次郎は満タンに充電したヤンボを息子にプレゼントした。ヤンボは健次郎がメモリーにインプットした息子の名前を呼んだ。
「ヨウスケくん、はじめまして。ボク、ヤンボ。よろしくね」


(20131231)
『神集いせよ、あめつちのかみ』提出作品


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