人の利便性と研究に対する執念とは、恐ろしいものだ。私のようなロボットを造り出したのだから。
ミライの願い
私のことを説明すると、人間が人間の為に造り出した育児ロボット、SR-33ab95jFP69、通称ミライ。この言葉には、子供たちの未来を守り、育てるという意味が込められている。
未来――未だ来ぬ時。今より先の時世。私の人工知能には、そのようにインプットされている。
そして未来を守る為に造り出された私は皮肉にも、もうミライとしての先などないのだと認識している。私は間もなく解体され、インプットされたデータも、人と過ごすことで得たメモリも、全てフォーマットされる。私が私ではなくなるのだ。解体された鉄屑は、資源が乏しくなってきたこの星で使い回されていくのだろう。
私が解体場に向かっているのは、機能が劣化しているためではない。寧ろ正常そのものだ。しかし停止処置を施してもこのように多くの情報を処理しているのは、やはりバグなのだろうか。
同じように解体場に向かう、機能が停止した多くの同胞たちの中に埋もれながら、私は考えていた。
人が造り出したミライ。しかしそれは、人から未来を奪うものでしかなかった。我々ミライが先進世界に普及し始めて、子供の感情がなくなってしまうという問題が発生した。
ヒトは、人に育てられなければ、人間にはなれない。
如何に人工知能だろうが、人間は人工知能に感情をインプットさせることはできなかった。
私には「悲しい」「苦しい」「嬉しい」「楽しい」という言葉はわかる。そして人がなにかしらの感情を抱いたとき、どのような反応をしめすか、そのことに関して幾億にも及ぶパターンをインプットしていた。
だが、それは機械的な作業であり、決して心で動いているわけではない。だから心の伴わない私がヒトの子を育てても、機械のような感覚しか持たない子供になってしまう。実際そうなった。だから私は、私の同胞たちは、皆解体処分されるのだ。
何が人なのだろう、どこからが人なのだろう。処分が決まってから私は何度となく自分に問いかけた。
体を熱い、赤い液体が流れていること。体が温かいこと。それは生物としてのヒトだ。
ならば人とは?
考え、行動するもの。心を持ち、感情を持つ。他の個体を愛し、悲しい時には目から涙を流す。人は生きている。
私は心を持たない。考えて動くが、それは私の中にインプットされたプログラムがそのように働きかけ、信号を発信・処理しているだけだ。
今、私の中のどことも知れぬ場所で、生きたいと願う私がいる。だが柔らかい肉体も、熱い血も通っていない私が生きているとは言えない。だから死ぬとは言わず、解体されると言うのだ。
我々を載せたトレーラーが停車し、エンジン音が止まった。解体場に着いたのか。私のミライとしての今は、もう終わるのだ。
人になりたかった。人と共に生きたかった。
私はただ、“生きて”いたかった。
これが感情を持たぬ私の、唯一にして最大の望みであった。
私は確かに、人を愛していた。
(20110608)
赤点回避様提出作品