墓標


 城門前をランニングして、汗を流して、食堂で朝食を摂る。朝目が覚めたらいつもこのルーティンで、今日も同じだった。いつもと違うのは、フォルカーが「ここ空いてるか?」と答えも聞かずに、ブリッタのいるテーブルの向かいの席に座ったという点だ。ただ、フォルカーとのわだかまりが解けてからは、珍しいということもない。フォルカーはシャルロッテを呼び「いつもの」と大きな声で注文を飛ばし、シャルロッテも「はーい」と元気に返事をする。そんなやりとりを聞き流しながら、ブリッタは食事を続けた。
「あのよ、ブリッタ」
 フォルカーが言いづらそうに切り出すので、「なに?」と食事の手を止め、軽く頭を掻くフォルカーを見た。
「連れて行きたいところがあるんだ。メシ食い終ったら、一緒に来てくれねぇか?」
「どこへ行くの?」
 そんなに言いづらい場所なのだろうか、と首を傾げていると、フォルカーは「お前たちの村っていうか……」と答えた。
「あたしたちの村? また急に、どうしたの?」
「いや、お前にここで会う前、お前の村に立ち寄ることがあってよ……その時村長と約束したんだ、ジェイクとブリッタを連れて帰るって」
 あの時はジェイクがああなってるとは思わなかったから、とフォルカーは視線を逸らした。
ああとはつまり、死んでしまったことだろうか。フォルカーの言い方は気になったが、今は追求しないことにした。
「また、すぐそうやって安請け合いする」
「安請け合いじゃねぇよ。で、どうだ? 来てくれるか?」
 村とは言っても、実際は人間狩りを避けるために移動していたし、移動先が分かったから話を出したとフォルカーは続けた。
「まあでも、そういうことなら仕方がないかな。村の皆も兄貴のこと知りたいかもしれないし」
「そうだよな……」
 やはり、歯切れが悪い。少しきつめに「何か隠してるの?」なんて訊きたくもなったが、そこはぐっと堪えた。フォルカーならば、時が来ればきちんと話してくれるだろう。それが今ではないというだけのことなのだ。


 シャルロッテに弁当をもらって、ブリッタとフォルカーはあれこれと会話をしながら、移動した村へと向かった。フォルカーとの会話は楽しく、興味深く、少し前ならこんなこともできなかったんだな、よかったな、なんてことを、ブリッタはしみじみと感じていた。ジェイクが生きていた頃のように――そうブリッタも望んでいたのだから。
「あれだ、ブリッタ」
 フォルカーが指差したのは、当たり前のことだけれど、ブリッタの知っている景色ではなかった。それが少しだけ淋しいかったものの、いざ村に入って知った顔を見ると、懐かしい気持ちが湧き出て、故郷というものがここにあってよかった、と思った。
 村長の家を尋ね、むず痒い感覚を抱きながらも「戻りました」と元気に言えば、村長は涙を流しながらブリッタを抱きしめた。
「ああ……よく無事で……立派な剣士になったなぁ……」
「うん」
「あなたは、いつかの旅の方ですね。ジェイクのことを知っていた」
「ああ。約束通り……とはいかなかったが、妹の方は連れてきたぜ」
「それだけでも充分です。本当にありがとうございます。もう会えないものと思っていましたから」
 村長とは、村を出てからのジェイクのことやブリッタのことをあれこれと話した。フォルカーがジェイクと非常に仲のいい親友だったこと、ジェイクの武勇伝、セレネイア帝国に自ら捕まり、そして死んでしまったことも。
「そうですか。じゃあ、ジェイクの墓をつくってあげないといけませんね」
 ブリッタは「そうですね」と曖昧に笑って見せた。
 いつの間にか日が暮れていた。今日はもう泊まって行きなさい、と村長に言われ、ブリッタもフォルカーも折角なのでその言葉に甘えることにした。来客用に用意された部屋に入り、荷物を置き、重い装備を外し、椅子に座る。部屋にはベッドと椅子がふたつとサイドテーブルが置いてあるのみだ。ブリッタは両手を上げて身体を伸ばした。すると……。
「やっぱり、ブリッタにはちゃんと話しておくべきだよな……」
 ベッドに腰かけたフォルカーがそんなことを言うので、ブリッタは両手を下ろしフォルカーに視線をやった。
「何を?」
「ジェイクのことだ。……いい話じゃないから、つらくなったら、最後まで聞かなくていいぞ」
 フォルカーは静かに言葉を継いだ。――最愛の兄がどのように死んでいったか、という話だった。
 ジェイクはただ死んだわけではなかった。捕まった後、流行病に倒れたまま目覚めぬ王妃ゾーイの贄にされた。そして帝国に屍兵がはびこっていた正にその時、屍兵の中にジェイクもいたのだとフォルカーは語った。
 あんな世界だ、少し考えれば、その結論に至るはずである。しかし一度として考えたことがなかった。……ブリッタにとってあまりにつらいことだったのである。
 そう、つらいことなのだ。だがブリッタは、膝の上の拳に力を込めながらもフォルカーの言葉は一切遮らず、最後まで聞いた。ジェイクのことを知りたい気持ちと、知らなければならないという気持ちがあった。このような凄惨な話など、村長どころか誰にもできまい。そんな話をブリッタにしたのだ、どれだけの覚悟が必要だったのだろうか。
 唇を噛みながら顔を上げると、うつむいたフォルカーもまた震えていることに気が付いた。
「フォルカー」
 泣いているの、とは訊かなかった。フォルカーはブリッタを守ると言った。そんな相手の前では、泣こうに泣けないのではないか。現に涙を流している様子は見られない。それでもブリッタには、彼が泣いているように見える。そう思うと自然と身体が動いた。立ち上がって歩み寄り、フォルカーの頭を包み込むように抱いた。フォルカーが大きな身体を震わせ、目の前の胸に頭を預け、ブリッタの背に腕を回し、すがるように服を掴む。ブリッタはフォルカーを抱く腕に少しだけ力を籠め、囁いた。
「あの時とは、逆だね」
 自分の声も震えているのが分かった。否、己の頬も涙に濡れている。
 あの時――フォルカーとのわだかまりが解けたあの時。フォルカーの前でブリッタが大泣きしたあの時――フォルカーはただ、ブリッタが泣き止むまで傍にいて、寄り添ってくれた。今度は自分がそうする番。



 疲れがたまっていたのだろうか。気がつくと寝ていたようで、フォルカーの瞼を外の明るさが照らし、目が覚めた。窓の方を見ると、すでに起きていた様子のブリッタが身支度を整えている。昨夜のことを思い出す。そう、ブリッタの優しさに甘えて、縋り付いたのだ。妹として守ると誓った、ブリッタの胸に。ジェイクのことがあったとはいえ、どうかしている。
「おはよう、ブリッタ。昨日は悪かったな」
 起き上がる音に気が付いたのか、ブリッタはフォルカーが何か言う前に振り向いていた。
「おはよう、フォルカー。気にしないで。ねえ、フォルカー。あたしね、ここに兄貴のお墓をつくるのがいいと思うんだ」
「墓?」
 うん、とブリッタはうなずく。
「ほら、昨日村長も、お墓をつくらないとって言ってたでしょ? だからあたしも手伝いたいと思って。それと、もしフォルカーがつらくなければ、なんだけど……これからも時々でいいから、ここにお墓参りに来たいの。兄貴のこと、一緒に思い出せる人と」
 村長が墓をつくると言った時も、フォルカーは何も言わなかった。ジェイクの墓について言及することを避けていた。自分で、物理的にも、心の中にさえ、彼の墓標を立てることをなんとなく拒んでいる。だから、俺は別に、と喉まで出かかったところで、ブリッタがふっと微笑んだ。
「やっぱりつらいよね、ごめん。でもね、でも……こんなことあたしが言うのも変だけど、兄貴はさ、きっと最後に会えたのがフォルカーで良かったんだと思う。他の誰かじゃなくて、兄貴を解放してくれたのがフォルカーで良かった。だからね――」
 ありがとう。ブリッタは潤んだ瞳で、けれど優しい笑顔で、確かにそう言った。今度は、今度こそ、またブリッタに罵倒されるかもしれないと。傷つけて、責められて、その痛みを甘んじて受けて……ジェイクのことを語る時は、それだけの覚悟をしていた。だがブリッタはフォルカーが思うよりもずっと気丈で大人で、フォルカーよりもずっとずっと強かった。
 彼女に許されただけで充分だと思っていた。憎まれても蔑まれても、ブリッタを守れるのであればそれでいいとさえ思っていた。だから許されるなんて、自分がどれだけ受け入れられなくても、とても贅沢なことなのだと。けれどそれ以上のものをもらってしまった。昨夜ブリッタの胸に縋った時は、悲しみと不甲斐なさでいっぱいだったが、今度は嬉しさで目頭が熱くなった。今になってようやく、涙が流れるのは悲しみによるものだけではないのだと知った。
 フォルカーはブリッタに応えるように、ブリッタの頭を撫でた。
「そうだな。時々はあいつの墓に、酒くらい持っていくとするか」
 この墓標は、己の中にも立てなければなるまい。
 時折聞こえるジェイクの声――まだ決着ついてねぇじゃねぇかよ、とは俺の台詞だと語りかけながら、胸の中にいるジェイクの目をそっと閉じた。



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Written by @uppa_yuki
アトリエ写葉