オデッサ
剣に名前を付けるなんて、馬鹿げた習わしだと思っていた。村の男たちはみんな妻や恋人の名前なんかつけており、フリックはそのことを小馬鹿にしていた。村の人たちも、剣になかなか名前をつけたがらないフリックをやれ不良だなんだと陰口叩いているのを知っていたから、どっこいどっこいだとフリックは思っている。
どうせ剣に名前を付けるなら、もっと格好いい名前がいいに決まっている。自分にとって一番大切なもの? そんなもの、自分に決まっているではないか。
そんなとき、フリックはオデッサに出会った。
オデッサと出会って、フリックは衝撃を受けた。己が身を置いていた場所の、なんと狭いこと。彼女の見つめているものの、なんと大きいこと。
彼女は卑下するでも謙遜するでもなく、赤月帝国の圧政に対する反対運動を行うと言い切ったのだ。フリックにとってオデッサは、すぐにカリスマ的存在となった。その一方で、帝国に抵抗運動するために立ち上がった彼女の重圧も理解できたので、個人的に相談に乗ることもしていた。
「ねえ、フリック」
瞬く星空の下で、オデッサが尋ねた。
「戦士の村では、自分の剣に名前を付けるんでしょう? フリックの剣は、なんていう名前なの?」
「名前なんか聞くなよ。こういうのは、自分で名乗り上げるものなんだ」
本当はまだ、名前なんかつけていない。だが、オデッサと出会ってしまったフリックは、すでに名前を決めていた。フリックは剣を抜き、まっすぐに構えて見せた。
「この剣の名は、オデッサだ」
オデッサはただ静かに、フリックを見つめている。
「気高い心を持つオデッサのように、決して折れない強い剣だ。オデッサの志を守り、どこまでも貫き通す、鋭い剣だ。俺はこの剣でオデッサを守り、みんなを導く」
「じゃあ、フリックが副リーダーね」
「ああ、任せろ」
「頼りにしているわ」
ずっと思っていたことを口にしただけだったが、少し照れ臭かった。それでも、オデッサに頼りにしていると言われたことは、フリックにとって誇らしいことだった。
だが、オデッサは死んだ。守れなかった。守りようがなかった。あの場にフリックはいなかったのだ。その上、オデッサの代わりにマクドール家の子倅が解放軍のリーダーの座に居座っているではないか。副リーダーたるフリックは何も認めていない。何も知らなかった。ただ、オデッサが行方不明ということ、それだけ。なぜだ。オデッサが打ち立てた解放軍だ。オデッサの怒りであり、オデッサの希望だった。オデッサの怒りや希望は、フリックの怒りや希望だ。なのにそのオデッサはもうこの世にいなくて、どこから降って湧いたのかも分からないような信用できない小僧が、オデッサの集めた希望や信頼をそのまま掻っ攫う。認めない。絶対に認めてなるものか!
彼を見極めている最中、グレミオという男が死んだ。グレミオのことは知っている。ビクトールがあの小僧をアジトに連れてきた時から、ずっと彼に付き従っていた人物だ。グレミオは彼を庇い、人喰い胞子に骨まで喰われて死んだ。希望を為せという遺言と共に。どれほど悲しかったことだろう。悲しみに打ちひしがれる彼以上に、ビクトールが怒っていた。けれど取り乱すこともなく、ミルイヒの軍勢を破り、スカーレティシア城を落とした。そして――。
「この男に、罪はない」
はっきりとそう言ってのけた。両肩や、棍を持つ手を小刻みに震わせながら、殺すことを良しとするどころか、ミルイヒを解放軍に引き入れたのだ。グレミオと交友のあった者たちは、それは不満や怒りを露わにした、けれど。
――だから、こいつがリーダーなのか。
オデッサや、彼女の兄というマッシュが認めた男。オデッサの想いを継げるのは、彼しかいなかった。彼以外、人々をまとめるような希望にはなり得なかった。
どれだけ憎いだろう。どれだけ悲しいだろう。そのことばかりをフリックは考えてしまう。オデッサの死を聞いたとき、実にやりきれない気持ちになった。けれど彼の、憎しみに囚われることなく、目の前の罪びとを赦す心や、深く悲しい時でも前を向き、突き進んでいく強さ――それをオデッサやマッシュは見抜いていた。フリックならば、この場ですぐにでもミルイヒの首を叩き落としたことだろう。
「やめろよ。リーダーの決めたことだ」
帝国の将軍の息子。これまで甘やかされて育ってきたことだろう。心底気に入らないのは今も変わらない。だが気に入らないからこそ、フリックは冷静でいられた。
彼でなくてはいけない。彼でしかありえない。
オデッサが想いを託した男。オデッサの想いを継いだ男。この戦いが終わるまでは、彼のためにこの剣を振るおう。それがオデッサのためになる。それがオデッサの望みだから。
そしてオデッサが立ち上げた解放軍は勝利し、フリックは元赤月帝国、現トラン共和国を去った。行方不明だと思われているのであれば、それもまた構わないだろう。まだ故郷に戻るつもりはないし、この剣を振るえるところは、どこにでもあるのだから。