ティオーナの悪夢


 ロ=ククスの死んだ世界で生き残ったのは、方舟に呼ばれた者たちを除くと、わずかな数だった。だからきっとあの人も死んだのだろう、と、自分とは関係のないことのようにディオーナは考えていた。生き残っていたら、しぶとい人だと誉めてやりたいところだ。
 そんなディオーナも、日々を方舟で過ごしながら、ときどき孤児院の様子を見に行ったりしている。ヴァローナに頼まれて、地上をうろつく魔物退治に付き合うこともしばしばあった。その日もディオーナは、ヴァローナに付き合ってフォルカーやイロンデールたちと魔物を倒して回るところだった。
「ディオーナ、お願い!」
「任せて!」
 ディオーナが薔薇で魔物をひるませたところで、ヴァローナがクマちゃんで一掃する。その様子を見てフォルカーが「二人だけでも十分だな」などとこぼしていると……。
「あら、それじゃ、無防備な私たちを誰が守るのかしら?」
 などとヴァローナはしれっと言ってのけた。そりゃフォルカーが悪い、とイロンデールにまでそっぽを向かれ、フォルカーはすぐにヴァローナに頭を下げた。その様子を見て、ディオーナはクスクスと笑った。
 その時、ディオーナの目にあるものが飛び込んだ。よく覚えている、いや、忘れがたいもの。彼女もまた、ロ=ククスの死と共に太陽に焼かれ、死んだのだろう。徐々に理解が追いつき、自分の身体が小刻みに震えるのを感じる。こみ上げてくるものを必死にこらえようとしたが、ディオーナの様子にヴァローナがいち早く気づき、「どうしたの?」と声をかける。
「顔色が悪いわよ」
「え、ええ……」
「その様子じゃ、魔物退治は無理そうね。方舟まで戻れるかしら?」
「ごめんなさい、大丈夫よ、戻れるわ」
「無理はしないでね。フォルカー、ディオーナを送ってくれる? この状態で魔物に襲われでもしたら大変だわ」
 フォルカーは「ああ、わかった」と返事をした。


 道中、フォルカーに身体を支えられなければ立てないほど、ディオーナは弱っていた。けれど少しでも歩かなければ、方舟には戻れない。
「大丈夫か? 休みたくなったら言ってくれ」
「ええ、大丈夫よ、ありがとう」
 まだ震えが止まらない。どうしてこんなにも心が乱されるのだろう。途中で埒があかないと判断したらしいフォルカーは、ディオーナを負ぶって方舟のディオーナの自室へと運んだ。その間、幸いにも魔物は現れなかった。
「何を見たんだ?」
 フォルカーにベッドに座らされたディオーナは、フォルカーに視線をやった。フォルカーもじっとディオーナを見ている。ディオーナは震える肩を両手で抱きながら、ぽつりぽつりと語った。
「あそこにね、孤児院の前の院長が死んでたの。時間が経ってたみたいだし、顔はもうすっかり分からなくなっていたけど、ペンダントがね、院長のものだったの。間違いないわ」
 フォルカーには、ディオーナが孤児院を出てどういう人生を送ったかという話をすでにしていた。前提が分かっているから、こんな風に話すこともできる。しかし自分のこのどうしようもない感情をどうすればいいか分からない。院長の死体を見ただけで、こんなにも自分が動揺するなんて思っていなかった。天井のなくなったあの世界で生きてはいないだろう、などと思っていたのに。ともすれば、命を奪いこそしなかったものの、「どこかで死んでしまえばいい」とさえ思っていた。だって彼女はディオーナにひどい仕打ちをしてきたのだ。だからこれは、望むとおりの結末なのだ。
「せいせいしたわ。私を使って荒稼ぎしたお金も、全部パアになったわねって。でも悲しかったの」
 そう、悲しかった。悲しかったのだ。彼女の亡骸を見て、それが元院長のものであると分かってしまった。胸がすくような想いとともに、言いようのない悲しみが降りてきた。どう処理すべきかわからない感情の前に、結果としてディオーナは取り乱し、自分で歩くこととさえままならず、魔物の討伐の手伝もできなかった。
「院長は私のことなんて愛してくれなかったのに、それなのに私は……私は……」
 フォルカーはディオーナの隣に腰掛け、肩を抱き寄せた。ディオーナはされるがままに、フォルカーの肩に頭を預けた。
「いいじゃねぇか、それでも。そういうことを思うのは、愛していたからだろう?」
 分かっている。分かっていた。でもそんなことを言われたくなかった。惨めだから。愛してくれてない人を、自分を利用することしか考えていなかった人を愛していただなんて、あまりに滑稽な話だから。
「いいんだよ。あんたにとって、院長ってのは全てみたいなもんじゃねぇか。外の世界を知らなきゃ、そうだったんだ。だから別にそれでいいんだよ。ま、気持ちが収まらねぇってんなら、気が済むまでここで吐き出しちまえ。俺が全部受け止めるから」
 なんでもかんでも筋が通ってる人間なんていねぇさ、とフォルカーはディオーナを抱きしめ、頭を撫でた。ディオーナは声を上げ、子どものように泣いた。

■□■□

「気は済んだか?」
 フォルカーの声に応えるように、ディオーナは顔を上げ微笑んだ。フォルカーの親指がディオーナの涙を拭う。ああ、きっと化粧も落ちてしまって、ひどい顔をしているに違いないと気づき、すぐにうつむく。
「ええ、ありがとう。ごめんなさいね」
「気にすんなって」
 今日はもうゆっくり休め、とフォルカーはディオーナの唇に己のものを寄せた。ディオーナはとっさに、立ち上がろうとするフォルカーの手を掴んだ。
「もう少しだけ、ここにいてくれるかしら?」
「……ったく、どうなっても知らねぇぞ」
「かまわないわ」
 フォルカーの唇がディオーナの唇をふさぐ。熱が唇から伝わり、全身を満たしていく。ディオーナはそのままベッドに身体を沈めた。



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Written by @uppa_yuki
アトリエ写葉